月雪ミヤコと不味い料理
ホシノからの訓練という名のしごきを受け始めてから数日が経過した頃、ミヤコはハナコから付いてくるように指示をされた。
訓練がある、と抗議したがホシノからも後回しでよいと言われたため、渋々付いていくことになったのだった。
「あの、どこに行くつもりですか?」
「うふふ♡ ミヤコちゃんに必要なところですよ」
クスクスと笑いながら案内を請け負ったハナコは、ミヤコを引き連れて校舎の一画を迷いなく進んでいく。
必要、と言われてもハナコが何を指しているのか想像できない。
訓練が無いのなら与えられた自室に戻って泥のように眠りたい、というのが本音だった。
衛生面を考えてシャワーくらいは浴びているものの、ここ数日は人間としての生活ができているとは言えないほどの過酷な日々が続いているからだ。
「はい、着きましたよ」
「ここは……家庭科室?」
ハナコが開いた一室は、どこの学校にもあるであろう家庭科室だった。
こんなところに何が? と首を傾げたミヤコにハナコは答えた。
「ミヤコちゃんはアビドスに来てからまともに食事を摂れてない、そうですよね?」
「それは……そうですが」
ホシノに指摘された通り、ミヤコは誤って『砂糖』を摂取しないように細心の注意を払っている。
結果として口にできる物は長期保存された缶詰やカロリーブロックが主だった。
それすらも限界を超えるかどうかギリギリのラインでしごかれているため、食欲もあまり湧かないようになっている。
今や食事は楽しみではなく栄養補給であり、味は二の次で胃に流し込むばかりだった。
「私たちばかり美味しい物を食べているのは心苦しいと、ホシノさんも言っていました」
「あの人が? まさか」
傍若無人な振る舞いをするあの化け物に、そんな他人を慮る感性があったとは驚きだ。
中毒者の、否、悪人の思考など理解できないミヤコには、ホシノの言葉の裏を疑うしかない。
疑いの目を向けるミヤコを窘めるようにハナコは続ける。
「だからミヤコちゃんにはここを開放します。安心して食事を摂りたいなら、自分で作った方がいいですから♡」
「……お礼は言いませんよ?」
「この程度で恩を着せようだなんて思いませんよ♡ ミヤコちゃんにあっさり潰れてしまったら困りますから、ちゃんと食べて元気になってくださいね♡」
「そういうことですか」
つまりホシノにとって、ミヤコは長く使える玩具であって欲しいのだろう。
自治区のトップともなればお忙しいことだろうに、わざわざ時間を割いてまでミヤコに訓練を付けるなど遊んでいるとしか思えない。
だが今のミヤコが弱いのも事実。
力を付けてRABBIT小隊の皆を助ける目的を達成するまでは、ストレス解消のサンドバッグに徹することも已む無しだろう。
「確認しますが、自由に使っていいんですよね?」
「どうぞ♡」
ハナコに促され、室内の食材を検分する。
基本的な米の他、肉や卵、いくつかの日持ちする野菜が冷蔵庫に入っていた。
調味料の類も有名メーカーのものが未開封で置いてあり、製造年月日も問題はない。
「ミヤコちゃんは心配性ですね」
「誰のせいだと思っているんですか」
「うふふ♡ 嫌がる子を騙してまで無理に食べさせたりしませんよ♡」
辟易とした声を上げるミヤコを、ハナコはクスクスと笑う。
これだから信用できないのだ。
騙すつもりがないならそもそも麻薬など広めたりはしないはずである。
しかも彼女たち中毒者は騙すつもりがなくとも、歪んだ善意で砂糖を振る舞うから尚の事性質が悪い。
「お米は炊けました。そうですね……炒飯にでもしますか」
炊きあがったご飯を前に、ミヤコは炒飯を作ることを決める。
