無貌の夢
月明かりに照らされた沙漠を歩いている。サク、サクと自分の足音だけが静かに夜に溶ける。砂に満ちた世界を独り、ただ月を目指して歩き続けている。
満月、否、ほんの少し欠け始めた月を目指して。歩き続けている。
そういう夢であった。
(夢って言ったってさぁ……流石に長いよ〜。暑くも寒くもないのは良いけどさあ)
そう、夢だ。月は満ちも欠けもせず、日は昇る気配も見せず。それでいて空気は冷えもせず温まりもせず。もう一月程は歩いたが疲れも眠気も空腹も、いつまで経っても訪れない。
そもそも、こんな砂しかない地平線が続く空間などアビドスではあり得ない。何もかもが少しずつ埋まっているからこそ、どこに行っても街並みの面影が残っているのがアビドスだ。そして、アビドス以外にこんなに砂の続く地は、ない。
だから、さっさとアビドスへ戻りたいのだが。
走ろうが寝転がろうが自分を小突こうが。この忌々しい夢の終わりには至らなかった。
(月だけはキレイだけどね〜、こんなところでさみしくお月見はゴメンだぁ)
歩く。歩く。月の影を追ってどこまでも。
そうしてまた、時だけが過ぎた。
(うーん、昼も夜もないから流石に時間感覚がなくなってきたな……)
まだ、目は覚めない。
時間感覚が鈍っていく。見回りも訓練も出来ないから勘も大分鈍っていそうだ。起きたらシロコちゃんに調整を手伝って貰おうかな。
そしてまた、歩く。まだ、夢は醒めない。
(にしてもどうしてこんなに長い夢を見てるんだろうか)
そうなのだ。夢を見ているからには眠っていなければならないし。これだけ長い夢ならばそれだけ長く眠っているはずだ。何かがあってこの夢を見ているのだろうが……
(特に何も思いつかないな〜。あ、海でお昼寝してて波に浚われたとか?)
海であれば分かるかもしれない。水着を着ているときはいつもより少しだけ緩んでいるから。それに、この何もなくだだっ広い感じは沖を眺めたときのそれに似ている、かもしれない。
(海だったらおさかなとかいないかな〜沖なんだったらくじらさんが潮吹きするのも見れたり)
ほんの少し気分が上向いた。少し周りを見ながら歩いてみる。砂、砂、砂。やっぱりおさかなはいなさそうだ。
沙漠はどこまでも広がっている。
(まったく、どこまで続くんだろうねこの夢は)
外ではどれだけ経っているのだろうか。時間感覚が削れきった今になって思うことではないのだろうが、これだけ長く夢を見ているなら。
外で同じだけ経っているなら、後輩達への負担もそれだけ計り知れない物となる。
急ごう。
砂が舞う。歩幅が増える。変わったのはそれだけで。月は遠くにあるままだ。
(本っ当に腹立つなこの沙漠……!)
沙漠は続いている。どこまでも。
一度立ち止まって息を入れ直す。いくら疲労はないといえど全く止まらずに進むのは違和感が酷かった。
(みんなはどうしてるかな……)
アビドスのみんなのことを思い出す。柴関に行ってラーメンを食べたり覆面被って銀行を襲ったり校舎の整備をしたり砂祭りを……?その時のみんなは、どんな表情をしてたっけ……?
砂にみんなを書いてみる。ベージュの長い髪に大きな胸、灰色の狼の耳、黒い猫の耳、黒髪と眼鏡……彼女達は、可愛い後輩達は、一体、どんな、顔、だった?
(■っ、ホシ■ちゃん)
ユメ先輩の声は?かつて語ったことは?どんな目をしていた?
"久しぶり"に思い出した仲間の記憶は。蜃気楼のように朧気で、砂に飲まれた建物のように風化しかけていた。
(喪ったのは、時間感覚だけじゃないってことか……!本当に急がないと……!)
まずい。もっと本気で脱出を目指さないと行けなかった。
このままでは、後輩達の顔も、先輩の顔も、声も。この茫漠とした砂の中に沈んでいってしまう。勘が鈍るにも程がある。
一歩でも早く。少しでも速く。疲労なんて初めから忘却の彼方なんだ。走れ。
砂が舞い上がる。足跡が乱れる。月はただ笑っている。
月だけがただ笑っている。
走って、走って、走り続けて、また走って。
走る、と言う行為に縁が深いからか、シロコちゃんの顔は朧気に浮かんできた。あの青の中に黒白が浮かぶオッドアイ。
きっと、ノノミちゃん達もきっかけがあれば。まだ大丈夫。
大丈夫だ。
………
……
…
月が浮かんでいる。手を伸ばせば掬えそうな距離。
そこはオアシスだった。水面からは月が微笑みかけており、傍らにはかつて誰かと張ったハンモック。
とりあえずハンモックに横になる。きっとここが終着点だ。
意識は、今までが嘘だったかのようにあっさりと眠りの中に落ちていった。
………
……
…
「……先輩、ホシノ先輩」
「……んぇ?シロコちゃん?」
ハンモック。シロコちゃん。海。……月?
どうやら海に来てグッスリと眠ってしまっていたようだ。……なんで海に来たんだったかな。
「ん、先輩。そろそろ帰ろう」
「うん、そうだね〜」
「みんなを呼んでくる」
シロコちゃんが走って行く。ハンモックを降りて、銃を探す。
「ん?むき出しで持ってきたっけ?」
まあ、いいか。もうすぐみんなに会える。
シロコちゃんと、みんなの足音が聞こえて振り返ると、
「ホシノ先輩、おはようございます」
「もう、結局ずっと寝てたじゃないですか」
「私も日陰で涼んでただけですけどね……」
顔が、ない。
「……っ!」
「ホシノ先輩?まだ寝ぼけてる?」
とっさに身構える私を見てシロコちゃんが首をかしげる。そのシロコちゃんだけは顔があるが……その顔はピントが合っていないかのように歪んでいて、表情は固定されたように微動だにしない。なんでさっきは気づかなかった?
……朧気でも、記憶どおりだったから?
ああ
そうか
私のキオクが
なくなったから
みんなの、かおが。
おもいだせないから。
「ああああああああーーーーー!!!!」
目が、
覚めた。
「ホシノ先輩、もうすぐ会議ってうわあ!」
「ん?セリカちゃん?」
「き、急に起き上がるからビックリした……いや寝ないで!」
顔はちゃんとあった。寝直す体勢をとったら目をつり上げる。
いつものセリカちゃんだ。
「うへへ、おはようセリカちゃん」
「お、おはようございます」
「セリカちゃん、ホシノ先輩は起きましたか?」
「お〜ノノミちゃんおはよ〜」
「あは、先輩おはようございます」
「アヤネちゃんもおはよ〜」
「はい、おはようございます。あ、お茶淹れてきますね」
「お〜アヤネちゃん気が利く〜」
(やっ、ホシノちゃん)
いつものみんなだ。夢の中ではボロボロに欠落していたユメ先輩の姿も声も拍子抜けするほど簡単に思い出せる。
そこはもういつものアビドスで。
さっきまで見ていた夢は。
「ん、先生を連れてきた」
"やあ、ホシノ。みんなも久しぶりだね"
「お?先生もいたんだ、おはよ〜」
ただの悪い夢だった。