月下に朧な陽が差す話
既視感のある担がれ方をしているな、と現実逃避をしながら目の前の赤い服を眺める。
両手と胴を纏めて巻かれ、その手の先にいつも被っている帽子が掴まれているのがちらりと見える。
上機嫌なルフィの肩に担がれサウザンドサニー号へと招待されたローの目は見事に死んでいた。
「どうしてこうなった」
「そりゃトラ男がクルーに黙ってどっか行くからだろ?」
「それがお前の船に乗るのとどう繋がるんだ」
「あのサングラスの……シャチだっけか。あいつが『一人で連絡つかないよりお前らと一緒にいれば少なくとも居場所はわかるからよろしく』って」
「あいつ……」
シャチの気持ちもわかるからこそ怒れない。
自船のキャプテンがふらりと姿を消して連絡も取れないとなれば心配にもなるというのは恐らくクルーの総意。
「(しかしこうなると計画を練り直さないといけないか?)」
パンクハザードに着く前にやっておきたかった事がいくつかあったがルフィは離れないだろうしゾロやサンジは気配に聡い。抜け出すにも一苦労だし、なんならその時点でポーラータングに連絡が行く。
それならあちらに着いてからどうにかするしかないが、そうなるとどうしても彼らが首を突っ込まないわけがないわけで。
「…とりあえずポーラータングはもう潜っちまったし周りは海だし、逃げられねえから降ろせ」
「そこで逃げないからって言わない辺りトラ男も強情だよなー」
「不本意だからな」
呆れたように言ったルフィの腕が浮き、漸く甲板に足が着く。
返された帽子を被り、鬼哭を担ぎ直す。
「それで?」
「ん?」
「まさかシャチに言われただけで承諾したわけじゃないだろう」
同盟を結んでいるとはいえ他の海賊団の船長を自分の船に乗せるのだ。
その理由が相手の船のクルーから頼まれたからだけというのは無理がある。
「監視のつもりか?同盟には裏切りがつきものだとはいえ結んだ直後に反故にするような行動はしねえよ」
「んなつもりねえよ、俺はトラ男が一緒にいたら楽しいし行く場所は同じなんだから丁度いいって思っただけだし」
あっけらかんとした言い分にルフィならそう言うだろうなと妙な納得をしてしまいそうになって首を振る。
だが警戒心の強いだろう他の面々も何も言わないという事はもしかして本当にそうなのだろうかとも思う。
「それにな、俺決めたんだ」
「あ?」
「ゾロも同意してくれてるし、多分他の奴らも同じ気持ちだと思うから大丈夫だ!」
「何がだ?」
主語を抜かしたそれに首を傾げるがいつものようにルフィは笑うだけだ。
どうにもやりにくいとつばを下げて溜息をつく。
「そうだ、前の寝床は改良してあるからな」
「改良?」
「フランキーがスーパー!な三段変形するように弄ったって言ってたから」
「今すぐ戻させろ」
何だ変形するって。せめて普通のベッドで寝かせてほしい。
少しだけワクワクしていたのは悟られていないと信じたい。
「ごめんなさいね、うちの船長が決めた事には逆らえないの」
「俺はまたトラ男と話せるから嬉しいぞ!」
「ルフィのしつこさは良くわかってるでしょ?諦めなさい」
「あー……だからハートの奴らから米を山ほど渡されたわけか」
「トラ男も苦労してんだな…」
「行く場所が一緒なら問題ねえだろ、手合わせも出来るしな」
麦わらの一味には最早慣れたものだ。
食事をしながら歓迎され、なんとも言えない顔をしながらおにぎりを頬張る。
一度ポーラータングに戻って休めたからかサンジが出した料理は綺麗に平らげ、満足げな視線を受けながら茶を啜った。
「お前らもう少しこう……警戒心とか無いのか?」
「トラ男に?」
「あ?警戒するまでもねえってか鼻屋」
「めめめめ、滅相もない!」
「ルフィが懐いててあのゾロが警戒してなくてサンジくんが甲斐甲斐しくお世話してるのに?」
「自船のクルーから頼まれたのにそれをぶち壊すような性格じゃないだろうし?」
「勝手に出てこうとしてもルフィさんがへばりつくでしょうし」
「俺も出てっちゃ嫌だぞ!」
「後はチョッパーに甘いから無理でしょ」
「お前ら……」
流れる様な論破に頬が引き攣る。
しかも全部的を射ている。
「まあ諦めろ。うちの船長に懐かれるってのはこういう事だ」
「理不尽ってのはこういう事を言うんだなって今理解した」
全くもって滅茶苦茶だ。
当の本人はおかわりの肉を食べて丸々と丸くなっている。
「とにかく航路は変わらないわ。接敵しない限りは補給しながら進んで日程通りの筈よ」
「そうか」
「とは言っても絶対何かトラブルが起きる気がするのよね」
「……まあ、そうだろうな」
麦わらの一味の噂は調べる程にトラブル吸引機かと思えるような事件への関わりがある。
そして偉大なる航路は何が起きてもおかしくない場所。
この条件でトラブルが起きないなどあるだろうか。ないだろう。
ナミと目を合わせてお互いに遠い目をした。
夜の海は冷える。
甲板に足を踏み入れた途端に吹き付けた風に体を震わせ、しかし静かな空間に白い息を吐きながら柵の傍まで進む。
雲一つない夜空に丸く月が浮かんで明るすぎる程だ。
月を見上げながら抱えている鬼哭の鞘を撫でると嬉しそうな気配がする。
「…こんな夜はコラさんに抱えられて寝たっけ」
珀鉛病の進行で弱ったローが風邪を引かないようにと抱きかかえられ、黒いファーコートで巻かれて見た月も丸かった。そのまま移動しようとしてずっこけて結局泥だらけになったので宿を取ったが、ベッドよりコラさんの体温の方が安心できた。
あの半年を何度だって思い出す。
その終わりも、何度だって。
「もうすぐだ、コラさん」
月を見上げながら呟く声は小さく、波音に消える。
「もうすぐ終わる。終わらせる。そうしたら」
「こんなところにいたのか」
背後から聞こえた声にはっとして振り向く。
「麦わら屋…まだ起きてたのか」
「もうすぐ見張りの交代だからな。ちょっと早ぇけど」
にかっと笑うその顔に違和感を感じて眉を寄せる。
確かにそこにいるのはルフィなのに、纏う気配がどこか違う。
「ならとっとと変わってやればいい。今の時間は確か骨屋だろう?」
「だって折角一緒にいれるのにもったいないだろ」
そう言って近づいてくるルフィに違和感は強くなる。
月明りのせいか髪が白っぽく見えるからだろうか。
鬼哭が一鳴き威嚇するように鳴り、それを見てルフィが不満そうに唇を尖らせる。
「なんで威嚇されんだよ」
「知らねえよ」
まあいいや、と目の前まで来たルフィが抱き着き、嬉しそうに見上げてくる。
「俺、やっぱ一緒に居てえな」
「ずっと断ってるんだがな」
「ししっ、なんなら攫ってやろうか」
「その場合うちのクルーが全力で奪い返しに来るぞ」
「だろうなー、あいつらお前の事大好きだもんな。仕方ねえ」
そう言って離れたルフィが扉へと向かう。
交代に行くのだろう背を見ていれば不意に振り返って視線が合う。
「あんま外いると風邪引くぞ」
「ああ…」
返事と共に一際強い風が吹き、思わず目を瞑る。
「おやすみ、゛ ゛」
だから手を振るルフィの口元が何と形作ったかは判らなかった。