正直言って白飯さえあれば卵かけご飯やふりかけだけでも十分だが、調理器具が揃っているのにそれを料理としたら馬鹿にされるのが目に見えている。
弱みを見せられないミヤコなら猶更、多少なりとも調理の過程を見せる必要があるだろう。
小さく刻んだ肉とネギをフライパンで軽く火を通し、追加で油を多めに引いてから卵とご飯を投入する。
ご飯が卵と油でコーティングされた辺りで中華味の素、塩、胡椒で味を付け、最後に醤油をフライパンの淵に入れて蒸発させながら香りを付けて完成だ。
雑かもしれないが、本格的な中華料理屋のような火力もないし、これで十分だろう。
「一口もらいますね♡」
「あ、ちょっと!?」
横からスプーンで炒飯をかすめ取り、ハナコが味見をする。
「う~ん、味気ないですね♡」
「ハナコさんの味覚がおかしいんです! あなたたちの狂った味覚に合わせてなんて作ってられますか」
中毒者の味覚異常は既にミヤコも承知の上だ。
そのうえで美味しい物となると、当然『砂糖』や『塩』を入れなければならない。
だが逆に言えばミヤコの作った料理には、ハナコが美味しいと感じる麻薬は含まれていないことの証左でもあった。
「いただきます」
久々に作った料理は微妙だった。
手つきが怪しかったせいか所々焦げているし、均一に混ざっていなくて味もバラバラだ。
それでも自分で作ったということが安心感を出して食が進む。
油を大量に使ったことに年頃の少女としては罪悪感を覚えなくもないが、普段の訓練でそれ以上の消費をしているので、今はカロリーが体に沁みるというものだ。
「でもミヤコちゃんはお料理上手なんですね」
「皮肉ですか? いえ、トリニティなら別におかしくもありませんか」
お嬢様学校のトリニティで、生徒たちが料理をしているイメージはない。
彼女たちからすればミヤコ程度のものでも、十分料理上手と言えるのかもしれない。
「そんなお料理上手なミヤコちゃんにお願いがあります」
「……条件を後出しで言うのは卑怯だと思いますが」
ハナコはここを自由に使っていいと言ったが、条件が無いとは言っていなかった。
そんなうまい話があるとは思っていなかったが、やはりこうなるのだろう。
あるいはミヤコの手際を見てどうするか決めていたのかもしれない。
「何も無茶なことは言いませんよ♡ 追加でお料理を作ってください。それだけです」
「今私の料理が不味いと言ったその口で、私に料理を作れと言うんですか?」
「その通りです。あ、お料理は4人分お願いしますね♡」
「……ふぅ、作ればいいんでしょう作れば」
4人分となると、ハナコ以外はホシノとヒナ、あとは小隊長と呼ばれていたアリウスの少女の分だろうか。
どんな難題を振られるのかと警戒していた身としては、数人分増やすくらいは大した手間でもない。
今更この場所を取り上げられても困るのだし、事実上拒否権などないものだ。
ご要望通り作ってやろうじゃないか、とフライパンを振る。
「……あっ」
だが4人分ってどれだけ入れれば良いんだろう? と考えていると胡椒の蓋が外れてバサッと中身が半分近くごっそりと投入されてしまった。
胡椒の黒い塊が米の上で山盛りになり、明らかに危険な色合いになっている。
「……ご飯と卵を追加して、と」
味が濃いなら量を増やして薄めればいい、とリカバリーを掛けるミヤコ。
結果として4人分どころではないご飯の量になったが、どうせ食べるのはホシノたち味覚狂いの中毒者だ。
これで十分だろう、と意趣返しも含めて胡椒マシマシの炒飯が完成する。
「できました」
「わあ♡ たくさんできましたね♡ それじゃ、あの子たちの下へ運んでもらえますか?」
「……ん?」
あの子たちって誰?
