晴信vs景虎vs本気を出したセ部屋君
夢でも見ているのか。晴信は睫毛の境を指の裏で擦った。
晴信の意識の覚醒と同時に目に入ったのはボイラー室横とは毛色の違ったラグジュアリーな空間であった。床から壁、机や椅子といったインテリア、間接照明に至るまでシンプルながらも格式の高さを伺わせる。開放的な窓ガラスからは緑豊かな中庭に差す穏やかな陽の光が部屋の中に染み込んできている。そして何より今現在晴信が横たわっている寝具。まるで温かな雲の上に身体を横たえているような天上の寝心地を分厚いマットレスや滑らかなシーツが体現していた。いっその事二度寝と洒落込もうじゃないか、という欲求の囁きに身も心も委ねてしまおうというところを、すんでのところで振り払った。
サーヴァントは、夢を見ないのだ。つまりは見知らぬ場所で無防備に寝顔を晒していたということになる。
それに気付いた瞬間、晴信はベッドの左に転がり出た。手遅れであることは否めないものの、蜘蛛の巣のように五感と六感を張り巡らせる。
そしてそれは存外早くに自分以外の気配を察知した。白い掛け布団の中にいる何か。そいつがもぞ、と蠢いた瞬間頬にドス黒い静電気じみたものが走る。殺気。晴信は本能に弾かれて蠢くものに対し殴りかかった。諸々のリミッターが外れた一撃は、獲物に襲いかかる大蛇の如き鋭い突きに正面衝突し、互いのエネルギーの反作用で晴信と大蛇の主を吹き飛ばし
「─────ぐぁッ」
「─────い゙、っ」
寝室の壁に叩きつけた。後頭部を打ちつけ、白飛びする意識を闘争本能で身体に無理矢理引き戻し、即座に身を起こすと
「晴信?」
聞き慣れてしまった憎たらしい呼び声がした。
それから晴信は景虎───どういう成り行きか知る由もないが同じベッドを共有していた、女の姿を形取る自然災害───と手短に情報を共有し、部屋の探索を済ませ、机を挟んで向かい合わせている椅子に腰を落ち着かせた。
「つまり、趣味の悪い某による手の込んだ人形遊びみたいなもの、ということですね」
景虎は便箋をぶらぶらと弄びつつ、半ば言い捨てるように結論付けた。
『この部屋から出たければ交合うこと』
品のある便箋に綴られた品性下劣な一文を見つけたのは、探索を始めてすぐのことだった。部屋の構造や備品に食事といった案内に添えて机上に置いてあったというのがタチの悪さを促進させている。それはつまり、こちらから示す手段以外で脱出することは出来ないと暗示している訳で。
は?いや、ないだろ流石に……と命の危機とは違った冷や汗をかきながら窓を開けての脱出を試みた。しかし外に出るための一歩を踏み出せなかったのだ。外に何かしらの脅威があるというわけではない。正規の方法でない脱出方法を試みたその間だけ意志の力をぽっかりと失ってしまう洗脳のようなものがかかっているようで、いざ脱出、と脚を持ち上げようとすると抗いようのない脱力感に襲われたのだ。
そういう訳で、部屋の破壊だとか何らかの方法によるマインドハックだとかも試しようがなく、二人して現状の莫迦々々しさに呆れ果てていたのだ。
こちら側からこの部屋の摂理に対して働きかけることが出来ないのなら仕方がない。生憎部屋の質のみに絞って言えばこれ以上居心地の良い処は他に無い程だろうし、外からの助けを待つとしよう。
確かに晴信はそう言おうとした。しかし、それを妨害したのはこの場のルールではなく、
「そういうことなら仕方がありませんね」
と立ち上がり、オーバーサイズのジャケットを床に落とした景虎であった。
「なっ、お前」
「背に腹は変えられません。ここにいてはのびのびと川中島することも出来ませんし」
物騒とも取れる愚痴を零しつつ上衣のジッパーに手をかける景虎に「正気か?」と問いかけようとして、その言葉を声帯を引き絞り押し留めた。それは決して目の前の女の決意がどう、とかいう高尚なものではない。確かにここで勝負をしようものなら、「部屋を破壊する」という副次的な目的がどうやっても頭の隅にかすめてしまう。そのため戦おうにも力が入らずマトモな仕合にならないという理屈は筋が通っているのだ。ともかくTPOというヤツを知らなさそうな脱ぎっぷりを披露しようとするその手を溜息の後に待て、と制止した。
