染まる、染まらぬ。
16:55※ifローが裸にされる表現あり
※軽度の異物食、カニバ表現あり
※ヘルメスのインターバル期間、渡航条件、外見などに独自設定あり
Top Note. 王の居室
ドフラミンゴのベッドに投げ出された、一糸まとわぬローの肢体。月明りだけが照らすその肌を、ドフラミンゴは頭から爪先まで丁寧になぞった。目で、糸で、掌で。何度も何度も執拗に辿り、夥しい傷をひとつひとつ検める。
己以外がローにつけた傷が、ただのひとつもないことを確かめるために。
それはいつしか始まった日課だった。
ローは使用人の手で風呂に入れられ、珀鉛製の車椅子でドフラミンゴの私室に運ばれる。ドフラミンゴの手ずからベッドに乗せられ、服を奪われ、晒した肌を舐めるように暴かれる。車椅子のクッションの痕や、うっかり爪が当たった赤みのひとつでも見つかれば、仕置きと称して凄惨な虐待を受けた。
湯が染みた生傷の痛みと、ぬるついたドフラミンゴの視線がローの気力を奪っていく。この時間、ドフラミンゴは熱心に傷を見ているため、目をそらすローに激昂することはない。それを唯一の幸いとし、ローは常にぐったりと目を閉じていた。
ドフラミンゴの指先が、ローの右足の甲をつうっとなぞる。虐待に歪んだローの指をひとつひとつ摘まんで確かめて、離れる。その手が再び触れてくることはなかった。
……今夜のローの体から、虐待の口実を拾う気はないらしい。
が。
「……ロ、」
吐息だけで笑い、傷口からローの顔へと目をやったドフラミンゴは、ふと息をのむ。
冷たい満月の光に照らされ、苦しげに目を閉じるロー。冴え冴えとしたその姿が、あまりにも侵しがたく見えたからだ。
ローの体はドフラミンゴの与えた傷で覆われており、無事な肌を探す方が難しい。表情ひとつとっても、ドフラミンゴへの怯えと諦念が張り付いていた。だというのに。横たわるローから、芯の通った気配が消えていない。
どれだけ汚しても、どれだけ苛んでも、おまえの色には染まらない。おまえには損なわれない。
そう突きつけられたようだった。
「────ッ!」
ドフラミンゴの気配が急速に冷える。また殴られるとローは身を縮めたが、部屋に響いたのは殴打の音ではなく、シュッと小さな霧が吹く音だった。
「……っ、あ……?」
一瞬、首のあたりがひんやりとする。次いで立ちのぼってきたのは、趣味の悪い、むせかえるような甘苦い香り。考えなくてもわかる、ドフラミンゴがまとう香水だ。何を、と息をつめるローの肌に、強い香りがもうひと吹きされる。自分の体からドフラミンゴの香りがするおぞましさに、ローはひゅっと喉を鳴らして凍り付いた。
愕然と見上げるローの瞳に、ドフラミンゴは返事をしない。ローをシーツに押し付け、乱暴な手つきで布団を被せた。ローの感じるドフラミンゴの香りが強くなる。
「今日はここで寝ろ。これから毎日つける匂いくらい覚えとけ」
そのまま糸で縛り付け、ドフラミンゴはベッドから立ち上がる。その横顔を見て、ローはさっと青ざめた。ドフラミンゴがこの顔をした次の朝、決まってローを世話する者が入れ替わる。
「待っ、ドフラミンゴ!! まてッ!!」
叫び疲れた喉で必死に言っても、ドフラミンゴが止まることなどない。珀鉛の車椅子が蹴り壊され、孤城の王が部屋を出ていく。ほどなく聞こえてきた悲鳴を、耳を塞ぐことすらできずにローは聞いた。
また一人死んだ。
おれのせいで。おれがあいつの機嫌を損ねたせいで。
唇を噛もうとして、許可なく傷を増やしたせいで死んだメイドを思い出す。噛み締めたシーツに唾液が染みていく。洗いあげられた頬を涙が伝っていく。
ドフラミンゴのベッドの上。魂まで染めるようにドフラミンゴの香りで包まれ、ローはガタガタと身を震わせた。
Middle Note. ポーラータング号
「────ッッ!!」
ベポとの昼寝のあと、軽くシャワーを浴びた昼下がり。潜水艦の廊下を歩いていたローは、ふと香った「あの匂い」に凍り付いた。本懐を遂げた自分がいる世界に来て2ヶ月。回復しかけていた気持ちが、一瞬で鳥籠の中へ戻っていく。
ちがう。あの香りがしたわけじゃない。この船にあんな重たい香水をつける者はいない。あいつはここにいない。記憶がよみがえっただけだ。廊下で倒れたらまた心配をかける。ちがう。ちがう。頭ではわかっている。わかっている。
なのに、なのに。なのに!!
