春の盾は水鏡

春の盾は水鏡

天翔ける翼の最高傑作

「……で、やってしまった訳ですわね」


「仕方がなかったってヤツっス。面子がとかそんな所から、かけ離れてるんスから」


「今日の貴方は、運が良いですわよ。2時間でしたら捻出できます」


思わぬアポの承諾に、オルフェーヴルは黄金の脳細胞をフル回転させた。



──悪友ゴールドシップへの、売り言葉に買い言葉。

絶望的な、京都3200でのタイマン勝負。


退けなかった。ここで尻尾を巻いて逃げる真似をしたら、あの子に示し合わせがつかない。

退かなかった。天国のあの子が、空から自分を見ている、探しているのだから──


過去の天皇賞・春──苦い思い出が、思わず氷解した。

不利と言われる大外枠であったことを差し引いても、あわや故障を思わせる走りで11着という、惨めな結果。

おそらくあのトリックスターは、それを分かっていて『壁』として突き付けて来たのだろう。


だが、その目論見は勘違いの産物だ。

勝機はある。当時のオルフェーヴルはまだ、仕上げと違う慣れないバ場にプライドが許さず、その結果故に半ば諦めるかのような走りをした。

それが無思慮な子供の駄々だという事を、今のオルフェーヴルは理解している。

そして──



「あの苺饅頭には、2個だった大福を、1個くれよと食べられましたから。食べ物の恨みは、恐ろしいですわよ」


その道の匠に、頭を下げる事をオルフェーヴルは覚えていた。

大事なのは勝ち方ではなく、勝つことなのだ。


対峙するは最強のステイヤーにして、春の盾に愛された女王、メジロマックイーン──その勝ち方はあの皇帝を思わせ、圧倒し退屈すら覚える程の安定さを誇る。

現役時代を超越し、同じく鬼を超えた鬼として仕上げてきたレコードブレイカー、ライスシャワーへのリベンジを果たした『オールウマ娘大感謝祭』での凛々しき走りは、記憶に新しい。

今や芸能ウマ娘の大御所と持て囃されるお茶の間の女王の、もう一つの勝負の顔であった。

何よりオルフェーヴルは、この名優に運命的なものを感じていた。ウマソウル、というやつだろうか。


「ありがとう……ございます」

「変わりましたわね。あの時ライスさんに勝つと、もう一度叫んだ時の私を思い出しますわ」


金色の暴君には、既に見えていた。トリックスターが沈み、笑われながらレースを盛り上げる道化に成り下がる姿が──



「春の盾は水鏡、決して錆びることはありません」

決戦当日。18万という有り得ない観衆の数が、大御所マックイーンの力を表していた。

強かな女だ。力を貸す条件は、レース模様を生放送でぶち抜く特番の許可──構わなかった。

大観衆のざわめきは、あの子にここに居ることを教えてくれるのだから。


「わたくしの為に争っているんですの?」


「それでいいんじゃないスか?」


「いやちげーだろ。勘違いすんじゃねーぞジェンティル、このアンチェインゴルシちゃんにも、負けられない戦いってのがあるだけだ……何だマックイーン、アタシの顔にケーキでもついてんのか?」


「ふふふ、何でもありませんわ」


ドロワットで、凱旋門賞でお披露目した艶やかなドレスを各々勝負服として弾み響く姿は、最早映画の世界だった。


「か、カッケー……!」


キャストのひとりであるウインバリアシオンが、観衆を代弁する。

それは当然の言葉──この花も恥じらい、月も雲に隠れる『喬』の前には、あらゆる語彙を喪うのが普通だ。


「これテレビなんだから、皆主役っスよ。というか影だとか、善戦マンだとか、バイプレーヤーだとか言わせないっス。ウインバリアシオンはウチの好敵手で、強いウマ娘っスから」


