様スレ 書き逃げ6-149の続き(統合版)

様スレ 書き逃げ6-149の続き(統合版)




ピコン、とメッセージの着信音がして、スレッタは端末を手に取った。予想通りエラン・ケレスからの飲みの誘いだった。


エランと連絡先を交換した後、彼から頻繁に誘いがくるようになった。大抵夜、仕事終わりに酒を飲みに行く誘いだ。たくさんのくたびれたサラリーマン達に混ざり、居酒屋で酒を乾杯することもあれば、高級そうな店に行くこともあった。どういう流れなのかセセリアとグエルが参戦してきたこともある。みんなでその勢いのままカラオケにも行ったりもした。スレッタはあまり流行りの曲に詳しくなく、歌えるのはエアリアルの中でみた女児アニメのテーマソングぐらいだったが、非常にウケた。


エランが多忙な場合、仕事中抜けて腹ごなしするのに付き合うこともある。その場合はファストフード店やラーメン屋などで1時間ぐらい顔を合わせてさっさと解散する。スレッタの研修は夕方には終わるし、一人で晩御飯を食べるのもつまらないので、誘いはありがたかった。


エランには概ね楽しい時間を過ごさせてもらっているが、スレッタにはちょっと気になることがあった。それは食事代をエランが全部出していることだ。当たり前のようにまとめて支払いを済ませるので最初は混乱した。自分の分を払うと申し出ても無駄で、逆に面倒くさそうな顔をされたのでスレッタは困ってしまった。


セセリアにその事を相談してみたが、

「男が出したいなら出させればいいっしょ?誘ってきたの向こうなんだし〜」

と、あっさり流されてしまった。


しかしそれを聞いてスレッタは思いついた。そうか、自分がエランを誘えばいいのだ。そして自分が奢る側になれば、今までのお返しができるではないか。

スレッタは端末でネットをチェックし始めた。

今まで支払ってもらった金額を考えれば、できればお高い店がいい。ざっと検索していると懇親会で使った高級ホテルが目に入った。確かここはいくつも飲食店が入っていたはずだ。一応目を通そうとタップすると、出てきた画面にスレッタの目は釘付けになった。


柔らかく光が射す室内に、白いテーブルクロス。同じく白い三層のお皿の上に、それぞれ小さな芸術品のような、美しいお菓子が並べられている。繊細な取手のついたティーカップには澄んだ紅茶。

こんな綺麗なお茶会は見たことがなく、スレッタは胸を躍らせた。


-------つまり、アフタヌーンティーにスレッタはすっかり心を奪われてしまったのだ。



期間限定のアフタヌーンティーは2名からとなっている。スレッタはガッツポーズした。もはやエランへのお返しどころかエランを付き添いにしようとしていた。



「と、いうわけで、一緒に行ってくれませんか!?」


スレッタは居酒屋で端末画面を見せつつ、今週会うのは2回目になるエランの顔を真っ直ぐ見つめた。


「はあ?」


と、上着を脱いですっかり仕事終わりのサラリーマンになったエランは気が抜けたような声を出して端末を見た。


「アフタヌーンティー?」

「はい!甘いのお嫌いじゃなければ!」


スレッタはぐっと両手を胸の前で握る。

今まで何度も一緒に食事をしているが、こちらから誘ったのはこれが初めてである。エランはスレッタの顔を見、次に端末に視線を移した。


「あ、お付き合いいただくので、私がご馳走します!」

「ふーん…」


エランの反応が鈍い。


「来週の昼か」


その発言でエランとは仕事終わり、もしくは仕事の合間の夜にしか顔を合わせてないことに気がついた。アフタヌーンティーの開催は休日の午後だ。エランの勤務形態はよく知らないが、自分と同じく休みの日に出てくることになるのではないか。


