歌うは今ここに生ける者

歌うは今ここに生ける者


※ifDR本編風SSの続きです。長いので二分割。後半は下部のリンク先です。



 静まり返る広場の中心。

 ただ首を垂れる男がいる。

 幼い頃から共に過ごした年上の弟分。今や世界最強と謳われる怪物とも渡り合えるまでに強くなった主。その男が見せる弱さに拳が震えた。


 何故、謙る。何故、俯く。

 何故、戦わない。トラファルガー・ローともあろうものが、何故。


 何が審問だ。信じることなど出来もしない弱者共が。そう思い、苛立ちに奥歯を軋ませるピーカの横で声が上がった。


「おい、国王陛下よォ。我が主は良い子ちゃんなもんでな、そろそろおねむの時間だ。船に帰らせちゃくれねェか」


 半笑いで横槍を入れたのはディアマンテ。常は中身のない謙遜から入る男がみせたのは戦闘態勢に近い警戒だった。

 そこで初めて気付く。

 ここは一種の戦場なのだ。

 ならば遠慮は無用だ。立ち上がり、反応が遅れた主を肩に担ぎ上げる。それと同時に逃げられぬよう、ディアマンテがローの両手を掴んで能力を封じた。


「降ろせ。審問はまだ終わってねェ」

「これ以上何を答えることがある。おれ達は海賊だ。何を答え何を示そうが疑われ続けるのが関の山だろう。キリがない」

「だとしてもだ。挨拶くらい」

「駄目だ。どうしてもというならここからにしろ。分かってるとは思うが、別れの挨拶だぞ。用事は済んだ。この国に関わる必要はない。お前の望みはおれ達が叶える」


 演技か、或いは本当に本調子でないのか。ローの反論には力が入っていない。それすらも腹立たしく思い畳み掛ける。

 一瞬の沈黙の後、肩に担いだ身体から力が抜けた。承諾の意志と受け取り、ローが正面を向けるよう王に背中を向ける。

 一通りの謝罪と感謝に美辞麗句を添える主。肩上からの挨拶など不敬極まりないはずだが、絵面が妙に間抜けなためか批判の声はない。


「明朝には船を出します。もし、私共と関わったことで不利益が────」

「じゃあな。御前失礼」


 さらに言葉を継ごうとする主の口を手で塞ぎ、ディアマンテが慇懃無礼に腰を折る。反応を待たず踵を返す剣士の背にピーカも続いた。

 長躯の剣士と巨躯の闘士が歩めば自然と人垣は割れる。


「待ってくれ」


 細波のようなざわめきの中、呼び止める声があった。ドレスローザ国王だ。

 従う理由もないため歩を進める。すると、今度はローに腕を叩かれた。無視することも出来るが、まず間違いなくヒールの爪先で胸を抉られるだろう。ため息を一つ落とし、足を止める。

 主は小さな声で礼を言い、肩から飛び降りた。来た道を駆け戻るその背中を見送り鼻を鳴らす。


「全く、仕様のない」

「まァそうカッカすんな。おれ達はただの護衛なんだ。最終決定はローに従う。いつものことじゃねェか」


 笑うディアマンテは警戒を解かず、国王とその周辺を見つめていた。否、これは警戒ではない。威嚇だ。

 辺りを見れば、如何にも荒くれ者然とした海賊二名を避けるように人の波は割れたまま。これ幸いと小声で尋ねる。


「この国の兵の練度で気を張る必要があるとは思えねェ。何を警戒している」

「兵隊共はいい。問題は王だ」

「王だと? 尚更分からねェ。弱者だ」

「勿論、おれ達にとっちゃ食いでがねェ上に何の価値もねェ雑魚だ。だが、ロー、あいつにとっては」


 その時、突然、ローが振り返った。

 何を咎めるでもなく怒るでもなく、言葉すらない。二人を見つめる金の眼がただゆるりと瞬く。

 沈黙の後、肩を竦めたディアマンテが両手を挙げ、口を閉じた。その様を確認し、主は再び国王へと向き直る。


「……今のは何だ?」

「図星なんだろ」

「何がだ」


 問いかけに答えはなく、含み笑いだけが返ってきた。


「お前もごちゃごちゃ考えず素直に動きゃいいのよ。おれ達がどう考えて何をしようが、あいつは好きにやるんだから」


 したり顔で言われ、眉根を寄せる。

 確かに己はトレーボルのように悪知恵が働くわけでもなく、ディアマンテのように戦闘の勘に秀でているわけでもなく、ヴェルゴのようにローの心を悉に感じ取れるわけでもない。だからこそ、考えなしに動いてローを邪魔することだけは避けたいと思うのは間違っているのだろうか。

