無題
「マスター、入るぞ」
カルデアに来てしばらく経つが、マスターの部屋はサーヴァントお悩み相談室と言われる程度には開け放たれていることを伊織はすでに知っている。
一声かけて部屋に入ると、立香は備え付けのPCに向かって作業をしていた。
「すまない、仕事中だったか」
「大丈夫だよ!どうかした?」
「霊基の強化が済んだ。これで万全に戦えるな」
「ありがとう!伊織が来てくれてすごく嬉しいよ、頼りにしてるね」
なんたって武蔵ちゃんの弟子だもんね、と立香は笑った。
立香の机には先日伊織たちがいた特異点の資料が散らばっており、そのレポートを作成しているようだ。思い立って立香に聞いてみる。
「その報告書は誰でも見て良いものなのか?お前の戦いぶりは凄まじいものだったと聞く。ぜひ見てみたいのだが」
「えっ…私は大したことはしてないけどね…。新所長の許可があれば見れるんじゃないかなあ」
その足で伊織はゴルドルフの元に向かい、閲覧の許可を貰った。規制があり見れないものもいくつかあるらしいが、立香とカルデア職員、サーヴァントが提出したレポートに加え短く編集された映像記録等膨大な数だ。
立香の旅の始まりからまず見ていくことにする。
伊織はサーヴァントになったのをこれ幸いと数日かけて飲まず食わずで記録を見返した。
冬木に始まり、メソポタミアへと駆け抜けた立香たちの旅はよく生き残ったものだと言う他ない。
人理修復が成り一時地球には平穏が戻ったが、カルデアはそうではなかったらしい。
ふと馴染みのある名前が目に入る。『宮本武蔵』。
先の江戸でも、立香は武蔵の事を気にしている様子を見せていた。このカルデアにはいない武蔵について書かれているのだろう。
最初の記録には映像はなく、日記のような短い文章だ。どうやら立香が見た夢についてのことだった。
夢の中の鬼ヶ島にて出会った武蔵は記憶をなくしていた。伊織とは違い、徐々に取り戻していったようだが。
次に武蔵が現れたのは亜種並行世界下総国、そこで武蔵は己の運命と出会い、命を落とした。
そして……第五異聞帯オリュンポスに至る。
伊織の記憶にある武蔵とは性別からして違うが、その太刀筋はまさしく己の師匠だった。
立香と共に旅路を重ね、空に至り、遂には虚空を切り捨て消失した。
立香はどんな気持ちで武蔵の背中を押したのだろうか。
記録を見ていくと、一つレポート形式とは違うデータが残っている。
to.Fujimaru と書かれている。ムニエルが送った立香への私信のようだ。何故こんなところに?立香が読んだ後、ロックし忘れたのだろうか。それともデータ整理の際に紛れ込んだのか。
私信を見るべきではないと思ったが、あの死闘の後に送られたものが何なのかどうしても気になった。それは、映像データだった。
ーー『立香とマシュ、二人仲良く、できるだけ長く元気で。
辛い思いとか痛い思いとかしないように』
ーー『みんなで酒宴を開きましょう。
とびきり楽しいパーティにしましょう!』
立香は、どんな気持ちでこの映像を……。
「マスター」
以前のように、立香に声をかけて部屋に入る。立香は寝台に腰掛けてタブレットを触っていた。
「伊織!タケルがものすごく怒ってたよ。呼んでも返事しないし、扉をぶち壊して入る!って、止めるの大変だったんだから」
「それは……すまないことをした。お前にも、セイバーにも」
いいんだけどね、と立香は笑った。
「「…………。」」
「武蔵ちゃん、カッコよかったでしょ?」
沈黙を破ったのは立香だ。伊織が言おうとしていることを察していたようだ。何でもない表情で、今は武蔵の事を語っている。
きっと、辛いことも痛いことも隠すのに慣れてしまったのだろう。
「ああ。俺の師匠であった武蔵とは、少し違ったが、あの太刀筋はまさしく師匠のものだ。きっと今の俺では、あの境地には至れまい」
伊織は立香の隣に腰掛け、目を見つめた。
「お前に礼を言いたいと思ったんだ。弟子ではなく、武蔵の養子として」立香は驚いたように目を見開いた。
「義父を導いてくれてありがとう。お前のお陰で、義父は無二の先へ至ることができた」
「そんなこと……」立香は顔を伏せた。
「今ならば確信できる。俺はカルデアに来る前に、師匠に導かれた。幻かと思っていたが、あれはきっと、師匠の残滓だ。カルデアに行き、お前を守れと言いたかったのだろうな」
「武蔵ちゃんが……?」
「すでに異聞帯を攻略したお前に俺ができることは少ないだろう。だが、これからは俺がお前の道になる。お前の敵を切り伏せる。もう辛いのも痛いのも我慢せずに済むように。だから……」
伊織は立香を抱き寄せた。自分の身体で、立香の顔を隠すように。
「泣いてくれないか。師匠のために」
立香は声も漏らさず、体を小さく震わせていた。胸元が暖かい。立香のために、誰にも顔を見られないよう強く抱きしめた。
「師匠も俺も、友だち甲斐のない人間だな……大事な友を悲しませてばかりで」
「それ、タケルにはぜーーったい言わない方がいいよっ」
先程まで涙を流していた立香は、赤く潤んだ目で伊織を睨み、その頬をつねった。
変な顔、と微笑む彼女を見て、ふいに心臓が高鳴った。
聖杯の知識で知っている。これは……不整脈。後で医務室に行かねば、霊基に異常があれば、立香を守るどころではなくなる。
しかし、伊織はその後アスクレピオスには相手にされずしばらく悩むことになるのだった。