燻るのは
最近、彼を見ない。いや、見ないというのは語弊があった。ランク戦や防衛任務で作戦会議をする時、訓練帰りで歩いているところ。ボーダー内で彼の姿を見ること自体は多々あった。
ただ、「召使い」とC級に揶揄されるくらいに常に私と共にいた彼はこの頃、他隊員とよく話しているようだった。
もちろん、彼にだって彼の交友関係はある。香取隊の銃手、若村さんと話しているところを見たことがあるし、同級生であるあの男、水瀬ともよく話している。まぁ、男子同士の話に割り込む気はないし、それは構わない。最近は伏見さんと話しているところをよく見かけるようになった。彼女とは同じクラスであるし、色々教えているらしい。しかし何を話しているのかなど、私には関係はない。ない、はず。
───けれどなぜか、ザワザワとした感覚が胸に広がる。それは心の奥底にへばりつくようで不快だった。
「……個人戦でもしてきましょうか」
ふぅ、と息を吐き出し、ラウンジへ向かう。ほとんど日課となった個人戦は薙刀の修練と同じで余計な思考を排し、精神統一ができる場でもあった。
個人戦ブースと繋がるラウンジへ辿り着き、今日は誰と戦おうかと考えているところだった。
「───で、───いいし、───と思ったんだ」
「じゃあ、崎───が───のは───」
響く喧騒に混じって聞き慣れた声が聞こえてきたのは。
咄嗟に隠れるようにラウンジ席へ座る。妹に彼氏がいるかもしれない、という騒動の時に習得した技術が功を奏したと自画自賛した。そのまま死角に入るように息を殺す。
「万里さん───から───」
「大変なんだね──わたしも──」
聞き耳を立てても断片的にしか聞こえなかったが、おそらく自分のことを話している。内容から察するに陰口か、愚痴か。陰口を叩かれるのは慣れているし、碌に知らない他人の言うことなど気にもならない。けれど、彼が自分の悪口を言っているところを思い浮かべると胸の中がザラつくようだった。
そのザラつきのままに席を立ち上がり、二人が座っているテーブルへと近づく。
「伏見さん、崎守くん。少しよろしいですか?」
「あ、万里ちゃん」
「あれ、万里さん。どうしたんですか?」
「隊長として隊員に伝えなければならない事がありまして。崎守くんをお借りしますね」
「緊急ですか?分かりました。ごめんね伏見さん」
「ん。大丈夫。またきいてもいい?」
「うん、俺の話でよければまた」
伏見さんに罪はないが、ともかくこの場から早く彼を連れ出したい。なぜかは分からないが、澱んだものが心に溜まっていくようだった。
「(なんか万里ちゃん、もやもやしてたような…もしかして、ランク戦やりたかったのかな。隊長も大変なんだなぁ)」
一人残された伏見は、遠ざかる二人の背中を見て思案していた。
「座ってください」
───指でさされた隊室のソファに座りながら、崎守永治は考察する。それは彼の武器である。そうすることで彼は攻略の糸口を見出し、困難な状況や戦況を切り抜けてきた。少なくとも彼はそう思っている。
「(万里さん、なんだか機嫌が悪い…?俺が買ってきたお菓子が口に合わなかったとかかな。あれ、最近買ったのってどういうお菓子だっけ?ともかく今度お菓子のオススメとか誰かにきいてみて…)」
もっとも、それはこの状況では悪手であったが。
「……あ、ごめんなさい万里さん、話ってな…どわあっ!?ば、万里さんどうしたんです!?」
「人の顔を見て驚くなんて失礼ですね」
「いやそれは万里さんの顔が近いからで……ちょちょ待ってくださいなんで無言でこっちくるんですか!?」
彼が顔を上げると一条万里の顔がすぐ近くにあった。憧れの人がすぐ近くにいるということに動揺したか、彼は座っているソファから立ち上がり、後退りをする。それに迫るように一条は距離を詰め、気付けば彼は壁に追い込まれていた。
「私について話していましたね。何を話していたのですか?」
「っ!?え、なんで知って…あ、いや、その、言えないです……」
「私の言うことが聞けないと?」
