月雪ミヤコと古びた実験室
「さあミヤコちゃん、今日も訓練元気にやっていこうね。最近マンネリ気味だし、ドミノでもしてみよっかな~」
「はい」
「ミヤコ、アビドス外縁部で危険な兵器を搔き集めている組織がいるから鎮圧してきて。作戦内容は任せるわ」
「はい」
「うふふ♡ アビドスへようこそ……あ、ミヤコちゃん、この子の再教育が終わったので連れて行ってください♡」
「はい」
「まさか貴女と肩を並べることになるとは、本か……いえ、私には思いもよらないものでしたが、とても心強いです。これからよろしくお願いしますね!」
「……はい」
「私の力を必要としている、ならば応えましょう。義理と人情を忘れては、真のアウトロー足り得ないものね。貴女もそう思うでしょう?」
「……は、い」
「ここがアビドスですか! 今日はいつも以上に元気が満ち溢れています。私の愛で、怪我をしたみんなを元気にしてあげます! あれ、貴女は……」
「…………」
「……アビドスイーツ団。カズサにはああ言ったが、甘味と塩味の違いすら分からなくなった堕ちた獣には似合いの名か」
「………………」
「………………………………」
「………………………………………………」
あの凍えた砂漠の夜が明けた後も、ミヤコはなおもアビドスに残っていた。
誰かに連れ戻されたのだろうが、周囲に聞いても誰がミヤコを運んだのかさえ分からない。
中毒者しかいないこの街でまともな答えなど返ってくるはずもなく、『そんなどうでもいいことを気にする必要があるのか?』と首を傾げられれば、やがて話題に上げることすら億劫になってくる。
アビドスにいることを嫌いながらも、それでもミヤコにはアビドスを離れる事はできなかった。
逃げられるとは思えなかったし、なによりも逃げてどうするのかというヴィジョンが見えなかった。
今のミヤコは惰性で訓練を続けて、意味がない無駄な努力を重ねている。
己に科せられたタスクを消化し、淡々と無心で仕事をこなす。
それが今のミヤコの心を守る処世術であった。
時間の経過とともにアビドスは目に見えて繁栄し、より拡大を続けている。
アビドスに加わる人員は増え続け、その中にはホシノたち幹部と接触できる優秀な人材も揃っていた。
中務キリノ、陸八魔アル、朝顔ハナエ。
ミヤコの知る人もいれば知らない人もいる。
そんな彼女たちと会話をするのが、ミヤコには苦痛で仕方が無かった。
なぜなら彼女たちはアビドスに組したとはいえ、尚も己の信念に基づいて行動している。
ミヤコのように後ろめたい感情はなく、それゆえに真っ直ぐだ。
もちろんこれらは砂糖によって捻じ曲げられたものであり、本来の彼女たちでは取らない選択だということは理解している。
それでも流砂に足を取られて動けないようなミヤコからすれば、純粋に希望を語れる彼女たちが妬ましくて、そう感じてしまう自分が疎ましくて仕方が無かった。。
そんな彼女たちは総じて、ミヤコを見て不思議そうな顔をするのだ。
『どうしてそんなつまらなそうな顔をしているのか?』とでも言いたげに。
このアビドスで一人笑わず淡々と作業をこなしているだけのミヤコは、一目見て異端だと理解してしまうのだろう。
ホシノが重用しているからそれ以上踏み込もうとしないだけで、皆がミヤコを異物だと認識している。
そんな状況であったとしても……心の柔らかい場所を鑢で削られるような痛みを感じながらも、ミヤコは同じ立場になろうとは思えなかった。
痛みを感じた部分を凍らせて、噛み合わない歯車を強引に動かして道具に徹する。
そこまでしてもなお、正義を貫くSRTとして動くことも、砂糖を摂ってアビドスに組することもできない。
どっちつかずの中途半端。
これを惰性と言わずして何と言おう。
未だミヤコの視界は暗く、先の見えない闇に向かって進む勇気を持てないでいたのだ。
「……それでですね、ホシノさん。怪我の治療だけじゃなくて病気についてもきちんと調べたいと思うんですよ!」
「ハナエちゃんは勉強熱心だね~。おじさん嬉しいよ、それで何が欲しいの? 予算?」
「予算も欲しいです! あと風土病とか砂糖を使った人の症例のカルテとかあれば、それも事前に目を通しておきたいですね」
「いいよ~。必要な分はハナコちゃんに相談してね、最優先で稟議通してくれるよ……でもカルテはどうかな、砂糖は最近出たものだから、数はあんまりなかったと思うよ?」
「少しでも力になるかもしれないのでお願いします!」