首を傾げるミヤコをよそに、ハナコは幹部以外立ち入り禁止の場所へと案内するのだった。
「不味いっ!!」
一口食べていの一番に声を上げたのはセリカだった。
「何これ辛すぎでしょ、こんなの食べてらんない。今までの冷食の方が万倍マシよ!」
「ちょっとセリカちゃん、言い過ぎ……あはは、ちょっと私たちには胡椒効きすぎできついかなって」
「……すいません」
ストレスでイライラとしているセリカを宥めるように、アヤネがまあまあ、と抑える。
「いえいえ、誰でもミスはありますし、でももう少しマイルドにしてもらえると……あ! その制服SRTですよね!?」
「っ……!」
「助けに来てくれたんですか? ……来てくれたん、ですよね?」
「そ、それは……」
「はぁ!? 私たちがどんな状況か分からないの? 監禁されてるのよ? なのになんでこんなことしてるのよ? 正義のSRTが聞いて呆れるわ!」
「すいません、すいません、作り直します」
「あ、待ちなさい! くっ、このドア開けてちゃんと顔見せろっての!」
気炎を上げるセリカに何も言い返せず、ミヤコは失敗作の炒飯を持って足早に離れるしかできなかった。
セリカの糾弾は針の筵に立たされたように痛み、作り直すという名分が無ければ即座に崩れ落ちても仕方ないものだ。
「う~ん、ミヤコちゃんならあの子たちと仲良くなれると思ってたんですけど」
「……ハナコさん」
「どうやらファーストコンタクトは上手くいかなかったようですね?」
わずかにしか手を付けられていない料理を見て、ハナコはミヤコの状況を理解したようだ。
確かに調理ミスをしたものをそのまま出したのはミヤコ自身の落ち度だが、敢えて擁護するならば、こんなことになるとはミヤコは露程も思っていなかった。
だっておかしいじゃないか。
砂糖の原産地、中毒者の楽園であるアビドスの校舎に、未だ自分と同じように砂糖を摂取していない者がいるだなんて、欠片も想像すらしなかったことだ。
「どうして……あの人たちを監禁なんかしているのですか?」
「それをミヤコちゃんが知る必要があるのですか?」
「私はSRTです!」
「ミヤコちゃん、『元』が抜けてますよ。言葉は正しく使わないと、誤解の元です。それで『元』SRTのミヤコちゃんなら気になるかもしれませんけど、今はアビドスなんですから、聞くのは野暮というものです」
「っ!? でも!」
「それでもあえて言うなら、これはホシノさんが望んだからです。あの人が望むから、あの子たちはあそこにいるんですよ。これ以上の答えがありますか?」
アビドスの生徒ということは、つまりホシノの後輩ということで。
連日の訓練でホシノとの実力差を分からされ続けているミヤコでは、今の自分ではどうすることもできない現状を突き付けられる。
「お料理のお世話を頼んだのはホシノさんなんです。砂糖を食べてないならあの子たちにあったお料理を作れると思って」
「……」
「ミヤコちゃんには納得いただけませんか?」
納得など、できるはずもない。
砂糖を摂らせないなら素直に開放して、アビドスの外に追いやればいいだけではないか。
なぜ監禁なんてリスクもコストも高い方法を取るのか、ミヤコには理解できない。
「ミヤコちゃんがそんなに嫌なら、別にいいんですよ? 後は私がやりますから」
ハナコは自らの豊満な胸からヒョイと取り出した小瓶の蓋を開けて、ミヤコの持つ炒飯にパラパラと振り掛ける。
「何を掛けたんですか?」
「言わなくても分かるでしょう?」
ミヤコの疑問に、ハナコは笑みを深めて返す。
あの特徴的な甘ったるい香りがしないという点で、中身は『塩』かとあたりを付ける。
「美味しいですね♡」
先ほどの味見の時とは異なり、頬に手を当てて恍惚とした声を上げる。
セリカやアヤネが声を上げたように、間違いなく不味いというのに、ハナコにそんな素振りは見えない。
これが『砂糖』と『塩』以外の味覚喪失による中毒者の有様か、とミヤコは愕然とした。
「ミヤコちゃんがお料理しないなら、その分訓練に当ててもらって大丈夫ですよ」
「……やります」
「……そうですか♡」
苦虫を嚙み潰したような声で、ミヤコは料理を続けることを宣言する。
失敗作の料理に躊躇いなく『塩』を振りかける彼女の姿に、後を任せてしまうことがどれだけ危険なのかを遅ればせながら理解したからだ。
きっと今は理性が働いているだけなのだ。
このまま彼女たちの中毒が進めば、やがてあのアビドスの生徒たちに砂糖を盛ることになる。
それを事前に予想出来ていて、見過ごすことはミヤコにはできなかった。
「この炒飯は私たちが食べますから、ミヤコちゃんはもっと美味しいお料理お願いしますね♡」
「……はい」
料理を作ったら、また彼女たちに顔を合わせることになる。
また罵倒されて心が軋むとしても、それでも頷くしかない。
例え顔を合わせるのが辛くとも、自分しかやれる者がいないのだから。
ハナコに失敗作の炒飯を押し付け、ミヤコは再度家庭科室のキッチンへ向かう。
次こそは美味しい料理を作らなければ、という強迫観念に駆られて走り出す。
「悔しい……悔しいっ!!」
ただの料理でさえ、まともに作れない自分が。
目の前に助けなければいけない人たちがいたというのに、助けるための行動も、安心させるために声を掛けることすらもできなかった自分が。
SRTの名に泥を塗り続ける自分の不甲斐なさに、今すぐ首をくくってしまいたくなる羞恥心がある。
それでも足を止める事はできず、先の見えない暗闇を走り続けるしかない己が無力を、月雪ミヤコは呪った。