「……まず、身を清めるぞ」
正直景虎相手に己の肉欲が機能するとは思い難い。誰だって山の噴火や土砂崩れにどの切り口で欲求を掻き立てられればよいのかなんて見当もつかないだろう。だとしても、ここで尻尾を巻いて逃げ出す選択肢も存在しない。目の前の閨事を避けて不能を疑われてしまえばナイス甲斐の面目は丸潰れだ。どんな人物だろうとスマートに抱いてこそ一人前の男というもの。故に相手がこの景虎であろうと関係ない程の甲斐性を見せつけてやるのだ。……とまあごちゃごちゃと述べてきたが、要するに。
据え膳食わぬは男の恥。言ってしまえばそれに尽きてしまうのだ。
いかに風呂が二人で入ってもさほど窮屈さを感じない作りだったとして。だからと言って二人で入る道理も無い。いやはやしかし成り行きとは恐ろしいもので、晴信は自らの手で景虎を浴室まで誘導してしまった上に、先ほどその場の勢いで「身を清めてこい」ではなく「身を清めるぞ」と些細なとんでもない言い違いをしてしまったので、晴信も入らないんですか?と首を傾げてきた景虎を膝の上に乗せて湯に浸っている。
「んん〜っ、晴信の隠し湯には及びませんが、中々の湯心地です」
景虎は手を組んで前に伸びた。洗った髪を風呂につけようとする愚行を諌めて髪を結ってやったものだから、普段は姿を隠している真珠のような肌艶がすべて開けっぴろげになってしまっている。それに加えて言うなら
「ああそうかよ。降りろ。あと動くな」
「どっちですか?それ」
そこで動かれるのは、大変よろしくない。不意の刺激に伝家の宝刀が武者震いしてしまいそうになる。最終的に思う存分振るうことにはなるのだが、それはそれ、これはこれ。我が子息の手綱もまともに握れない無様をコイツの前で晒す訳にはいかない。しかもこの女は戯れるように晴信に背をもたれかけてけらけらと笑うものだから、つい苛立ちを彼女の双眸に突き刺してしまう。確信犯かコイツ、と本来の意味とも誤用の意味とも取れる疑惑を向けるも、間違いなく何も考えていないであろうと容易に推察出来てしまう。おのれ。
そんな脳内で場外乱闘を繰り広げている晴信の頬に景虎は手を添えた。
「そういえば、ですが」
「何だ」
「温かいですね、晴信」
湯に浸かっているんだから当然だ。何を莫迦なことを。そう切り捨てようとして、一切歯が立たない事をすぐさま理解した。頬にあてがわれた武器を持つ者特有の皮の厚みに酒を飲んでいる時のようなうっとりとした微笑み。弛緩した全身から伝えられる実在性のある重み、穏やかな体温。
それら全てから目を逸らしたかったのか、あるいはそれらが起爆剤となったのか。晴信は景虎の引き締まった腹を抱き、滑らかな首筋に顔を埋めた。
「んっ……」
景虎が驚きで身体を跳ねさせたのを感知しつつも、衝動を止めるには至らなかった。というより顔を近づけたことによって血生臭い彼女のサガに似つかわしくないボディソープの甘い匂いが脳髄まで入り込んですっかり酔いが回ってしまったのだ。鼻から息を吸いこむとタールのこびり付いた肺が甘やかな奔流に歓喜するような錯覚すら覚えてしまう。そして深く吐くと晴信の中に渦巻いていた難しいそれこれが呼気から抜けていく。
一体何がきっかけで傍から見れば息を切らす犬にも似た浅ましい行為に没頭しているのか、人を知らぬ、もしくは今はまだ清い身である景虎には知る由もない。ついでに景虎は自分自身が発した「温かい」の意味すら晴信に丸投げしてしまって手元には残っていない。ただ一つ、直観として理解したことがあるとするのなら。たった今二人は不可逆の一線を踏み越えてしまったということだった。
「逆上せてしまいそうですね、晴信」
どちらの事を指したのか。その言葉に返事はなかった。
ベッドの上等なスプリングは軋む音一つ立てずに二人分の体重を支えた。どうやら晴信の理性は風呂場で事を為してしまおうとする情動を瀬戸際で押し切り、本当に逆上せてしまうような事態だけは避けられたようだ。そして今も景虎の上に覆い被さってはいるが、腕などを押さえつけて拘束するような事もない辺り、風呂上がりに身体を拭きあげ、髪を乾かしている間に幾分かの余裕を取り戻しているように見える。それは残り少ない対話余地でもあった。