「オッケ~、確か使ってない実験室にいくつか置いてたから持ってっていいよ。……あ、ミヤコちゃん丁度いい所に。鍵渡すからハナエちゃんを本館の実験室まで案内してあげて。あとついでにお掃除お願い、軽くでいいから」
「……はい」
このアビドスではなによりホシノの言葉が優先される。
訓練を終えてくたくたになった体でも、ホシノが指示したのならやり遂げなければならない。
体よく使われていることは理解しているものの、多少こき使われる程度ならもう珍しくもない。
「ここが、ホシノさんの言ってた実験室のようです」
「わあ、意外と綺麗ですね。使っていないって言ってたので、もっと砂まみれかと思ってました」
ホシノに渡された鍵で開けた実験室は、ハナエの言葉通り綺麗に整理されていた。
校舎の大半が砂に侵食されているアビドスでは珍しいほどに、砂が入り込んでいる様子はない。
他の部屋との違いを見るに、実験などで部屋を使うために一度徹底的に掃除した、と考えるのが正解だろう。
それでも今は使っていないとホシノが評したように、わずかに埃が積もって空気が淀んでいる。
おそらく数か月はこの場には誰も足を踏み入れていないはずだ。
「きゃあ、ありました! ホシノさんが言ってたやつってこれですよね!?」
「おそらくそのはずです」
本棚には古い大学ノートやらファイルなどが無作為に並んでいる。
その中からいくつか新しめの背表紙のファイルを抜き取って開いてみると、カルテと思しきリストがファイリングされていた。
ハナエはそれをパラパラとめくり、探していたもので間違いないと判断したらしい。
「……わぁっ、全部手書きだ」
「手書き……読めますか?」
「ちょっと癖がありますけど大丈夫です! 忙しい時は走り書きすることも珍しくないので」
聞けば医療現場では、医師が手書きで書いた専門用語の略語たっぷりのカルテを解読することも技術の一つらしい。
モエに劣るとはいえ暗号解読の技術を持つミヤコからすれば、救護騎士団も似たような技術を持っているのだな、と意外なつながりを感じざるを得ない。
「でもこれ……私の予想以上に凄いです! 『砂糖』を摂取した後の身体への影響について細かく書かれてて、相互作用なんかも載ってます。参考資料としての価値はバッチリなので、ミネ団長が見たら喜びますよ」
ワクワクとした様子を隠そうともせず、ハナエはファイルをめくる。
アビドスには医療に長けた人員がいないとハナエは聞いていたし、現にアビドスに来てからすぐに医療部門を任されたことからもそれは間違いない。
だがこのファイルから付け焼刃ではない、確かな医療知識が感じられた。
その厚みは相当なもので、砂糖を広めた後に書かれたものとしては異常なほどに深く書かれている。
これだけ多くの人間がアビドスに流入していることを考えると、その厚みはおかしくはないのかもしれない。
「……お掃除、本当にお手伝いしなくていいんですか?」
「構いません。ハナエさんにもやるべきことがあるでしょう。そちらを優先してください」
ハナエが今一番優先することは部屋の掃除ではなく、ファイルを読み込んで医療に役立てることだ。
掃除の指示もミヤコに対してされたものである以上、後で難癖付けられないように一人でやった方が気楽というものである。
「それじゃあお先に失礼します! ミヤコさんも怪我をしたら手術するので是非いらしてください!」
「遠慮します」
こうしてすぐに手術したがる性質さえなければ、と思いながらミヤコは断った。
やはり『砂糖』は害悪だ。
手術にチェーンソーを持ち出すのは、どう考えても『砂糖』による悪影響としか思えない。
「掃除、手早く済ませますか」
ホシノも軽くでいい、と言っていたし、これなら換気をして埃をとれば十分だろう
使っていない実験室をピカピカになるまで磨き上げる必要もなし、とっとと終わらせて次の作業に移った方が合理的だ。
まずは換気を、と窓を開けたところで風が勢いよく入り込み、思わず目を閉じる。
次の瞬間、バサッと物が落ちる音がミヤコの耳に入った。
「……なんだ、ノートが落ちただけですか」
振り返ったミヤコの目の前には、床に落ちて広がったノートがある。
元々きっちりと入っていた本棚から、ハナエが持って行ったファイルの分だけ隙間ができていた。
そこに風が入り込んでノートを落とすことになったようだ。
なおも風でパラパラとめくれているノートを拾おうとした瞬間、その内容にミヤコは目を奪われた。
『───アビドスの砂漠はただの砂漠ではない』
「これ、は……!?」
使っていない実験室に放置されていた古びたノート。
なぜそこに『砂糖』の名前がある?
