東風と氷解

東風と氷解


・捏造オンリー

・プロ軸?



・暗澹(カイザー視点)

カイザーと潔世一の間には約束はない。ただ、視界の合う者同士で言葉が足らずとも理解が楽だという合理的な理由から、この関係は始まった。

関係とは言うが、特に何かをするわけではない。ただ、練習後や試合後にサッカーの話をするだけだ。始まりは、脳をフル回転している潔世一がブツブツと漏らす呟きにカイザーが一言だけ反応したことだ。

「お前の雑魚フィジカルでは理解できないだろうが、ここの動きは…」

言いかけて、はて、と考えた。自分は、誰に何をしようとしているのかと。一瞬、視界が目から遠のく。

「カイザー、ここの動きは?」

しかし、潔世一の声が直ぐにカイザーを現実に戻した。やっぱりやめた、こんなことも分からいのかと言おうとして、カイザーの口に出たのは別の言葉だった。

「動きは---」

「へえ」

潔世一の声は、カイザーの耳には感心したようにも、平坦なようにも聞こえた。カイザーの言葉に思考しているのか現実を見ていない潔世一から今のうちに離れようとして、逆に存在を意識していたせいかその言葉を耳が拾ってしまった。

「やっぱ天才だなお前」

それは、カイザーが今まで聞いたどのような賞賛よりも淡々としていてまるで今日の天気を語るようだった。だから、カイザーは一瞬、潔世一に何を言われたのかが分からなかった。語彙力のない、判を押したように安易なフレーズで、カイザーにとっては聞きなれた言葉だった。だが、潔世一のそれは、しかして誰とも違う音階で、カイザーの体に響いた。

「そんな自明の理も分からないのか?幼児からやり直したらどうだ?」

「うるせーよ」

全くいつもの調子に戻った潔世一に、やはり先ほどのは聞き間違いなんだなと自分を納得させた。

潔世一は練習の後に思考を整理するのは皆が知る所だった。いろんな選手が、思考する彼に声を掛けたり、アドバイスをしたりしているのをカイザーは良く耳にしていた。カイザーは自分自身がその中に混ざるとは思わなかったし、混ざる気もなかった。

だが、その後も潔世一が思考を整理しているとき、彼が1人である時だけ、カイザーは気付けば声を掛けていた。他の選手やネスみたいにアドバイスに礼を述べられるときもあるが、そんな反応よりも、潔世一が目の前のカイザーを意識していない時に述べられる自身への評価が、淡々と、まるで浮かぶ雲の形を思いつくままに己が言葉で表現するような、声がよく耳に残るようになった。

 

 

 

・凍晴(潔世一視点)

潔世一とカイザーの間には約束はない。ただ、視界の合う者同士で言葉が足らずとも理解が楽だという合理的な理由から、この関係は始まった。

何だかんだで一言余計だが、カイザーは普通に天才だと潔世一は確信している。彼の思考は合理的だし、評価も適格だ。潔世一にとってはカイザーの余計な嫌味を流してでも聞く価値があった。

だから、思考を整理するときに潔世一はカイザー以外の人がいない時間や場所を意図して作るようになった。カイザーは潔世一以外が近くにいるときは絶対にあの静かな声を掛けてこないと分かっているからだ。

潔世一は指摘したことはないが、この時のカイザーの眼には何の感情も浮かんでおらず、されど濁りはない。そして、潔世一がカイザーの評価や思考を聞いて考えをまとめている間にちょっかいを出されたことはなく、満足するまで思考が纏められるので居心地が良かった。

合理的で、無駄がない。

潔世一にとってミヒャエル・カイザーは天才で、美しい選手だ。

自然と2人が交わる時間は増えた。しかし、依然として2人の間に約束はなく、この不思議で奇妙な不規則が続いていた。

「やっぱスゲーな、カイザーのシュート!」

不思議で奇妙で居心地は悪くない関係が始まってから暫くして、試合の後に興奮のままにカイザーのシュートを褒めた。

(…ん?)

「ええ、そうでしょうとも!やっと世一にも---」

ネスのカイザーへの賞賛がいつものように木霊するが、潔世一が奇妙に感じたのはそこではない。いつもと違うのは、カイザーの意識が潔世一へと向いていたからだ。似たような意識が向けられるときは何時だって、潔世一がカイザーの意見を聞いて思考をまとめているときだけだったのに。

(…気のせいか?)