 そもそもだ。ディアマンテはローが『好きに』やっていると言うが、ピーカから見たローは常に苦しげである。少なくとも楽しそうではない。やりようなど幾らでもある中で不向きな方法を選んでいるのは、つまり────


「こんな国、ローには相応しくない」

「ピーカ、お前って奴は意外に……」


 思わず溢れた呟き。ディアマンテが生暖かい目で見てくるが知ったことではない。

 話がまとまったのか、深く首を垂れる主。その背中を見つめ、ピーカは呟く。


「気に入らねェ」


 後から思うに、この時、心のままに暴れていればよかったのかも知れない。或いは、即刻船を出すよう説得を試みてもよかっただろうか。

 過去のあれこれに『もし』は通用しない。それを理解した上で、ピーカは気付いている。


 何故、頼ってくれないのか。

 そう尋ねたかった自分に。


 どちらにせよ後悔は先に立たず。審問は無事に終わり、果たしてドレスローザはトラファルガー・ローを受け入れた。

 あれから十年。世界の様相は随分変わり、計画も最終段階に入ったとローは言う。だが、その先に何があるのだろうか。肝心なことを聞かぬまま、ただ共に歩んできた。

 いつの時代も変わらず、今この瞬間にだけ、そして生ける者にだけ問いただす資格がある。

 だが、その時を見極めることが出来ず、ピーカは歩み続けていた。



 斬撃を掻い潜り、石の中に潜る。

 巨像は麦わらが通過した時点で放棄。若武者と適当に打ち合った後は高台そのものを鎧として動き続けていた。目的は撹乱と状況の把握だ。

 王宮へ向かおうとする者の足下を狙い石の槍を打ち立て、ピーカは島全土へと意識を広げた。


 ローの指示が途絶えたことでファミリーは散り散りになっている。既に大方の勝敗は決しており、ある程度は予測通りの結末を迎えていた。

 意外なのはジョーラくらいか。能力を駆使し自身を囮に敵を誘導している。背後に迫るのはローの失脚を狙い侵入したサイファーポール、向かう先は海軍と革命軍が衝突する港だ。三勢力を衝突させ撹乱しようとしているのだろう。姿を隠したトレーボルがこれを援護する。


 ドレスローザ自衛軍はというと存外奮闘していた。戦況が覆されそうな箇所にはデリンジャーが飛び込んで援護。状況が好転したとみるや否や叱咤激励を飛ばし次の場所に駆けていく。

 さらに、別の場所では国王の孫娘が舞うように猛攻を回避し、避難が遅れ戦闘区域に取り残された人々の下に到達。声を上げて自衛軍を呼び、突破口を作っていた。


 そして、島全土に響くは国王の声。

 伸びやかで落ち着いたその声は避難を呼び掛け続ける。

 十年前と違うのはその目的。互いを守り、助け合い、人の在り方を証明せよと声は語るのだ。

 国民に覇気使いが増えていることは気付いていた。何せローが指導者なのだから、その程度は当たり前だ。

 しかし、それでも弱者に毛が生えた程度。侵略者を前にして『人の在り方』などとは勘違いも甚だしい。


 騒動の中心であるローはぼんやりと窓辺に腰掛けている。眠たげに瞬きを繰り返す金の瞳がふとピーカに向けられた。

 真っ直ぐにピーカを見つめ、その唇を動かす。


『どうした?』


 何でもないと身振りで伝えれば、ローは小さく首を傾げ再び町を眺め始めた。

 濃く影を落とす隈、遠くを眺める眼差し。滲み出る威圧感を除けばローは普段と変わらない。方針に変更はないのだろう。

 ならばと、王宮に抜けようとする闖入者へと石の槍を放つ。同時に背後から駆ける気配。再び大地へと身を隠せば斬撃が空を裂いた。

 ロロノア・ゾロ。船長と共に最悪の世代に名を連ねる実力は伊達ではない。しかし、斬撃を飛ばした後はこちらを見失って崖の逆端へと走っていく。距離が開くと何故か全く別の方向へと駆けていくのだ。挙動に予測が立たず誘導が面倒で仕方ない。


