【晴晋】梅園ドライブデート

【晴晋】梅園ドライブデート


 早朝も早朝に、東南に拝む富士の山間が赤らむのを真っ正面に眺めながら、再現された高速に黒雲を走らせる。

 宵も明けぬ早々に晋作を担ぎこんだのが半刻前、シオンとダ・ヴィンチに「まあ朝からならオッケー!ていうかそんな時間に使うようなのはさ、こっちも断りにくいっていうかー……。楽しんできなよ、極東の美丈夫さん!」と気持ち良く背を押されたのは昨夜のこと。

 シミュレータは、身に馴染まぬ景色ながらどこかしこにかつての甲斐と、何よりかの特異点を思わせる風景を配置してくれていた。手頃なSAで朝食を買い込み黒雲を停めた先は、今では名所となった甲斐の山間の梅園だ。

 助手席に寝かしていた晋作の肩をゆすってやる。何度かぐずるような寝言が漏れた後に、ぱちりと紅玉が瞬いた。

「……は???えっ?待て、なんだここ?黒雲?」

「起きしなに『行くぞ』と聞いて『よくわからんが頼む』との応えは承けたぞ。なに、聞いてこそのこの場だ。……食うか?」

 差し出した焼むすびと、簡易の着火材で温め直した味噌汁を一口、二口含んで、晋作は頭に疑問符を浮かべながら「ん?んーー????」と唸っている。

 どうせ未だ夢半ばにいるのだろう。今なら吸えるかと晋作に飯を与えたまま、黒雲の外に出て懐からしばらくぶりの煙草を取り出す。何度か息を吐いたところで、サイドウィンドウが開けられた。

「……ひとくち」

「喉は?」

「んー?……ん、呑める」

「呑みすぎるなよ」

「わかってる、わかってるさ、……んー……」

 求めに応じて晋作の唇に当てた指が、煙草とともに軽く吸われる。ふう、と紫煙を吐くのはそのまま、わざとらしくリップ音を立てて、湿った唇が離れていく。

「……で?ここは?」

「今この場で、言の葉のみ告げるには少しばかり惜しいな」

 少しは覚めたのならついて来い。ドアを開け手を取った俺に逆らうことなく、寝ぼけ眼の晋作は腕を引かれながらよろよろと俺の後ろを歩き始めた。


「愛い。愛いな。……ああ、なんとも小さく、満ちて、香しい……」

 あまりに静かに、ぽつりと落とされた呟きの穏やかさに、思わず横へと目が奪われる。うっすら頬を染めながらため息をつく晋作の横顔は、日頃の騒がしいまでの主張をかけらも見せないまま、気だるげな艶やかさだけを増して率直に言葉をこぼしていた。

「……そうだな。美しい」

「あのなあ晴信。そりゃあ僕は長州が誇る色男だし?梅も引き立て役にするくらいの美男子だろうがな?さすがに花見をしろ花見を!」

「どちらも等しく愛でる、とは流石にできる話じゃないだろう。ふむ、我らが甲斐の梅、気に入ってくれたか?」

「元から好いてるのもあるが、誰でもない君が見せたいと思ってくれたんだ。そりゃ気に入るほかないだろう。

 ……まだ昼も遠い。今日のプランはこれっきりじゃないんだろ?」

「そうだな。次は地ワインなんてのはどうだ?」

「わかってるじゃないか!」

 ご機嫌に腕を組んでくる晋作は、とうに眠気を吹き飛ばしたらしい。その腕を引いて、次の目的地へ黒雲を走らせる。結局はまた酔い潰れて、助手席でぐーすか寝息を立てられるのだろうが、それもまた彼とのドライブの醍醐味だ。

 心地よいエンジン音とともに、整えられた道が人も物も運んでいく。どこまでも豊かに、どこまでも遠くに。この道が、これを敷いた民たちが、その豊かさを成り立たせてくれている。

 己の感慨をすべて共有できなくとも、ともに楽しく、ともに愛しいと思える者は横にいる。代え難いこの瞬間の尊さを、失いがたいと思っていることを、幾ばくかは伝えられたらいい。

 しばらくの直線で、シフトレバーから浮かせた右手をどうするかと彷徨わせていると、ゆるりと指を絡め取られた。晋作の骨ばった指が俺の指の間を撫で、すぐに名残もないまま離れていった。

「なあ、晴信。楽しいな?」

 多くは語らぬその言葉が、何より俺の心情を見透かしてくれていた。

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