柊梢:話し手;後輩A
「リズムがずれている。音をよく聞け」
「そこ、軸がぶれた。体の中心を常に意識しろ」
「指の先まで気を緩めるな。一挙手一投足に注目されていると思え」
「重心の位置、そのままだと筋を傷める」
「背筋を伸ばせ。お前が演じるのは老人か?」
「顔が戻っている。踊りも演技のうちだ。笑顔を崩すな」
稽古場に容赦ない指摘が飛び交う。無理やり稽古を頼んだ身で言うのもなんだけれど、ここまで付き合ってくれるとは思わなかった。付いて回る人はいたけど、いつだって一人でいるような人だから。
「集中しろ。意識のぶれは体に直結する」
即座に注意されて意識を戻す。今は稽古に集中しないと……!
「はー……、はー……」
「つ、つかれた……」
「ぜぇ……ぜぇ……」
稽古が終わって、全員床に倒れこむ。私も例外ではなかった。あ、ひんやりしていて気持ちがいい……。少したって、なんとか起きて壁によりかかる。ごくごくと呷った500㎖のペットボトルは、一瞬で半分以下まで減ってしまった。
「神薙咲良」
「はっ、はい⁈」
急に話しかけられて柊先輩に、驚いてひっくり返った声で返事をする。いったい何なんだろう……?
「なぜ、お前は『娘』を演じようとしない?」
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。心の奥底を見透かされた気がして、冷たい汗がたらりと背中を伝うのがわかる。『娘』とは、私が次に演じる相手だ。ずっと少年を演じてきたから、ここにきて女の子を演じることに迷いがあった。それ以外にも理由があるのか、なぜかうまく演じられなくて迷惑をかけていたんだけど、その理由がわからなかった。
けど、言われた言葉もわからない。私が『娘』を演じようとしていない……? うまく演じられなくて悩んでいるのに?
「『少年』が染みついている。以前のものを引きずっているな。なぜ直そうとしない?」
「お前が『娘』を拒絶している。主役がそれでは舞台は回らない」
琥珀の瞳が私を見やる。直そうとしている、とは言えなかった。答えられない私にしびれをきらしたように先輩が言った。
「立て。一曲踊るぞ」
「お前を女にしてやる」
恐怖はそれなり以上にあったけれど、この人に任せれば演じられるようになるのか? 理由がわかるのか? という誘惑に抗えなかった。稽古を終えたばかり、といっても一曲踊るくらいの体力は残っていたこともきっと関係していた。
立ち上がって手をとる。バニラの香りを知った。
「それでいい。……すべて、委ねろ。何一つ取りこぼすな」
リードに従って踊る。考えるよりも先に体が動く。どう動けばいいのかわかる。滝のような熱量を全身で受け止めた。腰にまわされた手はあくまで添えるだけ。下腹が擦れる。密着する。バニラの香りが、濃い。身長差が大きいのだと実感する。
曲が終わって手が離されても、ぼうっとしたまま動けなかった。くらくらする。今までとはまったく違う動き、魅せ方に頭が追いつかない。声が、遠い。
「おや、珍しいね梢。君が後輩に稽古つけるなんて。気に入ったかい?」
「……別に。自滅するのは面白くないだけです」
「新羅先輩、俺は才能を投げ棄てる真似は嫌いです」
「わかっているよ。君の目が確かなこともね。……さ、帰った帰った! 君の後輩が待ち望んでいるだろう?」
「俺は今日は休みですが」
低い声が遠くなって、聞こえなくなった。礼を言っていない、と気が付いたのは翌日のことだ。休みだからと無理やり頼み込んで了承してもらったのに。