歌うは今ここに生ける者
王宮を目指し、思い出すのは遠い昔のやりとりだ。
「ピーカ。お前は物事が見えてねェんじゃねェ。むしろ見えすぎるんだ。拾える情報が多すぎて頭が追いついてねェんだよ」
「問題は頭の方ということか?」
「違う。まず一手目でおれを中心に考えるから躊躇が出て進めねェ。一度、おれに構わず思ったままに動いてみろ。それで見えるものもあるはずだ」
青年時代、失態を繰り返した挙句、大怪我を負った。何を責めるでもなく治療にあたるローに言われ、その通りに動いてみれば事は簡単に好転したのだ。
「お前の言った通りだった。どうも、お前に従うのが良いようだな」
報告を受けたローは普段と変わらぬ死んだ虫のような眼でピーカを見て、微かに眉を顰めた。
「違うって言ってんだろ。おれが何を言わずとも、お前には元々最善手が見えてる。だから特攻部隊を任せるんじゃねェか」
「だが」
「だが、じゃねェ。背中を気にするな。お前はお前の見えている通りに突っ込んで行けばそれでいい」
「……だが、それじゃあ」
誰がお前を守るんだ。そう言いかけ、気付いた。
もう、この男は誰かに守られる必要などないのだと。
幼く虚弱で、生きる力など欠片も無いくせに意志だけは強い子ども。そんな子どもはもう、彼の内にいない。
そうだ。
ローは守られる側の人間ではない。
本来、守護を必要としない彼がわざわざ『おれを護れ』と言った。その裏の意味を探りかけ、また気付く。
違う。違うのだ。
ローは言った。
最善手は既に見えている。
トラファルガー・ロー率いる海賊団の大幹部、ピーカ。その役割は特攻部隊の長。
特攻部隊の役目は、敵陣に突っ込んで掻き回し、命を張って大きな賭けにでること。さらに賭けに勝った上で生きて戻るようにローは求める。
ローは何だかんだ言いつつ効率を重視する男だ。付き合いが長いからと言って柵で長につけるような愚鈍さはない。ましてや、攻撃に徹することで道を拓いてきたピーカをここ一番で護りにあてるなど、今思えばおかしいではないか。
つまり、ローはピーカをわざと外へ追いやったのだ。ピーカの意識が散漫となり、動き辛くなるように。
そばにいれば止められると、踏んで。
何故ならば、ピーカには最善手が見えている。ただし、それはローにとってではなく、ピーカにとっての最善手だ。
ここにきて、互いの目的を違えると気付いたあの男は、さらりとピーカを謀り追い出したのだろう。
「嘘をつかねェなら何でも許されると思いやがって!」
思わず叫べば、剣士の斬撃が飛んできた。高台逆端から走り込んできたのであろうその表情は鬼気迫るもの。まず間違いなく腹を立てている。
だが、ピーカも腹を立てていた。
勿論、ロロノアにではない。己が主に対してだ。
そもそも長年気に入らなかったのだ。
トラファルガー・ロー程の男が世界だなんだと小さな願いに固執した挙げ句、むざむざ偽りに身を委ねることが、ずっと。
放棄した巨像に身を沈める。土煙と地響き。国土を揺らす武力の塊を再び動かし、怒りを以て巌の猛威を奮った。
背を狙うは必滅の刃。周囲に打ち立てた石の槍で防御すれば、剣は柔肌を裂くように岩を撫で斬りにし叩き落とす。
轟音を立てて沈む槍。それを踏み台に飛び回る若武者を睨み、拳を握りしめた。
身体を捻る。放つ拳の圧で周囲の建物が吹き飛んだ。当然剣士も巻き込まれ大きく後退。いくら斬撃が飛ぼうが足が速かろうが、そもそものリーチが違う。ピーカが動き出せば止められる者はいない。
