永遠の約束

永遠の約束


「拳西さん、お加減いかがですか?」

「修…兵、か…」


はい、と応えながら、今は大丈夫なようだと檜佐木はホッとする。

尸魂界、いや三界の命運をかけた大戦は大きな痛みを伴って終結した。六車を苦しめるのもその痛みのひとつだ。

 現在、六車及び鳳橋の病室は副隊長以上の人間と一部の選ばれた人間が条件付きで入れる以外の入室は不可能となっている。

単純に禁止されているというのではなく、六車達の旧友であり元鬼道衆副官である有昭田鉢玄の協力の下、一定以上の霊圧がないと入れない結界が張られている。

そのため基本的に人はいないのが常だ。

平子は時折六車や鳳橋を見舞ってもいるがそれも頻繁ではない。彼自身の傷も浅くはないこと、瀞霊廷の混乱が凄まじく多忙を極めることなども理由だが、おそらくいちばんの理由は、六車や鳳橋が旧友平子に己の醜態を晒すことを望まないのを汲んでのことだろう。


 特に、六車は―――。


  


「修兵、」

「はい、拳西さん」


 ベッドサイドに腰掛け、横たわっている拳西の手を握る。その腕にはゆるい縛道がかけられている。


「っ、ここには、来るなって言っただろ」

「いやです。」

「修…っ!」

「嫌です!絶対、傍にいます!」


 叫ぶように言った檜佐木の顔は酷いものだ。目は真っ赤に充血し腫れ上がり寝不足が極まって顔色が、青いを通り越して白い。

 療養中の六車の分まで九番隊を支えなければならずそのせいで多忙が極まっているというのもあるが、席官たちがどうにか作った檜佐木の休憩時間に、檜佐木は眠るのではなくこうして六車のところを訪れる。


六車と鳳橋は元々抱えていた内なる虚とゾンビ化のバランスの影響でゾンビ化の解除が十番隊主従のように簡単にはいかなかった。特に虚になっていた時間が長く影響の色濃い六車は深刻だ。


「俺は…、お前だけは…、――っ、っ!」


 続けようとした六車の言葉が途切れ、焦点が合わなくなったのを見て取った檜佐木は、泣きそうになりながら涙を堪え手を離してすぐに動けるようにする。


「ゔっ、ゔゔヴヴヴ、あ゛っあ゛ぁ゛あ、ぁ゛あ、ぅっ、ん゛ん゛っ、ぁ、アァ゛……っ、んぅ…っ!」

「拳西さん!、拳西さんっ!拳西さん!」


 急激に苦しみだしうめき声を上げる六車に、檜佐木はありったけの声で呼びかける。

 六車は、今、3つの存在の間で自我を保とうと戦っている。死神と虚と、ゾンビと。

 何もなくてもまだ短い間隔でこうして自我が曖昧になる。特に虚やゾンビはどちらにしろ破壊衝動を持っているためそれらに意識を乗っ取られてしまうと、六車の意志とは関係なく破壊行動を起こしてしまう。

『一定以上の地位でないと会ってはいけない』というよりも結界を張って会えないようにしているのも、六車の手に普段から縛道がかけられているのもそのためだ。

縛道で身の自由全てを奪えば襲ってくることはないがそんなことをすれば『正気の時』の気が狂う。

「うぅ゛ぅあ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛」


汗が玉になって浮かび、歯を噛み締めているせいだろう、口の端からは血と唾液の交じったものが伝う。

それを拭うことすらできずに呻く六車の姿を見れば人であることをやめた獣のようだと言うものもいたかもしれない。

 「ゥゥウ゛……っ」

 唸っていた声が止まり、六車の体から力が抜けた。檜佐木は、顔を拭いてあげよう、と手を伸ばしかけて、やはりまだ終わっていなかったことを突きつけられる。 

六車は本来はまだ寝台から身を起こすのがやっと、という状態のはずなのに、ふと『六車』の姿をしたモノが檜佐木を見つけ、ガバリと寝台から立ち上がった。

こうなってしまっては動くことが難しくなるまで彼は破壊衝動を抑えることができない。


それでも体そのものが万全ではないこと、そして緩めとはいえ縛道もかかっていることから、副隊長クラスであれば襲われる前に結界の外に逃げ出すことは可能だ。

檜佐木以外の副隊長や隊長がここを訪れている間にこれが起こったときは、六車を攻撃しないためもあって皆そうしているはずだ。


 だけど檜佐木は、そうしない。

 そもそも虚やゾンビの影響が強く出るのは、今はまだ治療があまり進んでおらず何もなくても起きているが、特に出やすいのは強い霊圧が傍にある時、つまり隊長格が見舞いなどに訪れて傍にある時の方がこの状況になりやすいと説明も受けている。だからこそ六車は、正気の時には檜佐木に繰り返し、ここに来るなと言う。


 檜佐木だって解ってる。

けれど六車が職務復帰をするのならそれは当然隊長格の霊圧が傍にあるということ。つまりその中で自我を保てるようにならなければ、六車は六車の望む、『元に戻る』ことはできない。