それは霧散するのも一瞬だったから、潔世一はこの時は気のせいだと結論付けた。しかし、この日を境に、潔世一がカイザーを賞賛する言葉を出したときに、カイザーからあの意識が向けられるようになった。そして、それはゆっくりしたペースで、やはり不規則だったが、増えていくようになった。それに伴って潔世一も、カイザーのプレーを褒めるときは、具体的な箇所を述べるようになり、少しずつ喋る時間が増えた。

 

 

 

・荒涼(カイザー視点)

カイザーが潔世一の思考の整理以外の賞賛を、受けいれるようになるのは、存外早かった。今までもあった、試合後の興奮などで時折潔世一の口から出るカイザーへの賞賛が、ある日すとんと引っかかったのだ。

それは、カイザーにとって衝撃だった。

今までだって潔世一の賞賛も、誰からの賞賛も、ちゃんと耳にしてきたのに、何故か潔世一の賞賛が、耳に残った。

(耳障りな声だからだ)

カイザーは最初、それを耳障りだと断じた。しかし、その後も潔世一の賞賛が自分のプレーを称える声が、耳に残るようになった。カイザーにとっては不本意だが、潔世一の声は響くものの、慣れてしまえば耳障りだと思うこともなかった。

その日も、潔世一はブツブツとタブレットを見て呟いていた。カイザーは、何時ものように声を掛けていて、ふと、気になった。

「お前はこれをどう思う?」

潔世一は一瞬、ポカンとした表情をした。それはそうだろう、カイザーが今までに潔世一に意見を求めたことはなかった。カイザーが潔世一に会話を誘うような言葉を掛けたこと自体、初めてだったかもしれない。

「俺は---」

「そうか」

自分から声を掛けた手前、潔世一の言葉を制止することは出来なかった。カイザーの返答が意見を聞くだけ聞いての、そうかの一言で合っても、潔世一は破顔した。春がこぼれるような顔で、一瞬、カイザーは呆然とした。

不思議そうに自分を見る潔世一にカイザーは何でもないと首を振り、言葉少なにその場を辞した。カイザーは自分の心臓が早鐘を撃つのを聞いた。それは、カイザーにとっては嫌な感覚ではないことが、不思議だった。

この日を境に、カイザーは潔世一の思考を聞くようになった。実際に、頭の回転が速く、カイザーとは諸々異なる点から出される潔世一の思考は、一考の価値があった。今までよりも潔世一の思考を聞く分、2人の時間が増えた。だが、それは不思議と無駄な時間だとは思わなかった。

何をそんなに楽しいのか、潔世一は自分の思考を述べ終わった後は破顔することが多い。元々笑顔が多い奴だが、カイザーの前で溢す笑みは、他の奴らとは違うことは何となくだが理解している。それが、どうしようもなく温かいことに、カイザーは気付いていた。

 

 

 

・待春(潔世一視点)

潔世一の思考を初めて問うた時のカイザーの顔は、眼が張っており、少し呼吸音が低かった。だが、カイザーが気付いていないようだったので潔世一は努めてそれを顔にも声にも出さず、自分の思考を全てはっきりと口にした。

自分の思考を口にし終わった時のカイザーの顔は元に戻っていて、安心と初めて思考を聞かれたという高揚感から、破顔した。此の時の自分を見たカイザーが呆然としていたので、嫌だったのかなと思ったが、何でもないという風に首を振るので気にすることはやめた。

これを機に、カイザーが潔世一の思考を聞くようになりだした。思考を聞くだけ聞いて、意見が返されることは稀にしかなかったが、思考を述べている間の潔世一のみを意識しているカイザーの事を潔世一は気に入っていた。後、何故かカイザーは喋り終わった後の潔世一の顔を見ていることが多い。そんな変な顔をしているのだろうかとも思うが、カイザーの反応的にはどうにもそうではないらしいことしかわからなかった。

何時ものように自分の思考を述べ終わり、達成感と共に切り上げようとすると、カイザーが何か言いたげにこちらを意識していた。どうしたんだろうとカイザーの行動を待っていると、恐る恐る、カイザーが口を開いた。