「ロロノア、お前は何のために戦う?」

「あァ⁉︎ そっちか!」


 またもや見当違いの方向に走り出した若武者。そのまま地下に続く道に爆走されてはジョーラ達とかち合うため、仕方なく話しかけた。


「いい加減にしろよ、てめェ! ちょこまか逃げやがって戦う気はあんのか⁉︎」

「答えろ。お前は何の為に戦う」

「ここを任せろと言ったからだ!」


 息を切らせ走りながら言い切る若武者に迷いはない。各個戦力を留めることで己が船長が動きやすいようにしているわけだ。納得する一方で、意味がないとも思う。

 ローは強い。能力の練度は最早理不尽な域。当然のように覇気も鍛え続けてきた。

 この若き武人は知っているのだろうか。トラファルガー・ローの強さを。それでもなお立ち向かおうとしているのだろうか。


「ローを知っているか?」

「あァ⁉︎  なんだって⁉︎」

「お前程の実力者なら分かるだろう。逆らうことの無益さ、お前の信じる船長の力が及ばぬことも。勝ち目はないぞ」

「勝ち筋なんざ聞いちゃいねェが、うちの船長がやるってんだ。奇跡や運任せってわけじゃねェ、決定事項なんだよ!」


 二振りの刀を交差させ突進してくる若武者。攻撃の精度はこの戦いの中においても徐々に上がっていた。一分の隙もない構えと絶対的な信頼、玉鋼の如く鍛え上げられた精神の為せる技だ。

 少し、揺さぶるべきか。

 そう考え、背後から石の顔を出す。


「おれの捕捉範囲は島全土に及ぶ。王城跡にはお前の仲間がいるな。仲間を噛み砕いてやってもいいんだぞ」

「は、でけェ面なだけあって口もでけェな。生憎とてめェにやられるような仲間はいねェんだよ」


 剣士に動揺はなく、出現させた顔に縦一閃、斬撃を喰らった。問題ない。左右に割れた石の頭の片方を放棄し、揺さぶりを続ける。


「お前の船長は何度も王宮に向かって行くが、その度に追い返されている。考えのねェ船長を持つと苦労するな」

「自己紹介ご苦労。てめェこそ迷いが見えるぞデカブツ」


 剣戟の合間、隻眼で睨め付けてくる剣士。やはり感情に揺れがない。何を言っても通らないと判断し切り上げる。


 ピーカが立ち止まり姿を現せば、剣士は隻眼を歪めてにやりと笑った。


「かくれんぼは終いか?」

「鬼が鈍間で終わりがみえないからな。息が上がってるが大事はないか? 船に帰ってもいいんだぞ」

「気遣いはありがてェが、てめェが逃げ回ってくれたおかげで身体も温まったところだ。たまにゃ陸での走り込みも悪かねェもんだな」

「強がるな。この身が陸にある限り大地はお前の敵。お前の足を噛み砕き、死角から背を貫くことも容易い」

「死角だ? そんなもん、とっくの昔に捨ててきた」


 敵として聞いても気持ちのいい啖呵だ。実際、間違いなく強者であり、言動に筋が一本通っている。

 だが、気に入らない。まずもって、ローを下せるという舐めた思想が許せない。

 若武者は無言で睥睨するピーカを見上げた。


「さっき、てめェのとこの船長を知ってるかと聞いたよな」

「そうだ。それでもなお歯向かうならば、相当の愚か者だろうからな」

「直接は知らねェ。だが、話には聞いてる。うちの船長の命の恩人、人心掌握の達人、宗教家、剣士ならぬ妖刀の使い手、世界最強と渡り合う実力者、大悪党、やたらと注射打ってくる嫌な奴」

「……最後のは何だ?」

「修行先でちょっとな。医者同士の取引が云々言ってたが忘れちまった。何にせよ、今は関係ない。おれの相手はお前だ」


 本気で記憶が曖昧なのか、武人は真顔で答えた。

 ローが麦わらを気にかけているため、その周辺人物の情報も耳に入る。修行先とはここ二年の潜伏先、大剣豪の縄張りだろう。剣豪本人とは過去ワインを卸した程度の付き合いしかない。そうなると、ロロノアと同時期に転がり込んでいた娘の線か。

