楽しみと喜び後編
「おはようございますヤマトさん!」
「ふぁ〜…おはようウタ!今日も元気そうだね。」
エレジアでの朝ウタは洗面所で顔を洗っていたヤマトに挨拶をしヤマトは眠そうな顔で返事をした。
あれから数日が経った。ヤマトは船の修理をしつつ一宿一飯の恩義と称して空いている時間に城の掃除や農作業や家畜の世話など二人の手伝いをしていた。
ゴードンは素性が知れない彼女を内心警戒していたが人生で初めてできた同性の友人とも言うべきヤマトに好印象のウタは反対にどんどん彼女と仲を深めていった。
昨夜も日課となってる子守唄代わりの歌を自分の膝の上に頭を乗せたヤマトに聞かせていた。たまたま窓辺で夜空を見つつかつての幼馴染と過ごしたフーシャ村のことを懐かしんで歌っていたのをヤマトに見られたのがきっかけだった。彼女はウタの歌をとても気に入り「最近寝つきが悪くてね。子守唄を誰かに歌ってほしいと思ってたんだ。」と彼女を自分の部屋に呼び歌を歌うようお願いしてきた。他人に自分の歌を望まれ聞かせることができることにウタは心から喜んだ。ベッドの上で膝枕をすることになったのは恥ずかしかったが能力を使わず純粋に自分の歌で穏やかに眠りにつくヤマトを愛おしく感じ思わずその頬と髪を撫でてしまった。今では日課のようになって毎日この時が来るのを楽しみにしてるほどだ。
「今日は確か牛たちの世話だったな。」
「はい。ただ嵐があったのが心配ですが…」
ウタは2日前から続いた嵐を心配していた。今はおさまったが牛たちに影響がなければいいが…
「あのヤマトさん…船の修理はどんな感じですか?」
ウタは恐る恐る聞いた。
「んー?軽く修理できるところはほとんどやったけど肝心なところはまだこれからってところだね。次の定期便の時に頼んでた部品届くだろうからそれまでは出来ることはないかな?」
すぐに直ることはないと知って不謹慎ながらウタはほっと胸を撫で下ろした。どんなに必死に呼びかけても振り返ることなく自分を捨てた父と家族たち…ウタには今でもトラウマだ。もし彼女がこの島を出る時私の心は耐え切れるだろうか…
作業用のつなぎに着替えた二人は牛たちを放牧している草原にやってきた。作業の準備をしてる中ウタは長年見てきた牛たちに何か違和感を感じていた。突然準備をしていたヤマトの動きが止まる。
「どうしたんですかヤマ「静かに…」ムグッ⁉︎」
ヤマトに質問を遮られながらもウタはその言葉に従った。この辺りのどこかでか細い悲鳴のような声が聞こえた気がした。
「こっちだ。」
ヤマトは崖になってる場を指差し二人は崖下に向かった。
モォ…モォ〜…
そこには嵐のせいで崖から転落したのであろう一頭の子牛が弱々しく暴れてか細い悲鳴をあげていた。
「…ッ⁉︎大変!大丈夫…今手当を…!」
子牛の手当てをしようと駆け寄ろうとしたウタをヤマトが止める。
「無駄だよ完全に足の骨が折れてる。助けようがない。」
「そんな…」
子牛の足は骨が突き出ており素人目でも二度と歩けない怪我なのは明白だった。無理に助けたとしてもこの子は二度と立ち上がることすらできないそっちの方が可哀想だと言うヤマトに違和感を感じた。
「あの、ヤマトさん…この子をどうする気なの…?」
「ん?決まってるじゃん。殺すんだよ?」
あっけからんと答えたヤマトにウタは思考が一瞬停止し愕然とした。
「このままだと弱って死んじゃって肉もダメになるからね。まだ元気なうちにシメて処理しないと食べられなくなるよ?家畜なんだから僕達の腹を満たす食材になった方がこの子も幸せさ。」
そんな自分を無視するようにヤマトは話を続ける。
そんな…他に方法があるはずじゃ…でも…
ヤマトが提示したこと以外答えが出ない問題にグルグルと思考していたウタを放置してヤマトは手頃な石を手に持った。
「ヤマトさんそれは…⁉︎」
「ん?まずシメなきゃいけないからね。ああ、ここは僕がやるから君は他の牛の世話を…」
あっけからんと答えるヤマトにウタはパニックになりかける。
「待って⁉︎その…ヤマトさんにそんなことをさせるわけには…」
慌てて言ったウタの言葉を聞きヤマトは何かを思いついた顔をした。
「ああ!それなら…『君がやるかい』?」
そう言ってヤマトはウタにその人の頭ほどの大きさの石を手渡した。
「…え?」
石の重さを感じながらそう言われたウタは何が何だか分からなかった。
確かにゲストであるヤマトにそんなことをさせるわけにはいかない…だが、自分が他の生き物の命を奪うことができるのか…?そんなこと許されるのか…?
自分をじっと見据える子牛の目を見ながら立ち尽くしているとヤマトが後ろから優しく抱きしめ耳元で囁いてきた。
「ウタ…これは『救済』なんだ。」
「え?」
その言葉にウタは驚く。
「この子はもう助からない。こうしてる間も死に向かって無意味に苦しみ続ける。それなら君の手でその命を奪うことが最善のはずだ。」そう言いながら石を持った彼女の手に自分の手を添えて石を頭上に持ち上げさせる。
「あ…ああ…」
「この世界はね奪う側になるか奪われる側になるかなんだ…なら…奪う側になって奪われる側を救ってあげるんだよ…」
他人が冷静に聞くと無茶苦茶な論法かもしれないヤマトの囁きは彼女に心を許しこの状況に追い詰められたウタには毒のように心を蝕んだ。そしてそれを抗う術を学べなかった彼女に抵抗する術などあろうはずがなかった。
「あああああああああッ!」
彼女は10年に渡って抑圧された感情を爆発させるように叫びながら石を持った手を
振り下ろした。
「もういいよ。」
気がつくとヤマトが自分の腕を掴んでいた。
自分の手を見ると血まみれの石を掴んでいてその血がべったりと自分の手についていた。子牛の頭は血まみれで微動だにしなかった。
「あ…アアア…⁉︎」
自分の顔が汚れることを気にせずその手でウタは顔を覆い泣いた。
そんな彼女をヤマトは抱きしめる。
「おめでとうウタ。君は生まれ変わったんだ。」
ヤマトの囁きにウタは自分が変わってしまったことをそして引き返せない場に足を踏み入れてしまったことを感じた。
「さぁ、後の処理は僕がやっておくよ!遅くなるから君は近くの湖で血を洗ってゴードンさんに『僕が』処理したと伝えといてくれ!今夜は僕がご馳走を作ってあげるから楽しみにしててね!」
そう言ってヤマトは汚れを落とすように促した。
放心状態のウタはそのまま湖に向かった。湖面に移る血がついた自分の手を…自分の顔をみて涙を流しながら…
口角が上がるのを抑えられなかった。
その日の夜ヤマトが作ったすき焼きという料理はとてもおいしかった。
ヤマトに止めるように言ったが生卵を絡めると美味いんだ!とウタの話を聞かず生卵を溶いて食べたヤマトは次の朝トイレの住人となった。
終