父と娘と

父と娘と



ドフラミンゴファミリーの闇が暴かれ、その支配から解放された日の夜。

ひまわり畑に佇む私の家には、ようやく束の間の静寂が訪れていた。


ルフィランドの兄を名乗る男が訪ねてきたり、普段から眠るのが遅いというゾロランドの話し相手になったり……

まあ、彼等と話しているのは何の苦痛でもない。むしろ見識を深めるいい機会になった。


……さて、私も明日の準備をしよう……

そう思った時だった。



♪〜〜……♪〜…



「ん?」


どこからか、歌声が聞こえてきた。

引き込まれるような、吸い込まれるような……

私は芸術を誉めるような語彙は大して持ち合わせていないが……とにかく、ずっと聴いていたい歌声だった。


「こんな時間に誰だ……?」


ふと、小屋の中を見回す。


……いない。1人足りない。

先程までそこにいた形跡はあるが……

彼らと同じ一味のはずの、1人の少女の姿がそこにはなかった。


「だとすると、あの娘が歌っているのか……?」


確かめるために外に出る。


ふっと、柔らかな風が頬を撫でた。



ひまわり畑の少し開けたところに、彼女は立っていた。

月明かりに照らされたその少女は、少し神秘的なまでの出立を見せている。


すっと息を吸い、静かに歌い始めた。



♪どうして あの日遊んだ 海の 匂いは

どうして 過ぎる季節に 消えて しまうの


またおんなじ歌を 歌うたび

あなたを 誘うでしょう



「………………」


きっとその時の私は、とても間抜けな顔をしていただろう。

それ程までに、引き込まれてしまった。



♪信じられる? 信じられる?

あの星あかりを 海の広さを

信じられる? 信じられるかい?

朝を待つ この羽に吹く

追い風の いざなう空を



「……はは……」


気づけば思わず拍手を送っていた。

邪魔をしないために、控えめな拍手のつもりではあったが……



「え?