 思い当たる情報に顔を顰めた。ゲッコー・モリア率いる海賊団、その船医。ローは技術を求め、彼に接触していた時期がある。求めたのは死者を扱う知識だ。尤も、ローは死者を動かそうとしたわけではなく、保存しようとしただけなのだが。


「浮かねェ顔だな」


 首を傾げた剣士を無視。再び地に潜れば怒声が響いた。当然の反応だ。しかし、今はこの剣士をこの地に留めおくことが使命。倒す必要もなければ、無理に突っ込んで不利になる方が問題である。

 辺りを見回したロロノアが再び崖の逆端へと走り始める。


 丁度いい。


 ひとまず剣士を無視し、目指すはディアマンテの去った高台四段目。

 人が密集しているため状況の読みにくいそこに顔を出した。どうやら、ローの下に向かおうという不届者はいないようだ。

 目に映る民衆の表情は穏やかで、採れたての野菜を運んでいるかのように生き生きとしている。実際運んでいるのは他人の下半身なのだが。

 唯一剣を構えたキュロスですら、ピーカを見上げる目に敵意が浮かんでいない。

 思わず呟いた。


「……おかしな奴らだ」


 ため息を吐き、問う。


「聞くが、お前達にとってこの国は何だ?」


 困惑に口を引き結んだキュロスを見下ろし、ピーカは続けた。


「外の力を借りなきゃ生き延びられねェ。覇気を身につけたところで、王も民も揃いも揃って弱者だ。生っちょろい信念を掲げて、このまま生き抜くことが出来ると本当に思っているのか?」

