獣と、毒

獣と、毒


「ルフィがケダモノになっちゃった…」


初夜を迎えて結婚(ゴール)と初恋(スタート)を逆転してしまった日から少し経ち、ウタはある居酒屋でナミとロビンと共に飲んでいた。所謂女子会である。

しかし、冒頭のウタの言葉や、時には男性陣もびっくりの話題が出る事もあるので人によっては女子?会やもしれない。しかし今回は緊急招集だった。

なにせルフィととうに結婚してる筈のウタから「恋をしてしまったかもしれない」なんて言われれば当たり前だった。しかし蓋を開ければ漸く互いにそういう気持ちを持てた遅すぎる青春話だったとナミ達は安堵と共に呆れていた。


「安心しなさい、元から獣(モンキー)だし、なんなら今のアンタもでしょ?」

「そうだった…私も今、苗字がモンキーだった……えへへ」

「でも本当に、前までのウタからは考えられない態度ね」


対面の席に座るナミの言葉に、にへら、と頬を緩ませてウタは今更な事実を嬉しそうに噛み締めていた。それを微笑ましそうに見つめて口を開くのはロビンだ。

彼女の言葉も尤もで、前まで彼女は結婚してからも特にルフィとそんな雰囲気を感じさせない…全幅の信頼、信用、親愛。あたたかくも、恋より先に進んでいた感情を持って接する二人はあまりに健全そのものだったのだ。そこに初夜という名のピンクエッセンス一滴でこれである。


「まぁ幸せなら良いんじゃない?って思うんだけど…なに?ルフィのバカ加減を知らないとか?」

「ん…一応、気遣いとか、優しいのはそのままなんだけど…ちょ〜っとスイッチの入り方がね……」

「「スイッチ…?」」


首を傾げる二人に、ウタは話し始める。

曰く、朝おはようと声をかけて

曰く、食事中に

曰く、同じソファに座っている時

曰く、曰く、曰く……


「流石に途中から体力が、ね…」

「うわあ、確かにそれは獣だわ」

「逆に何をしてる時はルフィの食指に引っかからないのかしら?」

「しらないよ〜!」


ウタはテーブルにゴン…と音を立てて俯きあーうーと呻く。その様子は困ってますと言わんばかりだ。あらあら、とロビンはつまみを口に運びつつ大して気にしてなさそうに微笑む。ナミはあの結婚前から熟年夫婦の域だった二人がそんな雰囲気になった事に何処か感慨深ささえあった。


「…ホント、困ったな」


度数が高いが、甘い味が好みのお酒のグラスの中に入っていた氷に居酒屋の安っぽい明かりがキラキラと反射しているのをテーブルに沈みながらウタは見ていた。

馴染みのあるものが突然違って見える…否、良いところはそのままなのだが、それの受け取り方と言うべきか、感じ方と言うべきか…今までよりもずっと素敵に見える様な…


「あ〜〜困った〜〜…!!」


そう言って、ウタはグラスに残っていたお酒を飲み干した。溶けた氷で少し薄くなったが、灼ける程甘く感じた。

そんなウタを見て、楽しそうな二人は、とりあえず頃合いになったらその困らせてる張本人に迎えに来てもらおうかとウタに水を差し出した。

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いつの間にか、誰かの背で、心地よく揺れていた。どうやらあの後、しっかり酔い潰れたらしい。


「…んあ?」

「お、やーっと起きたかウタ。そろそろ着くぞ」

「るふぃ…?」

「おう…飲み過ぎだぞ、お前」


あんま強くないクセに無茶なペースで飲むなよ〜というルフィの言葉を聞き流し、ウタはぼんやりと自身を背負っているルフィの首を見ていた。女の自分のとは違って太く、何処か骨張った頸に…ぼんやりとした頭のまま鼻を擦り付ける。


「う、ぉ…おいやめろよ擽ってえ…!」

「んー?ん〜」

「ダメだこりゃ…ほら、着いたぞ、降りろ〜?」

「ぅ…たらいま…」


そうしてルフィがドアを開けて灯りを点ける。先程までいた居酒屋程じゃないが、夜道にいたから少し眩しくて小さく呻き、舌足らずな口で帰宅を告げた。


「おう、おかえり、とりあえずソファまでは行ってくれ…水とか持ってくるから」

「ん…」


口数の少なさで分かる酔いっぷりである。それ故に「あっつ…」と零して、無防備にも廊下で幾つか服を脱いでいくのだが…流石にルフィも酔っ払いには手を出さない理性はあった。というか、前まではそれが普通だった筈なのにな、とさえ思っていた。いそいそと持ち主に雑に脱がれた衣服を洗濯籠に投げてキッチンで水を一杯ボトルから注いでソファにいるウタのところに持っていく。


「ほら、水」

「ぅん…ぁりあと…」

「……」


ソファの背もたれに寄りかかり、無防備な格好で、とろんとした目でルフィに礼をいうウタに少しだけ揺らいだが、もう一度「酔ってる相手に手を出すのはアウト」という気持ちと、迎えに行った際のナミの言葉をルフィは反芻した。

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「やあっとお嫁さんの可愛さ自覚したのは良い事かもだけど加減しなさいよ〜?動物じゃないんだから節度をもって、ね?」

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もう一度、ウタを見る。ぽやぽやとした顔をしながら両手でグラスを持ち、ちびちびと水を飲んでいる姿…

慌てて天井を見上げた。何も無いがそれでいい。危なかった…本当に。

あの日以来、長く連れ添ってきた幼馴染の仕草一つ一つ、目線や指先、分かりやすいところならば腰やら胸やらに目がいく様になってしまった。それでウタに負担というかまぁ…色々と申し訳ない気持ちがない訳ではない。

…だが


「…ルフィ」


クイッと服の裾を摘まれる。反射的にそちらを見てしまった。あ、と小さく声が漏れるルフィに対し、ソファの上で片膝を抱えながら、すっかり空のグラスを片手に弄びながらこちらを見てくるウタ。

少し首を傾げて見上げてくる彼女の、普段は白い髪に隠れている左眼を含んだ桔梗色の双眸は何も言わずに語りかける。


しないの?…と


最初は我慢するつもりだったのだ。どんな時もある程度節度を持とうと…だが例えば朝目を覚ました時にカーテン越しの朝焼けを背に目を合わせてきたり、食事をとっている時にツイ…と口元のソースを指で取りそのまま舐めとっている時、共にソファで寛いでいる時ふとルフィの手を細い指で絡めとる時……ウタはこの目をする。

本人も恐らく無自覚である。そして長い付き合いであるルフィくらいしかこの桔梗色が出す毒に気付く事はない。


「…ふ〜〜〜……ウタ」

「ん〜?なあにぃ?…わ」


気の抜けた声のウタをそのままソファに押し倒す。ベッドに連れて行くのも手だが、どうも今回の罠は此処に設置しましたと言いたげに細められた眼を見て挑発に乗る事にした。押し倒した際に彼女の顔の横にきた手を取り、ウタはその手首の節を少し親指で撫でた後に、ふに、と触れるだけのキスをして笑う。


「困った旦那さまだなぁ……」


それは間違いなくお前(嫁)の方だ。

その台詞と、唾を同時に飲み込んで、今日も彼女の罠に素直にかかる事にした。

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