水引餅
〇イムスクープ〇ンターパロ ※尊直かも? ※R17です。R18ではありません。最後のほうだけ、直接的な描写が少しあります。苦手な方は、警告文をいれてありますので、最後だけ読み飛ばすのをお勧めします。
※体格差がある足利兄弟。※この時点ではまだ赤ん坊ですが、逃げ若に未登場の人物がでてきます。
主要人物:尊氏(既婚)・直義(未婚)・楠木正成とその妻・正季(既婚)・正行&正時(元服前)・正儀(赤ん坊)
~水引餅~1333年8月、京の楠木邸にて~
1333年8月5日、討幕の論功行賞が行われた。
早速、直義は、兄の代理として、摂津国・河内国の2カ国の守護職就任を祝い、河内守護(楠木正成)の邸に豪勢な祝いの品を届けさせた。
後日、河内守護から、祝いの礼にと、身内だけの気楽な宴席に、兄とともに招かれた。
護衛を引き連れ、邸に赴いた兄と直義を、河内守護は、常に変わらぬ穏やかな態度で、家族とともに出迎えた。
その後ろには、御舎弟(正成の弟、正季)のほかに、妻女とその胸に抱かれた赤子、そして、元服前の10歳ごろの男子二人がいた。
邸の中が片付いておらず申し訳ない、と謝る河内守護に案内され、兄弟は、広間に向かう。
改めて、兄弟は、過日、会った御舎弟を除く、河内守護の身内と挨拶を交わす。
奥方は、はげしい気の強さが顔に出ていたが、大器(人並み外れてすぐれた器量や才能があること)を備えた、腹のすわった、賢そうなおなごだった。
河内守護は、そんな奥方に、外ではみせない、たいそうゆるんだ顔をみせており、みごとに尻にしかれているようだった。
ほほえましくも仲の良いめおとだ、と直義は思う。
続いて、上の息子2人(正行・正時)を紹介された。
奥方に顔だちばかりか、気性のはげしさもよく似ているようだった。だが、同年代の武家の男子と比べて、ひときわとびぬけて優れた少年たちであった。
同年代の足利一門で、この少年たちとならぶ才能をもつ者は、いまのところ、斯波孫次郎くらいしかいないのではないか。
最後に、生まれたばかりの息子(正儀)でござる、と、父親によく似た赤子を紹介された。
拙者も妻も、この歳になって、また息子をもうけられるとは思わなかったが、と、とてもそうは見えないほど、たいへん若々しい河内守護は、照れながら言った。
広間の上座に、河内守護兄弟(そして御舎弟の膝に抱かれた赤子)と、兄と直義が並んで座った。
やや離れた下座に少年2人が座った。
そして、広間に、膳を捧げ持った下女たちと、それを監督する奥方が揃ってやってきた。
各人の前に、膳が置かれる。その上には、湯気のたつ碗があり、そのなかには「水引餅(すいいんべい。紐状にした麺を指ではさみ、もみながら薄く手延べしたものをスープに入れて茹でて食べる。現代のうどんの元祖)」がよそわれていた。
西国の水引餅は実に久しぶりだ、と兄は嬉しそうに顔をかがやかせる。
「妻が腕をふるったものでござる。よろしければお召し上がりくだされ」と河内守護は言った。
奥方を除く全員が、冷めないうちに、と口をつける。(この時代、宴で、男女が同席したり、食事を共にすることはほぼない)
直義は、木匙(スプーン)を手に取り、つゆを口に含んだ。
煎り酒(いりざけ。醤油が登場する前の調味料)を基本にした、貴重な昆布でとった出汁がふわりと香る、上品な味わいだった。
しかし、東国の味付けで育った直義には、つゆの色をはじめとして、違和感があった。
だが、兄をはじめとしたほかの者たちは、美味しい美味しいと言いながら、あっという間にたいらげてしまった。
あまり食がすすまない様子の直義をみかねたのか、奥方が、お口にあいませんでしたか、と気づかわしげに尋ねてくる。
そのようなことは、と控えめに言った直義の膳から、水引餅の入った碗が、兄によって奪い取られた。
