涙を流した日

涙を流した日



霧の海域”魔の三角地帯”。


そこに巨大海賊船スリラーバークを構えていた王下七武海ゲッコー・モリアとの激闘を制し、更に襲来してきた王下七武海バーソロミュー・くまをゾロの決死の行動で退かせた麦わらの一味は、共闘した面々と共に恒例の宴を開いていた。


戦い抜いた労をねぎらうように賑やかさを増す宴の供として、

演奏をしている骸骨……”ヨミヨミの実”の能力者ブルックがルフィに呟く。


「辛くない日などなかった…」

「希望なんて正直見えもしなった」


その言葉は、洞となった彼の双眼から流れる涙を幻視するものだった。


思い起こすのは辛く苦しかった自身の半生。



”ルンバ―海賊団”として、アイランドクジラの子供ラブーンと交わした再会の約束。


道半ばで倒れ、それでも我らの音楽をラブーンに必ず届けると死にゆく仲間たちと約束した。


そして始まった50年の孤独な放浪。


何度死にたいと思ったか分からない。

何度夢であったのならと思ったか分からない。

霧の海域から抜け出す希望は見えず、苦しまない日など一日としてなかった。


自分の未来が分からなかった。

目の前に立ち込める霧が、それすら覆い隠しているのだろうかと錯覚したこともあった。

この悪夢のような日々が終わる時が、まるで見えないと絶望し続けた。


「でもね、ルフィさん…」


それでも苦しみの果てに、今日この日を迎えられた喜びを噛みしめる。


「私!!! 生きててよかったァ!!!」


それは、骨だけとなっても尚約束を果たすために生き続けた男の魂からの叫びだった。


「本当に生きててよかった!!!」

「今日という日が!! やって来たから!!!」


「そらそうだ」


その叫びは、肉体を失い流せなくなった涙の代わりなのだろうか。


仲間を守るため負傷し眠り続けているゾロの看病をしながら、

ブルックを見つめるウタはそう感じていた。


(私も……)


その姿に、何を感じただろう。

50年もの月日の果てに、前へと進めるようになったブルックへの憧憬?


それとも……


(私も、いつか……)


何故自分はあのようになれないという、嫉妬?


高らかに叫ぶブルックに、人であった頃の自分の姿が重なる。


元に戻れる希望は今もまるで見えないけれど、

そんな未来が訪れるのだろうかと夢想しながら。


(そんな風に思える日が、来るのかな?)