「あの…忙しくなければ…なんですが」


スレッタの声はちょっと小さくなった。もしかしたら図々しいお願いだったかもしれない。


「そうだな…」


エランは目を瞑って考えこむ様子を見せた。しばらくの沈黙ののち、目を開ける。


「いいよ。付き合ってやるよ」

「本当ですか?ありがとうございます!」

「ただし、条件がある」

「条件?」


戸惑うスレッタの前で、エランは机に両肘をつき、組み合わせた手の甲に顎を乗せると意地の悪い笑みを浮かべた。


「食事代は俺が出す」

「え?いやでも…私から誘って」

「その代わり、服をなんとかしろ」

「へ?」


予想外の方向に話が曲がったため、スレッタは目を剥いた。


「ホテルのアフタヌーンティーに男連れで行くんだからそれなりの格好があるだろ?TPOってやつ」


今スレッタが着ているのはブラウス、黒いスーツパンツ、黒のフラットパンプスだ。パンツやブラウスの色が変わるぐらいで研修はずっとこれで受けていたし、エランと会うのもこの格好だ。それで特に問題があるとは思っていなかったのだが。


「この俺を連れ歩くんだからな。恥かかせんなよ」


エランの偉そうな表情にスレッタの顔は引き攣る。

とんでもないことになった。



♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



(まさかこんなことになるなんて…)


自分の服装がエランに恥をかかせるだなんて考えてなかったスレッタは、気落ちしながら滞在しているホテルに戻った。


アフタヌーンティーでの服装を検索するとワンピースやスカートがオススメだと書いてあった。

スレッタはあまりスカートを履いたことがない。子どもの頃はともかく、救助活動を始めてからは常に動きやすい格好をしていたし、学校もハーフパンツだ。

当然クローゼット内にワンピースやスカートはない。となると、買わなくてはならないが、スレッタは服のブランドもよく知らない。


こうなると頼りにすべきはミオリネだ。株式会社ガンダムの経営で忙しくしているにもかかわらず、ミオリネは通話にすぐに出てくれた。事情を説明するとモニターの向こうのミオリネは嫌そうな顔をした。


『恥かかせんなって?何様よあいつ』

「一体どうしたら…どこの服買ったらいいですかね…?」

『いやもう行かなくていいでしょ。断んなさいよ。なんでアレのためにわざわざ服買わなきゃなんないのよ』

「それは…でも…」


スレッタは声を小さくしながらも言い返す。

エランはもしかしたら気乗りしてなくて意地悪をしたのかもしれない。それでもスレッタの行きたいところに付き合ってくれようとしていることは変わらない。なら彼の言う通り、服装に気を使うべきなのではないか。

ミオリネはため息を一つ吐くと、ミオリネらしいぶっきらぼうな、でも優しい声で返してくれた。


『…そっちに店舗ある服のブランドでおすすめやつ、送るから。参考にして』

「ミオリネさん!ありがとうございます!」

『まあ、いいんじゃない?あんた服あんま持ってないでしょ。今後使うかもしれないし、この際買っておけば』

「そうですね、そうします!」

『エラン・ケレスに会ったら私からってことで、1発殴っといて。鳩尾を狙いなさい。えぐるように打ち込むのよ』

「ミ、ミオリネさん?いやそれはちょっと……?」


通話を終了させしばらくの後、ミオリネから端末にショップのURLが送られてきた。



♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



ショップの店員はその日、入りづらそうに入口をウロウロしている女性を見つけた。いらっしゃいませ、と笑顔を向けると、ホッとしたような観念したような表情でおずおずと店内に足を踏み入れる。


「今日はどのような服をお探しでしょうか?」

「あ、あにょですね!ホテルのアフタヌーンティーに、行けるような服が、欲しいです!」


思い切り噛んでいる。その緊張ぶりが微笑ましくてちょっと笑ってしまう。


「ホテルのアフタヌーンティーに行けるような服でございますね?どんな物をお考えですか?」

「ワンピースか、スカートで!お願いします!」

「かしこまりました」


赤毛で、身長が高くて、スタイルの良い女性だ。合いそうな服をいくつか見繕う。鏡の前に立たせて服を合わせながら店員は話しかけた。


「アフタヌーンティー行かれるんですか?お洒落にも気合いが入りますね」

「そうですね…」


緊張を解そうと喋りやすそうな話をふったのだが、女性はわかりやすく肩を落とした。話題選びに失敗したらしい。


「あまりお洒落したことがなくて。スカートも履き慣れてなくて…」

「あら、それならパンツスタイルでも良いのではないですか?持って参りますよ」

「一緒に行くのが男の人なんですけど、恥をかかせないようにって言われてて。パンツを履いてる時に言われたからスカートの方がいいのかなって」

「まあ…」


その男はやめとけ、と店員は内心思った。しかし口に出すことは当然できない。せめて世慣れてなさそうな愛らしい女性に素晴らしい1着を見繕おうと決める。


最初店員が勧めたのはフィットして体のラインがでるワンピースだった。よく似合っていたのだが、女性は気後れして首を横に振った。その後、黒のシアー素材のハイネックブラウスとライトグレーのロングスカートに決まった。少々地味だが彼女は内向的な性格をしているようだったので無理はさせられない。まあ、髪の色が華やかなのでなんとかなるだろう。