解ってるから檜佐木は、ここを時間の許す限り訪れ、六車の発作が起き、襲われても部屋を出ていかない。

 檜佐木が部屋を出たら、六車は身動きができなくなるほど消耗するまでひとりでやり場のない破壊衝動をかかえで苦しむことになる。


 冗談じゃない。そんなこと絶対にさせない。


 当然のことながらいつ自我を失うかわからない今の六車は傍に斬魄刀を持っていないため、断地風の能力を使ってくることはないが、それを抜きにしても六車は白打の達人だ。普通に考えればやはり対処法はなるべく距離をとって鬼道で抑え込むのが安全なのは言うまでもない。

もちろん檜佐木もそんなことは百も承知だが、檜佐木はそれをやろうとは思わない。

あえて六車の懐に飛び込み拳を受ける。

「――っ、うッ、ぐっ、……拳西、さん、」

「拳西さん、大、丈夫…です。ちゃんと、解ってます。」


 そう。解っている。六車は己の武を磨くことを怠る男ではない。だから。

くらってみるとよくわかる。

「拳西さ、っ、が、必死に…、戦ってること」

こうなる前、獣のように呻き続けたことも、今こうして、攻撃を受けてなお、檜佐木に、途切れ途切れながら六車に話しかけるだけの余力があるのも全部、六車が必死に、意思の外側にある破壊衝動を抑えようとしているからだ。


だから檜佐木は今の六車を見ても恐怖は全く感じない。

「大丈夫です。拳西さん、あなた、は…、俺以外…誰のことも…傷つけたりしてない。…だから、だからお願いです。」


「これを理由に、俺から離れようとしないで。…俺、を…っ、ひとりに、しないでっ。」


怖くなんかない。

どんなに殴られて攻撃をされても、檜佐木に牙を剥いているのは六車の意思じゃない。


 残酷なことに、自我を取り戻していくには、後々、発作の回数が減ってきたことを自覚できなければいけないため、自我を失った状態の時に何をしたのかは、多少表現を和らげつつもある程度本人に伝えられることになっている。

だから六車は檜佐木を遠ざけたがる。

愛しい者を狙う虚の性質か、檜佐木が傍に居ると今は高確率でこうなってしまう。


「ぅ゛ぅ゛ゥ゛ゥ゛っぁあ゛あ゛あ゛あ」


「大丈夫…です、けんせ、っ、さん、俺は、大丈夫…っ、ですから。傷つかないで。自分…を、責めないで」


この痛みがもしも六車が檜佐木に向けてくれる思いの強さだというのなら、檜佐木にとってそれは喜びだ。


もしも、例えばどうしても、六車が完全に元には戻れなかったとしても、


「俺も、大好きです。拳西さん。だから拳西さんのこと、独りにしないよ」


 幼い頃と同じ顔で、幸せそうに笑った檜佐木の顔を、今の六車は『見えて』いない。


もはや攻撃をする余裕はなく、床に膝を付き、けれども意識を失うこともないまま呻き始めた六車を、同じように膝をついて、檜佐木は抱き支えるようにしながらこれ以上暴れないように動きを拘束する。


 抗うように頭を振る六車を宥めながら、時が過ぎるのを待つ。


「拳西さんの大事な人を、拳西さんは傷つけたりしてないよ。拳西さんは何も悪くない」

今の六車の姿を醜態だなどとは思わない。


「元に、戻っても戻らなくても、あなたは生きていいんです…」


 奥底に追いやられている六車の意識にどうか声が届きますようにと願いながらこれをいうのは、何度目か。


 1日に何度も起こるから、日数以上に繰り返してきた。


やがてネジが切れるように意識を手放した六車を、すぐ傍にあったベッドに横たえ、檜佐木は深い息を吐く。

そして六車が気に病むことが少ないように、軽く自分の傷を回道で癒やす。

そうしてから、六車の身を清めていく。

噛み締め過ぎて汚れた口の端も、檜佐木を攻撃した時に六車の拳についた、檜佐木の血も。


「こうやって、少しはお世話させてもらえるのは、皮肉ですけどこうなってからが初めてですね」


 六車の寝顔を見おろしながら生者の温もりを取り戻した手を握りつつ檜佐木は泣きそうな顔で微笑う。

 護られることしかできなかった、幸せな記憶。

それでも…


「拳西、さん…」

「拳西…」

「けんせー、」


 昔の記憶が蘇る。

『いたい?』『痛くねぇよ』


うん。


「俺も、こんな傷痛くないよ…。本当だから。……だからっ、」


「俺を、独りにしないで。拳西さん…」


 俺から離れようとしないで。独りにしないで。




「――、修、兵…」

「…――っ、拳西さん、」


理性が戻っている。 


「俺は、またお前、を…?」

「そう、ですね。」


「……修兵、俺はもう「ダメです拳西さん、それ以上言われたら、俺きっと、泣くから。言わせてあげません。」 

「修兵、」「いたくない。」


「こんなの痛くないから、だから拳西さん」


俺のこと見て、泣かないでください―――


そう言いながら微笑んだのに、涙が頬を伝ったのはやっぱり、檜佐木のほうで――。


もしも永遠にあなたが苦しみ続けるとしても、あなたの傍にいたいと泣いた。


そうか、と応えたその声がわずかに震えていても、檜佐木は知らないフリをした―――。



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