炎は消えず、受け継がれる その1
「こんのアホ人形!!! てめェが行って何ができるってんだ!!!」
海軍本部「マリンフォード」。混迷を極める戦場に”道化”のバギーの声が響く。
その声の先には先ほどまでバギーとルフィの間を行ったり来たりしてルフィ共々バギーを盾にしまくっていたウタがいた。
彼女は今、ルフィの肩に掴まりエースのいる処刑台へと向かっている。
――おい麦わらァ!! その人形こっちに預けろォ!!
――何でだ!!! ウタにひどいことしたお前なんかに!!
――アホかァ!!! その人形乗せたままじゃてめェだって上手く戦えねェだろうが!!!
「インペルダウン」にて、にっくき”麦わら”のルフィと再会したバギーは脱獄にルフィを利用しようと画策していた。
しかし下層に用があったルフィに何だかんだと巻き込まれ、結果的には一緒に大脱出劇を繰り広げることとなってしまった。
その中にあって、最高戦力の一人であるルフィにいつまでも人形のウタが掴まっていることが気にかかった。
あれではルフィも人形を守るために思うように戦えないだろう。ルフィが負けると非常に困る。逃げられなくなるかもしれない。
――人形じゃない!! ウタだ!!
――ああ~っ!! もうウタでも人形でもいいからさっさと渡せやァ!!!
――……ぐぐっ!!
そんな下心が見え見えの提案ではあったが、曲がりなりにも正論であったためにルフィは渋々提案を呑んだ。
――おいバギー!! ウタは預けるけど、もし酷いことしたらぶっ飛ばすからな!!!
――するかアホンダラァ!!! この状況でお前まで敵に回すわけねェだろうが!!!
「てめェに何かあったら、おれが麦わらに殺されるだろうがァ!!!?」
自分から掴まりに行ったのだからルフィは気にしないだろう。そう普通なら考えるがこのバギーという男、小心者である。
そもそも自分から来たくもなかったこの戦場で人形一体守り切るなど土台無理な話だったのだ。
そう思いながらもしかしたら、ひょっとして……と嫌な想像が駆け巡るバギーはウタに戻ってくるように叫び続ける。
勿論、その声はウタにもルフィにも届いてはいなかったのだが。
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「取り消せよ……!!! 今の言葉……!!!」
逃げる自分の背に”白ひげ”を嘲る言葉を吐き捨てた海軍大将”赤犬”サカズキを睨みつけながらエースは叫ぶ。
自分をバカにするのはいい。甘んじて受け入れよう。
こんな大事になってしまったのも、ひとえに自分の愚かさが招いた結果なのだから。
だが”白ひげ”を、己の命すら捨てて息子を守ろうと戦い続けている偉大な父をバカにすることだけは許せない。
「家族紛いの茶番劇」?そんなことは断じてない。彼は家族と認めた全ての人を等しく愛している。
お前達の言う”正しさ”で守れない多くの人を庇護し、守り続けていたんだ。
「正しくなければ生きる価値なし」?正しく生きようとも生きられない人々がいるというのに、どの口でほざくのか。
”存在するだけで疎まれ、蔑まれる男”にすら愛を向けた、あの男をその口でバカにすることは許さない。
迸る激情のままにエースは燃え盛る拳を振り抜く。それに合わせるかのようにサカズキもまたマグマと化した拳を振り抜く。
一瞬の激突、そして爆発。勝利したのはサカズキだった。
「エース!!!」
弾き飛ばされたエースから気を逸らさんとルフィがサカズキに攻撃を仕掛ける。
「……フンッ!!」
しかしまだルフィはこの強者と戦う領域にはいない。
マグマに肉体を変化させることすらなく、ルフィの攻撃を躱したサカズキはルフィを蹴り飛ばす。
「ガッ……!!」
同時にルフィに掴まっていたウタも空中に投げ出される。
「いかん!!」
ジンベエが二人を救出せんと駆け出す。