「俺は此処の部分を---と思っているが、お前の意見はどうだ?」

そこにいたのは、傲岸不遜の皇帝様ではなかった。まるで、自分の意見を述べるの恐れるような、何処か震えた声だった。だが、それよりも、嬉しかった。カイザーが、思考を求めてくるだけで、意見を交わそうとしなかったカイザーが俺に意見を聞いて来たことが。自分でもはっきりと分かるほど、声に喜びが乗っているのを自覚した。

「すげえな、やっぱり天才だなカイザー。俺はここをさ---」

カイザーの雰囲気が落ち着いたのが分かったが、指摘せずに自分の意見を述べる。意見を求めることの何を恐れているのかは知らないが、どんな意見だって、どんなに人と違ったって、その人が正直に感じたことを、考えたことを否定する権利は誰にもない。人はどんなに努力したって自分以外の誰にも成れないし、自分自身ですら理解しきれることはないのだから相手を完璧に理解しよう何て烏滸がましい。だからと言って、それは最初から理解を放棄するのとはまた異なる。互いの理解できない所さえわかればよいのだ。

カイザーの意見はやっぱり自分のためになって、面白い。ついつい、カイザーの意見の詳細を聞くようになり、時間が伸びていく。カイザーも嫌でないのか、答えてくれることが多い。時々意見がぶつかることもあるが、何処の部分の解釈が違うのか、出力が違うがプロセスは何か、ぶつかった相違は何を生むのかを考えるのも楽しいというと、呆れたようにサッカー馬鹿めと言いつつも、口元は小さくはにかんでいた。その後は、今まで以上に遠慮なく意見を述べてくるようになったし、俺の意見も聞いてくるようになった。

 

 

 

・余寒(ミヒャエル・カイザー)

オフシーズンに入り、街を歩いていると、聞きなれた声が響いた。カイザーがその声の方に反応して振り向くと、やはり潔世一がいた。

(日本に帰ったんじゃなかったのか)

確かに予定も何も聞いていないが、帰る家があるのだから帰るのが普通なのではと思う。楽しそうに買い物している潔世一は、ほのかに光を纏って浮き上がっているように見えて、眼を反らした。

「あ、カイザー」

しかし、間が悪いのか潔世一の方から声を掛けられてしまい、カイザーは仕方なく背けた顔を元に戻し、息を呑んだ。こちら側に向かって歩いてくる潔世一の顔はサッカーを語り合うときと同じで、何も気取ったところがない。

「なあ、カイザーってここらの店によく来るのか?これ凄い美味い!」

「ああ。まあな。その店のブルストは絶品だぞ。あっちのも美味い」

「マジで?!」

時間があるなら一緒に歩こうぜと誘われて、断ろうと思っていたのに、実際にカイザーの口から出たのは了承の返事だった。

目の前にあるすべてが珍しいのか、子供のように目を輝かせながらアレは何だこれはどうだとカイザーに話しかける潔世一は周囲から見たらローティーンに見えているのか微笑まし気に見守られている。

「この店のリンゴパイ美味い!」

「そんなに食べたら豚になるぞお前」

「その分走るから!」

「シーズン開けが楽しみだな」

潔世一がアレが好きだこれが好きだ日光が気持ちいいとあまりにも無邪気で楽しそうだから、カイザーも釣られたのだ。

「この風は気持ちいいな」

「この料理は美味い」

「あの犬は人懐っこそうだ」

久しぶりに、カイザーは景色を見たと感じた。いつも視界を通り過ぎるだけの映像が、急に質量を持って五感に満ちていく。互いの感性を交わす会話は穏やかに奏でられる。

(つかれた)

いつもと同じ場所を歩いているのに、凄く情報量が多い。隣の奴のせいだと思うも、存外、心地よく気分は晴れている。

「お前は何時もここを通るのか?」

「んー、散歩コースかな。此処の他にもいくつかあるんだ」

「そうか」

 「カイザーも良く通るのか?」

 「ああ」

 それは嘘でもなかったが真実でもなかった。

 

 

・空音(潔世一)

散歩コースで出会ってから、潔世一とカイザーと度々出会うようになった。潔世一にとって純粋で混じり気のないカイザーの気配は分かりやすいので、声を掛けるのを諦められる前に先に見つけたことにして声を掛けている。

潔世一が話してて分かったのは、カイザーは存外静かな空気を好むという事だ。バカ騒ぎの話題よりも、天気や空気の音や匂い、街を歩く人、青々と茂る緑の草や花など、穏やかな会話がつらつらと続いていく。潔世一はそれが楽しいし、カイザーも嫌がっていないので、こういった日常の会話の感性や相性は良いのだろう。