向かうは変わらず王宮。追跡者の対処のためにやや離れてしまった。無駄なことをしたと反省。即座に身体を反転する。
「おい、てめェ! 何する気だ! 王宮にはお前のボスもいるんだろうが‼︎」
若武者の声が背に迫る。
彼の言う通り、確かに王宮にはローがいる。高台には他のファミリーもいた。
だが、それが何だと言うのだろう。
ローがピーカの拳で死ぬわけがない。
拳を振り下ろす。粉砕された軍の建物を掴み、岩の剛力で剣士に投擲。背後を見る必要などない。
距離があり追いつけない以上、ロロノアは斬撃を飛ばすしかない。つまり、軌跡の大元を辿れば位置は分かる。回避されようとも回避できぬ広範囲で殴ればいい。
制圧力で言えば、ピーカは他者の追随を許さない力を有しているのだ。
「待て! 逃げ回ったかと思えばてめェの船長まで巻き込んで暴れるなんざ、お前に筋ってもんはねェのか!」
「これがおれの通すべき筋だ」
またロロノアとの距離が開いた。当然だ。踏み出す一歩の大きさは桁違い、さらには揺れる大地もまた剣士の進行を妨る。
地響きを上げて進むピーカへと飛ぶ多種多様な攻撃。そのどれもが岩肌の上で弾け、霞となって消えていく。硝煙が鼻をくすぐり、制止の声が耳を打った。
それでもピーカは止まらない。止まる理由がない。
「“カントク”! いいところに!」
「“提督”なら我であるが⁉︎」
走る内に他の海賊らと合流したのか、若武者が声を上げた。
どうやら斬撃を飛ばす以外の策を練っているようだ。有象無象と切り捨てるには危険な会話だが、構わない。
本質は、ここにはないのだから。
「ピーカ様⁉︎ 何故こちらに!」
「ベビー5、またか? お前はまったく仕方のねェ!」
「えっ、違うの! この人は────」
「“石押”!」
高台中段で敵方の男に抱きつき、ベビー5が叫ぶ。
「ああ、あなた! 大丈夫⁉︎」
「そっちこそ怪我はないやい⁉︎」
またぞろ騙されているのかと技を振るったのだが、まさかのベビー5を庇う好漢でやや気勢が削がれた。
悪いことをした。百発百中で騙される女なものだから、今回もまた悪漢だと思ったのだが。
よく見ればラオGと八宝水軍の隠居老人が愚痴を言い合っている。呑気なものだ。
「ベビー5、そこにいると巻き込む。早く退け」
「その大きさじゃ何処にいても巻き込まれるわよ! やめて! 王宮には若様がいるのに!」
「ローがいるから何だ。おれの拳があれに通じるとでも思うのか」
「……え? ええ、と。どうかしら」
「そこは嘘でも通じると言え。おれはお前と同じ特攻部隊の、しかも隊長なんだぞ」
「そうよね、でも、若様にはそうね……」
「とにかく、退け。その男が好きなら共に去って離すな。お前には勿体無い男だ」
「あ、そうだったわ! 紹介するわね、私の旦那様、サイよ!」
「成程、いい面構えだ。歓迎する。ただ、お前の夫はローの眼鏡に叶う男でなければならない。今は逃げてもけじめはつけに戻れよ」
「いや妻には貰うが今じゃねェと言うか、婿みてェな言い方されてるのも気になるし、今そんな場面じゃねェだろうに抱きつくんじゃないやい!」
石の身体で上げる声は全土を震わす程の大音声。当然、王宮に高台、王城跡に、何なら港で抗戦している国民にすら届いている。声を笑う罵声とは別に朗らかな笑い声まで巻き起こっていた。
「なんだ? ベビー5ちゃん、また変な男に引っかかったのかい」
「ピーカさんも祝福してるんだから良い人なのではない?」
「結婚となりゃお祝いだ。式に合わせて服も拵えてやらにゃ」
「最近、旗屋さんがオーダーメイド服も始めたみたいよ。相談する?」
