流儀
空座町
『——! ……井上さん? まさか……』
井上さんの霊圧の揺れを感じて、彼女がいる場所に急行する。飛廉脚で空を行けばすぐに到着できる距離だ。
——井上さんのそばにあるのは……誰の霊圧だ?
彼女が暮らすマンション、そこに憶えのない霊圧があると気付いて、私は滅却十字を握って普段以上に霊圧を絞った。
石田竜弦の推測通りなら、今、井上さんと対峙しているのは石田くんを斬った犯人かもしれない。
——……私達が知らない何らかの力を手にした人間、か。
警戒を胸に、マンションの廊下を見渡す事ができる位置に陣取って姿を隠した。
その時——
「——石田くんを襲ったのはあなたなの?」
いつになく張り詰めた声だった。
普段は春の日向のように穏やかで明るい声が、今日は凍るように刺々しい。
私は静かに滅却十字に霊子を集めた。
警戒を隠しもしない井上さんの言葉——彼女と対峙する子供に照準を定める。
——とても石田くんを重傷にできる強さがあるようには見えないけれど……
——油断は禁物だ、まだ彼が何の能力を持っているかわからない。
いつでも撃てる状態で銃を構える私の耳に、学ランの子供を問い詰める井上さんの声が届く。
「答えて」
「その質問に答えるイミあるかよ? メガネの話出した時点でもう答え出てんだろ!?」
「……そうだね……じゃあ、あなたの仲間のことを教えて」
「あんた顔はマブいけど、言う事はシャベえな! そういう事は力で訊けよ! 俺をブッ飛ばしてよォ!!」
言っている事の半分は理解できなかったけれど、「力で訊け」という意見には同意を覚えた。
——望み通りにしてあげよう。
相手が正体不明の能力者であれば、能力を使われる前に仕留めれば良いのだから。
そう思って、引き金にかけた指を引こうとした時——
別の霊圧がこちらに向かって来ている事に気付いて、私は指を止めた。
「はい。そこまで」
井上さんの後方、廊下の手すりの上に、本を手にサスペンダー姿の男が腰掛ける。
目の上に傷があるその男は、井上さんに薄く微笑みかけて言った。
「“石田くん”を襲ったのは僕だよ」
——あの男が石田くんを……そこの子供がやったという話よりはまだ説得力があるけれど……。
新しい敵がまた増えた。
井上さんに接近まで悟らせなかった男の身のこなしは、先に来ていた子供より油断ならない。
銃口を向ける先を入れ替えて、様子見を続ける。
滝のような汗を流した子供が、男の名を口にした。
「……………………月島さん……!」
——……ツキシマ……。
——ダーテンに記載は無い名前だな……何者だ?
柵から腰を上げて廊下に立った男は長身だった。
自分の背後を取った見知らぬ男を相手にした井上さんは警戒を解かない。
「……誰…………ですか……?」
「月島秀九郎。君の——」
「月島さんっ!!!」
長身の男——月島の言葉を遮った子供が必死の形相で握り締めた拳を振り上げた。
「月島さんがわざわざ出る必要無いっす! コイツは俺がやります!! 月島さんの手をわずらわせる必要なんか無いっす!!」
「……うん」
「さァ! かかってこいよ女ァ! そんで俺にブッ殺されろ!!」
井上さんと月島の間に割り込んで、臨戦態勢を取った子供は、己の背後に立つ月島の不穏な気配に気付かないようだった。
貼り付けたような笑みで、月島が穏やかに声をかける。
「……獅子河原くん」
「何すか!!」
「もう帰ろう」
「何言ってんすか!! 月島さんの舎弟としてここは後には退けないんす!! 俺を気づかってもらえるのは嬉しいっすけど、俺の命より月島さんの面子……」
パタン、と本を閉じる音がした。
「ちょっと聞こうか、獅子河原くん……」
——なんだ?
本を閉じる。言葉にすればただそれだけの行為に、獅子河原と呼ばれた子供は過剰とも思える反応をした。
——あれは処刑を待つ者と同じ顔だ。
だけど——月島の手にあるのは栞が飛び出した一冊の本だけだ。剣も、弓も、首を落とすための武器は何も持っていない。
石田くんが負った傷は、太刀傷だった。もしも、「石田くんを襲った」という月島の言葉が本当だとすれば、刃がついた武器を持っているはずだ。
——……彼の武器はどこにある?
「僕、君には「何もしなくていい」って、言ったよね?」
「……お……押忍……」
恐る恐る背後を振り返った獅子河原に、本に挟まれた栞に指をかけながら、月島が「じゃあ」と訊ねた。
細長い栞が、本から引き抜かれる。
「どうして君はここに居るんだろう?」
「……そ……それは、月島さんのお役に……」
「ああ。どこまで読んだかわからなくなっちゃった」
引き抜かれた栞に燐光が散らつく。
——あの光は……。
次の瞬間——栞だったものが刀へと形を変えた。
「困ったなあ。ねえ、獅子河原くん。責任取ってくれるかな」
「そっ……」
栞が刀に変わる——それだけなら、疑問に思う事はない。
私達、滅却師は滅却十字に霊子を集めて武器を形成するし、死神なら始解で武器の形状が変化するのはよくあることだ。
けれど——
——あれは滅却師(わたしたち)が扱う霊子の光じゃない。
——死神でも、虚でも、滅却師でもない未知の存在……——あれがそうか。
驚きに目を見開いた井上さんが、言葉を絞り出す。
「……それは……斬魄刀……!?」
「…………ん?」
その問いかけに、月島は刀を見せつけるように刃を翳して、その切っ先を井上さんに向かって突きつける事で答えた。
「違うよ。これは“完現術”。僕の完現術、『ブック・オブ・ジ・エンド』」
——完現術……ね。
——能力は不明、正体も不明、何もかもわからないことだらけだけど……それなら発動前に潰して訊けば良いだけのこと。
井上さんを無視して獅子河原という子供の方を向いた月島は、私が潜伏している事に気付いていないようだった。
私達にとって霊子は発するものじゃなく集めるもの——私の攻撃に霊子の衝撃波は出ない。
——今が好機だ。
「安心していいよ。君にはまだ、何もする気ないから。今日のところは、言うことを聞かない子にお仕置きしてすぐ帰るから」
『忙しないね。今来たばかりなのに』
「——!?」
神聖滅矢を放つと同時、月島との距離を詰めてマンションの柵に着地する。
「ぐっ……!」
「月島さん!?」
放った弾は狙い通りに彼を貫いた。
彼の動きが崩れたところを狙い、ゼーレシュナイダーの柄を握った腕を振る。刃の形成は斬りつける一瞬だけで良い。
鮮血が宙を舞う。
『安心していいよ。私にもまだ、君を殺すつもりはないから』
彼にはまだ話を聞かなくちゃいけない。
だから、殺してしまわないように、話ができるように、首は狙わなかったのだ。
着地した柵の上から廊下に降りる。
血が溢れる傷口を押さえ、よろめいて膝をついた月島に、私はゼーレシュナイダーを突きつけた。
『君達の流儀に合わせて力で訊いてあげるよ。完現術とやらの話も、石田くんや井上さんを狙った目的も』