最近はカイザーの方から潔世一に話を振ることも多くなった。アレは綺麗だ、これは面白い、これは美味しいなど、様々な発見を共有する。素直なカイザーは分かりやすくて、何か発見した時は潔世一に一番に意識を向けてくるので反応しやすい。気に入ったものを手に取ってみるときは集中しているし、あんまり気に入らなくてもそっとその場に戻す。

偶にファンに声を掛けられたときは、カイザーはバスタードミュンヘンのミヒャエル・カイザーになる。ファンから離れた後もしばらくはミヒャエル・カイザーのままだが、潔世一は気にしなかったし、カイザーがまだ潔世一と穏やかに話したいと思うのなら、待つだけだ。

「お前は、気持ち悪くないのか?」

「急に何をだよ。ビールに酔ったのか?」

「まさか。お子ちゃまとは違うんでな」

「お子ちゃまいうな」

「まあ、聞け。さっきの俺と今の俺、どっちが本物だと思う?」

「両方」

「はあ」

ため息のようにわざとらしく息を吐き出されたので、潔世一はちょっとムカついたが、取り敢えず理由を話して考えなしではないというべきだろう。

「人間なんて多かれ少なかれ様々な面を持ってんだよ。TPOに合わせて多面体のサイコロの面を変えてるだけで、何かが変わったわけじゃない」

「騙すために演じていても?」

「それを演じようとする心は本物だろ」

そういうと、カイザーはふんと鼻から息を吐いて会話を切り上げた。潔世一も特に追求せず、カイザーの気配が落ち着くまで待ち、何時ものように穏やかな話題に戻った。時々カイザーが演じるときはあるが、カイザーがどういう会話を自分としたがっているのかどうかは分かりやすいので潔世一は特に態度を変えることはなく会話を続けると、あまり時を置かずにカイザーが自分を態と演出してくることは無くなった。

 

 

 

・陽炎(カイザー視点)

潔世一とサッカーの外で会話するようになって、しばらく時間を経た時だった。カイザーの視界で妙に景色が目立つときがあるのだ。

よもや何かの病気かと検査も受けてみたが一切の問題はなかった。それでは、いったい何が原因かと考える。良く行く通りやよく通っている店では妙に景色の一部が目立つことはない。しかし、あまり知らない場所や親しくない人間と会うときに、五感が鋭くなることが増えたのだ。

「カイザー、どうした?」

潔世一といつもの話をして散歩しているときに、聞きなれない音が耳に入ってきた。別に、悪い音とは言わない。だが、耳がざわざわして、気がささくれ立つ。耳鳴りがする。

(何だ、この音は)

「カイザー」

意識が引き戻される。急に、ベールが張ったように異音が耳から遠のいた。潔世一は静かな凪を湛えた目に引き込まれる。柔らかな声が、耳朶を撃つ。

「どうした?」

「あの、音が」

「うん」

「耳につく」

「うん」

「聞きなれない、違和感」

「そうか。教えてくれてありがとうなカイザー。移動しようか」

手を引かれて場所を移動する。音が聞こえなくなった所まで移動しても、潔世一はカイザーの手を放さなかったので、カイザーも手を払わなかった。

「あれ、あそこで新しく出来た店の音楽なんだって。カイザーが嫌なら道を変えようか?」

「いや、いい。構わない。そのうち慣れる」

スマホで調べたらしい潔世一の言葉にカイザーは返答する。独りで行く気にはならないが潔世一と共にいるのならそのうち日常の一部に溶け込むだろうとカイザーは思うし、あの音だけでお気に入りが多いところを捨てるのは気に入らない。

「そっか」

潔世一はカイザーが違和感を感じていることに気付く。そして、それに引き込まれそうになっているカイザーを包み込んで、遠ざけて、カイザーの意見を聞いて、感情を咀嚼するのを待つ。繰り返されていくうちに、カイザーは少しづつ自分の違和感に対する反応が薄くなっていったのに気付いた。最初はあれだけ自分を引きずり込むような引力を持っていたのに、今となっては観察する余裕すらある。むしろ、カイザーは自分からその引力の核を暴くようになっていった。答えを知れば、怖くない。答えが分からなくたって、潔世一とそれについて会話して考えるのは楽しい。そう思えば、視界にかかる靄さえ不思議と面白くなった。

