死にたがりカラスとお節介魔女

死にたがりカラスとお節介魔女



 王都の外れに存在するシン・セーの森の中にある小さな家。そこに住む新米魔女のスレッタは、昨夜置いた状態から全く変わっていないパンと水を前に、小さく肩を落としました。

「今回も食べてくれなかったな……」

 遡る事3日前。スレッタは立ち寄った公園で倒れていたカラスを慌てて自宅へと連れて帰りました。家に着いてドアを開けるなり、留守番をしてくれていた使い魔の名前を呼びます。

「エアリアル!昨日作った傷薬、まだ余ってるよね?今すぐ持ってきて!」

 帰ってくるなりそう言ったスレッタにエアリアルは一瞬何事かという反応を見せましたが、すぐさま薬を取りに薬品倉庫へと向かって行きます。

 事情を聞く事よりも頼み事を優先してくれた使い魔に感謝しつつ、スレッタは毛布を用意してコートに包んでいたカラスをそっと毛布へと移します。

 そして包帯と綿を救急箱から取り出していると、薬を持ってきたエアリアルがスレッタの元へと近寄ってきました。

 お礼を言いながらそれを受け取って、スレッタは自作の傷薬を綿に浸し、カラスの体についた傷に優しく薬を塗っていきます。

 痛みからかか細い呻き声を上げたカラスにごめんね、すぐに終わるからと小声で返してスレッタは目を閉じて呪文を唱えました。

 すると薬を塗った部分が淡く光り、カラスの傷はみるみるうちに癒えていきました。ひとまず傷が癒えた事に、スレッタは安堵の息を漏らします。

「お母さんなら、あの場ですぐに元気にしてあげられてたんだけど……」

 治癒魔法はとても複雑で難易度の高い魔法です。新米魔女であるスレッタにはまだ到底扱えるものではなく、自作の薬を補助輪代わりにしてようやくそれらしい事が出来ますが、それでもやはり本来の治癒魔法に比べると効果は格段に劣ります。

 もしあの場に居合わせたのが自分ではなく母だったら……そんな後ろ向きな思考に陥りそうになった頭を慌てて振って、改めてカラスに視線を移しました。

 目立つ外傷は魔法で癒えましたが、より深刻なのは栄養失調の方です。抱き上げた時に感じた軽さと痩せ細った体を思い出し、スレッタの心はズキリと痛みます。

(──この子が目を覚ましたら、まずはご飯を食べてもらおう。確かカラスは何でも食べるはずだから、とりあえず消化しやすい物を………あれ?)

 その時スレッタは初めて、カラスの右足に何かが結ばれている事に気付きました。カラスを起こしてしまわないように気を付けながら、足に結ばれたそれをそっと外します。

 広げてみると、それは手書きのメモのようなものでした。その中に書かれていた内容にスレッタはマリンブルーの目を見開きます。

 今自分の目の前にいるカラスは、悪い魔女に呪いをかけられた人間の男の子である事。

 少年にかけられた呪いは強力で、彼を救うには王家に仕える魔女プロスペラ・マーキュリーに頼る他ない事。

 もしこのメモを見ているのがプロスペラ以外の人間であるなら、どうか少年をプロスペラの元へ送り届けてあげて欲しいという事──

 メモを読み終えたスレッタは、信じられない思いで目の前のカラスを見つめます。

(この子が……人間……?)

 呪いと魔法の違いは、幼い頃に母親から聞かされた事があります。

 曰く、魔力を使い様々なものを生み出すのが魔法であり、逆に魔力で他者から生命力等を奪い取り己の糧とするものが呪いである……と。

 つまりこのカラス──少年は、魔女に力を奪われて今この姿になっているという事なのでしょう。

「…ひどい……」

 思わず、スレッタの口からそう言葉が漏れます。メモを握る手に力が入り、僅かに皺が寄ったその時、カラスがモゾリと動きました。

「!」

 ハッとして、慌ててカラスの元へと駆け寄って顔を覗き込みます。

 瞼が小さく震え、ゆっくりと開いた瞳がスレッタの姿を捉えたのを確認してスレッタは安堵の息をつきました。そして声をかけようと口を開こうとしたその瞬間──カラスは激しく暴れ出したのです。

「きゃっ!? っ、だ、ダメです!暴れないで!」

 突然の事に驚いて思わず一歩後ずさってしまいましたが、パニック状態に陥っているのかギャアギャアと鳴いて体を振り回すカラスの体調が万全ではない事を思い出して慌てて止めようと手を伸ばします。

「──痛っ!」

「!」

 その時、暴れるカラスの鉤爪が止めようとしたスレッタの腕を掠りました。

 スレッタがあげた小さな苦悶の声でカラスは我に帰ったのか、ピタリと動きを止めて戸惑うような視線をスレッタに向けた後、全てを拒絶するかのように毛布へと潜り込んでしまいました。

