死生不知
「なあ、じいちゃんは死ぬのって怖い?」
「あん?」
倭助がパチンコ屋から戻ると、孫はとっくに帰宅していた。ランドセルを枕代わりに、居間のど真ん中で寝転がっている。景品のチョコを放ってやると、悠仁は身体を起こしながら「サンキューじいちゃん!」と破顔した。
そこまではよかった。
普段なら早々に食べ始めるものを、何故か今日に限ってはチョコの箱を開けるでもなく、いつまでもこちらを見ている。倭助が訝しんでいると、小さな口が不意にそんなことを言い出した。
「なんだ藪から棒に」
「さっき、テレビで敵が『やだ、怖い、死にたくない』って泣いててさ。じいちゃんもそう思う?」
また妙なモンを観てやがんな、と頭をかく。
てっきりいつものように相撲を観戦していたものと思ったが、どうやら今日は違ったらしい。時間帯からして、時代劇かアニメだろうか。
「知るか。んなことより宿題やっとけ」
「もう終わってるし!」
「じゃあ寝ろ」
「今まだ5時!」
ぶうぶうと文句を垂れる孫の頭を軽くこづき、台所へ向かう。冷蔵庫を覗きながら、頭の中で夕飯の算段をつけていると「じいちゃんてば!」と背後から無邪気に呼びかけられた。
「なんでみんな怖がんの? こないだのテレビでも、そんな感じのこと言ってたんだけど」
「まだその話かバカ孫」
「だって変じゃん! まだ死んだこともないのに、なんで怖いって決めつけんだよ」
「あーあーうるせえうるせえ」
普段はすぐ切り替えるものを、なぜか今日はやたらと食い下がってくる。やかましさに顔をしかめながら、老爺はやや大人げない手段に出ることにした。
「じゃあオマエは死んだことあんのか。ん?」
冷蔵庫の戸を閉めながら言い放つ。
適当にいなすつもりの問いだった。「ない」と返答されることが前提の、特定の答えに誘導するための狡猾な質問だった。
「あるよ」
ゆえに、倭助は言葉に詰まる。
当然、と言わんばかりの返答に。
何故そんなことを聞かれたのかわからない、という不思議そうな顔に。
「夢でさ、兄ちゃん姉ちゃんが『特訓するぞ』って言うからやってんだけどさ。もーめちゃくちゃ強えの。何回死んだかわからんもん」
自分の中にいる『ナニカ』を、悠仁は兄姉と認識している。
彼らの話は、祖父もよく聞かされていた。
正確に言うと、祖父にしか話さないよう強く言い聞かせていた。
「手加減とか全然なくてさ。すぐ投げるし、すぐ蹴るし、すぐ『ジュツシキ』使うし……あ、思い出したらちょっとムカついてきた」
唇を尖らせて不満をもらすさまは、まるきりただの少年に見える。
その丸い頬に目玉がいくつも浮かび上がり、物言いたげに悠仁を睨め上げる光景さえなければ。
「死ぬ時の感じって、すげえ眠たい時に似てるんだ。兄ちゃんたちもそう言ってた。だから、みんながなんで怖いのか全然わからん。間違えてうまく死ねなくて、ずーっと痛くて苦しい時のが、ずーっとしんどいのにな!」
屈託のない笑みだった。
弾むような口調だった。
話の中身と、それ以外のすべてがちぐはぐだった。
痛み始めた頭に、倭助は思わず眉間を押さえて目を閉じる。瞼の裏に、義理の娘の姿が浮かんで、刹那に消えた。
倭助と息子との間に断絶を刻みつけた過去の亡霊は、いまだにこの家に影を落としている。尋常ならざる生まれの子供に、並の生き方なぞ望むべくもないのだと、嘲笑われているような気分だった。
「だからさ、」
「おい」
意味はないのかもしれない。
初めから傷んでいる土壌にどれだけ種をまいても、芽吹くことはないのかもしれない。
それでも、虎杖倭助には言わねばならぬことがあった。
「その話、外では絶対にするなよ」
「? なんで?」
「なんでもだ。オマエの『兄ちゃん姉ちゃん』の話と同じだと思え」
言葉を切り、孫の頭に手を置く。
今はまだ見下ろせる高さにあるが、昔と比べればずっと背が伸びている。この先、成長期に入れば、あっさり追い越されるはずだ。
それまでに、どれだけのことを伝えられるだろうか。
「死ぬってのはな、いざその時が来るまで一回も経験できないから怖いんだ。オマエみたいに、夢の中だろうが何遍も死んで、経験積んでる奴はいねえんだよ」
噛んで含めるような物言いだった。
頭ごなしに怒鳴りつけることがほとんどの倭助にしては、珍しい口ぶりだった。
「人間、終わるのなんざ一度きりで十分だ。何度も味わうもんじゃない。……オマエの中の『兄ちゃん姉ちゃん』にも、そう言っとけ」
子供の頬に浮かぶ目と視線を合わせる。じっと老人の方を眺めていたそれらは、数度瞬いたのち目を細め、やがて消えた。
一方の孫は、ウンウン唸りながら首を傾げている。
「どゆこと?」
「さあな。……つうかオマエ、さっきの話からするとやられっぱなしってことじゃねえか。情けねえ」
「あのね、言っとくけど兄ちゃんたちマジで強いんだからね?」
ムキになってぶすくれる顔は、まるきりただの子供のそれだった。かと思えば表情をころりと変え、興味津々と言わんばかりに目を輝かせる。
「でさ、結局じいちゃんも死ぬのって怖いん?」
「ああ怖い怖い。これでいいな、さっさと戸締まりして風呂洗ってこい」
「雑! その前にさっきのチョコ食ってからね」
「メシの前に菓子食うなっつってんだろ」
「くれたのじいちゃんなのに!?」
居間へと戻っていく足音を背で聞きながら、倭助は今度こそ夕飯の支度に取りかかる。
(手のかかる孫を残していきやがって、まったく)
内心、息子へ恨み言をぶつけながら、男はここ数年で痛み始めた腰を軽く叩いた。