 

 

 

・鋼玉(潔世一視点)

様々なものに興味を示すようになったカイザーを見て、昔の自分の親もこんな気分だったのかなと潔世一は思いを馳せる。両親曰く、幼少期の自分は全てに怯えていて泣いていたのだという。

「俺はこうしたい」

「それは嫌だ」

最近のカイザーはこだわりが強くなったり、意見を主張して押し通そうとするようにもなった。譲れるものは譲るが、その選択がカイザーの本意でない、一過性の反発心からくるものである時は潔世一も引かず、しかし叱るのではなくカイザーの心が落ち着くまで待ってから、意見を交わしあって妥協点を見つける。

(カイザーは可愛いな)

こういうとカイザーは不機嫌になるから口にはしないが、潔世一はカイザーのともすれば我儘とも取れる主張を可愛いと認識していた。だって、カイザーは潔世一にしか無理に主張しようとはしない。図体は大人だが、まるで、子供が親に背伸びしているように感じるのだ。

一度だけ癇癪を起して潔世一の手首を握ったが、思わず潔世一が顔をしかめると顔面蒼白になってすぐに手を放したのだ。その時の潔世一は自分の手の痛みを差し置いてすぐにカイザーの背中に手をやって抱きしめて、大丈夫だと語り掛け、頭を撫でで、呆然としたカイザーが落ち着くまでそのままでいた。ちゃんとカイザーも後で謝ったので、潔世一はちゃんと許した。それ以来、カイザーは感情に押し流されないように一旦思考を整え、自分の意見や感情を伝える言葉を探すことで冷静になるというプロセスを自分で修得した。

「ごめん、カイザー!」

「それは何についての謝罪だ?」

潔世一がカイザーを窘めることが多いが、潔世一も間違えたり失敗すればちゃんと非を認めて説明し、カイザーに謝る。カイザーと潔世一はあくまで対等な関係だからだ。2人の間にある暗黙のルールは、同じような失敗をしても自分や相手に怪我をさせるようなものでない限り前の失敗を蒸し返さないこと、時間がかかっても良いから相手にしっかりと謝り、改善点を見つけ出すことだ。そして、相手の不確実的な言動を、否定しないこと。

性急に結論を求めても、その時点では冷静ではなく分からなかったり、後から見返してその事象に対する感想が変化することは大いにある。早急に結論を出すことを要求される場合もあるが、サッカーを除いた潔世一とカイザーの間にそんなビジネスは存在しない。なので、相手に結論を急かすことはせず、意見を求められたら自分の考えを出したり、相手の思考の輪郭をサポートし、それが採用されなくとも怒らない。そういった寛容性を潔世一は持っているし、カイザーも潔世一の言葉やサポートを聞くにつれて、会話している相手の状態を考えるようになったのか、性急な答えを求めることが少なくなっていった。

穏やかな会話は、別に感情のぶつけ合いがないわけじゃない。むしろ、感情や思考をぶつけ合っていると言ってもいいだろう。それでも、2人は寛容なので、対話になっているのだ。

 

 

 

・鬼哭(カイザー視点) 

声が聞こえる。

それを、泣き声だと認識できるようになったのは、ここら最近の事だった。そもそも、それまではあることが当たり前すぎて、存在を意識すらしていなあった。下手したら、認識ですら曖昧だったかもしれない。

(耳障りだ)

ずっとずっとカイザーはこの声を無視してきた。気にする余裕が無かったと言っても良い。演出してきたミヒャエル・カイザーには不要だったから。むしろ殺したいとすら思っていた。

(煩い)

商店街の新しい音楽とは違い、慣れる気がしない。聞いているだけで、イライラしてくる。五感が追いつめられる。

(だが、前よりは恐怖を感じない)

触れればどうしても傷つくしかないと分かっているモノに触れるなど、かつての自分では考えられなかった。正気の沙汰ではないと今でも思う。

『ミヒャエル、かあ』

『なんだ』

『いや?音の響きがやっぱ外国と日本だと違うんだよなーって』

『お前の発音は時々赤ちゃんだもんなあ』

『んだと!』

『サッカーの外ではオレの名前を呼ばせてやろう。光栄に思え?世一』

『そーいうところだぞお前。でもありがとうな。ミヒャエル』

あまりにも、彼に慈愛を持って呼ばれたから。まるで、潔世一から洗礼を受けた気分になったから。受け入れられなくとも、認めようと思ったのだ。

(ミヒャエル・カイザー)

