熱SS
熱が出ちゃってよわよわになってるペパ先に寄り添うアオイちゃんです
「……あー、これで、いいか。今日は、ごめんな……」
ペパーがマフィティフの頭を撫でると、物言いたげな眼差しが向けられる。基本的に手作りの料理を振る舞って来ていたが、今日はどうしてもできそうにない。
「熱が下がったら、また、な」
今日はポケモンフーズとおいしい水でかんべんしてくれ、と言えば、マフィティフが鼻をてのひらにぐいと押し付けて来た。そのままベッドへ追い立てられる。
──年に一度あるかどうかくらいの間隔で、ペパーは体調をくずすことがある。
とはいえ、頑丈な性質らしく、一晩寝ていれば治ったものだ。母の手を煩わせた記憶もない。
マフィティフのケガと快癒、オーリムが死んでいたこと、オーリム博士AIとの別れと自分の過去との決着。
目まぐるしく起こった変化がひと段落ついた気の緩みが出たのか、久しぶりに熱が出てしまった。
(……アオイとの約束、破っちまった……)
今日は放課後一緒に過ごして、夕ごはんを一緒に食べる約束だったのに。
マフィティフに押されるまま、ベッドに腰掛けたペパーは、未練がましくスマホロトムを手にした。
最後に受信したメッセージは、アオイからの『わかった』という約束のキャンセルの了承のひとこだった。
埋め合わせは必ずする、というペパーからアオイへのメッセージは既読もついていない。
アオイはきちんとした理由さえあれば、約束を破ったところで、怒ったりはしないだろう。体調不良だと訴えたら、むしろ心配するくらいだ。
きっとペパーからのメッセージを読んでいないのも、顔の広いアオイだから、人の好いアオイだから、何かしがのトラブルに巻き込まれているのかもしれない。
だが、そう思えば思うほどに、フカマルのさめはだを撫でたような心地になる。
アオイにとっての一番は自分ではないのだと言われているようで。机にかじりついて離れない母の背を思い出してしまう。
ペパーは諦めとともにスマホロトムを枕の下に置いて、もぞもぞと布団に潜った。情けない思いを大事な親友に吐露してしまう前に、いつものように眠って早く体調を戻してしまいたかった。
「……マフィ……、ありが……」
ぽそぽそとしたちいさな声。それから部屋の扉が軋む音と、静かに閉じる音。ひそやかな軽い足音。
だが、どうにも目を開けるのが億劫で、ペパーは夢うつつに寝返りを打った。
そもそも部屋には鍵を掛けてある。誰か入ってくるはずもない、と思っていると、隣にするりと滑り込んでくる気配があった。マフィティフだろう。
さっきの足音もきっとマフィティフだろう、と半ば無意識に背を撫でてやる。
「……アギャ……」
あれ、と猛烈な違和感を覚える。マフィティフの毛並みは果たしてこんなものだったろうか。むしろこの肌触りは、とうっすら目を開けると、鮮やかな赤い肌が目に入る。
柔らかな夕日が差し込む部屋の中、ベッドの横の床で寝そべり、気持ちよさそうに目を細める縦に割れた瞳孔に、人懐っこい顔つき。
「……オマエ、……」
コライドンがどうしてここに。
熱でぼんやりとした頭では訳がわからず、顔を巡らせれば、ペパーを挟んで反対側にマフィティフがいた。
それから、ゆっくり顔を動かすと、ベッド近くの机の上に、フルーツバスケットと、おいしい水が一つあるのが目に入る。
(あんなもの、置いてたか……? なかった、よな……?)
ぼんやりと視線をさまよわせると、エプロンをしてキッチンに立つアオイと目が合う。
目を丸くしたアオイが、かちりと火を止めるなり、ぱたぱたと軽い足音を立てて駆け寄ってくる。
「ペパー、起きた? 具合はどう?」
白い手がペパーの額に押し当てられる。ひんやりと冷たいちいさなてのひら。
「何か欲しいものある? 食欲あるなら、スープ作ったから食べる? ママにちゃんと聞きながら作ったし、味見もして──わっ」
珍しく焦ったようすのアオイが顔を覗き込んでくる。
ペパーは思わずアオイの細い手首をつかんでいた。
「ペパー……?」
「……アオイ」
ちいさな体は簡単に引き寄せられた。ぎしりと軋ませながらマフィティフが床へと降りて、まるで自分の役目はここまでと言うように部屋の定位置に戻って行くが──今のペパーには目に入らなかった。
(夢、だよな……)
ほんの少し。
ベッドに潜ったときに、目が覚めたらこうだったらいいのに、と願った景色。
目が覚めたら誰かがそばに居てくれて、ペパーのことが心配でたまらないという顔をして、手を差し伸べてくれたのなら──その相手がアオイだったら、と。
熱のせいだけでない熱く湿った吐息をもらし、ペパーはアオイのてのひらに唇を押しつけた。
「……どこにも、行かないでくれ」
「いいよ」
さらりとしたイエスは、かつていきなり頼みごとを引き受けたときのアオイそっくりだった。
何でもイエスちゃんかよ、などと驚いたのも懐かしい。
(オマエはそう言うよなあ……)
頑固なのにお人好しで、さほど親しくない相手の頼みでも引き受けてしまう彼女に、どれほどペパーが心を傾けてしまっているか、きっとアオイ本人は気づいていない。
(いや、……オレがそう答えてほしいって思ってるからか……。夢だしな)
「ペパー、また眠くなってきた?」
目を細めたペパーに、アオイが勘違いした言葉を投げてくる。
「目が覚めたら、スープ一緒に食べようね」
「……ああ」
「ネモのお見舞いのフルーツもあるから。あと、ボタンからはアイス預かってきたよ」
「そうだな……」
「ペパーのクラスメイトからはね、ノートを預かってきたの。それから、サワロ先生が──」
誰それが、と他愛ない話を続ける柔らかく静かなアオイの声。うとうととまぶたが重くなってくる。もっと長くこの夢を見たいと必死に目をまばたいていると、アオイの細い指がきゅっとペパーの手を握りしめてきた。
「……早く、よくなりますように」
おやすみ、ペパー。遠い昔、母の声とともに額に落とされた優しい口づけ。
かつて同じ感触が額を掠めた、気がした。
──一連のやりとりが夢ではなかったとペパーが気づくのは、夜中のこと。
ペパーの手を抱きしめて、毛布をかぶってベッドに突っ伏して眠るアオイと、その傍らに身を寄せるマフィティフとコライドンを見てからだった。