猫耳娘の受難と憂鬱
猫の日なので平子の絶叫が響く。待機していた藍染は、咄嗟に声の方に向かっていった。
僅かな間でも、頭の中にはいくつもの選択肢が浮かんでは消える。
何だ?昨夜は平子真子に何の悪戯も施していない。身体に痕も残していない、爪も整えてやったし、髪も整えてやった。
暴漢でも出たか?いや平子真子ならば悲鳴もあげず一撃で沈めるだろう。
「隊長、いかがーーー」
「惣右介ェェェ」
声の方向…洗面所へ向かうとドン、と上体に衝撃を感じ、次いで嗅ぎ慣れたフレグランスの香り。
藍染の胸板に頭を押し付けたまま平子が叫ぶ。
「お前何してくれンねん!流石に度を超え過ぎやろ信じられん、ホンマお前何やねんキッショやねん、俺の事が嫌いならそう言えばええやろ。嫌がらせ辞めろや」
「落ち着いてください隊長。一体僕が何をしたというんですか?ちょっと鼻にかかったかすれ声は…僕の所為ですね」
思わず強く抱きしめ、薄い肢体を撫でまわすと腕の中でじたばたと藻搔く。
暴れ馬を大人しくさせるのと同じ要領で暫く撫でまわしていると、そこで漸く異変に気づいた。金色の髪の間から生える三角の皮膚が、ビクビクと動いている。
多少落ち着いたらしい、平子が顔を上げた。
基本的に藍染の前では喜怒哀楽の変化が乏しい女であるが、今の表情は藍染にも読み取ることが出来た。
怒っている。いや、むしろ怒っているというよりは照れているのか?
唇を嚙みしめてじっと上目遣いでこちらを睨んでいる。違うな、これは困惑しているのかもしれない。
「俺が大声出したんは頭に生えたコイツのせいや…お前、俺の寝てる間になんかするン辞めろって言うたよな?エエ加減にせぇよ!」
「…………今日の僕は無実です」
緊張を幾分か解き、綺麗に立つそれー恐らく猫科の動物の耳を掴んだ。きちんと血が通っているのか、薄い、けれど暖かい。
「ヒェッ誰の許可を得て触っとんねん」
「アァ、すみません。感覚はあるんですね…」
「あるわ。しかも見てみィ」
オラ、と平子が横顔を突き出す。なるほど、本来耳があって然るべき場所は髪に覆われている。耳は四つもいらないと、つまりはそういう事なのだろう。
「………これは、四番隊案件でしょうか」
「嘘やろ、ホンマにお前ちゃうんか?こんな手の込んだ嫌がらせお前しか考えられンのやが」
「隊長が僕の事をどう思っているのか、今日でよく分かりましたよ」
平子の輪郭をそっと撫でる。耳がない分、柔らかい皮膚が続く感触が心地いいーーこういった破面を造って見るのも、面白いかもしれないな。
しばらくそうやっていると、平子が藍染の胸を押した。
「オイ、だから俺は触ってもええなんて言うとらんで。はよ四番隊に連れてけや」
「…四番隊に行くにも、まずは此処で検査をして報告する必要があると思うんです。
検査する姿を目で見ていると、隊長の意志に関係なく神経が誤解してしまうかも知れないので、まず平子隊長。目を瞑ってください」
「勝手な事抜かすな…コラッ惣右介」
伏し目がちにそっぽを巻く平子を正面から抱き込み、小振りで締った、無駄な贅肉の一切ない完璧な尻…否、下半身を検分する。どうやら尻尾は生えていないらしい。ガッカリしたような、そうでもないような。少し猫背気味に屈んでいる藍染の肩越しに、検査という名目で満遍なく撫で回される自身の下半身を覗き込むその姿は、自分の前で焦るという、普段の平子なら絶対に見せない表情が可愛いと、藍染は無意識に唇に笑みを浮かべるが、残念かな。下を向いていた平子は気付かなかった。
「本当何でしょうね、これ」
「犯人はお前やと思って悪かったわ…」
平子が藍染の胸に顔を埋めた。
随分と近いところに耳が出来たものだと、感心したのも束の間。ぴょこん、と可愛らしい三角形が藍染の顎先を擽る。
耳だ。紛れもなく猫科ーーいや、猫の耳。
ちらりと藍染を見上げる平子は、相変わらず不機嫌そうな面持ちである。
むくむくと自分の内に湧く悪戯心を抑えきれず、そっとその三角の耳の付け根に指を這わせる。ぴくり、と薄い肩が震えた。
感情が耳で分かるのは、便利かもしれない。
首をもたげたのはそんな意地悪な気持ちだ。
ゆっくりと、薄い耳朶を指の腹で挟みこむ。付け根から撫で上げ、まだ柔らかい毛の部分をくるくると指に巻きつけ弄ぶ。
ぴくり、また平子の顎先が震える。
小動物は好きな方だ。目の前でひくひくと震えるそれを弄ばずにはいられない。
指で挟みこみ、毛並みの流れに逆らう様に撫で上げ、爪の先でやわく耳の先を引っ張る。
次第に平子の体は固くなり、腰が引けていくのが分かる。それを許さないとばかりに腕を回し引き寄せた。
俯いて表情が伺えなくなったのは些か残念だ。しかしまあ、それでも十分可愛らしいのだが。
首を伸ばし、耳朶付近を柔く吸ってみると腕の中の肩がわなないた。
玩ぶなら四番隊に行くぞ、と途切れ途切れの抗議が聞こえた気もするが、気に留めないことにする。
こんな姿の平子真子を第三者に晒す事を考えるだけで、胃の底が焼け付くようにカッとなるのだから、これ以上の我慢は無理というものである。
珍しい姿の平子を堪能すると、耳から顔を離し解放してやる。
依然腕の中に閉じ込めたままでいる平子の、荒い息の音に、まるで閨事の最中のようだ、などと思っていると、裾を捲り上げた臀部に伸ばしていた手に思い切り爪を立てられた。
このまま引きずってでも寝室に連れて行き、なだらかな胸元に副乳が付いているのかどうかを確認したいが、四番隊に行かなければ機嫌を損ねてしまうだろう。
お互い無言のまま。藍染は平子の衣服を整え御高祖頭巾を被せると、瞬歩で四番隊へと急ぐ。
仲春のある朝の出来事。忙しい尸魂界に突如現れた猫耳娘の姿は、幸いにも誰からも咎められることはなかった。