この荒れ狂う戦場でウタもかつてないほどにボロボロとなっていた。しかも今は近くにサカズキがいる。
この場でウタを一人にしてしまえばどのような結末を辿るのか、考えるまでもないことだった。
「ウ゛タ……!!!」
弾き飛ばされたウタを救出しようとルフィがボロボロの手を伸ばす。
しかしルフィの全身から力が抜けていく。度重なる無茶な強化に肉体が遂に限界を迎えたのだ。
「”海賊王”ゴールド・ロジャー、”革命家”ドラゴン!!」
「この二人の息子達が義兄弟とは恐れ入ったわい……!!」
そのような隙だらけの敵を、海軍大将の座に座る男が見逃すはずもなかった。
「貴様らの血筋は既に”大罪”だ!!! 誰が取り逃そうが、貴様ら兄弟だけは絶対に逃がさん!!!」
「よう見ちょれ…”火拳”」
地面に蹲るエースを一瞥すると、サカズキはマグマに変化させた拳を構えルフィの元へと迫る。
「!!!!! 待て!!!!」
脳裏に浮かんだ最悪の未来に顔を青褪めさせたエースが叫ぶ。
無論、そんな叫びでサカズキが止まるはずもない。
「その人形諸共……」
「燃え尽きるが似合いじゃ!! ”麦わら”ァ!!!」
炎すら燃やし尽くすマグマがルフィたちに迫る。
今のルフィに耐えられるはずがない。ウタなど以ての外だ。
「ルフィ!!!! ウタァ!!!!」
マトモな思考などできるはずもなかった。
ただ突き動かされる衝動のままにエースはルフィたちに向けて飛び出した。
焼け焦げる匂いがする。何かを貫く嫌な音が響いた。
「…………」
サカズキは静かに目を細める。その手には何かを貫いた感触が確かにあった。
「え」
ルフィはその様を呆然と見ている。
ルフィの伸ばした手はウタを掴んでいた。サカズキの一撃は二人に届かなかった。
誰も助けることが間に合わなかった距離で、ルフィとウタに防ぐ手段などない状況で、
「……ガフッ!!」
エースはその身体を煮えたぎるマグマの拳で貫かれながら、サカズキを食い止めていた。
取った。サカズキはそう確信し、腕を抜き去り残る”麦わら”のルフィを焼き消さんと動こうとする。
「!?」
しかし、貫いた腕を引き抜こうとするサカズキの顔に驚愕の表情が浮かぶ。腕が抜けない。
「おれの……」
マグマが内蔵を焼き焦がす。肉の焼ける嫌な音と臭いが耳鼻を苛む。己の命に到達してしまった痛みがエースの精神を責め立てる。
しかし、今の彼にそれらを感じる暇などなかった。
「弟妹(きょうだい)に……」
純然たる怒りが、エースからあらゆる感覚を奪っていた。
消えかけていた炎が再び灯る。その熱は己を貫くマグマすら超え、周囲で戦っていたものたちにこれまでにない熱を感じさせる。
エースはその炎を己の拳に収束させる。その様はまるで空に浮かぶ”太陽”が地上に現れたと錯覚するものだった。
「手ェ出すなァ!!!!」
「!!!? グゥッ!?」
炎をも焼き消すはずのマグマを、燃え盛る極炎が弾き飛ばす。
「なんじゃと……!?」
この一瞬、エースの纏う炎は勝てぬはずだったサカズキのマグマを完全に上回っていた。
「……ァ」
だが、その炎は燃え尽きる前に起きた刹那の輝きでしかない。
戦場全てを照らすほどの業火は瞬きの合間に消え去り、そこには致命傷を負った一人の男の姿だけが残される。
「エース!!!」
力尽き倒れ込むエースの身体を抱きしめ支えるルフィ。
エースの傷口を塞ごうと手を伸ばすが、夥しい血は止めどなく流れ落ち続ける。
ウタもまた、力の入らぬエースの手を握りギィギィとけたたましくオルゴールの音を鳴らし続けていた。
「ルフィ……ウタ……」
「ごめんなァ……ちゃんと助けて貰えなくてよ……!!! すまなかった……!!!」
こんなところまで来て、命を落としてもおかしくなかったのに。
それでも自分を助けにきてくれた二人の姿を見た時、涙が出るほど嬉しかった。
「何言ってんだバカな事言うな!!!」
「誰か手当てしてくれ!!! エースを助けてくれェ!!!」