「デート頑張ってくださいね」


店外へ送りだす時、そう一声かけると、女性はひどく驚いた顔をした。




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その日、スレッタはセセリアと会っていた。

珍しくセセリアがスレッタをカフェに呼び出したのだ。仕事帰りなのかスーツ姿のセセリアは、いささか機嫌が悪そうにも見えた。大量のスイーツをテーブルに並べてフォークで突いている。


「うちのボスをアフタヌーンティーに誘ったらしいじゃん?」

「ケレスさんから聞いたんですね。ダメでしたか…?」

「別にダメじゃないけどぉ」


セセリアにしては歯切れが悪い返答だったのでスレッタは少し不安を覚えた。


「で、何着ていくの?」

「着ていく服ですか?えーっと、買いました!店員さんと選びました!」

「わざわざ買ったんだ…。まあホテル滞在だもんね、そんなに服持ってきてないか。どんなやつ?見せて」

「これ写真です」

「はぁ?地味すぎない?もっと胸とか腰とか強調する服あったっしょ」

「そんなのとても着れないですよ…」

「あと靴は?それからバッグ。アクセサリー。髪型は決めた?」

「!?」


スレッタは絶句した。世の女性は考えることが多すぎはしないだろうか。インキュベーションパーティーの時はミオリネに丸投げしていたから、何も考えなかったツケが今きた。


「…ないなら貸すわ。見繕っておくからその写真送って」

「えっ、いいんですか?助かります!」


今からそれらを用意するのはスレッタには難しい。セセリアの申し出は大変ありがたかった。


「うちのボスは女共に人気あるんだから気合い入れないとぉ、横から女に掻っ攫われるよ?どうする〜?デート中に一人だけテーブルに置いていかれたら〜?」


クスクスと意地悪く笑うセセリアのセリフにスレッタは驚く。

エランがそんなに女性に人気があるなんて思ってなかったし、考えてもいなかった。アスティカシアにいた「エランさん」はまさに絵本から出てきたような王子様の風情だった。女性に人気があるのも頷けた。

でも1番最近知り合った「エラン・ケレス」は酒を飲んでクダを巻いている印象が強いのでどうもピンとこない。


そしてもう一つ、スレッタは気になることがあった。


「こ、これってデートになるんでしょうか…」

「はい?」


セセリアは目をひん剥いた。


「そのつもりで誘ったんじゃないの?」

「違います!いつもご馳走してもらってるからこちらがご馳走しようと思って!」


結局今回もエランの奢りなわけだが、少なくとも最初はそういう動機だった。セセリアは呆れたとばかりに空を仰ぐ。


「水星ちゃんもやるもんだわと思ったのに…」

「……ケレスさんもそうだと思ってるんでしょうか?」

「さあね?しらなーい」




♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎




当日。

スレッタはウィンドーの前を通るたびチラチラとそこに映った自分の姿を確認していた。

髪はセセリアのアドバイス通りハーフアップにした。耳と首にはセセリアが「自分の趣味じゃないからいらない」とくれた、パールのアクセサリーをつけている。小さなショルダーバッグもセセリアからの貰い物だ。

靴だけは今までと同じく、黒いフラットシューズだった。



待ち合わせ場所にはすでにエランがいたので、スレッタは気合いを入れた。

エランはスーツではなく、サマーニットにジャケットといういつもよりはカジュアルな服装だった。しかし高級ホテルのカフェに入っても違和感ない程度には上品で、さすがスレッタにTPOを求めるだけはあった。


