現パロ晴森

現パロ晴森



昨日、大学の帰りに卑弥呼から呼び止められたのを思い出した。

『きっと必要になると思うから、コレ渡しとくわね!』

そう言って差し出されたのは冷凍の握り飯とタッパーに入れて凍らせたスープと思われるもの。なんだこれはと聞いても『今朝夢で見たから』という返答のみ。卑弥呼の占い……というか本人曰く唐突に見る予知夢、いわゆる『お告げ』のようなものらしいが。

「まぁ、お陰で助かったのは事実だしな……」

呟いて、レンジ対応タッパーの中に握り飯も入れて温める。それだけでレンチン簡易雑炊の出来上がりだ。立ち上る湯気が、失せていた食欲を少しだけ呼び起こしてくれる。シンプルに塩と出汁だけの味わいも、弱った胃腸に優しく染みて有難い。食べられるだけ食べて、薬を飲んで、どうにか寝室で横になる。……元々生まれつきそう身体が丈夫な方ではなかった。幼い頃はこうして寝込む事も、そこまでではなくとも体調を崩すことはよくあることだった。だから体力をつけたり生活に気を使うことで、十代後半頃からはそう体調を崩すことも無くなったはず、だったんだが。

何故か今月に入ってから大量に出された大学のレポートや、父親から半ば乗っ取るように引き継いだ会社の年末進行、景虎の相手に、それから……まぁ、兎も角。今回は例年に比べてやたら忙しかった。大学も会社経営も一年目じゃあるまいし、計画を立てて余裕を持たせていたはずなのに、何故か増える課題、頻発するトラブル。景虎の相手もいつもの事だし、あれは空気は読めないがある程度察する事はできていたはずなんだが。どうにも鬱憤が溜まっていたらしい。いや俺で鬱憤ばらしをするのがどうなんだという話ではあるんだが。何にしろ、やたら忙しかったせいで、思いのほか疲労が溜まっていたらしい。そのお陰で漸く空いたスケジュール、今日は急ぎの案件は何も無い。そんな事を考えているうちに、意識は急速に眠りへと落ちていった。




夢を見た。

とても、懐かしい夢。

俺がまだガキで、よく寝込んでいた頃の夢。

積み上げられた本と、大人たちの潜めた声。

『社長もお可哀想に』

『ご子息があんなに病弱では』

『今期の収支は』

『次代の候補は』

『我が息子を』

『うちの期待の新人を』

無知蒙昧な大人の声が耳を刺す。

ただでさえ、身体のあちこちが軋むのに。

耐え難い痛みに本を閉じる。

本は、知識をくれる。

知恵を育ててくれる。

だから好きだ。

愚かな者どもと違い余計な世辞も言わない。

だから、好きだった。

だから、幼い頃は本に逃げた。

他者を無知蒙昧と見下して。

そして、神に縋った。

神というものが本当にいるのであれば。

どうか、どうか。

せめて人並に頑丈な身体をくれ。

なんでもいい。

なにか、俺に救いを---


「ばかじゃねぇの?」

聞こえたのは、幼子の言葉。出会った頃の、長可の、声。

「寝込んでるヤツほったらかして陰口叩いてるヤツも、布団の中でグチグチ言ってるヤツも、みーんな、ばかじゃねぇ?オレも馬鹿だけどな!」

快活に笑う声が、聞こえた。

出会ったのは確か、 もうあまり寝込むこともなくなってからだったと思うが、夢に整合性を求めても意味はない。それよりも。

ただ、ああそうか、と思う。

俺はこいつのこういうところに救われていたんだ。

救われていた、というと少し違うかもしれんが、なんというか。あいつは子供の時分であろうと、大人の汚さや子供のひねくれた部分、人生のままならなさや人の弱さを知った上で、きちんと理解した上で本音を言える奴だから。俺が見下していた『大人たち』も、見下す事でどうにか自分を保とうとしていた俺自身も、そしてそれらを、人の複雑さを理解した上で『全部馬鹿だ』と断じるあいつ自身も。全てが馬鹿で、本当に頭のいい人間なんていなくて。あまりにもあっけらかんと言うもんだから、それがすんなり納得できて、今まで重苦しくのしかかってきていたモノが、軽くなった気がした。