「奥方の水引餅はたいへん美味しくあったが、おまえは西国の味付けには慣れていないからな」と言い、兄は、弟のぶんの水引餅をすべて腹におさめてしまった。
そんな兄の様子を、奥方や、少年たちは驚いたように眺めた。御舎弟は、ひきつった顔をした。
河内守護は、変わらずに穏やかだったが、どこか乾いたような顔をした。そして、ごほん、と空咳をしつつ、話題を変えてきた。
「ということは、武蔵守護殿(尊氏の当時の官職)は、西国の味付けに慣れておられるのでござるか」
「我は弟とは違い、もともと、西国の丹波国の生まれですからな」
なるほど、と河内守護はどこか納得したようだった。
じっさい、西国の開明的な面をもつ兄は、いわゆる、質実、堅固を旨とする東国武士らしくない男だった。
そして、討幕前の兄は、今とちがって、鎌倉では、いかにもわかりやすい、坂東武士という面をかぶり、それを演じていたような気がする。
しかし、みやこへ来てからの兄は、ごく自然に、はなやかで享楽的な顔をよくみせるようになった。
自分と違い、兄は、やはり、うまれた西国、そして、この、謀略と陰謀渦巻く魔都のほうが肌にあうのであろうか。
そんな兄は、奥方に尋ねた。まだ水引餅の麺は残っているのか、と。
「我が、弟のぶんの、東国の水引餅を作るゆえ、厨(くりや。台所のこと)をお借りできるか」と奥方に声をかけ、「すぐ戻るゆえな」と、安心させるように、弟の白い頬をその大きな手で数度撫でたあと、兄は、立ち上がった。(多趣味の兄は、自分と違い、料理もできる男だった)
河内守護は穏やかに笑いつつ、顔をさりげなく横に向けただけだったが、御舎弟は、男らしい眉をしかめ、「さぶいぼがたつわ(=大阪府の河内弁で、鳥肌がたつ、の意味)」とつぶやき、腕を手でこすった。
しばらくして、兄が戻ってきた。そして、奥方が、水引餅の入った碗がおかれた膳を、直義の前に置いた。
直義は、奥方に礼を言い、木匙に手をのばしたが、それは、兄の大きな手で奪い取られた。
兄は上機嫌に笑いながら、手にもった木匙で、碗の中の水引餅をすくい取り、直義の口元に運ぶ。
この兄は、従三位という高位になってもなにひとつ変わらぬ、と思う。
しかし、このような振る舞いは、兄の名誉のために、なるべくしたくないのだが、と思いつつも、せっかく兄が作ってくれたのだから、と、直義は、兄の笑顔に負け、ほだされてしまった。
煎り酒の味と香りを、鰹の出汁が引き立てている。
直義は、ちいさな口をあけ、兄の手から直接、がつん、とくる味わいのする真っ黒なつゆをしずかにのみくだした。
こんどは、赤子を除く楠木一家全員が、いっせいに兄弟から目をそらした。
御舎弟は、「おんどれら、自分なにさらしてけつかるか分かっとんのんけ?(=おまえたちは自分が何をしているかわかっているのか)」と抑えた声で言い、男らしい眉をますますしかめた。
河内守護は、どこか引いた顔になった。
弟の顔を、どうだった、と、兄が覗き込んでくる。
「兄上の作られた水引餅をいただくのは、我らが鎌倉を発ってから4か月ぶりでしょうか。ひさびさで、たいへん美味しくありました」と、弟はしずかにほほ笑み、兄に礼を言う。
弟に褒められ、兄はますます上機嫌になったが、一転、顔をくもらせ、「それならもっと早くおまえに作ってやればよかったな、すまぬことをした」と詫び、弟の白い頬に、その顔をすりよせた。
そんな兄弟に引きながら、「ええかげんしばくぞ(=いいかげんにしないとおれは怒るぞ)」と、御舎弟の男らしい拳が震えた。
河内守護は、こんどこそはっきりと、引いた顔になった。
そして、直義は、自分の膳に添えられた、麦の入っていない米の握り飯をすべて兄に差し出した。
(当時、米だけの飯は貴重な贅沢品でありご馳走。庶民は、一生、麦飯のみ。それより上の階級は米と麦の混ざった飯(米と麦の比率は富裕度によって変わる)、特権階級は100%米飯の時代)