エランがこちらに気がついた。

体中に緊張が走り、思わず「気を付け」の姿勢をとる。


「おはようございます!」

「もう昼すぎてるけど?」

「ええと、その…お仕事お疲れさまです!」

「会社か」


どうにも普段の調子がでなくて顔が強張ってしまうが、とにかくこれだけは先に確認しておかなくてはならない。


「あのぉ、服はこんな感じで…問題ないですか?」


エランはスレッタの服装をチラリと見て、


「いいんじゃないの」


とだけ言った。この素っ気なさが妥協ゆえなのか満足ゆえなのかスレッタには判断がつかなかったが、とりあえず及第点なのだろうと思うことにした。


「私、ケレスさんの私服初めて見ました」

「今日はオフだから」

「やっぱりお休みの日でしたか。あの、わざわざ出てきていただいてありがとうございます」

「…別にいいけど」


すっと手を差し出されてスレッタは目を瞬かせた。


「?ええっと…?」

「ほら!エスコートされる!インキュベーションパーティーの時やったろ!?」

「あ、あぁ、そういえば…そんなことも…」


慣れないヒールを履いたせいで、パーティーで派手に転んだスレッタは、登壇台まで「エラン・ケレス」にエスコートされて向かったのだ。色々ありすぎてすっかり忘れていた。

スレッタはおずおずとエランの腕に手を添えた。デートという単語が頭をよぎる。



「しっかり持っとけよ、また転ぶぞ」

「そんな、転ばないですよ」

「パーティーでやらかしたよなぁ?会場でどこぞのホルダー様がド派手に転んでくれてさぁ」

「うっ……その節は……大変申し訳なく…」



今になって過去の失敗について詰られると思わなかった。しかしいつもの調子に緊張が緩み、スレッタはようやく笑うことができた。



♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



アフタヌーンティーは2Fのカフェで開催されている。


「わあ…!」


今回の企画はアフタヌーンティー発祥の地である地球のとある国をイメージしているらしい。それを意識した装飾が店内に施されている。その国を訪れたことがあるわけではないがどこかクラシックで懐かしい。

まるで物語の中にいるようで、スレッタは目を輝かせた。


「すごいですね!何もかもとっても綺麗です!」

「ハイハイ、良かったね」

「あっ、見てください!あんなに薔薇が!」

「ちょっと落ち着けよ…」


席はすでに満席のようだった。

身なりのよい人々が自分たちのテーブルで談笑している。ホテルの美しい庭が見える窓際の席に案内されると、やがて3段に重ねられた白いプレートがやってきた。それぞれの上には精緻に細工されたお菓子が乗っていて、見るものの目を楽しませてくれる。


美味しい、美味しい、とスレッタは飽きもせず繰り返した。エランはそんなスレッタに面倒そうにしながらも、律儀に相槌を打った。

スイーツと紅茶に舌鼓を打ちながら、会話はとりとめもなく二転三転しながら流れていった。




「ミオリネさんがケレスさんによろしくって言ってましたよ」

「あの女がそんな可愛げのあること言うわけないだろ。嘘つくなよ」

「嘘じゃないですよ!本当です。あれはそういう意味だったと思います」

「お前の善意マシマシな意訳が必要な時点で嘘と変わらないだろ」






「このアクセサリー、セセリアさんが使ってないからってくれたんです。本人は高価じゃないって言ってましたけど、そうは見えないんですが…。良かったんでしょうか…」

「ふーん、セセリア、そんな大人しいアクセサリー持ってたんだな。いいんじゃない、別に。いらないって言うからには本当にいらないんだろ。ところでセセリア、俺のこと何か言ってた?」

「いいえ?」

「ならいいわ」






「研修はどうなの」

「すごく勉強になります!この間は子どもの情操教育についてやりました。音楽が良いらしいです」

「音楽なら、俺も昔ピアノやってたよ」

「え!?」

「ミオリネほど本格的にはやってないけどね。ジェタークCEOも何かしら楽器は齧ってるだろ」

「グエルさんが…ですか?意外です」

「意外って言うなよ失礼だろ。あいつは割となんでもできるんだよ」

「ケレスさんってグエルさん好きですよね…」






一頻り笑い食べた後、スレッタは席を立った。


「ちょっとお化粧直し、してきます」


ホテルのお手洗いもまたスレッタには信じられないほど豪華だった。お金持ちというのはなぜ隅々までお金を使うのだろう、などと感嘆しながら個室に入っていると、人が複数入ってくる気配がした。声からすると若い女性で、友人同士のようだ。恐らくお喋りをしながら鏡の前で化粧直しをしているのだと思われた。