明らかに巨像の拳が届く位置の高台四段目ですらこの有様。ドレスローザは愛と情熱に傾きすぎてもはや狂気の域に達している。積極的に巻き込むつもりはないとは言え、余波は及ぶはずなのだが。
渋面で腕を伸ばせば背後から弾丸の気配。巨塊を弾丸と化して飛ばす男の腕が唸り、音を置き去りに剣士が射出される。
到底人身で繰り出す技ではない。愚かを通り越して狂気の沙汰だ。
前面も狂気、背面も狂気。そもそも、ローの行動も世の中からすれば狂気。ならば、それに付き合う己もまた、狂気を現したとて何らおかしくはないだろう。
それぐらいでないと、ローには届かないのだから。
ピーカは思わず笑う。背後へ迫る剣士の口上を掻き消すほどの大笑声。甲高い音が空を震わせた。
「ピッキャピッキャピッキャララ!」
王宮へ腕を伸ばし、戦場ごと破壊しようとするピーカへ刃が迫る。二振りの刀を旋回させ、風を巻き起こして一直線に突進してくる剣士。
「“三刀流奥義”! “一大・三千・大千・世界”‼︎」
必殺の一撃が炸裂した。
背から腹へ抜ける衝撃。巨像をも切り裂くとは侮れない。侮るつもりもないがまだだ。まだ足りない。巨像下半身側に動けば若武者を止める策は幾らでもあるが、必要を感じない。
上半身側に退避。当然、追撃が千と放たれ、巨像が解体されていく。ばらされた身体が地に落ちる前に一閃、空にある間にさらに一閃。空中で仕留めるつもりなのだと理解し、石の身体を捨て姿を現す。
「出て来たな! とんでもねェ笑い声しやがって、驚かせるんじゃねェよ!」
「驚きで口上でも飛んだか? 聞いてねェからどうでもいいが」
全身に覇気を纏い笑ってみせた。
柄を咥えた口を歪ませ、ロロノアも笑う。
「迷いは晴れたようだな、ソプラノ野郎」
「おかげさまでな。お前が迷子になってる間に走らせてもらった。確かに、走り込みもたまにはいい」
崩れゆく巨像を蹴り、宙空で対峙する二人。体躯で言えばピーカが有利だが岩を断つ剣士に並の優位性など通用しない。
まず間違いなく斬られる。どこまでダメージを抑えられるか、そこが勝負だ。
迫る三本の刀を見つめ、ピーカは覇気を強めた。頭上で両手を組み、振り下ろす。
対峙するは再び刃を旋回させ、勢いを増すロロノア。岩を蹴り付け跳躍した若武者は光の速さで剛剣を閃かせた。
「“三刀流奥義”! “三・千・世・界”‼︎」
轟音。振り下ろした拳は空振り、放たれた衝撃が遥か眼下の岩壁を撃ち抜く。
同時に吹き荒れる刃の嵐がピーカを襲った。
吹き出す血。覇気の鎧を突き抜け、斬撃が三叉の傷を創る。
兜が割れた。
赤に染まる空を見上げながら、ピーカは落ちる。
そう、これでいい。
ピーカの目的に気付いたロロノアがさらに追撃を放とうとする。だが、元より動きを定めていたピーカには届かない。
なお凄まじい剣速で放たれる斬撃に巨像の残骸を投擲し相殺。砕けた石を蹴り付け、さらに落下の速度を上げる。
否、これは落下ではない。撤退だ。
「てめェ、待て!」
待つわけがない。
特攻部隊の仕事は先制と撹乱。一番槍の戦闘員とは役割が違う。一対一の格闘は不利だ。むしろ、多勢を不利に陥れてファミリーに道を拓くことだけに専念する方が得策である。撤退までが仕事の内だ。
本来、宙空ではピーカの能力は意味をなさない。だが、今は違う。
ロロノアが斬り拓いた巨像の残骸。この全てが己の武器だ。
落下の合間に手に届く範囲の岩を手当たり次第能力で変化させた。
生み出すのは千変万化の石の礫。噛み千切る岩の顎、貫く石の槍、絡め取る巌の八つ脚、圧し潰す磐の掌。その全てを逃走へと費やす。