胸に湧き上がったほんの少しの期待と、それ以上の虚しさに耐えきれず、

私はギィ……と小さく音を鳴らした。



「あ、私仲間になっていいですか?」


「おういいぞ!!」



『さらっと!!! 入ったァ~~~!!!』



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



ブルックが麦わらの一味の”音楽家”として加入してから暫く経った日の夜。


私は甲板で月を見上げながら一人で過ごしていた。


普段なら寝ているルフィと一緒にいたり、

最近ではロビンと一緒に寝たりしてたけど、

今日はどうしてもそんな気分になれなかったから、今ここにいる。


……あの日のブルックの言葉が頭から離れない。


今まであまり考えないようにしていた未来への希望と、

叶わないかもしれないという未来への諦観。


二つが頭の中をグルグルと回って、どうにも考えが纏まらない。

そんな風に悩んでいると、横からニュッとブルックが顔を見せてきた。


「ヨホホホ!! ウタさん、お隣座らせてもらっても?」


「どうぞ」と声を上げたいが、残念ながら私は声を出せない。

なので片腕で横の地面をポンポンと叩き、了承の意を伝える。


「では失礼をして……」


そう言うとブルックは私の隣に腰を降ろし、同じように月を見上げ始めた。


なんだか調子が狂う。ルフィたちと一緒に騒いでるところばかり見ていたせいかも。

あのブルックがここまで静かにしているだなんて。


「……ウタさん、生憎と私ではあなたが抱えている事情を全て把握することはできません」


そんなことを考えていると、ブルックが静かに口を開いた。

その言葉にないはずの心臓がドキリと跳ね上がる。


「どうして?」と声なき声を上げるように、私はブルックを見る。


「ヨホホホ、”ヨミヨミの実”の能力で蘇ったからですかねェ~」

「”魂”に関する事は何となく肌で感じ取れちゃうんです」

「私、骨しかないんですけど!!」


恒例の”スカルジョーク”を交えつつも、ブルックは言葉を続ける。


「ただ、私ではウタさんはその人形の身体に封じ込められているような……」

「そんな状態であることしか分かりませんでした」


申し訳ありません、と頭を下げてくるブルックに顔を上げるよう、慌ててキィと声を上げる。


私自身も人形に変えられてしまったこと、私の記憶が誰からも忘れ去られたことしか分かっていないのだ。

むしろ完全な部外者であるはずのブルックが、そこまで察知できていることの方が凄い。


そういう風に伝えたかったのだけれど、私が発せられるのは壊れたオルゴールの音だけ。

仕方ないから、身振り手振りで「気にしないで」と伝えようとした。伝わったかな?


「あなたがその状態をどう思われているのか、私には分かりません」

「ひょっとしたら、何かやむにやまれぬ事情があるのかも」

「それなら私、とんだお節介を焼いてることになっちゃいますねェ~」


冗談めかした口調で話すブルックは、しかしすぐに真面目な声色へと変わる。


「ですがもし……もしも、ウタさんが望まぬ形でそうなってしまっているのなら」

「そのせいで、苦しみの只中にいるのでしたら」

「私、全力でウタさんを支えます」


そう言って私を見据えるブルック。


骨だけとなり、本来瞳があるはずの部分は眼窩しか存在しない。

それでも、今ブルックはとても真剣に私を見てくれていると分かる。


「私だけではありません。この船の皆さん、全員があなたの支えとなってくれます」

「新参者の私などより、よっぽどウタさんと付き合いの長い皆さんです」

「私が言うまでもないことかもしれませんがね。ヨホホ……」


優し気な声色でブルックは私に語る。


……先ほど「細かくは分からない」と言ってはいたが、

本当は「私が人形の姿であることに苦しんでいる」くらいは気付いているのだろう。


その心遣いを察して、私はブルックの顔を見つめながら耳を傾ける。


「私を救ってくれたルフィさんのように、いつかあなたにも……」

「必ず誰かが、暗闇の中にいるあなたを光へと連れ出してくれます」


それは、孤独の中で苦しみ続けた一人の男が私に送ってくれる精一杯の激励だった。


ブルックの味わってきた苦しみを、私が完全に理解できるとは思えない。

同時に、私の苦しみもブルックが完全に察することはできないだろう。


それでも、きっと私たちはどこか似ているのだとお互いに感じている。



「だからどれだけ辛くとも」



たった一人取り残されても、 / 誰もが忘れ去ろうとも、



「希望なんて見えなくても」



終わりの見えない放浪を続けても、 / 誰にも声が届かなくとも、



「諦めることだけはしてはいけませんよ」



それでも、果たすべき約束があった。 / それでも、見つけてくれた人がいた。



「……ヨホホホホ!! ちょっと説教臭かったですかねェ~!!」

「ですが50年待った私が言うことって、信憑性は結構あるのでは?」


空気を変えようとしたのか、ブルックは軽くおどけてみせる。

その姿がおかしくて、私はキィキィと音を鳴らした。


「ウタさん、”夢”はありますか?」


ひとしきり笑った後、ブルックは私に再度話しかけてきた。

最初はその言葉を理解するのに時間がかかった。


……”夢”?


「私は……あ、もう皆さんには言ってました。ラブーンと再会することです」

「もしウタさんにも叶えたい”夢”があるのなら、それを絶対に諦めてはいけません」


ブルックの言葉を聞きながら、私は考える。


”夢”……私の”夢”?


それは何だっただろうか。


「人間に戻る」?

「ルフィと、皆と一緒にいる」?



――沢山の曲を作って、最高のステージと私の■で世界を幸せにする!!



いいや、そうじゃない。そうじゃなかったはずだ。



――私は”新しい■■”を作るの!!



もっと昔のこと。

そう、ずっと昔に約束したことが……



――作ろう!! ”新時代”!!

――おう!!



