欠けた話

欠けた話


綱彌代修兵という見た目はまだ十代後半にも至らぬ少年の面影を残した男は、記憶にかなりの欠落を抱えて生きていた。四大貴族の一員として生まれ、母の膝に縋って甘えていた日々は朧気ながらに覚えている。欠落が見られるのはある朝に目を覚ました時からだ。世話係だった乳母に母が亡くなったと聞いて、葬儀に参列した記憶はなんとなく持っている。けれどその後、修兵は気がつけば流魂街にいた。不要と誰かに断じられたような、そんな苦しさが残っていたことを覚えている。

それから何年かを過ごして、何か酷く恐ろしい目に遭って、泣いていたところを誰かに助けられた。生きているなら嬉しいだろうと、笑えと言ってくれたのは銀髪に黒い着物、白羽織を重ねた誰か。どうして彼が自分にそんなことを言ったのかは覚えていない。ただその人の声と、肌に刻まれたふたつの数字だけは鮮明だった。


それからの事は殆ど曖昧である。突然知らない男達にいざなわれて立派な屋敷に連れてこられたかと思えば、やけに豪華な着物を纏った壮年の男に会わせられた。

それからずっと修兵は、綱彌代本家の屋敷で暮らしている。現当主である男は修兵に瀞霊廷で暮らす死神の映像を延々と見せ続けた。

「お前はここに映る者達の力を、いずれ全て自在に扱えるようになる」

「その為に奴等の扱う刀がどんな能力を持つのか覚えろ」

「我が一族の宝刀を扱えるだけの力もつけてもらわなくてはな」

食事と睡眠以外の時間は死神に必要とされる四つの技能訓練と、映像記録の視聴。そんな生活を何十年と続ける修兵は、屋敷の最奥と訓練用の道場以外に滅多に足を踏み入れない。庭に出ることくらいは咎められないだろうが、窓もまともにない自室から陽の光がたっぷりと入る道場に移動するだけでも頭の隅が痛む身体では外になど出たいと思えるはずがなかった。

修兵は自分を不幸と思ったことは無い。寧ろ指示を守ってさえいれば寝食の心配も命の危険に晒されることもないのだから、幸運だと思っていた。それが比較対象がいない閉鎖空間にいるが故の麻痺だとは気が付かないまま今日まで過ごしてきた。

「………、?」

ふと、耳に届いた物音。悲鳴のような、重いものが倒れたような、そんな音。


呼ぶまで自室から外に出るな。そう言い含められてはいたけれど、知らない音となれば流石の修兵も無関心ではいられない。恐る恐る立ち上がって部屋を出ると、どうやら物音は広間の方からだった。

「御祖父様―――」

すらり、と襖を開いた先から漂う、鉄臭い匂い。飛び散った血の赤色、喉から血を流して絶命している屋敷で幾度か見た事のある綱彌代の者の姿。そんな異様な光景の向こう、庭の辺りで誰かが黒装束の男を前に何かを話している。

一体、これは何なのだろう。

「時灘様!まだどなたかいらっしゃいます!」

血の匂いの蟠る室内に足を踏み入れかけた瞬間、無邪気な声が鼓膜に届いた。びくりと肩を震わせた修兵とは対照的に、庭にいた男はゆったりとした動作で振り返る。幼い子供がその男に駆け寄り、修兵を指で指し示していた。

「――………」

鋭い目が不快そうに細められ、男は嘲るように笑う。

「大叔父様はどうやら、人形遊びがお好きだったようだ」

「お人形遊びですか?それは楽しそうですね!」

「楽しくなどないさ、彦禰。悪趣味と言うべきだろうな」

「悪趣味ですか。自分はよく分かりませんが、時灘様が仰るならそうなのでしょうね!」

そうだ、と子供の頭を撫でた男は、後ずさるようにして逃げようとした修兵に近づくとその手を掴んだ。

「名前は?」

「……綱彌代、修兵………」

「私は綱彌代時灘だ。本日を持って綱彌代の当主になる」


――お前はこの先綱彌代の為にその生を使うんだ。


当主が語った言葉を思い出す。この人も綱彌代の人間だと言うなら、自分はそれに従わなければ。

それが綱彌代修兵が生まれた意味だ。それ以外意味も意義も自分にはない。


「お前は今日から私の息子だ。いいな?」

「………はい、時灘様――」


だから修兵は、躊躇うことなく手を伸ばし――返り血でほんの僅かに濡れた男の手を、そっと握った。

Report Page