兄は、奥方が作ってくださったこれもまた美味しいな、と言いながら、あっという間に握り飯をたいらげた。
行儀わるく、こどものように指先をぺろりとなめた兄を弟はやさしく叱り、いつものように、湿した手巾で、兄のおおきな手を丁寧に拭いてやった。
ふたたび、赤子を除く楠木一家全員が、いっせいに、兄弟から、顔を背けた。
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全員の食事が終わり、膳が下げられた後、奥方は、奥の間に退出した。
河内守護と兄との間で、いくさのことを含め、話が弾んでいた。
いっぽう、直義は、御舎弟と、弟どうし、無難に話をかわした。自然と、話は、赤子のことになった。
自分にも、3歳の甥(千寿王。義詮のこと)が、いま、鎌倉にいるのだ、と言った直義に「よろしければ、甥(正儀。まさのり)を抱かれるか」と御舎弟は、首のすわった赤子を差し出してきた。
直義は、赤子をその胸に抱き取った。乳くさい赤子をみると、生まれたばかりのころの甥を思い出した。
直義は、赤子にやさしくほほ笑む。
そして、赤子は、直義の直垂の胸紐をよだれだらけの口の中にいれ、しゃぶった。それを見て、あわてて赤子を引きとろうとした御舎弟を、そのまま、と直義は目で止めた。
やがて、しゃぶるのにも飽きたのか、赤子は、手をのばし、直垂の上から、直義の胸にちいさな紅葉のような手をはりつけた。
かわいらしいことだ、と思い、そのまま赤子の好きなようにさせてやろうとした直義だったが、そのとき、空気が凍り付いた。
いくさの真っ只中でもつねに微笑をくずさぬ兄が、鬼の形相に変じ、その緑の瞳にするどい殺気をまとわせ、赤子を睨みつけていた。
そんな兄を見た河内守護は、おしめが濡れたようでござるな、と、しらじらしく言い、直義の手から素早く赤子を引き取り、奥の間の奥方に預けに行ってしまった。
「このようなときは、三十六計逃げるに如(し)かず、だぞ。わが息子よ」
★もう少し続きますが、Rのお話になりますので、Rが苦手な方は、ここで「おわり。」とされますよう、お願いいたします。
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河内守護の邸を辞した後も、兄は不機嫌が続いていた。
兄の部屋で、いつものように、兄の頭を自分のひざにのせようとした直義だったが、あっという間に、兄によって、衾の上に押し倒されてしまった。
兄の大きな体躯が、弟におおいかぶさってきた。
めずらしく不機嫌な兄に困惑しつつ、弟は、兄の大きなたくましい背中に白い両手をまわし、なだめるように、何度も撫でた。
そして、兄は、弟の胸元に顔を埋め、何度も額をこすりつけてきた。
大切な存在を奪われたくない、と、むずかり、拗ねる、わがままな兄を、弟は、その胸に抱き、あやし、
「兄上、ご機嫌をなおされますように」
と、その耳元でしずかにささやきながら、そのするどい頬やこめかみに、くりかえし、くりかえし、やさしくくちづけた。
それでもなお機嫌のわるい兄に、弟は、とうとう根負けし、匙を投げ、ため息をつき、あきれて兄に告げた。
「乳くらい、いつでも、幾十度(いくそたび。いくたび、何度となく、という意味)でも、お吸いになればよろしい」
そんな弟の小袖の胸もとを兄は大きく広げ、そのまま、弟の乳の先を、その大きな厚い舌で、押しつぶしては、何度も、強く吸いあげてきた。
おわり。
★兄上は、出生地に複数の説があります。このお話では、兄上は、丹波国の生まれであると設定しています。
丹波国(=京都府)に足利の飛び地の所領、そして、京都府綾部市上杉に兄弟の曽祖父 上杉重房の荘園があったようです。
いっぽうの直義さんは、出生地が不明ですので、このお話では、東国生まれと設定しました。