……あっ、ご、ごめんなさい!起こしちゃった……?」


思ったより音が大きくなってしまった。

拍手によりこちらに気づいた彼女が、慌てて頭を下げる。


「いや、謝らないでくれ。私が勝手に起きていただけだ。

寧ろ起きていてよかった。こんなに素晴らしい歌声が聴けるとは……」


「そ、そう?よかった……」


へへ、と照れくさそうに笑う。

その笑顔には、ある種のあどけなさが残っていた。


「しかし、君の方こそ、眠らなくて大丈夫なのか?」


「うん……眠たいって気持ちはあるんだけど……

何か、よく分かんなくて。寝るってどうやるんだったっけ……ってなっちゃって」


「そうか……」


能力者シュガーが能力を得た直後の悲劇。

期間で言えば、12年。


「君は今、自分が何歳だったか分かるか?」

「えーっと……オモチャにされたのが9歳の時だから……21歳だね」


さらりと言ってのけているが、既に精神が大人として成熟していた10年前の私でさえ、あれほどの絶望を味わったものだ。


状況が違うとは言え……


9歳という最も多感な時期の子供が、


12年もの間、


視界以外の感覚も言葉も、大好きであろう歌も奪われ、


周りの誰にも自身を自分と認識されない、あの地獄のような感覚を味わい続け……



その苦しみや悲しみなど、想像出来るはずもない。


彼女が今こうして笑っていられるのは、恐らく奇跡に等しいことだ。そう思わずにはいられなかった。



「……そうか。

……君さえよければ、もう少しここにいても?」

「もちろん。じゃああとちょっとだけ……」



♪どうして かわることなく 見えた 笑顔は

どうして よせる波に 隠れて しまうの

またおんなじ歌を 歌うたび

あなたを 想うでしょう



聞けばこの少女、人間に戻れた直後はまともに口を聞くことも出来なかったらしい。

それがこの短時間でここまでの歌声を取り戻すとは……

まさに天賦の才……いや、きっとそんな安っぽい言葉で言い表していいものではないのだろう。


いつかきっと、彼女はこの歌声で何かを成し遂げる……


少し気は早いかもしれないが、私はそんな予感さえ抱いていた。



「……あー、楽しかった!思いっきり歌えたのって何年ぶりだろ、それこそ12年ぶりかも」

「ハハ……君も私も、元に戻れて本当によかった。」


お互いに近くの岩の上に腰を下ろした。


「うん。ルフィにもウソップにも、みんなにも……感謝してもしきれないよ。このまま一生人形のままってのも、覚悟はしてたし……」


「……辛く、なかったか?」

「へ?」


しまった。何てことを聞いているんだ私は。

辛くないわけがないじゃないか。


「あ、いや、今のは……」

「……辛かったのはお互い様じゃないかな?」

「それは……そうだが……」


「ふふ、変な兵隊さん。

そりゃ確かに、オモチャにされてすぐはすごく辛かったよ。

一緒に島に来てたみんなも、誰も私のこと覚えてなくて、どれだけ喋りたくても泣きたくても、変なオルゴールの音しか出ないし……


でもやっぱり、シャンクスに捨てられそうになった時が一番堪えたなぁ。オモチャみたいにガシッと掴まれて、私の顔もロクに見ないで、そのままポイっと……」


聞いているだけで吐き気がしてきた。9歳の少女に負わせる業では……


……いや、ちょっと待て。


「……シャンクス?」

「え?」


「シャンクスといえば……あの『四皇』の1人、赤髪のシャンクスのことか?」

「あ、シャンクス知ってるの?やっぱり有名なんだね」

「知らないはずがないだろう……しかし、そんな海賊と君に何の関係が?」


「……お父さん、なんだ。私、シャンクスの娘なんだよ」

「……!!」


想定外の答えが返ってきた。赤髪の人となりを知るわけではないが……

世には自らの血縁者だけで海賊団を結成する者達もいると聞く。娘がいてもおかしくはないか……


そこまで考え、私は一つ、目を逸らしたくなる事実に気がついた。



「……捨てられそう、に、なった……?」



考えたことがなかった。

考えたくもなかった。


なぜ父親のことを名前で呼んでいるのかは分からないが……

恥ずかしげもなく父親を誇るこの子の様子からして、オモチャにされる前は相応に可愛がられていたことは想像に難くない。


そんな父親が、能力の影響とはいえ、愛する我が子のことを忘れていた?

玩具のように乱雑に扱い、剰え捨てようとまでした?


考えただけで気が狂いそうになる。

娘のことを思い出せた、思い出せてしまった今……

赤髪が今、どんな心境でいるのか。

想像することもできない。考えることを脳が拒否している。


「ハァ……ハァ……!!!」


「ちょ、ちょっと……兵隊さん?大丈夫……?」

「!!」


ハッと我に帰る。

心配そうに覗き込む少女の顔があった。


「あ……ああ……すまない、少し……取り乱した」

「びっくりした……何かあったの?」


「いや、何でもない……気にしないでくれ」


こんな話を聞かせるわけには行かない。

冷静にならなければ……


「……君も、大変だったんだな……」


「うん……

……でも、私が耐えられたのは、一番はルフィのおかげ……」

「ルフィランドの?」


「兵隊さん、私の名前教えてたっけ?」

「ああ、確かウタ、だったな。

……そういえば、オモチャだった時から同じ名前で呼ばれていたようだが……どうにかして伝えたのか?」


「ううん、ルフィがつけてくれたの。おんなじ名前」

「!?」


「歌を聴いて楽しそうにしてたら『お前歌が好きなんだな!じゃーお前の名前はウタだ!』って……

だからほんとに偶然なの。偶然なんだけど……」


少女……ウタの頬を、一筋の涙が伝う。


「……嬉しかった……!!」


涙の筋が2本、3本と増えていく。

涙を流せることさえも、今の彼女には嬉しいことだろう。


「ウタって名前気に入ってたのに、もう誰にも呼んでもらえないと思ってた……


そんな偶然でも本当の名前をもう一回つけてくれて……


それからルフィは、シャンクスから預かったずっと私を友達だーってそばに置いてくれたし……


さっきのサボとも、もう1人いたルフィのお兄ちゃんとも、フーシャ村のみんなとも友達になれて……


だから、寂しかったけど……寂しくながっだ……!!」


溢れる涙を拭うこともしない。

次第に話し声より嗚咽が勝るようになってきた。


「……っ、ごめん……もう……」


「無理はしなくていい。そんな話をしながら泣かないという方が無理な話だ。

涙を流せるのもオモチャには無い人間の特権だ。気が済むまで、泣けばいい」


「う……うああ…………!!」




部屋からタオルを取って戻ると、ウタは少しだけ落ち着いたように見えた。


「大丈夫か?」

「ゔん……」


手渡したタオルで、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を拭う。

ひとしきり拭いた後、ハッと顔を上げた。


「ごめんなさい、タオル汚しちゃった……」

「汚していい様に持ってきたからな。君の服を濡らしてしまっては勿体無い」

「えへへ……優しいんだね、兵隊さん」


まだ目は潤んで赤いままだったが、笑顔を見せる余裕は戻った様だ。

その笑顔を見て、私は一つ、意を決した質問を投げかける。


「……君は……」

「?」


「君はまだ、赤髪に……お父さんに、会いたいと思っているか?」


「シャンクスに……?」

「ああ」


「うーん……


………………


…………会いたい」


思いの外長考していたが、返ってきたのは当然とも言える答えだった。


「……当然か」

「……会いたいけど…………」


「?」

「まだちょっと……怖いかな」


「怖い?」

「うん……

能力が解けて、もうきっと思い出してくれてるとは思ってるんだけど……

もし、私のこと覚えてなかったりしたら……


そんなわけないんだけど、どうしてもそんなこと考えちゃって……そう考えたら、怖くなっちゃうんだ。ちょっとだけ」


最もな話だ。

私も同じ境遇なら、きっと同じことを考える。


「まあ、仕方ないな。ずっとレベッカの側にいた私と違い、これだけ長い間離れていたんだ。そう思うのも無理はない……


だがこれは……1人の父親としての意見だが」

「?」


「赤髪……君のお父さんも、ホビホビの呪いが解けた今、きっと自分を責めている。


仕方がなかったとは言え、愛する娘を捨てようとしたんだ。それで平気でいられる父親などいるものか。


だから、今すぐにとは言わない。時間がかかってもいい……


それでもいつか必ず、会いに行ってあげてほしい。それだけで、父親というものは救われるんだ」


「…………


……うん、頑張ってみる。


ありがとう、優しい兵隊さん」


先ほどまでの幼さを残す笑顔とは違う、慈愛に満ちた優しい笑顔を見せたウタ。

そんな彼女を見て私は……



「フフ、お役に立てたのなら何よりだ」



一つ、敬礼をしておどけてみせた。

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