だから、救われたような、そんな気持ちになっていたんだと。今、ようやく分かった気がした。

あいつに話したところで、きっと「ふーん、良かったな」って程度の反応なんだろうけど。きっとそれでいい。俺はあいつの『そういうところ』が好きなんだ。普段手の付けられない暴れ熊みたいな奴が、だからこそ何気なく言い放った言葉に救われて、愛おしくて。そんなあいつが時々甘えてくれるのが、何より嬉しくて。


俺は、幸せ者だと思う。


そう思ったら、なんだか全てが軽くなった気がした。世界が色付いた気がした。

もう、息苦しさも重苦しさも消えていた。




「……ん」

目が覚めて、もぞもぞと動く。どうにかうっすらと開けた目に入るのは、橙色に染まった空。どうやら丸一日寝ていたらしい。今日が一日オフで本当に良かった。身体の気だるさはだいぶ消えているが……さて、どうするか。そう思ったところで、ふと。人の気配がある事に気が付いた。首を捻って見れば、そこには椅子に座って本を読んでいる、見慣れた姿。

「……ん、起きたか」

ここに居るはずのない相手。見慣れた、赤い髪が揺れた。

「お前……セキュリティどうした」

最初に出た言葉がコレなのは本当に自分でもどうかと思うが、ガサガサの声であっても言ってしまった言葉は戻らない。まぁいいか、と寝起きの回らない頭でぼんやりと思う。

「なんか占い姉ちゃんにお前が寝込んでるって聞いて、家の前まで来たらバイクの姉ちゃんがなんかガチャガチャやって入れるようにしてくれたぜ。暇だから早く元気になれってよ」

そう言って、ベッドサイドテーブルの上に置いてあった水差しから水を差し出してくれた。のそりと起き上がって受け取ると、少しだけ長可が安堵したように見えた。

……寝る前に水差しを用意するような余裕は無かったし、ハウスキーパーは週1で食事の作り置きと掃除くらいしか頼んでいないし、今日じゃない。だから長可が用意してくれたものなんだろうと思うが、それにしても。

「お前、いつからここに?」

「学校終わって割とすぐからだな。帰りに占い姉ちゃんに会って、そのまま来たから」

そう言う長可の服は制服のまま。だから、そのまま来たというのは本当にそうなんだろう。時刻は夕方、長可が来てからそう長くは経っていなさそうで、少しだけ安堵した。

「……お前こそいつから寝てたんだよ」

「俺は……多分今日丸一日寝てた……と思う。朝、軽く食べたのは覚えてるんだが、それ以降の記憶が無い」

「あ?……ンならなんか食った方がいいな。ちょっと待ってろ」

俺の答えに長可が僅かに眉根を寄せて立ち上がる。咄嗟に出してしまった手。

「……ンだよ」

「あ……いや、すまん。食材、多分作り置きしてあるもの以外何も無いぞ」

咄嗟に思いついた言い訳を口にしても、長可は誤魔化せないだろうが、まぁ事実そうではあるので口にして、少しだけ、時間を稼ぐ。

「……ったく、なんて顔してんだよ。弟たちがまだチビだった頃みてぇで笑えるな」

そう言って頭を撫でられた。それこそ、弟たちにしているように。かなり、とても釈然としない。

「食材に関しちゃここ来て割とすぐに冷蔵庫ん中見て、成利に買い物頼んだし大丈夫だぜ。家にも連絡してっし、すぐ戻ってくっからちっとだけ大人しく待ってろって」

ぐしゃぐしゃと俺の頭を掻き回して、今度こそ長可は部屋を出ていく。今度は、俺も引き止める事はしなかった。……というかナチュラルに他人の家の冷蔵庫を勝手に漁るんじゃない。あと景虎は違法行為でそろそろしょっぴかれろ。試衛館の連中、お前らほとんど警察官だろどうにかしろ、などと。八つ当たり気味に思って再び布団に横になる。そういえば長可の奴、茶を点てるのは上手いが、料理とかできるのか?いや、インスタントでも助かるには助かるんだが。包丁……は、まぁ少なくとも自分の手を切るようなことはないだろう。多分。茶の湯で羊羹とか菓子を切り分けるくらいはやるから、ある程度慣れてはいるだろうし。火……は……茶の心得があるから湯を沸かすことは出来るな。最低限、インスタントを作る程度は出来そうだと安堵して待っていると、程なくして長可が戻ってきた。手には湯気の上がる土鍋が乗った盆。

