森へ行こう

森へ行こう


視線を針にしたならばきっと私はきっとハリネズミになっていただろう。族長へ新年の挨拶をとひっきりなしの来訪者に恭しく挨拶をしながらハリネズミになった自分を想像して少し笑った。来訪者の品定めや粗探しの目に囲まれながらうちはの族長の貞淑な妻を演じる。時折、憐憫の目で見られるのはこれが兄達のような愛ある結婚ではないからだろう。うちはと千手とその繋がりを強化する為の打算塗れの結婚なのだから。幸い、演じるのは幼い頃から慣れていた。宗家の娘だ、外行きの顔は心得ていた。父の望む聞き分けのいい娘、千手宗家の淑やかな姫。望まれれば演じてきた。今まで通りに望まれることを望まれるままに演じるまでだった。


朝は来訪者の相手をし、昼時は南賀ノ神社へ初詣へ行きその足で兄達の家へ向かった。初日の出を拝んでからの半日、隣の仏頂面をした夫が笑ったのは兄夫婦と新年の挨拶をした時だけだった。政略結婚と言えど縁あって夫婦になったのだからこの男の望む妻だって演じてやるつもりだった。男にとって自分はたった一人残った弟の仇だ。恨みも辛みも私が死なない程度なら受け止めるつもりだった。けれど男は私に何もしない。顔を合わせたくないと言うなら必要最低限顔を合わせないようにするし寝室だって分けていいと言った。形だけの結婚で構わないと言ったのに男は普通の妻として私を扱う。それが少し心苦しかった。


ようやく一段落して家へ帰って来た時には夕時だった。さて、これからどうしようか。お節があるから夕飯の支度はいらない。であれば千手の森の御神木参りに行こうか?と時計を見る。飛雷神を使っても帰ってくるのは夜になるだろう。そんな時間帯だった。千手の森の御神木参りに行くのは明日にしようと思った。千手の集落には御神木がある。これは昔カグヤという姫が争いを納めた際にチャクラの実を食べた神樹から株分けされたものだと言う。千手を護ってきた木だから大切にしなさいと亡き母によく言われたものだった。生まれてからずっと新年の挨拶は欠かさずしてきたが今日ばかりは致し方ないだろう。心の中で御神木に頭を下げていると


「千手の森に行かなくていいのか」


と声をかけられた。森へ入る為の一式を携えながら夫は佇んでいた。どうしてそれを知っている?兄者から聞いていたのか?思考を張り巡らせる。いつも冴えている頭も突然の事でどう返事をしたものか迷っている。新年早々、私なんかに付き合ってわざわざ森の奥になんて行かなくてもいいのに。


「お前は知らないかもしれないが結構道が険しいぞ」

「知ってる。修行にもなるし別に苦じゃない」

「何も無いぞ。あそこは捨てた集落だ。御神木しかない」

「娯楽になるようなものは無くても絶景なんだろう?柱間の奴が御神木から見下ろす森は絶景だと言っていた」

「今から行ったら夜になるかも」

「その時は野宿でもするか。お前、星見るの好きなんだろ?」

「今日一日挨拶回りで疲れているはずだ。何も今日じゃなくても……」

「俺の一族のしきたりに付き合わせたんだから今度は俺がお前に合わせなきゃ対等じゃないだろう。お前の産土神に新年の挨拶に行く事の何が悪い」


ぐぅのねも出ないというのはこういうことかもしれない。私なんかに付き合わなくていいのに。そう思うのに一緒に行こうと言ってくれるのが酷く嬉しい。嬉しいのに天邪鬼なこの口はそれを思うままに表せない。


「別に一人で行けるしお前は着いて来なくてもいい。お前は休んでいろ」

「どこの世界に妻を一人で冬の森に行かせる夫がいる」


何言ってるんだこいつはと酷く呆れた顔をされた。どうしよう。こんな気持ちになったのは初めてでどんな顔をしたらいいのか分からない。望まれるままになんでも演じて見せると思ってたのにどんな顔をしたらいいか分からなくなるなんて。頬が心なしか熱い。


「そんなに渋るのは、お前が疲れてるせいか?なら無理にとは言わんが」

「…行く。準備するから少し待っててくれ」


熱くなった頬を見られたくなくておざなりな返事だけ残して私は支度へ向かった。

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