無題
"黒服"
「ようこそ、先生」
ある日。シャーレの"先生"は、ゲマトリアの1人である『黒服』の元を訪れていた。要件は当然、キヴォトス全土を揺るがせたあの案件ついて。
「今日はわざわざご足労頂き────」
"挨拶はいい。早速本題に"
「ええ、いいでしょう。…………我々が提供した資料には、既に目を?」
"ある程度は通した。混沌の蛇、アポビス……ただの砂漠じゃないとは思ったけど、まさか意思を持つ怪物だったとはね"
「我々としても予想だにしていませんでした。砂を介し、神秘を持つ者を蝕み、その内に潜む。形を伴って顕現する事はほぼ絶無であり、その存在を知る事は至難を極めます。知られず、気付かれず、しかし確かに世界を呑み込む。蛇のメタファーに違わず、狡猾に」
あのままいけば、キヴォトスが呑み込まれるのも時間の問題だった。黒服は普段の飄々とした雰囲気も消し去り、淡々とそんな未来図を告げた。
だが。
"────あのままいけば、ね"
そう言って、"先生"は部屋に備え付けられているモニターに、その画面に映し出された映像に目線を落とす。
「……あの存在そのものも、我々としては予想だにしていませんでしたが……もっと驚いたのは、その末路ですね……クッ、ククッ……」
同じようにモニターを見た黒服は小さく笑い声を漏らし始める。
そこに、映し出されていたのは────
"まさかジュリの作った料理にアポビスが閉じ込められるなんてね"
「クックックッ……料理と呼んでいいモノなんですかねこれ」
触手をビチビチと跳ねさせながら暴れ回る、何とも形容し難い生き物が閉じ込められている映像であった。
「…………作成者は確か、ゲヘナ学園所属の牛牧ジュリ、でしたか」
そう、画面の中で檻に囚われている生物の正体は、ゲヘナ給食部の1人『牛牧ジュリ』が生み出した動き回る料理(?)…………に、何故かアポビスが宿ってしまい、その結果として生まれた怪生物である。
ちなみに、最初にこの事実に気付いた黒服は「なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?」と、いつの日か先生に向けて言ったような事をもう一度口走ってしまったという。
"ジュリもまた、アビドスの砂糖に堕ちた生徒の1人だった。同じようにアビドスにいた人達のために、料理を振る舞おうとしたんだろうね……"
「砂糖と塩をふんだんに使って?」
"砂糖と塩をふんだんに使ってね"
「………………その結果、アポビスが良質な器があると勘違いし。そして出られなくなった、と?」
"………………そうなんじゃないかな。たぶん"
黒服と黒服から情報及び技術提供を受けた"先生"の下ミレニアムが調査を行った結果、こうなったアポビスは今の身体(?)から抜け出ることも叶わず、おまけになぜか力の行使もできなくなっているのか、アビドスの砂へ砂糖に変わる性質を付与することも、砂糖を摂取した者に対する幸福感や禁断症状をもたらすことも、何もかもできなくなっているらしい。
つまり。キヴォトスそのものが危うくなった未曾有の危機の解決は、あまりにも、あまりにも呆気なく、そして突拍子もなく訪れたのだった。
「………………」
"………………"
2人の間に、微妙な沈黙が流れる。静かな部屋の中は、モニターから流れるアポビスが這いずる音が、どこか虚しく響くのであった。