ルフィの悲痛な叫びに周りの海賊たちが船医を呼びつける。
だが、わかる。自分の命はもう燃え尽きるのだ。
焦り顔でこちらに向かってくる船医を止める。
もう助からない命より、少しでも多くの人を助けてくれと願う。
流れ出る血と共に自分の身体から熱がドンドン奪われていくのを感じる。
時間がない。だからルフィとウタに精一杯の言葉を残そうとエースは静かに語り続ける。
もう一人の兄弟サボの一件、そして危なっかしいルフィやウタがいたから自分は生きてこれたこと。
育ての親ダダンのこと。もう会えないと思うと、あいつも恋しくなってしまうと苦笑いする。
そして、ルフィたちの”夢の果て”を見られないこと。
「お前なら必ずやれる……!!! おれの弟だ……!!!」
ルフィを信じている。お前は絶対に成し遂げると。
「ウタ……」
自分の腕に寄り添う小さな妹に目を向ける。彼女は首を横に振り続けている。
聞きたくないって?悪いな。バカな兄貴の最後の言葉なんだ。聞いてくれよ。
「お前の”夢”も絶対叶う……!!! おれは信じてる……!!!」
ウタを信じている。最後まで”夢”を聞くことはできなかったけれど、彼女の願いも何もかも、いつかきっと叶うと。
目の前が霞む。もうルフィたちの声もよく聞こえない。
ああ……でもこれだけは伝えておかないと。
「オヤジ……!!! みんな……!!!」
さようなら、おれを家族だと言ってくれた偉大なる父よ。最後まで親不孝者でごめんなさい。
さようなら、おれを迎え入れてくれた多くの家族たちよ。こんなおれの為に戦い続けてくれてありがとう。
「そして……」
己を抱えるルフィの背中に手を回す。腕に寄り添うウタをそっと抱き寄せる。
「ルフィ……!!! ウタ……!!!」
ありがとう。こんなバカな兄貴を想ってくれて。
どうか、いつまでも元気でいてほしい。もし死んだら、あの世から叩き返してやるからな。
「愛してくれて……ありがとう!!!」
――女かよお前!! そんな人形持ってる奴なんておれは認めねェぞ!!
――なんだとォ!! ウタはウタだ!! お前こそなんだよ!!!
――人形に名前なんかつけてるのかよ!! ガキ!!
「エース……?」
――知ってるか? 盃を交わすと兄弟になれるんだ! ウタは…飲めねェけど
――いいだろエース。ほら、ウタだってしっかり持ってる
――それもそうだな…おれ達は今日から、兄弟だ!!!
――ウタは女の子だけどな!!
――水差すんじゃねェよルフィ!!
もう何の声も聞こえない。後は消え去るのみだ。
消えゆく意識の中で、ふと過去に出会った人のことを思い出した。
――やくそくでやんすよっ!!!
すまねェお玉。もう会いに行けそうにない。
お前の国を変えるって約束、守れなくてごめんな。
――ぼくは、笑わないよ……!!!
――また必ず会おうよ、エース!!
すまねェヤマト。約束破っちまった。
ルフィたちに会ったら、よろしく頼む。
頭をよぎった友の顔が消え去り、いよいよエースは暗闇の中へと落ちていく。
最後に思い出したのは、自分の根源。ずっと欲しかった疑問の答え。
――おれは、生まれてきてもよかったのかな?
今なら言える。胸を張って誇ろう。おれが生まれてきてよかったんだ。
こんなバカで愚か者だった自分を慕ってくれた大切な弟妹(きょうだい)を、守れたのだから。
愛し愛された証を、確かに残せたのだから。
(ああ、でも……)
もう自分では助けてやれない。それだけは心残りだった。
叶うならば彼らの”夢”に超えなければならない困難が訪れた時、少しでも力になれたなら……
誰に届くわけでもない祈りを胸に、エースは静かに息を引き取った。
世界に嵐を巻き起こした”海賊王”ゴールド・ロジャーの息子、ポートガス・D・エース。
その死に顔は己の生まれを憎み、”鬼の子”と呼ばれた男とは思えぬほど安らかな笑みを浮かべていた。