「す、すみません…でもそれはその……」
目を泳がせる彼を見てやはり陰口か、と合点がいく。心のザラつきが広がって、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる感じがした。勝手に開く口は自分でも脈絡がなく、意味が分からない言葉を紡いだ。
「崎守くん、あなたは私の隊の隊員ですよね?」
「え?あ、はぁ、まあ…一条隊所属です、けど…」
「では、なぜ私と一緒にいないのです?」
「はい?あの、どういう…」
一条万里がさらに距離を詰めようとした時、コンコンコン、と隊室の扉をノックする音が響く。こちらが入室の許可を出す前に扉が開かれた。
「万里ちゃん、個人戦やろう」
「えっ、伏見さん?」
「…そもそも回りくどい真似をせずとも本人に聞けばよかったのですね。伏見さん、崎守くんと何を話していたのか教えなさい」
「崎守くんと話してた事?」
「ま、待って伏見さ…ぐむぐ」
「な・に・を、話していたのですか?」
ソファにあったクッションで彼を黙らせる。そこまでして聞かれたくないことなのか。
「万里ちゃんのこと。わたし、友達のこともっと知りたくて。それを崎守くんに相談したら、本人と話すのもいいし、周りの人からその人について訊いてみるのもいいかもしれないって教えてもらったから。じゃあまず崎守くんに万里ちゃんのこと教えてもらおうと思って」
やはり、私の陰口だろうか。クッションで黙らせている彼を睨み、続きを促した。
「それで、崎守くんはなんと?」
「ずっと万里ちゃんのこと褒めてた。えっとね……」
──────
「動きも綺麗で、かっこいいし、この人に追いつきたいと思ったんだ」
「じゃあ、崎守くんが一条隊に入ったのは万里ちゃんがいるから?」
「うん。とにかく近くにいてもっと動きを見たい一心でさ…せっかく入れてもらったんだし、もっと強くなって皆を助けられたらいいな。特に万里さんの動きをさらにアシストできるようになれば一条隊はどんどん上に行けると思うんだ。知ってる?万里さんってすごくストイックで……」
「──それでね、万里さんの動きをこっちは後ろで見れるからそれに合わせてアシストできればいいかなって思いきって銃手寄りの動きにシフトしてるんだけどそうなると決定力に欠けるのかなって」
「大変なんだね。崎守くんっていっぱいログ見てるけどわたしもそういうの見た方がいいのかな」
「いや、俺がログ見てるのは少しでも一条隊の皆に追いつくためにやってることだしどうかな……」
──────
「って。崎守くん、色々考えててすごいね。わたしも隊長に結構助けてもらってるし、なんかしてあげないと」
自分の後ろにいるであろう崎守くんに目を向けると彼はクッションで顔を隠し、バツが悪そうにしているようだった。
「あの…恥ずかしいんであまりこっち見ないでいただけると……」
「……伏見さん、個人ランク戦がしたいと言ってましたね?」
「あ、そうだった。いい?」
「はい。構いませんよ」
「やった。万里ちゃんなんか機嫌いいね。さっき会った時なんかモヤモヤしてたから」
「そうですか?」
「うん、とりあえずよかった。そうだ、あと万里ちゃんのこと教えてほしいな」
「いいですよ。今の私は機嫌がいいみたいですから」
「ほんと?じゃあ好きなものとか──」
「少し待ってください、伏見さん。……崎守くん?」
「はっ、はい!なんでしょう!」
すっかり萎縮しきっている彼に笑いかける。
「崎守くんも着いてきてくれますよね?…それと、私のことを褒めるのであればちゃんと私がいる時に褒めるように。いいですね?」
「えっいや、恥ずかしいので勘弁してくださ」
「褒めるように。いいですね?」
「はい……」
「よろしい。では私と伏見さんの個人戦を観戦した後、崎守くんからの意見もください。頼りにしていますからね」
「やっぱり仲良いんだね、万里ちゃんと崎守くん」
「……秘密ですよ」
耳打ちをするように小声で話す彼女にも同じように笑いかける。燻っていた不快感はいつの間にか綺麗に無くなっていた。