「当然だ」


 相当な侮辱を受けたにも関わらず、コロシアムの英雄は平然と頷く。


「リク王家とドレスローザが受け継いできた平和の真意。それは荒れたこの世界にあってこそ必ず受け継ぐべきもの」

「答えになってねェ」

「いいや。私達は信じている。平和を、人の道を守り続けるという意志。それこそがこの時代を生き抜く核だ」


 馬鹿馬鹿しい。信じ願うだけで生存できるはずもないというのに、意志こそが核だなどと。

 鼻で笑うピーカを見上げ、キュロスが続けた。


「キミの主も言っていただろう。『覇気だけが全てを凌駕する』……つまり意志こそが肝要だと。逆に、意志が揺らげば崩れるのは容易い」

「それはそう言う意味じゃねェし、さらに言えば受け売りだ」

「だが、真理だろう。私達は信じ、示すだけだ。そして、その方法はキミの主が教えてくれた。守るための意志の表し方を」

「………」

「ドレスローザを……世界をどう思うか。キミが尋ねるべき相手は私達ではない。違うか?」


 真っ直ぐに見上げてくる戦士。彼に寄り添い立つ女と目が合った。元王族の弱者はふわりと笑む。非力な女はずの女の笑みは、深く根を張る花のように強い。


「ピーカ様。知りたいことがあるならば恐れてはいけないわ。自ら動かなきゃ」


 反論すら浮かばず、ピーカは口を引き結んだ。


 ピーカとローは約束を交わしている。

 幼く貧しく、弱く愚かで、どうしようもない日々に交わした約束だ。互いに嘘をつかない。ただそれだけの、何とも滑稽な約束だ。

 だが、いつの日からだろう。ローは答えられない質問に無言を貫くようになった。それはつまり、ピーカに知られてはならないと思っていると言うことだ。

 自然、問うことも減った。答えが返ってこないことに憤ったわけではない。嘘に近しい応えに失望したわけでもない。ただ、彼を煩わせるのが嫌だった。

 否、それだけではないのだろう。

 何故なら、ピーカは躊躇った。

 ここにきて執着してきたこの国を、ドレスローザを手放す。その意味を理解しながら、問うことが出来なかったのだから。


『死ぬつもりか?』


 喉まで出かかり、声にならず消えた問い。確かに、ピーカは恐れていた。


 もし、答えが返って来なかったら。

 そう思ってしまったのだ。


 長い沈黙を経て溢れるのは小さな呟き。


「……了解した」


 微かに口元を緩めた英雄と花の笑みを浮かべるその妻。そして、助け合う民衆。

 人々から視線を外し、島全土に響く声を追った。


 声は謳う。

 ドレスローザは変わった。

 友と交わり、変わった。

 友の行いの結果を、友が変えた世界を、ドレスローザが進むこの道を、その眼にしかと示してみせるのだ。

 トラファルガー・ローに見せるのだ、と。


 大地を伝い移動し続けた先は王城跡。既にこちらを捕捉している王女と国王が並び立っていた。

 ピーカは石の塔を作り上げ、頂より二人を見下ろす。


「十年前、貴様は一度死んだ。ローが居なければ、この国は滅んでいただろう」

「ああ、その通りだ」


 躊躇なく肯定する国王と顔を強張らせた王女。武力では敵わないと知っていながら、眼は折れぬ意志を宿して光っていた。

 生者の目だ。

 そう感じてしまい、眉根を寄せる。

 眼裏に浮かぶのは金の光。濁り砕け凍えた瞳。生きながらに死んでいる、苦しげな主の姿。


「力の伴わねェ主義主張は毒だ。敵も殺せねェ上に自ら命を捨てるお前が王では、いずれ国は滅び民は死ぬ。それでも、まだ王であり続けるのか」

「私が王であることは然程重要ではない。だが、この声が民に届く内は、王として役目を果たし続けるつもりだ」


 国王が述べる姿に、彼の背後、少し離れた位置にいた国民達が頷く。深い信頼が見て取れる静かな肯定だった。

 だが、例えばどうだろう。王を、核を失えばどうなるか。

 知っておかねばならない気がして、ピーカは剣を構えた。


「人は死ねばそれで終いだ。そして、お前には逆らう力がない。おれが刀を振えば、役目を果たさずお前は死ぬ」

「やってみるか?」

「なんだと?」


 瞠目したピーカを睨み付け、王は言う。


「やってみるがいい。それでこの国が終わると思うなら大きな間違いだ。私が死に、そしてリク王家が絶えたとしても、ドレスローザは進み続ける。意志ある人の道を、直向きに」

「戯言を。王が死ねば民も死ぬ。貴様が弱いばかりに国は滅びる!」


 言葉と共に刀を振り上げる。

 国民の悲鳴を背に受けながら国王と王女は顔を上げた。

 風が呻る。


 目と鼻の先を叩き切る刃。

 ともすれば剣圧で風を殴るようなその猛威を前に、二人の王族は支え合い、変わらずそこにに立っていた。


「何故避けねェ」

「当てる気がないのくらい分かるわ」


 そうは言えど不安ではあっただろう。ピーカにその気がなくとも万が一ということはあるのだから。それでも、王女は国王の腕を強く握り、微かに震える声で言った。


「あなたは私達を試している」


 彼女は沈黙を保つピーカへと一歩踏み出し、胸の前で手を握りしめる。


「あなたはドレスローザが嫌い。でも、失うことは避けたいのね。だから、私達にこの世界、この時代を生き抜く力があるかを見極めようとしている」

「馬鹿馬鹿しい。おれ達は敵だ。敵を前にして、お前は王族として力を振るわないばかりか、民にも力を振るわせない。国諸共滅ぶつもりか」

「いいえ、私はそこまで善い人間ではないわ。そして、信じているのはあなたの善性ではない。あなたの忠誠よ」

「…………」

「ローが悲しむから。ただそれだけの理由であなたは私達が生き残るように仕向けている。あなたは武力こそが身を守る術だと思っていて、私達にもそれを望んでいるのでしょう」


