浸蝕帰化

浸蝕帰化


都市には禁忌が存在する。頭や翼が定めるそれに抵触すれば、場合によっては命を奪われるだけでは済まされない。だから、私が老女からこの町について聞き出していたとき、警戒したのは必然だったと言えるだろう。

「ここでも禁忌が定められていると?巣でも指の支配下でもない、裏路地の一角に過ぎないというのに?」

「ええ。でも、そのおかげで私たちはこうして幸せに暮らせているんですよ」

建物の隙間の影でニコニコと編み棒を動かしながら微笑む老婆に眉をひそめる。しかし、確かにここは裏路地とは思えないほど平和だ。情報収集のためにこうして歩き回っていても、絡まれるどころか喧嘩の一つすら聞こえてこない。見かける住人はみな幸福そうな雰囲気だった。

「お姉さんも、ここにしばらく滞在するなら知っておいたほうがいいと思いますよ。守ったほうが住みやすいですからね」

そんなもの知るかと突っぱねるのは簡単だが、トラブルを起こすのは得策ではないだろう。あのトラブルメーカー兼騒動吸引機共がまともに遵守するのかはともかくとして、管理人様をお守りするためにも聞いておいて損はないはずだ。

「そうか、では知っているぶん聞かせてもらいたい」

「もちろん。全部教えられますよ。少し多いけど、お姉さんはお若いからきっと覚えられるでしょうねえ」

穏やかに老婆が紡ぐ言葉を頭に叩き込んでいく。確かに少し条項が多いようだが、そこまで複雑な内容というわけではない。頭の弱いほかの囚人はともかく、私であれば十分に暗記して実践できる範囲だ。管理人様に関しては些か不安なので、私がそばで監督したほうがいいだろう。

「はい、これで全部ですよ」

「なるほどな、確かに多いが守るのも難しくはない。禁忌を破った罰はどうなっている?」

「一度破ったくらいではなにも。でも、あんまり好き勝手をするとr38yfszvj様のお手元に招かれてお叱りを受けることになりますねえ」

「であればなるべく破らないように行動したほうが無難、か」

「お姉さんは見たところ旅の方のようですけど、ええ、njuevhiue5dtrz2様はここに留まる人は平等に扱われますから。お友達が禁忌を知らずに破らないうちに、教えてあげてくださいな」

「助言感謝する」

頭を下げて立ち去り、早速誰かと情報を共有せねばと周囲を見回す。聞き込みの効率を考えて単独行動も許可したが、なにかを伝達したいときにタイムラグが生じるのはやはり不便だ。管理人様に通信機の配布を進言すべきか。

《あ、ウーティス》

「管理人様、こちらにいらっしゃったのですか」

《うん。なにかわかったことでもある?》

ひらひらと手を振る管理人様の傍らにはムルソーが無言で立っている。バスの囚人共の中では無駄口を叩かず仕事も確実にこなす、だいぶマシな部類といえるだろう。大柄でいざという時の盾にもなれるし、必要であれば命を投げ出すことにも躊躇がない。私ほどではないが護衛には適しているな。

「はい。どうやらこの町では破ってはいけない禁忌が存在しているようです。違反したからといって即座に処断されるわけではないようですが、念頭に置いて行動すべきかと」

《そうなんだ、禁忌って頭?とか翼が決めてるものだと思ってたんだけど。どんな内容なんだ?》

「少々項目が多いですが、このウーティス、すべて暗記してまいりました。ここでお伝えしてもよろしいですか?」

《う、うん。覚えきれるか不安だけど》

「管理人様の頭は時計ですので頭に入らなくとも無理はありません、その場合は私が場合に応じて補足いたします」

では、とかるく咳払いをして、把握した条項を一つずつ読み上げていく。

「一、昼の十二時から十分間は外に出てはならない。二、晴れた日の朝には最低一回くしゃみをすること。三、猫を三度見かけたらその場に這いつくばりgd#yと唱える。四、ncd#oot'しなかった者が訪ねてきた際には自分の皮膚を3㎠切り取りこれを与える。五、i4w*hbx.?の日にはcsi「.%%m!7を積み上げた祭壇を作り、n:hd@5di様を生誕を」