「大丈夫だよエアリアル、ただのかすり傷だから…」

 心配そうに自分の周りをクルクルと飛び回るエアリアルにそう笑いかけて、スレッタは出しっぱなしにしていた救急箱から道具を取り出して自分で処置を済ませます。昔は薬を作る際によく怪我をしていたので、こういった小さな怪我の治療は慣れっこでした。

 処置を済ませたスレッタはキッチンに行って柔らかい果物を小さく刻んだものを用意すると、毛布に潜り込んでしまったカラスの前にそっと差し出しました。

「あの……ご飯、ここに置いておくので、お腹が空いたら食べてくださいね」

 そして翌日の朝スレッタがカラスの元に行くと、果物は一切口をつけていない状態で放置されていました。

 そして3日後の現在、毎日ご飯を用意してもカラスは頑なに食事を摂ろうとしていません。

 今は苦肉の策としてカラスが寝ている時にスレッタがコッソリ栄養剤を投与する事でどうにか持たせていますが、所詮は付け焼き刃でしかないためこの状態が続けばカラスの命は本格的に危なくなってしまうのは明白でした。

「せめてお話が出来れば、食べてくれない理由も分かるかも知れないけど……」

 ため息をついて独りごちていると、不意にエアリアルがくいくいとスレッタの服の袖を引っ張りました。

「エアリアル?」

 スレッタが呼びかけると、エアリアルは変わらずスレッタの服の袖を引っ張り続けます。

 こっちに来て、とでも言うようなエアリアルの仕草に、スレッタは大人しくエアリアルが引っ張る方向へと足を進めました。

 そうしてエアリアルに袖を引かれるまま連れて来られたのは、プロスペラの書斎兼スレッタの勉強部屋でした。エアリアルは沢山のあるうちの一つの本棚へと真っ直ぐ飛んで行き、とある本の背表紙を指し示しました。

 エアリアルに促されるままその本を手に取りパラパラとページを捲っていると、不意にエアリアルがストップをかけてきました。ここを読めという事でしょう。

「…言語魔法?」

 本は魔法の指南書で、ページの1番上に書かれていた文字をスレッタはそのまま声に出して読み上げました。

 言語魔法とは、別の言語を使用する生物との会話を可能にする魔法で、主に使い魔との意思疎通のために使われる事が多いようです。本には言語魔法の使い方も載っていて、新米魔女のスレッタにも問題なく扱えそうな難易度の低いものでした。

「そっか、この魔法を使えば…!エアリアル、ありがとう!」

 スレッタは指南書をギュッと抱きしめ、エアリアルにお礼を言いました。エアリアルは照れ臭そうにフヨフヨと忙しなく動き回ります。

 逸る気持ちを抑えながら、スレッタはさっそく指南書を抱えてカラスのいる部屋へと向かいました。

「失礼しまーす……」

 小声でそう言いながらそっと扉を開けると、カラスは毛布から顔を出してぼんやりと窓の外を眺めていました。朝スレッタが新しく用意したパンと水は相変わらずそのままの状態で置かれています。

 スレッタが来た事に気付いたカラスはすぐさま毛布の中に隠れようとしたため、スレッタは「待ってください!」と慌てて制止しました。

 急いで言語魔法の使い方が載ったページを開いて内容を暗記して、目を閉じて書いてあった通りの方法で魔力を練って仕上げに呪文を唱えると、スレッタの体を淡い光が包み込みました。

 光はすぐに消え、スレッタは上手くいったのかイマイチ実感が湧かないまま、それまでずっと気になっていた事をカラスに投げかけました。

「あの……あなたは、人間、なんですよね?」

「!!」

 その言葉に、カラスは弾かれたように顔を上げてスレッタを見ました。どうしてそれを、とでも言うようなその視線は、あのメモに書いてあった事が紛れもない事実であるという事の何よりの証拠でした。

「あなたの足に結ばれてたメモを見たんです。あなたが本来は人間で、悪い魔女に呪われて今の姿になってるんだって……お母さ、魔女プロスペラなら、あなたの呪いを解けるかもしれないんですよね?だったら、会うためにもまずはご飯を食べて元気にならないと──」

