『樹林にて』2/2
「ハァ……ハァ………ここまで来たら…大丈夫かな…」
ゆっくりとウタがルフィを木に背を預ける形に降ろす。
すぐに自分の羽織っていたコートのポケットから採取した薬草だけ取ってコートを地面に敷き、そこにルフィを寝かせる。
そのまま水筒の水で、なんとか血だらけのルフィの口の中を洗わせる。
「あと少し…少しだけ待っててねルフィ…」
すぐに枯れた葉と枝を集め、ナイフと石で火を起こす。
刻んだ薬草を少し離れたところに置きながら、丁度いいサイズの石を用意する。
薬草にも種類がある。一度煎じておかないといけないものと必要の薄いものだ。
後者をすり潰して出てきた汁をナイフでかき集めて、別の大きな葉に乗せる。
出来たばかりのそれを、すぐに横になっているルフィの口に運ぶ。
未だ意識の回復の兆しのない口に運べば、なんとか飲み込んでくれたのが分かる。
本当なら一息つきたいが、まだそうもいかなかった。
すぐ多少熱に当てて乾かした薬草と水筒の水を、荷物の中に布で包まれていた容器に入れる。
まだ逃亡してすぐのとき、心優しい人がくれた熱に強い容器だ。
それをすぐに火で熱する。
蒸発し、水が少なくなったところで布で濾して、道中拾って軽くゆすいでおいた瓶グラスに入れる。
それを再び、ゆっくりとルフィの口に運んでいく。
少しずつ、確かにそれが喉の奥に飲み込まれるのを確認し、ウタも膝をついた。
「……これで……どうかな…」
かつて二人でガープに習ったサバイバル戦術をフルで活かした。
特にルフィが不得手な分薬草などの知識はウタがよく把握していた。
それを存分に発揮出来たはずだ。
「…大丈夫…ルフィは回復する…きっと元気になる…」
目の前で未だ目覚めぬルフィの頬を撫でながら呪いのように呟く。
もしこれで駄目なら、などということは考えたくなかった。
まだ脈は感じる。息も続いている。
生命力の高いルフィなら、必ず無事に回復する。
そう、ウタは信じていた。
そんなウタの目の前で、再びルフィが吐血した。
「……えっ……」
言葉が出なかった。
ルフィの吐き出した血でコートが赤く染まるのも気にとまらず、
咄嗟にウタはルフィの上半身を抱きしめた。
「…!…駄目…だめ……!!」
鼓動が少しずつ、それでも確かに弱っている。
落ち着いたと思った息が、少しずつ脈とともに小さくなりつつある。
ルフィの命が、確かに終わろうとしている。
「…やだ…いやだよ…!!ルフィ…!!」
打てる手はすべて打ってしまった。
これ以上、ウタにはどうしようもない。
「待って…置いてかないで……」
ただ、抱きしめるルフィの肩で泣きじゃくることしか、今のウタには出来ない。
必死に意識のないルフィに縋るしかない。
「お願い……お願いだから………一人にしないで…」
ただひたすらに、ルフィに言葉を投げかける。
それ故、ウタは後ろに立つそれに気づくのが遅れてしまった。
「……ッ!!誰!?」
振り向いて目に入ったのは、手に持つ長い刀、黒いコート、
そして特徴的な豹柄の帽子。
「…久しいな、歌姫屋」
「…トラファルガー…!!」
"死の外科医トラファルガー・ロー"。
北の海からやってきた億越えの超新星であり、
ルフィとウタとも交戦経験のある海賊だった。
何故か、ルフィは"キャプテン・キッド"と共にむしろ気に入っていたことを思い出す。
「っ!!来ないで!!」
何故こんなところにという疑問も振り払い、ウタがルフィを抱いたまま片手でナイフを向ける。
「…あんたも金目当て…!?それとも誰かの刺客…!?」
震える体を抑えつつ、なんとかナイフを向け続ける。
恐怖に飲まれる心も、今だけは奮い立たせる。
今は自分しかいない。
自分しかルフィを守れない。
自分が、なんとかするしかない。
そんなウタを前にし、それでも怯むことなくローは進み…二人の目の前で、膝をつく。
「…何を」
「……やはりやられているな」
ルフィの表情を見てそう呟いたあと、ローがウタに向き合う。
「…そいつを少しおれに預けろ…時間がない、この場で手術する」
「……は……?」
今、なんと言ったのだろう?
手術すると、そう言ったのか?