「……知っているとは思いますが」
なぜそこに付け込まねば、と言葉を発したのか。そもそも僅かな隙を突こうとしたことすらやはり景虎の認知の外にあった。故にゆら、と揺らした瞳を
「……任せておけ」
と晴信が宥めたのも知らずにいたのだ。
かくいう晴信も瞳の揺らぎを安らかに受け止めたわけではなかった。むしろ生娘の見本のような反応が、人間というより天災の分類が相応しい女から飛び出してきたものだから、おっかなびっくり百戦錬磨の自分を演じただけのこと。
一先ず晴信は右耳に犬歯を当てた。本来はこの妙な緊張感を和らげるために口付けの一つでもしてやるところなのだろうが、そもそもこの女は接吻で心を落ち着かせられるほどの経験を持ち合わせているのだろうかという一抹の不安から、閨事がどういうものかを実感させるために相手の身体の一部分を口に含んでみせたのだ。
じゅ、と音を立てて吸うとこれまた未知の感覚に驚いて景虎の身体が痙攣した。あまりに拒否感が強いのであれば一旦切り上げるということを頭の片隅に入れて晴信はそのまま首筋に唇を這わす。
「私は食べられてしまうのでしょうか」
頼りない命の幹。人体構造の欠陥の一つ。サーヴァントとして生まれ直してなお急所に他ならない部分を口にされて出てきた言葉が、事実関係を確認するようでいてその実少々情けない響きを持っていたことに景虎は困惑した。
「そういうもんだ」
晴信は鎖骨を吸い上げて咲かせた赤をぼんやりと見つめた。
何かがおかしい。ヤケにそれらしい空気が流れている。これも洗脳の一種だろうか。そうであってほしい。そうに違いない。だから、サッサとこのクソッタレ部屋から出て全て忘れよう。忘れてしまうのならばもう何が起こったとしても、何を見て、触れて、感じたとしても無問題だ。
「晴信……?」
動きを止めた事に対する困惑が景虎の唇から吐き出された。さながら怒った親の機嫌を取るような幼子であった。しかし精神統一をしている晴信にとっては景虎が余計な一挙手一投足を起こすだけで、より事態が混迷を極めていく悪循環。
更に何を思ったか、景虎は晴信の首に腕を回し、耳に本人の認識によると甘噛み。すなわち少々歯型が残る勢いで噛み付いた。
「っ……おい、どういうつもりだ」
「こういうもの、なのでしょう?」
しかしこれで我に返ったのもまた事実。終わることのない堂々巡りで頭が破裂してしまうくらいなら、いっその事針を刺してすべて吐き出してしまえばよいのだ。
「……正座」
「はい?」
「いいから、正座しろ」
「……はあ」
ベッドの上で対面している素っ裸の正座二人組。過去にこれだけ荒唐無稽な手を打った事など一度もないが、そもそもこの空間が不条理の体現のようなものなので不問としていいだろう。
「これも閨事の一環ですか?」
「こんな間抜けた閨事があってたまるか。ただ認識のすり合わせをしたいだけだ」
縮めたまま凝り固まりつつある眉間を指先で揉みほぐした。さて、どこから手を付けるか。心音にして三拍の思考の後に切り出した。
「お前、どこまで知ってる?」
「……源氏物語でなんとなく?」
「分かった。殆ど最初からだな」
なるほど、あれほど傍若無人な景虎が妙にしおらしいわけだ。己の無知を悟るに不足のない付け焼き刃を携えて自分なりに事を進めようとしていたのだろう。仕方がない、と一つ溜息を吐いた。
そういう訳で、このすっとこどっこいな部屋の意思から半歩はみ出した性教育兼性行為が幕を開けるのだった。
「まず……交合うことの本来の目的は分かってるか?」
「それは流石に分かりますよ。交合うことで、子を生すことができるそうですね」
「そうだ。本来は子孫を残すために交合う。もしくはサーヴァントの身だと魔力供給を目的とすることもあるだろう」
「それがどうして恋愛感情、ですかね。その発露として行われているのでしょう?」