「とりあえず食えるだけ食っとけ。無理そうなら残せよ」

蓋を開けてふわりと上がる湯気は、優しい出汁の香り。中にはシンプルだが美味そうなおじや。そういえば米だけは炊いて冷凍したのがあったな……などと思い出す。具に卵や大根、刻み葱、解した鮭が入っていて、彩りも良い。なんとも食欲をそそる香りと色合いで、少し驚いた。

「……これを、お前が?」

「ンだよ、悪ィか?」

「悪くは無い。とても美味そうだ。少し……意外だっただけで」

そうかよ、という長可の返答を聞くよりも早く、添えられていた蓮華と取り皿を手にし、まずは少しだけ皿によそう。熱々のそれは中々冷めてはくれず多少難儀したが、それでも口にしたものを咀嚼して飲み下せば、柔らかな塩気と出汁の味わい、卵や鮭の風味、ほんのりと葱の辛味が、その温もりが、身体を芯から温め、疲れ切っていた身体に染み渡る。

「……うまい」

「そうかよ」

ぽつりと思わず呟いた言葉に、先程と全く同じ……けれど先程よりも嬉しそうな声が返ってくる。普段の長可からは想像もつかないような、穏やかな声と表情。これを、この空間を。俺だけが独占しているのだと思うと、心すら満たされるようで。

気がついたら、土鍋の中身は空っぽになっていた。

「ご馳走様……美味かった」

「おう、お粗末さん」

食べ終わった皿を置いたタイミングで渡される水と薬。あまりにも甲斐甲斐しくて、何となく『流石あの成利の兄だ』と思った。普段は大概自分本位だが、こういう気の利くところはある。そしてそういった気の利かせ方は上手い。そういう『ここぞ』の見分けというか判断も、俺がこいつを好きであるところのひとつなのだろうと思う。

「……と、そうだ。お前そろそろ帰らなくても大丈夫か?一応門限あるだろ」

空腹が満たされた事で余裕が生まれたのか、外を見ればもう既に真っ暗闇。時計はそこそこ遅い時間を指していた。いくら強かろうが学生だし、あまり遅くなるのも良くない。ただでさて成績優秀な問題児という厄介な立場ではあるんだ。これ以上目を付けられていい事など何も無い。と、思って聞いたのだが。

「あぁ、今日は泊まるわ」

何の気なしに返ってきた言葉に、少しむせた。

「ゴホッ、おま、」

「ふは、思ったよか慌てておもしれぇ」

「いやお前!泊まるって……」

「流石にそんな弱ってるお前置いて帰んのは寝覚めが悪ぃんだよ。家にも連絡してるし、一晩くらい大丈夫だろ」

けらけらと笑う長可はいつもと変わらないように見える。けれど、心配してくれているんだと分かって、嬉しさと申し訳なさが同時に湧き上がる。

「……お前がいねぇと、俺もつまんねぇんだよ」

だから、早く寝て早く治せと。また、頭を撫でられた。相変わらず子供扱いで釈然としないが、少しでも……俺が居なくて寂しいと。そう感じてくれていることが、言いようもなく嬉しかった。

「……壊さなければ家の物は好きに使っていい。冷蔵庫の中のもんも、好きに食え」

「おう」

それだけ言って、横になる。返答は素っ気ないが、横に長可が居ると言うだけで、なんだか妙に楽しかった。昔はあれだけ寝込む事が嫌で、苦しくて……悲しくて。辛く、やり切れない思いしかなかったのに。

上機嫌な長可の、初めて聞いた子守唄を聴きながら、俺の意識は穏やかな闇に落ちる。


今夜は、とてもよく眠れそうだ。

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