《はいストップ》

「んぐっ!?」

まだ話している途中だというのに管理人様の手が突然口を塞ぐ。それを払おうとするが、シャツの隙間から垣間見える首筋が汗ばんでいるのがわかって思わず動きを止めた。

《ムルソー、ウーティスをバスまで連れていって。もし禁忌を守るための行動をしようとしたら絶対に止めること》

「それでは管理人様のそばを離れることになりますが」

《私はたぶんまだ大丈夫。だけどほかの囚人たちを無事なうちに回収しないと。あ、ウーティスの禁忌に関する説明にはなるべく耳を貸さないでね》

「わかりました」

いくらこのあたりの治安がいいとはいえ、さすがに単独行動は見逃せない。慌てて口元の手を取り払う。

「ぷはっ、おひとりで行動するのは危険です!管理人様の身体は貧相なイサンやシンクレアと比べても貧弱なのですよ!?」

《知ってるよ…。でもこの地域では物騒なことなんて起きようがないし。それに私ひとりじゃきみを抑えこむなんて無理だから、ムルソーに頼むのが一番安心だ》

「わ、私を…抑えこむ…?」

《道中禁忌事項に遭遇したらそれに反しないための行動を実践するつもりだろう?》

「もちろんそうですが。やってはならないと?」

そうだと首を縦に振る管理人様をじっと見つめる。禁忌には相応の理由があるから禁忌なのだ。破れば罰則があるだけでなく、知らなくてもいいものを知ってしまったり罰則を受ける前に命を失う可能性だってある。それを、みすみす受け入れろと。K社の検問でタブーを犯したときのことを忘れてしまったのだろうか。

《…そんな怖い顔してもダメ。そのサーベルを突きつけられても意見を変える気はない》

針の音は心做しか震えているように聞こえる。それでも逸らされない文字盤に、私は重くため息を吐いた。

「…わかり、ました」

《…ごめんね、いやな気分にさせて。お詫びは必ずするから。じゃあムルソー、頼んだよ》

「はい、お気をつけて」

管理人様は私の隣を通り抜けて路地の奥へ消えてゆき、ムルソーはそれに背を向ける。

「バスに帰還する」

「…わかっている」

喉から発した声が意図せず低くなった。一歩建物の影から踏み出すと、夏特有の日差しが肌を焼く。ふと時計を見ると、そろそろ二本の針は真上で重なりそうになっている。

(どこかに入らなくては)

「どこに行く」

喫茶店にでも入ろうと方向を変えた瞬間、腕を掴まれて引き寄せられた。顔にかかる影の主を睨む。

「てきとうな建物の中に入ろうとしただけだが」

「先ほど管理人様は禁忌を守らないようにと指示されたはずだ。分かれてから十秒と経過していないが、忘れたのか」

馬鹿にしているのかと怒鳴ろうとして、しかし、確かにそれが頭の中から抜け落ちていたことに気づく。どれほど愚かな指示であれ、否そうであるからこそ記憶に留まっていなければおかしいのに。

「………」

「…念のため手を繋ぐ」

返事も聞かずに手のひらを握られ、それに引きずられるように私は再び足を進める。目の前の背中が小さく眩しいとつぶやいたような気がしたが、それに関心を寄せている余裕はなかった。禁忌を破ってはならないという焦りと、一時の滞在者の自分が守らなくてなんだというのかという冷たさが思考をかき乱す。視界の端に黄色の花。

(ひまわりを見たら、1{p>r<を唄う)

