月影
タキオンさんが、何の気なしにぼやいた一言。
「きみのトレーナー、カフェが離れてしまったら死んでしまうんじゃないかい?」
ぞわり、と。黒い快感が背筋を走った。
"彼ら"に好かれやすいトレーナーさんは、時折危険な霊障に晒される。
だからトレーナーさんは、私がいないと危ない。
あの人の命が、私にかかっている。
彼の生殺与奪権は、私のもの……?
(いいえ)
目を閉じて、胸の奥から湧き上がる黒い誘いを打ち消す。
あの人は危険を承知で側にいてくれている。
だから、せめて守る。それだけ。
「ああ、安心した……」
「ずっと守ってくれてありがとう」
そんな、安心しきった彼の顔を期待してなんて。
トレーニングの後、2人の時間──いえ、彼を品定めする不躾な視線。手出しはユルサナイ、耳を絞って見せて追い払う。
ミルを回す手元の卓上灯を受けて、私の影があの人の元へと伸びる。
あともう少しで、届く──
(……いけない)
月明かりが翳ってしまうから。
水底の私をそのまま包んで受け入れてくれる優しい灯り。
昏い水の中では、彼はきっと息苦しいから。
今日の珈琲の時間、私はカフェラテ。
心の奥に滴る黒い悪欲、甘い白で和らげて。
○○○○○○○○○○
アグネスタキオンが、何の気なしにぼやいた一言。
「きみのトレーナー、カフェが離れてしまったら死んでしまうんじゃないかい?」
ぞくり、と。甘い悪寒が背筋を走った。
カフェと出会ってから、この世ならざるものからの干渉を幾つも受けた。
ちょっとしたイタズラも、慣れた今や可愛いものとすら思える。
しかし、後になって本当に危険な事態だったと知ることも少なからずあった。
そんな時、いつもカフェが側で守ってくれた。
彼女の側にいる限り、俺はきっと大丈夫。
(バカな)
頭を振って甘ったれた安堵を押し込める。
俺は指導者。カフェの走りに魅入られ、トレーナー契約を結んだ。
庇われてばかりでどうする。
「私の温度を……感じでいてください……」
「私の声だけを……聞いてください……」
そんな言葉に、安心を憶えてなんて。
トレーニングの後、いつもの時間。
なんとなく肩の周りが寒くなったりならなかったり、いつも通り。
ミルを回す手元の卓上灯を受けて、カフェの影が足元へと伸びる。
あの影の中に、すっぽり包まれてしまえば。
(……いや、ないない)
大の大人が小柄な少女の影に収まるなんて無理がある。
逆光を受ける彼女の前に跪きでもしたら、きっと驚くし困るだろう。
俺は影の外にいなければ。
影を生む彼女が、日に曝されて眩まないように。
今日のコーヒーブレイク、リクエストは無糖のエスプレッソ。
腹の内の甘い期待を、黒い苦味で打ち消すために。