 血の気が引き色の失せた王女の指は震えていた。弱者の手だ。凡ゆるものが見えたとて、何も掴めない愚か者の手だ。

 だが、この手が。

 この手がローを船から降ろしたのだ。

 黙り込んだピーカへと国王が告げる。


「私達とて友の憂慮を払いたい。だが、私達はキミ達のやり方を真似るわけにはいかないのだ。それでは、彼を止められないのだから」

「────何を言うかと思えば。お前達ではローを止められはしない。十年もかけて何も変えられなかったじゃねェか」


 自身をも無慈悲に貫く言葉を吐き捨て、ピーカは王宮を振り仰いだ。


 島全土を包むほどの強大な気配。

 先程王宮で衝突していた若造二人とは違い、ローは覇王の才を有していない。それでもなお、彼の座す王宮は異様な空気に包まれている。


 変わらない。変われない。時を止めたままの男。世界を崩す力を持ちながら全く不自由で、苦しげに歩み続ける愚者。


 ピーカはローの過去を知らない。だが、予想はついていた。

 あれは世界に弄ばれ、捨てられ、ついには忘れられたオモチャの成れの果て。埃をかぶった幼い願いに引き摺られ、辛うじて動いているだけの人形。

 胸に刺さったぜんまいは噛み合わず動かないまま、とうの昔に錆び付き朽ち果てている。


 十年。いや、三十年。

 ローは変わらなかった。ロー自身が変わることを許さなかった。


「お前達に何が出来る」


 己に何が出来ただろう。

 言葉の裏、押さえつける自問。声には身勝手な苛立ちが滲む。

 吹けば飛ぶ弱者の分際で。騙され、甚振られたくせに。愚直に、真摯に、向き合い続けようとするこの者達は、何故。


「……何故、諦めない」

「諦めないさ。彼が諦めていないのに、私達が諦めるわけにはいかない」

「何?」

「彼はいつも苦しげだった。それは、彼が諦めていないからだ。力に溺れ破壊に耽り堕ち切ってしまえば楽なものを、無意識に踏み留まろうとしている」


 同じく王宮を眺める国王の眼に恐怖はない。王女と違い、能力を持たないその眼に何が見えるというのか。

 隣にあり続けた己にすら、心の内を明かさないローの、何が。


「────お前に何が分かる。あいつの……ローの苦しみが、戦争も知らねェ平和主義者に分かるはずがねェだろう」

「確かに私は戦争を知らない。だが、平和ならば、私もローも知っている。何より、友が同じ世界で苦しんでいるのだ。共に悩み、考えるには、それだけ分かれば十分ではないかな」


 国王は静かに瞑目する。敵を前にして愚かな行為だ。そう思えど刀を振う気にはなれない。

 ローはきっと、それを望まないのだ。


「娘から聞いた。彼は破壊を望むのだと。ならば、私達は彼が破壊を望まず生きることの出来る国を目指す」

「お前達が真逆の道を選んだからと言って、ローを止められるとでも思うのか」

「真逆とは思えない。彼は本当に、ただ破壊することだけを望んでいるか? 彼のような男が、本当に? 何故だ」


 真摯な問いに答えを返せず、ピーカは再び押し黙る。

 沈黙をどう受け止めたのか、国王はさらに言葉を継いだ。


「我々は我々の方法で示し続ける。ドレスローザに出来るのは、破壊以外の方法を示すこと。世界を変える力は他にもあるのだから」


 己が掌を胸に押し当て、国王は目蓋を開く。


「手を取り助け合い、無益な争いを否定しよう。十年で無理なら百年、それでも無理ならもう百年。離れても、誰が死しても、意志を受け継ぐ者がいる限り道は続く。いつか、道が交わるまで続けてみせる」


 男が示すのは武力ではなく意志の力。内在する力が溢れ、空気を震わせた。


 平和とは本来、砂糖菓子のように脆く朧げなものだ。多くは見せかけの偽物で、ほんのわずかな本物さえも権力者の舌の上で蕩け崩れ、たちまちに消えてしまう。

 困難な道だ。どれほど強い意志と長い時間をかけても一瞬で突き崩される荊の道だ。壊すより余程苦難に満ちた道を、まさか国を挙げて進もうなどと言うのか。

 ましてや、いずれの日にか、道を違えた者をも引き摺り込もうと、そう言うのだろうか。

 睨むピーカを見上げ、国王は笑う。


「何、難しいことではない。我々は既に八百年、それを証明し続けた」

「────……愚かな」


『こんな国、ローには相応しくない』


 過去、零した言葉。

 本当はずっと考えていた。


 悪事に不向きな生来の性格。語らぬ過去。それでもなお推しはかるに容易い育ちの良さ。常に苦しげなロー。


 相応しくないのは、きっと、自分達の方なのだ。

 真に彼のことを思うならば、彼の望みを木っ端微塵に砕いて志を圧し折ってでも、彼を止めるべきだった。

 手を離して、こちら側に突き飛ばしてやらねばならなかったのだ。

 幾度も機会はあった。それなのに、共に生き延びることに夢中で、気付けば引き返せない場所まで連れて来てしまった。


 本当に愚かなのは誰だったのか。


 唇を噛む。

 目を瞑れば、眼裏に浮かぶのは急造りの寝台で眠る小さな少年の姿。

 スラムにはない価値観を持ち込み、周囲を振り回し、言い逃げた上に勝手に倒れて。ひ弱で貧相で目付きが悪く、脆弱で執念じみていて善良で、愚かでどうしようもないくせに、新しい道をみせる少年の姿。