ほとんど無意識に口ずさみかけて、歯を食いしばる。呆れていた管理人様の言葉が脳裏を過ぎる。

《そのサーベルを突きつけられても意見を変える気はない》

私が合理的な指示を求めていることも、そうしなかった場合冷たい視線を送ることも、彼はすでに理解しているはずだ。なのに命じた。震え、脅される覚悟までして。未だ戦略的な思考は未熟で非合理な判断を下すこともままあるアレだが、それでも、私たちの命を悪戯に散らすような真似を決してしないであろうことだけはわかるのだ。

「っ……」

呼吸する。熱気が気管と肺を埋める。火傷しそうなほど熱されたガントレットを握りしめる。

(mmf#\0したらその日は右足を使って歩いてはいけない)

両方の足でアスファルトを踏みしめる。

(角を曲がるときは三回瞬きする)

地面をただただ見つめる。

(雲の声が聞こえたらアオミドロのナットを呑む)

頭を振って追い払う。

(洗濯物のプラムクラークは山猫が咲いたトマトソースを供える)

頭痛がひどい。

(g7e.fs%してatug6*%!iyしていない者は、ころす)

残った手がサーベルを抜きかけて、必死にそれを抑える。立ち止まった私に引き寄せられて後ろに倒れかけたムルソーが振り向いた。

「……限界か?」

珍しく疑問を呈した男に歯ぎしりしながらうなずく。頭の中が禁忌の文言でいっぱいだ。守らなくては、破ってはならない、そんな欲求で心のコップがギリギリまで満たされる。これがこぼれたとき、私は、こわれるんだろう。

「………」

一瞬の間の後、ムルソーが無言のまま私をすくいあげる。横抱きにされて密着した胸から体温と鼓動が伝わってきた。たんっと軽やかな音ともに熱風にさらされる。砂埃に目を閉ざし、耳を塞いで脳内に響く禁忌の叫びに耐える。息が苦しい。心臓が押しつぶされそうだ。生きることを、少しずつ、制限されるような。

にわかに揺れが来て、まぶたを貫通していた日光が消える。少ししてから今度はなにかに寝かされた。だいぶ頭の中が静まる。おそるおそる目を開くと、そこはすでにバスの車内だった。私を運んでいたはずの男はすでにいつもの席に座っており、まもなくほかの囚人たちもガヤガヤと乗り込んできた。

「わあ、ウーティスさん顔色が泥みたいですね」

「スポドリ買ってきましたよ」

「あ、ネクタイ緩めて大丈夫?」

ロージャの言葉にうなずきながら起き上がろうとするが、こらこらというように押し止められる。普段ここに掛けてる三人は不満そうな顔一つせず心配そうに自分を見ていた。

《…ウーティス》

最後に乗り込んできた管理人様が、おずおずと近寄って頭を撫でる。残っていたノイズが波が引くように消えていく。

《さっきはごめんね。不満だったろうに、指示を聞いてくれてありがとう》

「……いいえ、管理人様。私こそご無礼を」

《そんなことないさ。突然ああ言われたら誰だって不審に思う》

手袋のサラサラした感触が心地いい。それに誘われるように意識が揺れる。

「……ぁ…」

《相当疲れたろうし、そのまま眠って。業務が終わるころに起こすから》

「……は、い。ありがとぅ、ござ、ぃ………」

腕が落ち、爪がバスの床に引っかかる。思考はそのまま闇に溶けていった。



「…で、今度はいったいなにに巻き込まれたんだ?」

「もう、他人事だと思って!」

「実際そんな目にあったことがないからな」

《簡単に言えば同化かな…禁忌を破る者は住人にあらず、逆に言えば禁忌を守るのならその者は住人ということになる》

「…ちなみにそれ、時計で治ったりは?」

《絵にペンキをぶっかけた後に、その前の状態に戻せると思う?》

「無理だわな」

《あとこれたぶん伝染る。だからこの区画からなるべく早く離れたいんだよね》

「カロンバス出してくれ早く!!!」

「あつあつ、メフィのテンションはアゲアゲ。出発進行」

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