「すごい王子様みたいな人いたね!」

「あの緑っぽい金髪の人でしょ」


ケレスさんのことだ、とスレッタはすぐに気がついた。女性に人気があるというのは本当だったんだと感心した直後、


「連れの女の子、なんか田舎くさいというかお上りくさいよね」


自分に浴びせられる品評にスレッタは目を伏せた。エランが注目を浴びるなら自分もまた見られているということなのに、自覚が足りていなかった。


「あの子、ちょっと浮かれすぎ」

「男と釣り合ってないよね地味で。派手なの髪色だけ」

「あれ彼女かな?」

「ええ〜、それはないんじゃない?」

「あの男の人、このホテルで良く見るよ。派手な美人連れてさ」

「じゃあ色んな女の子連れてきてるのかもね」

「そういう男いるいる」

「お金持ち〜」


声かけてみようかな、デートしたい、などと無邪気なお喋りはやがて聞こえなくなる。それを確認し、スレッタは個室の中でふぅ、と息を吐いた。


(やっぱりダメだったかぁ)


スレッタはバカにされるのは慣れているが、今のはちょっと堪えた。頑張ったつもりだったのだが、やっぱり自分はこういう場所では浮いてしまうのだろう。エランにも申し訳ないことをしてしまった。


化粧室を出てとぼとぼと歩く。


ちょっと泣きそうだ。


自分はこんなに打たれ弱い人間だったろうか。アスティカシアにいる時は雑草のように強かったのに。

せめて自分が未だパイロットであればもっと自信を持っていられたのだろうか、と思う。

そうであればエランの持つ強い輝きにちょっとでも相応しくあれたろうか。


(身体がもっと動けばなあ)


人生の大半をかけて培った、唯一の取り柄ともいえるものを無くしたことは、こうして予想もしないところでスレッタを落ち込ませる。



(がんばろ…)



そう思ってみるが空元気すら出ない。なんだか足がとても重たい。

エランのところに笑って戻れるようになるまでと、スレッタは吹き抜けの階段横にソファを見つけ、そこに腰をかけた。







「おい、何してる」

「へっ!?」


座り込んだのはほんの少しのつもりだったのだが、思いの外長く物思いに沈んでいたらしい。


「あ…ケレスさん…」

「なんで戻って来ない。…足が痛いのか?」


そう言われて、無意識にふくらはぎをさすっていたことに気がついた。もっと足が動かなかった時スレッタは良くこうしていた。

今は別に、足が痛いわけではなかったが。


「そうですね…足が痛いかもしれません…」

「……」


曖昧な言い方にエランは黙り込んだ。

横に行儀悪く、音を立てて座る。


「戻らなくていいんですか?」

「もう会計は終わってる」


エランは少々腹を立てているようだった。足を組み、高慢に顎を上げ、視線は空を睨みつけている。その横顔の冷ややかな様子にスレッタは俯いた。


「あの、今日はすみません」

「なにが?」

「服装、地味すぎて。折角付き合ってもらったのに。恥をかかせてしまいました」

「そっち?別に…それでいいって言ったろ。気にしてる風でもなかったのに、なんで突然そんな事思ったのさ。それとも誰かに何か言われでもしたわけ?」

「いえ、そういうわけでは…ないんですが…」


エランの視線は探るように鋭い。化粧室で聞いたことは言えなくてスレッタは縮こまった。背中が自然と丸くなってしまう。エランはそんなスレッタの様子に何を思ったのか、ため息をついた。


「俺が恥をかかせるなって言ったのは言葉の綾で…大した意味はないよ。そんなに気にするとは思ってなかった。それは俺が悪かった」


しばらくの沈黙ののち、聞き逃しそうな小さな声で、それは聞こえた。


「今日の服、似合ってる。可愛いよ」

「え!?」


スレッタは驚いて、エランの顔を勢いよく見た。心臓がどきどきと脈を打っている。今のは聞き間違い?そうではない?