『…別に、君には関係ない事だよ』

「!」

 聞こえたカラスの言葉に、スレッタは目を見開きます。どうやら言語魔法は成功していたようです。

「か、関係なくないです!」

『!? 君、僕の言葉が分かるの…?』

「分かります! それよりも、私はあなたを見つけてここまで連れてきて、あなたが呪われてるって知りました!だから無関係なんかじゃないです!」

 ずいっと顔を近づけたスレッタにカラスはたじろぎますが、スレッタの言葉を聞くうちにどんどんとその表情は険しくなっていきます。

「私、あなたを助けたいんです!だから……」

『っ鬱陶しいんだよ君は!!』

「!?」

 感情が爆発したかのように激昂したカラスに、スレッタは肩を震わせます。しかしカラスはそんな事お構いなしにスレッタを睨みつけて忌々しげに言葉を続けました。

『僕を助けたい?そもそも誰が助けて欲しいなんて言った!?僕はあのまま死んだって良かったんだ!』

「っ……」

『呪われたうえに記憶も奪われて、もう自分の名前すら思い出せないんだ。大切だったはずの思い出も全部なくして、もう僕には何も残ってない……そんな空っぽのままで生きろって言うのか!?ふざけるなよ!!どうして放っておいてくれないんだ!!」

 この短期間で数多の理不尽に晒され続けたカラスの心は、ついに限界を迎えようとしていました。

 頭の隅では目の前の少女は何も悪くない事も、今自分が彼女に対して怒鳴っているのだってただの八つ当たりでしかないという事も理解していました。

 けれどこれ以上自分の人生を弄ばれたくない一心で、カラスは喉が破れそうなほどに叫びます。

『生きる理由もないのに生きていたって辛いだけじゃないか!それならいっその事──!?』

 フワリ、と。

 突然体が暖かいものに包まれ、カラスは思わず声を詰まらせます。

 そして数秒硬直した後、その温もりが目の前の少女が自分を抱きしめた事によるものだと気付き、カラスは再び暴れ出しました。

『っいきなり何を…!』

「生きる理由がないなら、私を理由にしてください!!」

『……は?』

 予想だにしていなかった言葉に、カラスは呆気に取られました。しかし体を離した際に見えたスレッタの目は真剣そのもので、澄んだマリンブルーが真っ直ぐにカラスの目を見つめます。

「あなたが空っぽだなんて事、あるわけないです!今は記憶を奪われて忘れちゃっているだけで、本当は大切なものが沢山あるはずです!だから、呪いを解いて記憶を取り戻したら、それを私に教えてください!

「もちろん、私も協力します。あなたの呪いが解けて大切な記憶を取り戻せるその日まで、全力でお手伝いします!だから……!」


 ──だからどうか、生きるのを諦めないで。

 まるで祈るように告げられたその言葉に、カラスは目を見開きます。


『…なんで、そこまで……僕と君は、ほとんど赤の他人じゃないか……』

「……正直、私にも分かりません。でも、あなたに死んでほしくないって……そう思ったんです。それは多分、この人も同じだと思います」


 そう言ってスレッタは、カラスの足に結ばれていたメモ用紙を取り出しました。

 それを見て、檻に閉じ込められた自分を見た時のベルメリアの悲しそうな顔を思い出します。

 彼女も、自分に生きていて欲しいと思ったのだろうか?だとしたら何故?

 ……生きていたら、いずれその理由が分かるのだろうか。


『…………僕は……』


 気付くと、カラスは口を開いていました。押し殺していた思いが震える声となってポロポロと零れ落ちていきます。


『…人間に、戻りたい』

「はい」

『…記憶を取り戻して、本当の名前や、母さんの事を思い出したい』

「はい。思い出しましょう、絶対に」

『……僕は、生きても良いんだろうか?』

「当たり前です!生きて、いつか本当のあなたの事を私に教えてください!」


 約束ですよ!そう言って笑うスレッタにつられるように、カラスも小さく微笑みました。


 「じゃあ早速ご飯にしましょう!何はともあれ、まずは栄養をつけて元気にならないと!ちょっと待っててくださいね!」


 スレッタはそういうと、小走りでキッチンに向かいました。

 そして数日前の時と同じメニュー…柔らかい果物を刻んだものを持って来ると、木の匙でそれを掬い、笑顔でカラスの嘴まで持っていきました。


「はい、あーん」

『え゛』


 スレッタのまさかの行動に、カラスは固まります。


『いや、そこまでしなくても自分で食べれるから……』

「駄目です!あなたもう何日もろくに飲み食いしてないんですから、絶対安静です!ほら、あーんしてください!」

『ちょ、本当に待っ……むぐっ』


 やや強引に匙を突っ込まれ、カラスは甘い果物を咀嚼します。

 ……まさかこの歳になってあーんされる羽目になるとは。悪気はないんだろうけど、無自覚な分タチが悪い。


「美味しいですか?まだまだありますからね!はい、あーん!」

『……君、意外と意地が悪いって言われた事ない?』

「え?」

『…いや、なんでもない。忘れていいよ』


 コテンと首をかしげるスレッタに脱力しながら、カラスは観念して嘴を開きました。

 

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