月の傍らエンド

月の傍らエンド



無名の墓の前に立つ。

石の下には正雪が眠っている。無名なのは二人目の『由井正雪』が起動したからだ。『由井正雪』が生きてる以上、世間的には正雪が死んだ事にはならない。

それでも正雪は死んでここに眠っている。名を挿れられぬ代わりに兎の絵を彫った。

「正雪、俺は……」

墓前での報告。俺は言葉に詰まって何も言えない。正雪はきっと恨んでいるだろう。二人目の正雪を抱く俺を……。

ここに眠る正雪にはそんな事すらできなかった。正雪はまるで雪兎のように手のひらで溶けて消えてしまった。けれど、その思い出だけが今も胸を締め付ける。

飢えとは違う心の空白。

「すまない……」

結局口に出たのはそれだけだ。

「伊織殿」

隣に立っている正雪が俺を見つめてくる。

「前の『私』は幸せだった。幸せだからこそ貴殿と生きていたかった」

「そうか……」

俺は目を伏せる。ヒビ割れた正雪の儚い笑顔が思い出される。

「伊織殿、そんな顔をしないでくれ。『私』は——いや、私たちは伊織殿のそばにいたいからここにいるのだ。独りにしない為にここにいる。貴殿と共に生きる為に!

前の『私』は自分ではそれができなくて、私にそれを託した。

私は前の『私』ではないのは確かだ。儀の記憶は記録としてしか知らないし、伊織殿と共に過ごしたのもごく最近だ。

それでも私は『由井正雪』なのだ。前の私と同じように貴殿を『光』とした。

『由井正雪』は貴殿にそんな顔をさせる為にここにいる訳ではない。貴殿が気に病む必要はないのだ。『由井正雪』は——、私はここにいたくているのだ」

「………」

「貴殿は本当に、本当に……! 優しいな。貴殿に想って亡くなった後も貰えるのは何よりも光栄だろう。『私』は伊織殿に跡を残したのだ」

正雪は胸に手を当てて、祈るように目を閉じる。

「優しくはない。本来ならば、俺は正雪の手を離すべきだった。俺では駄目なのだ」

口では何とも言える。けれど、俺は正雪の手を離せない。失うのは一度で充分だ。

「悲しい事を言ってくれるな」

正雪はくすりと笑い俺にしなだれかかる。

「……前の『私』に想うのなら想ってくれて良い。だが、前の『私』には悪いが私は絶対に伊織殿を離したりはしない」

「あぁ」

遠くでカヤが呼んでいる。カヤも墓参りに来たのだろう。手には花があった。

カヤは全てを聞いた上で受け入れる事を選んだ。俺よりも強い子だ。

「行こう、伊織殿」

「そうだな、正雪」

墓に振り返り、

「また来るよ、正雪」

最後に声をかけた。


——この選択が正しいかなどはわからない。おそらく一生をかけて向き合う問題だ。

それでも俺はもう正雪の手を離さぬと決めたのだ。



——玉兎は跳ねる。月の傍らで。

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