杏山カズサとシュガーラッシュ
砂糖中毒に侵された少女たち、膨れ上がったアビドスは各自治区に向けて先兵を派遣してきた。
それが本格的な侵攻なのか、あるいはアビドスという学校のキャパシティを超えたが故なのか、外にいる者たちには区別が付かない。
ただ分かることは、餅は餅屋というべきか、侵攻してくる人間は、元々その学校を詳しく知っている少女たちが中心ということだけだった。
「みんな……戻ってきて、くれたの?」
一縷の望みに掛けて声を上げたのはカズサだった。
目の前には袂を分かったはずの少女たち、放課後スイーツ部の3人。
けれどカズサの期待は、またしても裏切られることになる。
「カズサちゃん、まだいたの? 話しかけないで、って私言ったよね?」
にべもなく切って捨てた少女、アイリによって現実を突きつけられる。
「見たまえ、この腕章を! 我々アビドスイーツ団は正式にアビドスの治安組織に認められたのだ」
「そうよそうよ。スイーツに囲まれて、スイーツに始まりスイーツに終わる。私たちにはぴったりの仕事ね!」
アイリに続いて声を出すナツとヨシミ。
その目は爛々と輝いているものの、同時に頬はこけ、肌はかさつき、目は落ちくぼんでいる。
明らかな栄養失調が見て取れた。
栄養バランスの取れた食事を三食摂った上でのスイーツ、という様子ではない。
文字通りスイーツだけしか摂っていないのだろう。
おまけに砂糖をかじりながらする会話の行儀の悪さは、もはや目も当てられない。
「私たちはこれから砂糖を広める大事なお仕事を任されてるの。カズサちゃんはお呼びじゃないんだよ?」
「……だまって」
カズサは銃のセーフティを外す。
いつでも撃てるように。
「これ以上、喋るな。私はあんたたちに、これ以上罪を犯させたくない」
「……ふう、やれやれ。これだからキャスパリーグは」
絞り出すように声を出したカズサに対し、肩を竦めながらナツは答えた。
「アビドスイーツ団でないものの話を、我々が聞く必要があるのかね? そもそも我々はスイーツの素晴らしさを世に伝えるために来た巡礼者なのだ。どれだけの試練があろうと、阻むことはできない」
「あんたもアビドスに来たら考えが変わるわよ。あそこはお菓子の王国なんだから、どれだけ食べても問題ないし……ハナコ様には『寝る前にちゃんと歯は磨きなさい』って叱られるけど」
続くヨシミの言葉は、小さいころからの少女たちの夢を形にしたものであり、それでいて誰もが聞いたことのあるセリフが現実感を増している。
ナツの大仰なセリフとは異なり、彼女の言葉はどこまでいっても変哲のない会話だが、それゆえに異常が際立つ。
「それでも邪魔をするというのなら、仕方がないな」
ナツの言葉に呼応して、少女たちが両手に銃を構えて、カズサに照準を当てる。
「人は糖分が不足すると、思考が停止する」
「つまり、これから起こることは全部あなたが悪い」
「糖分欠乏症になった獣の恐ろしさを見せよう、キャスパリーグ!」
こうして砂糖に侵された少女たちは、カズサに向けて襲い掛かったのだった。
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地面に最後の一人が倒れる。
「どうして?」
最後に立っていたのは、カズサだけだった。
「ねえアイリ、どうして?」
正式に組織に認められたアビドスイーツ団は、強かった。
反射神経、耐久力、命中率全てがかつての彼女たちとは別次元に強化されていた。
単純な腕力すら跳ね上がっており、掴まれたときは握りつぶされるかと思ったほどだ。
「どうして、勝てるだなんて思ったの?」
だがそれだけだ。
身体能力全てが上昇していようと、元々は鍛えているわけでもないただの少女たち。
私が私が、と前に出てまともに連携しようとすらしない始末。
これでは有象無象は蹴散らせても、カズサには勝てない。
彼女たちを知っているカズサだからこそ、負けることはあり得ない。
「あんたがわたしに、勝てるわけがないでしょうが!」
「やっぱり……強いなカズサちゃんは。特別で、かっこいい。私も特別になりたかった……」
倒れたままカズサを見上げるアイリ。
その目はまぶしそうなものを見たかのように細められている。
「特別? 特別ってなに?」
カズサには、それが信じられなかった。
「まわり見てみなよ、どこもかしこもヤク中ばっかりで、目新しさなんてどこにもない。なのにアイリは、それを特別だっていうの?」
こんな暴力で名前がついただけの過去を、黒歴史を賞賛されても嬉しくはなかった。
特別であるということに、ここまで固執していいはずがなかった。
だってそうだろう?
「ならあのバンドは……私たちが頑張ったあのシュガーラッシュは、なんだったの?」
アイリは特別な自分になることを望んでいた。
何もない自分が嫌で、何かになれると信じてがむしゃらに頑張ろうとしていた。
けれどその思いは、スイーツ部で話し合って、ぶつかって解決したのではなかったか?
アイリ自身も、今の自分が好きだと、そう言っていたではないか。
「……バンド?」
けれど
「バンドって、なに? そんなことしたっけ? えへへ……でも、シュガーラッシュって、おいしそうな響き、だね」
それだけを呟いて、アイリの意識は落ちていった。
「……あ?」
その言葉に、カズサは耳を疑った。
「なにそれ」
カズサたちがバンドをしたのは、そんなに昔ではない。
トリニティ謝肉祭で披露するため、なにより商品のセムラを目当てに頑張ってから、まだ3か月も経っていない。
「覚えてない、の? 私たちのバンドを、アイリがやろうって言いだしたことを」
それなのに、アイリは覚えていないと言ったのだ。
付け焼刃とはいえ、練習に明け暮れた日々。
嫌になるほど基礎練習を重ねて、ケガした指先の痛みに耐えて、本音をぶつけ合って、それでも諦めたくなくて頑張った。
本番でもトラブル続きだった。
直前のリハで勢い余ってベースが壊れてしまい、みんなが新しいベースを調達してくるまで、ヨシミのギターを借りてソロで時間をしのいだりもした。
ソロは得点には入らなかったが、最後のセッションは認められてセムラをゲットしたのだ。
「そんなことって、ないよ……」
その私たちの努力を、涙を、あろうことか要らないものとして切り捨てて、都合のいい甘い記憶で塗り潰したのだ。
「~~~~~~~~~~~~っっっ!!!」
カズサの悲痛な叫びがこだまする。
こんなはずではなかった。
向けたくなかった銃を友達に向けて、これで終わると思っていたのだ。
これ以上罪を重ねないように彼女たちを止めてしまえば、後は分かり合えると信じていた。
漫画やゲームで、過去の思い出をきっかけに思いとどまることなんて、ありふれた奇跡だったはずだ。
でもそんなことにはならなかった。
美しい思い出は塗り潰されて消えてしまった。
今の彼女たちには努力も苦労も不要で、甘い快楽にすがるしか幸せがない。
奇跡なんて、どこにもなかったのだ。
「誰か……だれか、たすけて……」
キャスパリーグなどという御大層な二つ名があったとしても、カズサはどこまでいってもただの少女でしかない。
そんなただの少女にできることは、こうして誰も聞こえないほどに小さく、呻くように助けを求めることしかないのだった。
「助けを求める声はここですね! ヒーラー系勇者が救護をしに来ました!」