「…っ誰が─」
「海賊が信用出来ないか?…なら、医者としてのおれを信用しろ」
後ろのシャチからバッグを受け取りつつ、ローが言葉を続ける。
「こいつは必ず助けてやる……それとも、このまま見殺しにするか?」
見殺し、その言葉に、ウタに悪寒が走る。
このままにすれば、ルフィは死ぬ。
己の中の海賊への不信感と、今にも尽きそうなルフィの命。
心の中での天秤は、あっさりと動いた。
ナイフが降ろされる。
ゆっくり、抱いていたルフィの体が降り、それをローが受け取る。
「よし…シャチ、ペンギン!!すぐ始めるぞ!!ベポはこいつの…」
そう言ってローが振り返った先で…
ウタは頭を下げていた。
手を重ね地につき、大嫌いなはずの海賊に、頭を下げて懇願した。
「…お願いします……ルフィを…ルフィを助けてください…お願いしま…」
震えながらのその言葉は、頭に乗せられた柔さと共に止まる。
涙を流すウタが顔を上げた先には、親指を立てるシロクマと、静かに力強く頷いた外科医の背中があった。
「そいつは任せたベポ…始めるぞ……"ROOM"」
〜〜
ローによる手術は、しばらく続いた。
いきなりローによってルフィの体が刻まれたときはウタも取り乱しそうになってベポに止められたものの、
その後はローによって処置されながら薬品を投与されるルフィを、
ベポによって細かい傷の手当を受けるウタもじっと見届けていた。
「…終了だ」
その言葉と共にROOMが解除され、ルフィが再びコートに寝かされる。
すかさずウタが駆け寄り、その鼓動を確かめるように胸に耳を当てた。
「………!!」
先程より、確かに鼓動が強まっている。
顔色も脈も少し、それでも確実に戻った。
確実に、ルフィは回復している。
「…フ…ウ…!!」
感情を抑えきれず、嗚咽する口を抑える。
安堵から静かにむせび泣くウタにローが歩み寄る。
「ひとまずはそれで問題ないはずだ…おい」
ウタの横に袋が置かれる。
涙を拭きながら確認すれば、新品の包帯や錠剤入りの瓶が確認できる。
「一応の栄養剤と最低限のもんだ、くれてやるよ」
「え…?」
明らかに困惑の表情を浮かべたウタに構わず続けられる。
「ひとまず解毒と、左腕の固定はした…あと2日したらギプスは外して問題ない…だが体力はまだ不完全だろうから精々無茶は控えるよう言っておけ」
「ちょ、ちょっと待って!!」
背を向けるローをウタが呼び止める。
「……なんで、助けてくれたの?」
「海賊の親切は不安か?…強いて言うなら気まぐれと悪縁と…クルーの要望だ」
そう言ったローの視線を追えば、すみませんと頭を垂れるシロクマことベポの姿がある。
「…それともう一人麦わら屋に恩があるってやつもいたが…それでいいか?」
「…うん……」
「…まだ何か言いたそうだな」
待つように立つローに、ウタが言葉を続ける。
「………ありがとう…ルフィを助けてくれて」
そう言って頭を下げるウタに、少なからずローが目を見開いた。
「…海賊嫌いの歌姫から礼を言われるとはな」
ローも対峙した身として、ウタの海賊嫌いは少なからず把握していた。
実際に憎悪の目を向けられた立場として、それなりの驚きがある。
「確かにあなたは海賊だけど……あなたがいなかったら、ルフィはきっと生きていなかった」
眠るルフィの髪をゆっくり確かめるように撫でながらウタが続ける。
「…結局、私はなんにも出来なかったから…」
悲しげに目を伏せながら言ったウタに、ローが向き直った。
「…一つ言うが歌姫屋─」
「……ん…」
ローの言葉は、かすかに発せられたそれに中断された。
二人が見る先で、ルフィの瞼が震え…やがて、目が開かれた。
「…あれ……ウタ…トラ男…?」
ゆっくりと、ルフィが上半身を起こす。
「…トラ男、なんでここに……そうだウタ、お前大丈─」
言い終えるのを待たず、ウタがルフィに飛びつくように抱く。
「良かった……ルフィ…良かった……!!」
何度流したか、ウタも忘れてしまうほど流したそれが再び溢れる。
枯れることのない涙を流すウタを、ルフィもそっと抱きしめた。