がくがくと体が震え、膝から力が抜ける。心のやわい場所をぞろりと撫でるピンクの羽根が、怖くて怖くてたまらない。
立て直しようもなく傾いた体を、もふもふした腕に支えられた。は、と呼吸が止まる。
「……べ、ぽ」
お日様の香りと、ほんの少し獣の気配がする毛皮の匂い。さっきまでそばにいた白クマが「大丈夫?」と優しく笑っていた。錯乱しかけていたことは見てわかるだろうに、努めていつもと変わりなく。ぽんぽんと肩を叩く肉球に、ガチガチの体から力が抜けていく。ドフラミンゴの香りに包まれたあの時とは違う。別人ではあれど、愛したクルーの大好きな匂いに、泣きそうなほど安心した。すんすんとベポが鼻を鳴らし、ご機嫌に笑う。
「ローさん、石鹸の匂いがするね!」
屈託のない物言いに心がほどけていく。意識して呼吸をしても、もうあの匂いを感じることはなかった。ローはベポの毛を流れに逆らってつつき、最近やっと思い出した笑みを浮かべた。ここに、ローを傷付けようとする者はいない。
「……そうか。他の香りはするか? ベポ」
「ローさんの匂いがするよ! あったかくて優しくて、キャプテンともちょっと違うんだー」
「へえ。そいつは興味深いな」
そんなことを話しながら、ローはベポと連れ立ち甲板へ歩いていく。快晴の光が降り注ぐそこには、ヘルメスを携えたこちらのローが待っているはずだった。
「なんだ、機嫌いいじゃねえか」
「おかげさまでな。……ヘルメスは?」
「直った。使えるのはロボ屋の予想通り2回だ」
ローが手にするヘルメスは、アンティークの懐中時計のような姿をしていた。時計なら12個の数字が刻まれている部分に、様々な形の宝石が嵌まっている。使うたび色を失うらしい石たちの中で、輝きを保つのはわずかにふたつ。このヘルメスが行える世界の渡航は、あと2回。
それは、ローたちが一度も失敗できないことを示していた。ドフラミンゴに連れ戻される形でローが戻り、それを追いかける渡航で1回。そこからドフラミンゴを討ち、こちらの世界へ帰るのに1回。どちらの移動も、間違いなく成功させなければならない。
「心配すんな」
ぐ、と握りしめられたローの拳を、こちらの世界のローの声がほどいた。確信した物言いに怪訝な顔をするローの胸を、とん、と指差す。
「お前をまっすぐ目指せば必ず着く」
ローの目とハートを、まっすぐ見据えた不敵な笑み。ギラリと笑う一船の長を見て、ローはふと気がついた。
目を合わせなければ拷問された。涙と血反吐に汚れた顔を執拗に覗き込まれた。何度も何度も、見上げさせられた。
それでも。ドフラミンゴの目が、まっすぐ自分を見たことはなかった。
そう気づいたとき、すとん、とローを縛る恐怖の糸がほどけた。だからいまだに自分を見つけられないのだろうか、あの男は。
シャンブルズと呟き、パーカーの紐とアクセサリーを入れ替えた。当初のローに埋まっていたボディピアスには、ドフラミンゴの爪で作られた宝石が光っている。
ぐっと握りしめ、思いっきり振りかぶる。
「────くたばれクソ野郎!!!!!!」
腹の底から叫んだ。渾身の力で投げられたそれは、見えないほど遠くまで飛んで行く。その軌跡をギッと睨みつけ、ローは大きく息をした。
「……てめえは誰にも染まっちゃいねえよ」
その様子に清々しい笑みをこぼし、独り言のそぶりでこちらの世界のローが呟く。きっと記憶を垣間見たのだろう言葉に、ローは素直に頷けた。
胸いっぱいに息を吸い込む。もう痛まない体に入っていくのは、慣れ親しんだ海の匂い。
これを再び勝ち取るため、もうすぐローは戦うのだ。
Last Note. ある港町
「────クソッッ!!」
田舎ではあるが、住民の活気でそれなりに賑わう港町。
人気のない路地裏で、ドフラミンゴは髪をぐしゃぐしゃにして吠えた。思い切り投げつけた香水瓶が破裂し、甘苦い香りが立ちのぼる。薄汚れた壁に背を預け、ドフラミンゴは苛々と頭を振った。
ヘルメスの連続使用に必要なインターバルは、3ヶ月。ドフラミンゴが行った渡航は7回。1年と9か月もの間、7つの世界で探し回っても、逃げたローの影も形も掴めない。そして今日、4本目の香水が空になった。
ロー。
ロー。
ロー。
おれの小鳥。おれの玩具。おれの家族。
────おれの、唯一の。
いまだ染みついたおれの香りをまとうだろうあいつは、いったいどこに隠れているのか。
おれが死んでいる世界を望む「はずだ」。
おれが存在しない世界を願ったに「決まっている」。
ドフラミンゴがそう決めつけて飛んだ世界に、ことごとくあの子供はいなかった。
「……っどこにいやがる、ローッッ!!」
怒りに任せて壁に穴をあけ、小指に嵌めていた指輪をむしり取る。乱暴に口へ放り込み、ばきりと嚙み砕いた。がちがちと噛み合わせた歯の間で、ローの右腕の骨がすりつぶされていく。
ごくん、と飲み下した。
「はあっ、はッ、ハア……!!」
ドフラミンゴはぎりりとヘルメスを握りしめ、天を仰いだ額に当てた。
己に挑みかかるローの顔を、己に怯えるローの顔を。はっきりと思い浮かべようとする。だがいつの記憶を思い出しても、真正面から見た顔を描くことはできなかった。
ドフラミンゴが死んでいる世界。
ドフラミンゴが生まれなかった世界。
珀鉛病がなかった世界。
フレバンスが滅ばなかった世界。
8度目の渡航。もうローが望む「はず」の世界など、何ひとつ思いつかない。
ドフラミンゴはこのときようやく、ただトラファルガー・ローを見つめて「あいつがいる世界へ」と願った。妄執に染まった男の手の中、12個あった宝石の輝きを、またひとつ減らしてヘルメスが起動する。
ポーラータング号を揺らす波音と、港町に響く潮騒が重なり合う。
決着は、もうすぐそこだ。
END
●2023/1/12 追記
スレッド動画化等に伴う無断転載への措置として、
同じ小説を23-01-12 13:26:59にぷらいべったーで非公開投稿いたしました。
上記以外のものは無断転載です。
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