「それは俺にも分からん。だが交合うことで肉体的な快感だったり、相手との連帯感だったりを感じることで精神的に満たされる場合が多い」
「実際のところ晴信の場合はどうなんです?」
「……言わせるな。分かるだろう」
「いいえ、さっぱり」
「……それは置いておくとして。今回は子作りも魔力供給も目的としていない。だから自然と精神的な充足を目的として交合うことになる」
「目的はこの部屋からの脱出では?」
「怯えているくせによく言うな」
「は?調子こいてると殺しますよ?」
「部屋の外にしろ。ここでやりあってもつまらん」
「む、それもそうですね」
「それで肝心のやり方だが、互いの身体の準備をしてから女陰に魔羅を挿れる。そして魔羅から子種が出たら終わりだ」
「なるほど、全体的な流れとしてはそうなるんですね」
「具体的な手法は……逐一説明していたら日が暮れる。だから実践しつつ覚えてもらう」
「……私にできますかね」
「俺がお前に触れるのをそのまま真似て俺に触れればいい」
「なるほど、それなら私でもなんとかなりそうですね」
「それじゃあ実際に始める、が。その前に。適当な単語を一つ挙げろ」
「毘沙門天」
「どうしても嫌だったら力に訴える前にそう言え。やり方を変える」
「分かりました」
「……じゃ、始めるぞ。心の準備は出来てるか?」
「愚問ですね。一体誰に聞いてるんです?」
「分かったよ。触るぞ」
二人が始めに触れたのは頬。髪を耳にかけてやり、掌で首筋を撫でた。
「そんなに命が欲しいんですか?」
「違ぇよ。こんなのは前座の前座だ」
「今のところ何が違うのかさっぱり分かりませんが」
「少し黙れ。ベラベラ喋りながらするモンじゃない」
据わりの悪さを軽口が埋めていく。撫でる、舐める、吸う、揉む、噛む、挿し入れる。身体の損壊を伴わない肉薄に軋む何かの音を無駄口で誤魔化す。拒絶せざるを得ないような不快感を伴っているにも関わらず、手放してしまいたくない二律背反が体温に融けて有耶無耶にされていく。
ありとあらゆる方面で百戦錬磨の晴信の手を以ってしても景虎は生理現象以上に濡れていくことはなかった。
「いつまでやるんです?これ」
「こういうのは根気だ根気。お前みたいな処女相手じゃ特に」
といったやり取りを片手を占領する程度は繰り返し、晴信は矜持の危機に焦りを募らせ、景虎は分からないことづくめの今に対する退屈と落胆をひた隠し、それら全てを体温の交流に放り投げた。
仏の顔も三度までとはよく云われている。そのところを七度耐えてみせた毘沙門天もとうとう限界を迎えた。
「もうまどろっこしいのはやめです!」
終わりの見えない前座に間延びした空気の虚を突いて景虎は晴信を突き飛ばした。
「要はこれが入ればよいのでしょう?」
押し倒した晴信の逸物───景虎の拙い愛撫によって辛うじて行為に耐えうる強度を得た其れ───を意気揚々と引っ掴んだ。
「おい、待て!」
「もう何度も待ってますから!意地を張り通すのもいい加減にしなさい」
聞く耳を持たないのはお互い様。そっちがその気ならこっちもそうする、それだけのことだ。どうすれば入るのか見当もつかないが、とりあえず晴信が執拗に押し広げていた洞のようなところにさえ入ってしまえばいいのだろう。
己の手を以ってしても善がらせるに能わぬ女がいる事実は晴信にとって受け入れ難いものであった。しかし自身の腰を逸物に押し付けて無理矢理事を為そうとする景虎に、自身の過ちを悟らないほど判断力が鈍ってもいない。
「なぁ、悪かった。悪かったから」
「じゃあさっさと挿れてください。もう同じ展開には飽き飽きです」
「お前その勢いだと間違って尻に入るぞ。落ち着け」
その一言に怯んでようやく景虎は動きを止めた。それを確認して晴信は上半身を起こす。
「……それで、どうすればいいんです?」
「位置は俺が調整する。お前は痛みが生じないようにゆっくり腰を下ろす。痛んだら引く。それを繰り返して奥まで挿れる。以上だ」
「簡潔極まりすぎて情緒もへったくれもないですね」
「お前相手じゃ今更だ」