過去の自分が泣いている。傷ついた体を精一杯丸めて、周囲から全てを拒絶して、泣いている。

(やはり、耳障りだ)

何時まで泣いているのか、カイザー自身もわからない。存在を認めることだって苦痛だ。でも、前のように強い恐怖は感じないし、殺したいとすら思ってた思考は、案外凪いでいた。

『ミヒャエル』

祝福される。潔世一は、愛をもって名前を呼ばれたのだろう。だから、愛をもって名を呼ぶことに躊躇いがない。カイザーには、それを妬む心がある。憎しみと言っても良い。でも、彼に名を呼ばれるのは悪くなかったのも事実だ。それも認めよう。

(いつか)

この福音が降り積もりて、窒息するまで。自分はミヒャエル・カイザーなのだ。

 

 

 

・関所(潔世一視点)

「え、マジ」

「ああ」

潔世一は流石に驚いた声を出した。カイザーがカウンセリングを受けるというのだ。口にした当の本人はケロッとしている。

「つーか、それ俺に行っても良いわけ?」

「むしろお前に関係があるからな」

「は?」

出されたカウンセリングの病院の場所は、潔世一のアパートに近かった。反対にカイザーの家からは遠い。

「通院する日はお前の家に泊まるぞ」

「え~」

「なんだ」

「ベッドも食器もお前に合うクオリティのモノなんてないんですけど」

もっと早く言えよ部屋の片付けもあるのにさあと潔世一がカイザーに文句を言うと、クッと喉を鳴らして笑われた。

「俺に相応しいものを揃えて見せろ」

「お前が金出せ。一緒に買い物に行くんだよ」

「わかったわかった」

2人で予定帳を開けて、合う日を探す。他にも、最低限のゴミ出しルール、家事の分担、食事はできるだけ一緒に取るなどの約束が交わされた。

「そういえば、お前は料理できるのか?」

「こっち来る前に日本の料理は何品か母さんに習ったけど、ドイツの料理は作ったことない」

「ふむ。お手並み拝見という訳か。俺はドイツの料理でも作ろう」

ミヒャエル・カイザーの手料理とか、ネスなら泣いて喜ぶか、発狂しそうだなあと潔世一は思った。

「互いの味付けも、味覚も知る必要あるし、時間あったら料理教えあおーぜ」

「構わないが、出された料理は責任をもって食べろよ」

「それ怖えーんだけど!!」

早速小物は揃えるかと、カイザーを引っ張って馴染んだ商店街に向かう。自然と、カイザーと手をつなぐ。

カイザーは笑顔が多くなったし声も柔らかくなった。

(ミヒャエルは強い)

今のカイザーならば、何があっても乗り越えていけるだろう。その首に咲く青薔薇が示すように彼に不可能はない。

 

 

 

・蒼天(カイザー視点)

「世一」

「何?」

定期的なカウンセリングの帰りに世一のアパートメントに泊まって、次の日はそのまま2人で練習に行く習慣にも慣れた。何だかんだで小さな衝突もあるが、互いにうまくやっていけているとカイザーは思っている。初めは食えなくもない程度だった互いの料理の腕も随分と上達した。

食事終わり、当番で食器を洗い終わった潔世一にカイザーは声を掛けた。軽やかな声が返ってくる。

「いつか、お前の日本の家族に挨拶に行きたい」

「お~。いつでもいいぜ。母さんたち喜ぶわ」

今直ぐと言われるとカイザーの心情的にまだ無理だが、それは潔世一も承知しているのだろう。今日明日、今年の話ではなく、いつか来る未来を語る声だった。

(お前を育てた家族だ)

家庭に対する忌避感や根底にある拒否感はくすぶっている。それでも、いつか、潔世一を育てた家族に会いたいと思った。

極東と呼ばれる、果ての国。桜が美しいとテレビでよくやっているせいか、彼の国は桜のイメージがある。桜を見るためには、春に訪れる必要があり、それは奇しくも潔世一の誕生した季節だ。

(いつか、世一と共に)

そのいつかは自分が思っているよりも、案外早く訪れる気がした。

 

 

 



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