時計塔のマリア

時計塔のマリア


ああ、ああ。

腹の底から体が灼けつく。背筋を熱が走る。

高速にのった斬撃に、炎を上げる血を跳ね返す二枚刃が煌いた。

初めのうち勝っていたリーチは、酔いを醒ますほど甘く熱い血を纏う斬撃にひっくり返された。連撃の途中に武器の変形を行う手つきは美しく洗練されて、暗い夜を見慣れた両目を焼く、赤い光の中からおれを追う。

相手は一人。おれも一人。

その内から、戦いに騒ぐ遺志のうねりが、彼方の声が腕を、脚を、おれたち狩人の業のすべてを突き動かしている。

秘匿に沈んでいた灰の瞳が血の残り火に燃え上がるその瞬間を、おれは見た。

おれたちの血の病、遺志を力に変える度強くなる、脳が痺れるような珀鉛の匂い、白い月を湛えるあのカインハーストで知った、赤子を求める血族の有様。

大義に酔った哀しい英雄、実験棟の海を宿す患者たち、失敗作の名で呼ばれる、神秘の"どん詰まり"、死の向こう側に隠された、悪夢の秘密。

おれも、彼女も、知っている。

あらゆることが、今、ここで、おれたちの間では何の意味も持たないことを。


鴉羽の外套が半ばから焼き切れ、撃ち込まれた水銀弾すらも融かして血が燃える。

互いに居合の構えを取った。"いつものおれ"じゃ、あの炎の間合いの外からじゃどう頑張ったって斬れやしない。

だがもうそれすらも、この瞬間に刃を止める理由には足りないのだ。

床の抜けそうな屋根裏を渡る、分厚い梁の上に体重をかける。

誰に教えられたわけでもない。ただただ息をするように、おれにも"それ"が出来るのだという確信があった。

ほとんど同時に引き抜かれた血の這う刀の切っ先は、彼女に届きはしなかった。彼女のそれも、おれに届きはしなかった。炎の色に塗り潰された視界の先で、あの熱い血の灼ける匂いが戦いの幕を引いていく。

またひとつ、夢が終わる。

思考を踏み越え自分の左腕が上がったことを知覚した時には、夜を忘れ日の差し込む時計塔に聞き慣れた銃声が響いていた。ついに体勢を崩した彼女が膝をつく。

おれと比べりゃ小柄な体に覆い被さるようにして、熱に満たされた中に腕を差し込んだ。劇毒であるはずの血がおれの傷を癒していくのを、おれは、おれは。

引きずり出された内臓と、ひたすらに流し続けた血に沈む彼女を、それでもおれは、ただきれいだとそう思った。


自らの血を厭い、獣狩りの師を慕った追憶が、祈りと探求の果てに圧し潰された絶望が、人ならぬこの血に流れ込んでいく。

おぞましい獣を宿すこの血が恐ろしかった。人でなしがバケモノに成るのは、呪いに穢れた血のためなのだと信じた。

だけど、あのクソみたいな医療者に占拠された診療所の前で、幼さを感じるほど柔らかく笑ったアリアンナの血を、故郷のようにおれを迎えたカインハーストの亡霊たちの想いを、頭蓋のどこかを引っ掻く美しい戦場の兄の姿を貶めることを、おれはもう自分に許せない。

時計塔のマリア。

あんたもおれも、大勢狩って血を喰らって、さんざん悪夢を歩いて、いつしか見ないふりができない所まで来てしまった。

おれたちをバケモノに変えたのは、身に宿る呪われた血なんかじゃない。ただ、己の吐いた嘘であると。

そして、だからこそ、おれたちは獣にはなれなかった。遺志を継がずにいられない、狩人の業の上に立ち続ける夢の住人。

だからこんな悪夢の天辺で、この血を炎に変えたんだ。

もう、終わらせよう。

誰も彼も不幸にするだけの秘匿も、狩人たちの血塗れの悪夢も。

できるだろ。何回だって死ねるんだ。熱い"穢れ"を炎と変えて、血に宿る獣を焼いたおれたちになら。

カレルを宿す星見時計に向けて、鎖に吊られた星見盤を掲げる。

でたらめに動いた針が道を開いた。向こう側は、光で見えない。

絶えない雨音と潮の匂いに混じった腐臭とが、秘匿の深淵、悪夢の最奥へと、おれを導いていた。






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