言葉の応酬の間に二人は体勢を取っていく。晴信は胡坐を組み、その上に景虎を向かい合わせに座らせる。景虎は晴信を支えにして腰を浮かせる。「もう少しこっちだ」と晴信は景虎の腰を抱き寄せ、血の通った大筒を反対の手で固定する。
「……よし、いつでもいいぞ」
晴信がそのように告げてすぐ、銃口が泥濘に沈み始めた。おずおずと深められていく貫入は止まることを知らず、却って晴信が不安になってくる。しかし神妙な顔で様子を伺いながら腰を沈めていく景虎を制止するのもまた筋違いというもので、ただ見守ることしか出来ない。あまりにも挿入時の摩擦を無視して強行突破する姿勢が見えたら止めるか、と心を落ち着かせた。
剛直の先端に固く結ばれた何かがみちりと密着し、ようやく貫入が止まった。
「……っ」
景虎が息を詰めた。ここまで来て初めて身体的な苦痛に顔を歪めている。
「深呼吸しろ、深呼吸」
こめかみに汗を滲ませつつ景虎が頷く。こんな時でも呼吸法は洗練されておりものの数瞬の間にある程度の落ち着きを取り戻した。
「何とか、入りましたね」
「そうだな。具合は大丈夫か?」
「痛くはないんですけど、苦しいですね」
「そうか」
少なくとも痛みがないのであれば堂々巡りする愛撫も無駄ではなかったのだろう、と胸を撫で下ろす。
「それで、どうしたら子種が出るんですか?」
「魔羅に特定の刺激を与え続けると出せる……まあ、要するにこの状態からお前の女陰で扱いてもらう必要がある」
「それ本気で言ってます?今も割と苦しいんですが」
「だからお前が上なんだよ。多少は調整が利くだろう」
「確かに。私目から鱗です」
「俺もすぐイけるように最善を尽くす。頼むぞ」
「全く……仕方ないですね晴信は」
景虎が重い腰を上げ、下ろす。浮かせて、沈めて。引いて、押し込む。そうして動きの要領を掴んだのかぎこちない動きが段々滑らかになっていく。
「……くっ、ふ、ぅ」
正直そこに技巧の欠片も存在しない分晴信にとってはもどかしい。初物特有の暴力的な締まりから必死で快楽を拾っている状態である。生殺しもいいところだが景虎に至っては苦痛でしかないにも関わらず健気に揺れているのだからあまり文句は言えない。
「景虎、捻る動作も、入れてくれ」
「こう、ですか?」
「っ……!そう、だ」
前言撤回。身体の使い方に習熟している分筋が良い。この調子ならあまり苦しませずに事を終わらせられそうだ。
「はるのぶ、こんな時に言うべきことではないのかもしれませんが」
そうだった。今身体を交えているのは何もかも順調なところを全てぶち壊していく自然災害そのものだ。
「ぐ、後じゃ、ダメか?は、ぁ、もう少し、で」
「さっきから、ずっと考えてたんですが」
抵抗も虚しく語り続ける。
「はるのぶの、命を手に入れた後、どうしようかと」
「やめろ萎える」
こんな時にまで戦の話を持ち出されたら怖気で熱が冷めてしまう。身体を交えている以上存在の境界線は平常より曖昧で、本能に近い感情がより強く迫ってくるのだ。
「晴信に勝って、決着を付けて、ずっと欲しかった命を自分のものにして。その後はどうなるのだろうと」
抽挿を続けながら切り出された話が想定よりもずっと真剣なものだったので晴信は呆気にとられた。近づいてきていた吐精感には泣く泣く舞台袖にはけてもらうことにした。
「晴信を殺したら、二度と晴信は殺せません」
「そうだな」
「ずっと晴信と死合いたいのに、殺してしまったら死合えません。殺したいのに、殺したくないです」
罪悪感。独白を聞かされた晴信の心境にラベルを貼ってしまうならそれが一番適切なのかもしれない。秘め事を埋めた墓を暴く倫理の侵害。語り始めたのが景虎本人であるとはいえ、胸に刺す影は間違いなくそれであった。
「……お前がその心配をする必要は無い」
突っかかりを吐き出しつつ諭した。晴信自身落とし所を探っている最中だがそう言わなければならなかった。
ナイス甲斐は女を不安になどさせないものだ。
景虎が驚いたように晴信を見つめた。この世の絶望が彼女の眼窩で煮詰められていた。見た者全ての恐怖を掻き立てる瞳。だが、しかし。
「勝つのは俺だ」
神や魑魅魍魎は絶望などしない。
