滅却師と虚—第一章
黒腔
黒腔に生み出された霊子の足場。
滑らかに整えられた平面は、現在全てが覆い隠されている。
無造作に転がった、無数の死体の山で。
転がる死体は、独特の紋様こそあれど、全てカワキと同じ格好をしていた。
足場を埋め尽くすほど積み重なった死体の山、それも、己と同じ造形をした亡骸に囲まれても、カワキに動揺の色はない。
斃れ伏す亡骸達に無駄な傷はなく、全て一撃で急所を射抜かれていた。
カワキは飛廉脚による高速移動で黒腔内を駆け、彼女を捕らえようと追うシエンの触手を巧みに躱す。
照準を合わせ、軽く引き金を引いた。
青白い閃光が弾ける。
シエンは自分の鋼皮ならば容易に防御が可能だと判断して手を突き出すが————
事前の予想に反して、シエンの手のひらに鋭い衝撃が走った。
「……!」
——おかしい。
手のひらから伝い落ちる血を凝視して、シエンは思う。
傷の度合いだけを考えるのなら、大したことはない、かすり傷だ。
だが——シエンの読みでは、今の一射に彼の鋼皮を貫く威力が出せるほど、霊子は込められていなかった筈だ。
——僕が相手の力量を読み違えたのか?
——……いいや、違うな。
湧き上がった疑問を即座に否定する。
シエンは、カワキを過小評価したつもりはない——むしろ、彼女を強者だと認めたからこそ、黒腔へ誘い込んだのだ。
その実力を正確に評価しているだけに、シエンはカワキの弾丸に違和感を覚えた。
「君が虚圏でノイトラやウルキオラと戦いを繰り広げた時のデータと、今の君の実力はあまりに乖離が大きい。これはどういう事かな?」
『…………』
疑問の言葉に、カワキの返答はない。
問いかけたシエンも、返答などもとより期待していなかった。
カワキは霊子兵装に手を添えて、何かの算段を立てているようだった。
おもむろに顔を上げて、カワキが呟く。
『そうか……。今ので鋼皮が貫けるなら、威力は問題なさそうだ』
「……かすり傷さ。勝ち誇るにはまだ早いんじゃないか? 滅却師」
『勝ち誇ったつもりはないよ。ただの事実確認だ。君の強さは相応に評価している』
「……それは何よりだ」
戦いが始まってから、終始愉しげな微笑を浮かべていたシエンから笑顔が消えた。
違和感を覚えたのだ。
カワキの言葉に。
強さに。
技に。
——なんだ……?
漠然とした違和感の正体を明かすべく、シエンは、カワキにいくつかの疑問を投げかけていく。
「君……僕の能力を知っているな。ああ、正確には僕ではなく、ザエルアポロの能力を、か」
先程からずっと、カワキはシエンの触手に捕らえられることを警戒しているように見えた。
触手で捕らえた相手のミニチュア人形を作成し、相手の臓器を潰す人形芝居(テアトロ・デ・ティテレ)。
虚圏で、ザエルアポロと対峙した石田を苦しめた技の一つだ。
「あの滅却師に聞いたのか?」
『……そんなところだよ』
「すばしっこい君でも、クローンの作成はさすがに回避できなかったようだけど……これでは、あまり意味はなかったな」
絶景を楽しむように周囲に広がった惨状を見渡して、シエンは肩を竦めて言った。
シエンが大量に生み出したクローンを、いとも容易く殺し尽くし、カワキは今なお無傷でシエンの眼前に佇んでいる。
シエンは圧倒的な力を持つ滅却師を前に——笑っていた。
「ザエルアポロ・グランツなら……ここで絶望していただろうね。小細工が一つも通じず、怒りと恐怖に打ち震えたかもしれない」
『……君は、ザエルアポロ・グランツではないんだろう』
カワキの言葉に、シエンは嬉しそうに瞳を細めた。
「ああ、その通りだ。ザエルアポロなど、もはや僕にとってはどうでもいい」
そう言ってクツクツと笑ったシエンが、カワキに問い返す。
「君はどうなんだ? 滅却師」
『…………』
「君は一体……何者だ?」
『……何が言いたい』
シエンの問いかけに警戒の色を浮かべたカワキ。
その様子に、シエンは確信を深めた。
——やはりだ。
彼女は何かを隠している。
重要なことは、秘密の正体ではない。
カワキにどんな秘密があろうと、シエンにとってはどうでも良いことだった。
重要なことは——彼女は自分との戦いで本気を出していない、その事実だけだ。
「…………君は、何を隠している?」
『…………』
こちらを見る蒼い瞳に、ぞっとするほど静かな殺意が揺れる。
研ぎ澄まされていく霊圧は徐々に濃さを増しているようだった。
——……なるほど。
——どうやら僕は触れてはならないものに手をかけているらしい。
凍るように冷たく尖った殺気をこちらに向けるカワキに、シエンは再び恍惚とした表情で笑った。
「あぁ……良いね。この感覚……」
『……何がおかしい?』
「おかしくなんてないさ」
怪訝そうに眉根を寄せたカワキに、目を細めたシエンが弾む声で言葉を返す。
「単に、君の強さを目の当たりにして興奮していただけだよ」
ザエルアポロの真似事を続けていたなら永遠に味わうことはできなかったであろう感覚に、シエンは大きく両手を広げる。
「感謝しよう、滅却師。そう……感謝だ! 君がそこまで強くあってくれたお陰で、僕は今、完全に僕になれたんだよ!」
鋭さを増したシエンの触手が、数十の刃となってカワキに向いた。
それぞれの先に霊圧が満ち始める。
「ここからは、なんの種も仕掛けもない、力押しの殺し合いをしよう」
『……良いよ』
カワキは、いつでも虚閃を撃てる状態で自分に向けられた触手を順繰りに眺めて、何かを手繰り寄せるようにたおやかな指先を動かした。
「断言しておくよ、滅却師。力押しとはいえ、僕は勝つためにありとあらゆる手段を使うとね。恨まないでくれよ?」
邪悪な霊圧を収束させて、頬を歪ませるシエン。
カワキもまた、黒腔内を漂う霊子を収束させながら、涼しい顔で言葉を返した。
『気にする事はないよ。私もそうする。君こそ、後で喚かないでね。悲鳴も、命乞いも……耳障りなだけだから』
「……それもそうだね、つまらない事を確認してすまなかった」
シエンは僅かに頷き、改めて口を開く。
新たな自分を楽しむために、心の衝動のままに自らの名前を告げた。
「僕の名前はシエン・グランツだ。名字は適当だけれどね」
『私の名前は志島カワキ。覚えなくて良いよ……君を生きて返すつもりはないから』