自身の技をも蹴り付け、下へ下へと距離を伸ばし、ピーカは空を駆けた。
飛び込む先は先程ロロノアの大技に合わせて振り下ろした拳の先、開けた大穴。ダミーの武器庫へ続く地下道上部だ。
轟音を上げ地に落ちる。自身の墜落の衝撃を利用してダミーの武器庫を破砕し、侵入者の痕跡ごと抹消。臓腑を貫く痛みに血を吐き散らしながら、ピーカはさらに能力を発動した。
石を伝い、地下へ潜る。
追撃はない。
地上の様子を窺えば、降り注ぐ巨像の残骸に逃げ惑う海賊達。一拍の後、巨塊を一掃する強烈な拳が放たれた。
ドレスローザ国王の知己、戦える性質の王が放った一撃だ。
やはり、己としては戦える王の方が好ましい。もっとも、王や国など今となってはどうでもよいことだが。
足を引き摺り進めれば、前方に見慣れた長躯。折れた刃を握り歩く男はピーカと同じように満身創痍だった。しかし、包帯やら何やら治療の痕跡も窺える。
「ディアマンテ、情けない姿だな」
「お前こそ。若造相手に油断したのか? 大体、何をすればお前がそこまでの大怪我を負うんだ」
「斬られ空から落ちただけだ。問題ない」
「あるだろ。お前が後に詰めてくれるからおれもはしゃげるってのによォ」
「いい加減に歳と役割を考えろ。狂犬でもあるまいに」
互いに鼻で嗤い合い、誹り合う。そうでもしなければ痛みと失血で膝をついてしまいそうなのだ。
一頻り笑い、ディアマンテが深い息を溢した。
「おい、ピーカ」
「なんだ」
「ローを任せていいか? あいつ、おれの話を聞きやしねェ。しかも、ガキ共が割って入ってくるもんだから面倒くさいのなんの。思わず言いたいことだけ言って置いて来ちまった」
「言われずとも。誰に命じられずとも敵本陣に突っ込んでこその特攻部隊だ」
「お前が向かってんの、味方大将の本陣だってのは突っ込んだ方がいいのか?」
「陥落すべきは他所の海賊じゃねェ。トラファルガー・ローだろう」
「まァ、そうだが。なんだなんだ、いつの間にそんな吹っ切れてやがんだよ、おい」
どことなく面白がっている様子のディアマンテを半眼で睨み付け、ピーカは顎をしゃくる。
「行け。向かう場所は分かっているな?」
「当たり前よ。十年耐えたが、もうやめだ。こんな恐ろしい国にゃいられねェ。ひと足先に脱出口へ行かしてもらう」
手を振りふらふらと進む剣士。ああは言ったが、脱出ルートの確保のために先行するつもりでいるのだろう。
去り行く長躯を見送り、ピーカは進む。
王族すら把握していない秘密通路を抜けた。城の裏庭に出れば、ローと若造二人の衝突する熱気が肌を焼く。
熱い。そして暑い。ドレスローザは国民性も暑苦しい上に、気候とて決して過ごしやすい場所ではない。不快感に眉を顰め、石の体を作り上げた。
先程の巨像よりは小規模。だが、不意を打つにはこの程度がいいだろう。
王宮の外壁から謁見室を狙い、横殴りに石像の掌を撃ちつける。けたたましい音を立てて砕け散る城上部と、呆気に取られ転がる若造二人が見えた。既に戦闘は始まっていたようで、二人とも血を流し覇気を迸らせている。
ローはと言えば崩れた玉座に掛けたまま、刀すら抜いていない。さらには足を組んで、薄紅の外套を弄んでいた。
余裕にも程がある。
流石に若者二人を憐れむ気持ちが湧き上がったものの、それはそれとして目的達成には邪魔。転がる二人を石像で摘み上げ、空へと放り投げた。
放物線を描き、飛んでいく二人。
ドフラミンゴの怒声が響く。
知ったことではない。