晴信の口を衝いて出た言葉が暗黒の釜を揺さぶる。
「……それでこそ、晴信ですね」
ふと気が付くと、景虎は顔を歪めていた。まるで膝を擦りむいたかのように、あるいは高い所から落ちて頭を打ったかのように。
「俺からもいいか」
「何です?」
「もう限界だ」
情けない顔をした宿敵など見ていられない、というのもそう。しかし本音はもっと俗物的。
景虎の脚をそれと同じ太さの腕で抱える。
「えっ」
そのままドス、と肉塊で貫いた。
「───ぅ゙!?」
景虎の苦悶も聞き入れず揺さぶる。
「まっ……て、はる、のぶ」
「嫌なら、言うことがあるだろう?」
「そうじゃ、な……は、るの、」
「あと、お前な、そういう話は、焦らしながらするモンじゃねぇ。ふっ、は、」
「んっ、ぐっ、うぅ……!」
景虎は圧迫感と内臓を押し上げられる不快感に呻いた。それでも景虎に訴えかけるように晴信は瞳を見つめる。
「俺がお前に勝ったら、お前の分まで、マスターの元で武勲を挙げてやる。余暇はドライブやら、歌合やら色々やって穏やかに過ごすさ。そして、酒飲んだ時偶に、お前のこと、思い出してやる」
「なに、いっ、て」
「さっきも言っただろ、お前が心配することじゃない」
景虎の頭に話がきちんと入っているかは定かではない。だが景虎は晴信の背後に腕を回して、晴信の右耳に甘噛みすなわちそこそこの力で噛み付いた。
生涯不犯とはいえ甘え方すら心得が無いのか。詮方ない。
晴信は景虎を耳から引き剥がした。先程とは別種の情けない顔をしていてとても見ていられず、目を伏せた。
「──んっ」
そのまま景虎の白みがかった唇を吸った。悟られぬように表情を伺うとつい数瞬前より良い顔色をしていた。景虎が次の反応を示す前に、もう一度吸った。今度は舌でその小さな口を割り開く。
「んむぐぅ!?」
「……ぷはっ、接吻くらい知ってるだろ」
今のはほんのチュートリアルにすぎない。だから待てもやめろも聞く気はない。ましてや「毘沙門天」などという寝ぼけた戯言など言わせない。
吸って、絡めて、嬲って、蹂躙する。景虎の背筋がびくりびくりと震えている。蕩けるような舌触りと仄かな甘味に耽溺する。
景虎の舌が瀬踏みするかのようにこちらに擦り寄ってきた瞬間、待ちわびた吐精感が臨界まで達した。
「ッ──!」
どくどくと景虎の腹の奥に精を注ぐ。一滴も残さずに植え付ける。酩酊する頭をたった一つの意志が占領する。景虎の最奥を必死に圧して溢さぬようにと。
気が付けば身震いすら許さぬほどに景虎を抱きしめていた。
「最悪ですね」
「……面目次第もない」
景虎は下腹を宥めるように撫でつつ、晴信を一言罵倒した。事実最後の方は一方的な性処理と云われて相違ない抱き方をしてしまったと痛いほど自覚している。
「手紙に書かれている通りならこの部屋から出られるだろう。……とはいえ今の状態じゃとても出ていけん。湯浴みだけして──」
男としてのふがいなさから一瞬目を離した隙に、ガチリと音を立ててその口は噤まれた。口内に広がった鉄の臭いと全身を拘束する温もりを認識してようやく景虎に口付けされているのだと気付いた。
「……何故だ」
「閨事がこんなに最悪なものだとは思いませんでした。何が楽しいのかちっとも分かりませんし、苦しいことこの上ありません。……ですが、なぜ閨事をするのか分かった気がします」
晴信は抉られた傷口に顔をしかめつつも口を挟まず次を待つ。なぜなら景虎は最悪な気分の顔をしていない。
「……同じですね。私たち」
景虎の口から紡がれた素朴な一言。
「……一緒にすんな、クソ女」
結局それに返せるのは負け惜しみくらいのものだった。
「……というわけでもう一回しましょう。戦とは違った気の高鳴りを感じなくもなくもなくもない気がしますし。何より、私また見たいです。晴信の酷い顔」
「上等だ、今度こそ泣いて善がらせてやるよ」
余談だが、部屋のアメニティの中に感度を増強するご都合主義的な秘薬や大人の玩具があったり、部屋から出た後雛鳥の様に景虎が晴信の行く先々に付いて回るようになったり、まあそれなりに色々あったのだがそれはまた別のお話。