「心配かけてごめんな…ウタもトラ男もありがとう、助けてくれたんだろ?」
「…今回は彼のおかげだよ…本当にありがとう」
「………ハァ…礼なんざ不要だ…せいぜい無茶してくたばらないようにするんだな」
そう言って振り向いて歩もうとしたローが、足を止める。
「……カシナ草とミズルダケの煎じたものと…潰したブナユ草だな」
「えっ…」
容器や石の名残を見ながらそう言ったローに、ウタが反応する。
先程ウタがルフィに施したそれだった。
「…分かるの?」
「見ればな…仮の話だが、もしそれがなけりゃおれでも間に合わず死んでたか、後遺症が残っただろう」
ローの言葉に、二人が目を見開く。
「医者として言わせれば…いい判断だったな歌姫屋…せいぜいそいつにあまり心配をかけないことだ麦わら屋」
その言葉を最後に、今度こそローを始めとしたハートの海賊団は、森の奥に消えていった。
未だ夜の明けぬ森に、二人が横たわる。
「……ほらな、やっぱりウタが助けてくれたんじゃねェか」
そう言って笑うルフィに、ウタが問いかけた。
「…ほんと…?私、ちゃんと助けられてる?」
ウタの不安は抜けることはない。
元はと言えば、今回ルフィが死にかけたのも歌を庇ってだった。
いつも、元を辿ればいつもルフィを縛り付けているのが自分だという意識は、ウタから抜けきることがない。
そんなウタを元気づけるように、ルフィが右手でより強く抱き寄せる。
「…他に何があっても、ウタがいねェならおれは意味がねェ…だから、ウタが一緒にいてくれるだけで助かってんだぞ?おれ」
「……ほんと?」
「ああ!!」
どこまでも、自分の心を照らしてくれるルフィに、ウタは縋りつくように抱きつく。
「……ありがとう…ルフィ…大好き…」
そう言いながら、ウタがゆっくりと意識を落とす。
いよいよ限界だったのだろうウタを、力を緩めつつもしっかりと抱きしめながらルフィが呟いた。
「………おれも大好きだぞ、ウタ」
二人の夜は、ゆっくりと、静かに更けていった。
〜〜
「ギャアアアアアア!!!」
二人のいる島の海岸は、静けさなどなく絶叫が響き渡る。
ボロボロにやられた海賊達の船長が、ポッカリと空いた胸の穴を掻きむしるように悶える。
その目の前で、切り抜かれたように鼓動する心臓を握る"死の外科医"が見下ろしていた。
「答えろ…この毒ガスとガスマスクをどこで仕入れた?」
「クッ……」
「チッ」
舌打ちとともに、手の中の心臓が握られ、悲鳴が再び響く。
「じ、"JOKER"だ!!闇の仲買人の、あいつのとこで買ったんだ!!」
"JOKER"、その名を聞いたローの眉間にしわが寄せられる。
「…生産先はどこか、知っているか?」
「し、知らねェよ、ほんとだ!!」
「…そうか」
ローが心臓を落とす。
その反動に悶えながら、船長が手を伸ばす。
「かえ…なんでもする…返し…」
「…もうお前らに用はねェ…物資と『これ』以外はな」
その言葉とともに、ローが心臓を踏みつけた。
「ガッ──」
「……」
ポールタンク号が海底を走る。
未だ鼓動の鳴る心臓の入った袋を持ちながら、ローは物思いに耽っていた。
「しかし良かったなァベポ!!お前ファンだったんだろ?」
「ほんと、元敵なのにニュース聞いてからすごい心配してたしな!!」
「そ、そりゃそーだよ!!アイアイ!!」
「麦わら…ぜひおれも礼を言いたかった…」
賑やかな船員達を横目に、ローはもう一つの戦利品を眺める。
"CC"とロゴのついたそのガスマスクは、制作者の技量か、前半の海賊の持つものにしては確かに高性能だった。
「…やつまでの道はまだ遠い…か……」
「ん?どうしたのキャプテン?」
「次の進路決まりましたか?」
そう声をかけてくる船員達に、船長が向き直る。
「寄り道は済んだ…予定通り、海賊船を探せ…今はとにかく数を集めるぞ」
『了解!!』
舵を切る船員達を尻目に、ローが袋を箱に投げる。
箱の中には、無数に鼓動する袋達があった。
〜〜
いくつもの『目』を中心に、時代のうねりは止まりを見せず、より激しさを増していく。
最も大きな『目』となった二人は、今はただ、穏やかに朝を待っていた。