石像を放棄。壁と床伝いに移動して出た先には、変わらぬ姿のローがいた。
「お前も治療が必要だな」
「この程度、放置でいい」
冷えた目で呟くローを見下ろし、息を吐き出す。本人を目の前にするとやはり躊躇いが出た。
三十年物の思いを吐き出すには、それなりの覚悟が必要だ。
本当のところは、覚悟など三十年前に決めてしまっていたのだが。
「ロー。お前は世界をどう思う。何故、こんなどうでもいいものに拘うんだ」
「……どうも。壊すと決めたから、壊すだけだ」
興味が無さそうに他所を向くロー。しかし、薄紅を撫でる指は微かに震えている。身を灼く寒気がそうさせるのだろうか。
ピーカはため息を吐いた。
「世界を壊すのには付き合う。だが、お前程の強者がその程度で満足するのは気に食わねェ」
ピーカが普段表さない怒りを見せているのに気付いたのだろう。
ローが首を傾げる。
「いいか。ロー、おれ達は海賊だ。お前はその頭目だ」
「そうだが。どうした?」
「お前が命令すれば、おれは従う」
「分かってる。ありがとう」
心底不思議そうに頷くロー。
そのどこかあどけない様子の顔を睨み付けた。騙し討ちでピーカを引き離しておいていい度胸だ。
だが、これ以上はペースに乗ってやらない。何せ、ピーカには最善手が見えている。躊躇う理由などないのだ。
顔を近付け、ローを覗き込む。眠たげに瞬く瞳に微かな驚きが混じるのを確認。瞳孔が開き僅かに深くなった金色の光の中、怒りに燃える己の顔が見えた。
大きく息を吸い、声と共に積年の想いを吐き出す。
「だったら、お前の望む世界を作れ! 全部奪って、全部ものにして、全部お前の思う通りにしろ! 死んで爪痕を残すより、生きて全て飲み込んでしまえ!」
僅かに顰められた眉。表情筋が死滅していると評されるその顔は、意外にも豊かに色を変える。それを見ることが出来るのはファミリーの特権だ。
しかし、それだけではつまらない。
手を伸ばす。避けることも容易いくせに微動だにせず見上げてくるロー。見慣れた青白い顔を鷲掴みにした。さらに指で頬を圧し潰すほどに押さえ、頭の上から怒鳴りつける。
「トラファルガー・ローともあろうものが、世界を壊せた程度で気を抜いてんじゃねェ! そこから好きに生きてみせろ!」
「…………」
「分かったな⁉︎」
言葉と同時に手に力を込めた。無理矢理に顎を引かせれば首肯の形。手を離せば、ローが驚いたように目を見開く。
「ピーカ、お前」
「今、お前は生きると答えた。おれに嘘はつかねェ。そうだよな」
「……今のはねェだろう。反則だ」
「うるせェ。兄貴分の言うことを聞け」
言い捨て、一歩下がる。床に落ちた外套を拾って投げつければ、ローはどことなく不服そうに薄紅をかき抱いた。
これ以上この場に留まると文句を言われる。さらに言えば、放り投げた若造二人が戻ってくる気配もした。
「ロー。先に行って待っている」
「…………」
「返事は」
返ってくるのは無言。もしかしなくとも、嘘だなんだの約束の話など関係なく、単に臍を曲げていた。いい歳をして無視とは何とも子どもっぽい男である。
普段は何だかんだ言って折れてやるピーカだが、今回ばかりは微動だにせず返事を待った。
暫くすると、聞き取りづらいほどの小声でローが囁く。
「迎えに来てくれねェのか」
「……お前は、本当に仕様のない」
思わず脱力する。
「敵陣の真ん中でも地獄の底でも迎えに行ってやるから、おれ達を呼べ。おれ達は、お前が望むなら何でもしてやる」
「そうか。じゃあ、さっきの取り消し」
「駄目だ」
「何でもって言ったくせに嘘吐いたな」