先ほどハナエが持って行ったファイルもそうだ。
明らかにおかしいということに、今更ながらにミヤコは気付いた。
「『砂漠の砂糖』は……ここ最近で新しく開発された甘味料で、でも実は麻薬で、アビドスはそれを利用している……でしたよね?」
アビドスは降って湧いたような『砂糖』を使って大儲けしている。
それを悪徳商人ならチャンスを逃さずうまくやったと評するだろう。
無論ミヤコからすれば軽蔑と嫌悪感を隠せない所業だが、この記述はその前提となる常識を覆すものだ。
「書かれた日付は……2年近く前!?」
既に年も明けた今から数えると約2年前、ミヤコがSRTに入学するよりも前の、まだ中学3年生の春の時期の日付だった。
今まで聞いていた『砂糖』の情報との齟齬に、この砂糖の事件はただの一騒動では終わらない、もっと根が深いものだとミヤコは気付かされた。
「これは、ホシノさんのノート……日記、ですか」
廃校寸前だったアビドスで、2年も前にいたアビドスの関係者は限られている。
小鳥遊ホシノ、十六夜ノノミ、砂狼シロコの3人だけだ。
ノノミとシロコが砂糖に関わらず監禁されていることを考えると、自ずと対象は限定される。
ドクドクと心臓が音を立てて高鳴っている。
見てはいけないものを見てしまったような、禁忌に触れた感覚があった。
今すぐこのノートを閉じて何も見なかったことにすれば、致命的なことを知らなくて済むと理性が言っている。
けれどミヤコの指先が張り付いたようにノートから離れなかった。
「ふぅ……よし」
一つ、深呼吸をして指先に力を入れた。
何を大げさにしているのか、たかが日記ではないか、と言い聞かせる。
こんなところに無造作に置かれていたものに期待する方がおかしいのだ。
いっそ全部読破して『こんなことを日記に書くなんて可愛いところもあるんですね』と揶揄ってやるくらいでいいはずだ。
ミヤコは虐めともとれる程の過酷な訓練をホシノに課されているのだから、多少の意趣返しくらいどうということもない。
自分の中で結論付けて、ミヤコは続きに目を通した。
『───アビドスの砂漠はただの砂漠ではない。
その砂は火で一定時間炙るとまるで氷の様な透明の結晶になる。
それは、砂糖の様に甘く芳醇で口にした者に空を舞うような多幸感を与える。
【砂漠の砂糖(サンド・シュガー)】と名付けられたそれは、甘味料としてキヴォトス全域に広まり、多くの生徒を魅了した──
しかし、その砂糖には恐ろしい欠点があった。
服用を続けるとやがて幻覚や幻聴があらわれ、一定時間服用しなければとたんに怒りっぽくなり攻撃的な性格になってしまう。
そして、高い依存性。
それは、外でいう、『麻薬』と呼ぶにふさわしい代物だった』