エランは顔を赤くして挙動不審になったスレッタから逃れるように目を逸らし、居心地悪そうに身じろぎした。


「それより、俺を置いて帰って来なかったことを反省して欲しいんだけど。なんで?俺のせい?」

「そんなことないです!よ!」


スレッタは驚いて勢い良く否定した。


「ちょっと考えごとを始めてしまったんです。足も、本当は痛いわけじゃないんです。色々自信がなくなって…ごめんなさい」


言い訳にもならない言い訳だった。エランには意味がわからないだろうし、彼の性格からして面倒臭いと思われるだろう。しかし、ぐちゃぐちゃになった今の自分の気持ちを上手く表現できそうになかった。



「……俺たちが席に着いてる時、こっちをやたらチラチラ見てくる女の集団がいてさ。まぁそっちからは死角だったから気がついてないと思うけど」


エランが語り始めた内容にハッとする。もしかしたらさっきの化粧室での女性達のことかも知れない。やはりずっと見られていたのだ。


「そいつら、お前が帰ってこないからって馴れ馴れしく声掛けてきやがった」


スレッタは息を呑んだ。セセリアの言葉が一瞬頭に浮かぶ。


「それで…あの…」

「腹が立ったから無視してさっさと会計して出てきたわ。当たり前だろ。こういうの、勘弁して欲しいね」


エランの表情は口調に反して怒ってはいなかった。かといって面倒そうな表情でもなかった。言ってみれば、まるで不貞腐れた子どものようだった。


「俺を一人にするなよな」

「ケレスさんは…優しいですね」


心に浮かんだままの言葉を告げると、エランは目を見開いた。


「いつも予想外のことばっかり言うね」

「そう思ったんです。すみません、私、きっと変なこと言いましたね」


スレッタは目の奥から熱いものが込み上げるのを感じる。彼は一人にするなと言っただけだ。しかし、傲慢にも聞こえるその言葉は、今スレッタが欲しいものだった。


「……まあ、俺にも優しいところはあるのさ。でも誰にでも優しいわけじゃない。自慢に思えよ?」


そして背筋を伸ばせ、とでも言うように背中を軽く叩かれた。そのいささか乱暴な気安さには確かに優しさが込められていて、スレッタは涙を浮かべながらも微笑んだのだった。



♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎




スレッタの涙が乾くまで2人は言葉もなく時間を過ごした。それは奇妙に居心地の良い時間だったが、やがて時計を見たエランによって破られた。


「やばい、もうこんな時間かよ。ここ出るぞ」

「えっ、もしかしてこれからお仕事ですか?」

「いや今日は休みなんだけど、取引先に鉢合わせると都合が悪いんだよ」


エランはバツが悪そうに左右を見渡している。


その様子にふと気がつく。

もしや今日のためにエランはスケジュールを調整したのではないだろうか?セセリアが不機嫌そうだったのはもしやそのせいだったのかもしれない。

スレッタは胸が一杯になった。

今日は彼にとても優しくしてもらった。

もっとお話したい。もっと知りたい。そんな気持ちが湧き上がってくる。


「あの、この後ですけど。行きたいところ、ありますか!もしあれば私付き合います」


進めば2つだ。スレッタは両手を胸の前で組んで、萎みそうになる声を振り絞った。


「今日は、デデデ、デート…ですからぁ…!」

「へー、そうだったのか?気が付かなかったなぁ。お前はそのつもりだったのかぁ」

「はうっ」


エランもそう思っていたのでは、という予想は淡くも消え去った。とてつもなく恥ずかしい。

彼は底意地の悪そうな笑顔を満面に浮かべて、真っ赤になったスレッタの顔を覗き込んだ。


「まあそこまでそう言うならデートってことにしてやるよ、感謝しな」

「あ、ありがとうございます!!」


スレッタは雨が上がった後の青空のような、今日1番の笑顔を浮かべた。

エランはその笑顔を見て、彼にしては珍しく優しい微笑みをかえすと、優雅に一礼する。



「では、お手をどうぞ?」



王子様のように差し出された手の平。

スレッタは自分の手をそっと重ね合わせた。



(おわり)




以下あとがき












・エラン様のキャラエミュは「ミオリネや御三家は外交的に振る舞えるけど立場的に警戒心が強いので信頼できるお気に入りで周囲を固めがち」という妄想に基づく


・エラン様に恋愛をさせると「エラン様は告らせたい」を始める


・エラン様はスレッタが自分の私服姿を褒めてくれなかったからちょっとムっとした


・セセリアはカフェで領収書を切りました







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