「戯れるな、面倒くさい」
悪びれない上にデリカシーがない。最低だ。何が悲しくてこんな男を頭領に据えたのか、もう昔のことすぎて思い出せない。
だが、昔の事などどうでもいいのだ。
そう。
結局のところ、大切なのは今。生き抜くための一歩、明日を繋ぐ一手なのだから。
ローに背を向け、床に沈む。咎める声はなく、代わりに聞こえるのは青々しい小さな嵐達の声。
そして、微かな忍び笑い。
ディアマンテやピーカが何を言おうと、結局ローは好きなように事を進める。だからといって唯唯諾諾と要求を飲んでやる必要もなければ、それこそ必要があれば制止もしなければならない。
思えば、この手の役割はトレーボルが一手に請け負っていた。
あの男は今後裏切り者として糾弾されようがのらりくらりと処刑は逃れ、船を降りる気などさらさらないだろう。何せ、人一倍苦労している。
「後で労ってやるか」
当然、糾弾もするが。それはもう、酷い目に遭わせる。石の中に数日閉じ込めるあたりから始めたい。
そう思いつつ、ピーカは目的の場所へと足を進めた。
ピーカの去った後。
壊れた謁見室の扉、その向こうで待つドフラミンゴは額に青筋を立てて呟いた。
「あの野郎、おれの言いたいことも幾つか言っていきやがった……」
実は暫く前に戻っていたのだが、妙な雰囲気で入り込めなかったのだ。
しかも、ファミリーによるトラファルガーへの『謁見』はこれが初回ではない。
ピーカ以前にも、さあ戦うぞという段階になってディアマンテが乱入。トラファルガーと共に数分消えるという珍事が起こっていた。
玉座のトラファルガーが無表情のまま首を傾け、片膝を抱える。腕にはドフラミンゴお気に入りの外套。薄紅がくたびれているように見えるのは気のせいだろうか。
「悪いな、うちの者が騒がしくて」
「悪いと思ってる顔じゃねェんだよ」
「よく言われる」
「あァ⁉︎ 誰だ、そんなこと言う奴は! 落とし前はつけてんだろうな⁉︎」
「ミンゴ、お前、面倒くせェぞ……」
同行者に呆れ声で言われるが無視。大体が何度も横槍が入り気が立っているため、何を言われても腹が立つ。
ぎりぎりと奥歯を鳴らす若き海賊を見つめ、トラファルガーが左腕を持ち上げた。
「敵に情けをかけるとは、まるでヒーローじゃねェか」
能力で頭上に落とされた外套。ドフラミンゴはそれを危なげなく受け取り羽織る。サングラスの位置を直し、タイを締め直せばいつものスタイルだ。
その横でルフィもまた構えた。洗練された武術とは違う、能力と覇気を用いた奇々怪々の戦闘スタイル。唇には笑み、背には麦わら帽子が揺れる。
対するトラファルガーは玉座から立とうともせず、昏い眼は冷えたまま。しかし、その金の光が確かに己を捉えていることに背筋が震えた。
緊張と高揚。
騒ぐ鼓動を抑えつけ、目を見開く。
十三年。
十三年、この男を追い続けてきた。
胸元で揺れるコインを握りしめる。微かに薫る煙草の残り香を辿り、顔を上げた。
二人の小さな王が臨むは稀代の悪党、トラファルガー・ロー。
破壊の化身にして善悪を覆す暴風。
自身の善性をも手管とし、世界を陥落せんと欲す猛き蛇神。
重い衣擦れの音と共に、黒衣に包まれた腕が宙を彷徨う。
ともすれば、救いを求めているようにすら見える手は、しかし、禍々しい刺青で覆われていた。
凪の声が囁く。
「楽しませろよ」
そして、死を刻む指が閃いた。
(蛇足)
ファミリーパートが終わったところで、補足……というより雰囲気補完のための作業用イメソンまとめなどを作ってみました。