現パロ・中学生ホーキンス

現パロ・中学生ホーキンス


 重苦しいほどに黒い空を投影した海の中で、朧月が歪む。通し、通し、ゆらゆらと歪む。ホーキンスは下を向いた。水が腹部を起点に波紋を描いていて、ただそれを見るためだけで。

 船に乗っていた、海を眺めていた。随分昔の話だが自分はそうしていた、と、いつも海を見る度に感じる。それがいつだったのかは忘れたけど確かにそうだったんだ。自分の体の正体を教えてもらおうと頭の中に頼んでみる。

 でも、問いかけても問いかけても意味などなかった。自分の問いが置き去りにされ、この水のように広がって広がって消えていく、それだけ。

 ホーキンスはふと、自分が此処に居る理由を脳内にプロジェクションマッピングとして見せられて思った。その日はいつ来るのだろう、と……。他人に、自らに、死相が欲しい。

 死相が、欲しい。かけられた給食の残飯、未だに肌を触っている。身体はもう拭いたのに、綺麗になったのに。あのべちょりとした、泥を被ったような気配はどうして消えないのだろうか。じわ、と、瞼の下に透明な液体が溜まっていく。おれは何を思っているのだろう、悔しいのだろうか。ホーキンスは思案から少し離れ、水の冷たさに気づいた。そっと、両腕に手を添えて体を震わせた。

『だからお前は虐められるんだよ』

全身を刺すように、一ヶ月前に届いた言葉が響く。だから、とは何だろう。おれがここにいることと、コイツらがおれを虐めること、すれ違ってはいないのだろうか。道は、何処で繋がったのだろうか。誰も理由を教えてくれない。おれ自身だって怖くて聞けないけれど。

 別に、おれは今日、死なない。良いや、と瞼を閉じる。この広い、黒い、水の中に沈む。恐怖、安寧、その感情の中に体全て、預ける。前のめりに、ホーキンスの小さな体は海に呑まれ、見えなくなる。ちゃぷん、ぐわん、と耳に響いた音、ぎちぎちと体が四方を抑えこむ感覚、恐る恐る目を開けると、ぼんやりとしか中は見えない。水が沁みてすぐに閉じてしまう。

「ぷは」

ゆっくりと、少年の体は背中から頭にカーブを描いて起き上がる。ぽた、ぽた、下を向く、海水を見る。髪の毛が含んだ水、先端でいっぱいになって海に落ちていく。腹部からの波紋とはまた別物、小さな円を広げては消えて、広げては消えて……冷たい。

 後ろを向く。地面は遠くない。ざぶざぶと、波をかき分けて、砂浜に置いた靴と靴下に向かって歩を進めた。

 家に帰ろう。帰って、少し滑りの悪い引き出しを開けて、カードを並べよう。おれが生きているか、死んでいくのか、結局コイツも教えてくれない。思えばつまらないものだ。だだっ広いだけだった……今日、後ろの席から会話が聞こえたんだ。

『夏休みさぁ、海行かね? 父さんと話してたんだよ』

『オーそりゃあ良いな! 今年もオラッチの波捌き見せてやるぜい』

『それつまんねーから嫌だ。去年はおれ達みてるだけだったもんな、なぁ』

『アプーいつもそうだよな、お前誘うなんて誰も考えてねぇから会話入ってくるなよ』

『ちぇー』

確か、それを聞いて、海か、と思って……期待したんだな。みんな明るい声で話しているから、遊んだら楽しいかもしれない、と。

 落ちた枝を砂浜にぐいぐい押しつけたらぽきんと儚く折れた。体育座りで物思いに耽るホーキンス、その後ろからさく、さく、と、足音がする。

 ホーキンスは、なんとも思わずに振り向いて、人影に目をやった。

「ホーキンスじゃないか」

心地良い声、張り上げても圧を感じない。ホーキンスは湿っぽい音と共に立ち上がって、その影の方に向き直った。

「そんなところで座ってたら危ないぞ」

近づいてくる人影、

「ドレーク先輩」

名前を口にしただけで、暗く澱んだ気持ちが微々たるものだとしても緩んでいくのが分かった。

 ドレークは立ち止まっているホーキンスの方へと、少し大股気味に歩いていたが、ある地点ではっと目を開き、ずいぶん急いだ様子で走りつつ上着に手をかけた。

「濡れているじゃないか、使え」

ホーキンスが黙って首を振ると、納得しきれないと顔を顰めて握った手でぐいぐいと押しつけた。

「風邪を引いたらどうする」

「死にません。おれは大丈夫です」

ドレークは口をあんぐりと開け、頭を下げると額に手をかざした。そのまま何も言わず、ギュッと口を結んでホーキンスの両肩に、青いジャケットをさっとかけた。

「お前の両親はどうしたんだ」

「仕事で帰ってきません」

海から離れていく。ジャケットに人の体温を感じ、ホーキンスは胸に裾を慎ましく手繰り寄せた。

「おれもだ」

ドレークは空に向かって、ホーキンスは白い貝殻の欠片に向かって話しかけていた。

 堤防の階段を登ると、ドレークの自転車が置いてある。

「ちょっと風に当たりたくて来ただけだ」

ドレークはキーを開けると、両の手をハンドルに持たせ、自転車を押していく。その傍でコンクリートの道を歩いていると、前触れもなく夜風がびゅうと吹き出した。ぶるり、と冷たい感触が全身に通い、ホーキンスはくしゃみをした。

「何があったのかは知らないが……着替えはないのか」

ドレークはホーキンスの濡れた体をしげしげと見ながら、呆れたような、怒っているような、憐れんでいるような、どうとも取れる口調で言った。

「ありませんね」

靴下が、濡れた足で少し冷たくなってきた。

 暗がりで境界線を忘れていた世界に、タイヤの回る音。

 空間の広がりを、物と物との分かれ目を蘇らせた、ヘッドライト。

「上着……ありがとうございます」

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