「人生、何が起こるかなんて分からないんです。私がこうして皆さんと一緒にいるように」

「ウタさんの未来にも、きっと予想もできない何かが起きる」


思考の海に沈んでいた私に、ブルックが語り掛ける。


「『希望を持て』と残酷なことは言いません」

「ただ諦めることだけは……してほしくない」

「これは私のワガママです」


自分勝手ですねェと笑うブルック。


そんなことはない。ブルックは優しい。

現に今、私が取りこぼしていた”夢”を思い出させてくれた。


必死に感謝の意を示そうと身体を動かす。

その姿を見て、ブルックはまた笑った。



「ウタさん……私、たった今”夢”が一つ増えました」


その後、二人で静かに月を眺めていたらブルックが再度私に話しかけてきた。

今度はなんだろう?と疑問を感じつつ、ギィと音を鳴らしてブルックを見つめる。


「いつの日か、あなたを縛るその”何か”が消え去った時……」

「改めて、私とデュエットしましょう!!」


その言葉に少し驚く。


確かにブルックが加入してから、

ウソップが作ってくれた私専用の小型楽器を使っての演奏や、

ブルックの演奏に合わせた踊りなどを教えてもらってはいた。


そうした中で改めてのデュエットの誘い。

これはつまり、今は出せない私の声に期待してくれているということだろうか?


「ヨホホホ!! 音楽に姿かたちなんて関係ないとはいえ……」

「どうもウタさんは歌うことが本領のようですから!!」


きっと素晴らしい歌声なんでしょうねェとブルックが笑っている。


その言葉が、胸に突き刺さる。

人形となってから出せなくなった声を、ここまで望んでくれることに。

私自身、心の何処かで諦めていた未来を信じ続けると約束してくれたことに。


その姿と彼の語る未来に、ほんの少しだけ明日への希望が持てた……気がする。


「それに皆さんが言うには、ウタさんには作曲の才能もあるとか!!」

「作られた楽譜を少々拝見しましたが、まあ見ても分かる名曲揃い!!」

「この歌でウタさんとデュエットする時が俄然楽しみになってきますねェ!!」


ヨホホホホ!!と陽気に笑うブルック。

その笑い声につられるように私もおかしくなって、キィキィと音を鳴らした。



大きな月が見守る静かな夜。

波に揺られる船の上で、骸骨と人形の陽気な笑い声がいつまでも響いていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



そして、その日はやってきた。


「るひぃ……るひぃ!!」


必死の想いで出した言葉は呂律が回らず酷いものだった。


12年ぶりに出せる声に歓喜すると同時に残念とも思ってしまった。

ちゃんと「ルフィ」と呼びたかったのに。


「ウ゛タ゛ァ゛……こ゛め゛ん゛!!!」

「お゛れ゛……す゛っ゛と゛わ゛す゛れ゛て゛て゛……!!」


目から大粒の涙を溢しながら謝ってくるルフィ。

成長して、そんな風に泣くことも少なくなってきたのに、

その姿を見ていると、子供の頃の泣き虫なルフィを思い出して笑ってしまう。



違うよルフィ。ルフィはずっと前から私のことを見つけてくれてた。

あの言葉があったから、私は今ここにいる。


「ううん……るひぃ、わらし、みふけて、くえて……」



――ならお前の名前は今日から「ウタ」だ!!



誰にも見つけられなかった私を、唯一見つけてくれたあなた。


「かくれんほ……るひぃの、かち……」



――よろしくな、ウタ!!



あなたがいたから、私は今日まで生きてこられた。


「~~~~ッ!!!」


私を抱きしめるルフィの腕に更に力が入る。

きっと顔はグシャグシャなんだろうなと思い、少し笑う。


……それは、きっと私も同じだけど。



「わらし、わらし……」


思い出すのはあの日の記憶。

50年、孤独に彷徨い続けた陽気な骸骨の言葉。



――辛くない日などなかった…

――希望なんて正直見えもしなった



私にはルフィがいたけど、あの人は本当に独りぼっちで生き続けてきた。

この言葉の重みも、きっと私が思っているよりずっとずっと重い。



――でもね、ルフィさん…



だから、あの人の言葉を胸に刻んだ。

どんなに辛くても、いつか必ず『その日』が訪れるんだと私に教えてくれた強く優しい人だから。


「あきらめ、ないて……」



――私!!!



「いきてて……」



――生きててよかったァ!!!



「よかったァ……!!!!」


ありがとうブルック。

私にも、そう思える『今日という日』がやってきたよ。



止めどなく涙が零れ落ちる。

12年、流すことのできなかった分を埋めるかのように。


でもこれは悲しみの涙じゃない。


「ウ゛タ゛ァ゛……!!」


ようやく流せた、喜びの涙だ。


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