「おれはあいつに報いたかった」


 そばにいれば、生かし続ければ、いつかはその機会が訪れると思っていた。だが一方で、最も簡単な手段は彼を元居た世界に返してやることだと気付いてもいたのだ。

 ただ、『元いた世界』を失ったからこそ、ローはピーカと出会った。帰る場所などどこにもないから共にいた。


 ローの願いは。

 本当の願いは決して叶わない。


 三十年言葉にせず堪え続け、ついに溢れた願いは熱く喉を焼く。


 そうだ。

 ピーカはローに何も望まない。

 本当はただ、己が。

 己が彼を助けたい。

 そう願っていた。


「────何故、過去形で話すの」


 糾弾の色を帯びた女の声。再び瞼を開ければ、怒りを滲ませた瞳がピーカを射る。


「ねえ、ピーカ。彼と共に歩んできたのは私達じゃない。あなた達がいたから彼は生き続けてきたの。私達に私達の道があるように、あなたにはあなたのやり方があるのでしょう」


 かつてローの手を引いた嫋やかな手。それはやはり、握れば骨ごと潰れる弱さを湛えていた。

 弱き指は、しかし、太陽を目指す花のようにしなやかに伸び、王宮を指し示す。


「あなたも、ローも、まだ生きている。今、出来ることがあるのに何故立ち止まっているの」


 王女の指す先、再び到達した若造共が暴れているのか、王宮は揺れていた。

 ローが何を考えているかは分からないが、そもそも四皇の配下の襲来を防いだ後だ。疲弊しているのは間違いなく、如何なる強者とて万が一は有り得る。


「おれを行かせていいのか?」

「麦わらや私達とあなたの役割は違うもの。逆に、あなたがここにいて何の役に立つのかしら。試しに私達と同じこと、してみる?」

「向いてねェな」

「あなた、私達のこと嫌いだものね」

「心を覗くな。虫唾が走る」

「あら嫌だ、はしたないことをしたわ。ごめんなさい? あなたの主があまり開けっぴろげなものだから、癖になってしまったのかしら」


 つんと顎を上げて皮肉を言う王女は未だ震える手を握りしめ、小さく息を吐く。


「あなたはこの手のやり方を嫌うだろうけれど、教えてあげるわ。ドレスローザの人間なら誰でも知っている、鉄面皮を引き剥がす秘伝の術よ」


 ローの真似か、首を傾げて薄らぼんやりとした笑みを浮かべつつ口許を隠した王女。腕を下ろし、本来の気丈な表情を取り戻した彼女は一歩踏み出して胸を張った。


「手を掴んだなら逃しては駄目。押して押して、押しても駄目ならやっぱり押して、最後の最後にまた押すのよ」

「バカじゃねェか」

「ええ、バカになるのがコツなの」


 にやりと笑う王女。


「あなたの主もこれに弱いわ」

「…………」


 そう言えば、当初王族にのみ弱かったローは、いつの間にかその辺の港町の老人にまでやり込められるようになっていた。

 愛と情熱の国、ドレスローザ。

 つまりはそういうことなのだ。

 国王が静かに囁く。


「健闘を祈る」

「祈りなど役に立たない」


 祈りは毒。

 神など居ない世界で、受け取り手のいないそれは腐り、いずれ地に堕ちるだけだ。

 だが、大地を我が物顔で使い倒せる己にとっては、それすらも糧に出来るのかもしれない。毒を食らわば皿まで。全て平らげるのが海賊なのだから。


 国王と王女に背を向け、進もうとして足を止める。


 己に未来を見通す目がないとして、この愚か者達が今謳い上げた意志を必ず引き継いでいくというのであれば、自ずと見えてくるものがある。

 ピーカは振り向かず、静かに告げた。


「ドレスローザ国王、リク・ドルド三世。貴様の名は歴史に残るだろう。稀代の悪党を友と呼んだ愚王として」


 息をのむ気配。

 そう言えば、と思い返す。

 ピーカが国王の名を呼んだのは、恐らくこれが初めてだった。

 主がやたらに王の名を敬称付きで呼び慕うふりを続けるものだから、覚える必要もないのに脳に染み付いてしまったのだ。


『本望だ』


 そう答える声を意図的に無視し、ピーカは地に潜る。




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