地鳴りのように、巻き起こる大歓声。

嘘ではない。唯一自分と最後まで抗う姿に、ライブを含めた確かな実力──多くのファンを魅了する姿を、オルフェーヴルは高く評価していた。


「お……おお……!」


「バラエティ適正も、あるのかも知れませんわね」


「ならバラエティらしく、勝った方とくっつこうかしら」


「おいバ鹿!」


「へっ、やっぱタックルちんちくりんと付き合えても何も嬉しくないっスね、忌憚のない──」


黄金に輝く尻尾をたなびかせ、タックルを華麗に躱す。

熟練のスウェー。やられっぱなしでいられるのは、真っ平だった。


「ふんっ!」


「準備運動、終わりっスね」


「さあ、やろうぜ。メンコがあっから負け方の復習はバッチリだな?何なら目隠ししたまま走ってやろうか?」


「根っからの不良なんで、勉強とかもう忘れちまったっスね。結果も違ってくるんじゃないスか?」


遠い遠い天国から、見ていてください。

オルフェーヴルは、昔も今もこれからも、世界一強いウマ娘ですから。

天国に祈った。他人の為に走るのは、これで二度目──恥じらいなど、もう存在しなかった。



……ったく、素直じゃねーんだから。

分かってんだよ、そこにはプライドもへったくれもねー。

ただあるのは、勝利を渇望する本能に従ったふたりのウマ娘だけってな。


「……ところで、おふたりは何処まで進みましたの?」


「ご、ご想像……にお任せしますわ、マックイーン様」


……一心同体を自白してるようなもんじゃねーか。

まあいいだろ、リップサービスはいつだって必要なモンだ。


同じ好スタートを決めただけに冷静だったぜ?アタシの作戦は教えねー。

的を絞らせないレインボー脚質は、とみに強いウマ娘の特権だ。

ただ、不穏だった。オルフェに惨敗みてーなリズムの悪い走りはない。

コソ練ってやつか?それとも──メジロマックイーン……!


繋がったわ、アイツの妙な自信……そーゆーことか。

となれば勝負は、捲る程強い上がり3ハロンの豪脚──凡走した当時でも、上がりのタイムはかなりの驚異だったハズだ。

これがバ場に合わせてきたとしたら、採るべきは……意趣返しだ、そのお師匠マックイーンみてーに無尽蔵のスタミナで擦り潰してやんよ……!


「1000メートル1分ジャスト4、18万の歓声が、割れんばかりの歓声がふたりだけの死闘を迎え……ここでゴールドシップが早くも仕掛けました!もはや暴走!予定外!これがゴールドシップの恐さ!ぐんぐんと、ぐんぐんと引き離してゆく!」


見てるか?これがアタシだけが可能なセオリー破りのワープだ。

天に祈ってんのは何もオメーだけじゃねー、もうこっからスタミナ勝負といこうぜ?地獄への片道切符だ……!


ゴールドシップ。真面目に走ってくれれば──と言われ続けたウマ娘。

オルフェーヴルはその『真面目』を今まさに、まざまざと見せつけられている。

最終コーナー前でも尚引き離しを図る尽きないスタミナは、天国を塞ぎ粥ぐ死に神にすら見えた。


「スタミナで徹底的に擦り潰し、もう手遅れだというバ身でプレッシャーをかける──ステイヤーの血が騒ぐ、呆れる程有効な戦術ですわね」


「流石わたくしのシップ……いえ、何でもございません、ここカットしてくださいまし」


「生放送にカットはありません!」


見せつけてくれる。

だがここからが、暴君の真骨頂──暴走はなにも、お前だけのものじゃない。

身体に鞭を打ち、出鱈目な猛加速をかけてゆく。


「ここで遂にオルフェーヴルが動いた!金色のバ体が跳ねる!滾る!このスピード!この力!差がみるみると縮まってゆく!ゴールドシップが最終直線に入った!逃げる黄金か、追う黄金か!」


「来たか、暴君!アタシゃ嬉しいぜ!」


勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい、キミと勝ちたい──


はじめて歌った時、オルフェーヴルはまだ、自分の為だけに走っていた。


そしてそれは、過去も現在も未来も、変わらないものだと思っていた。


語り合ったMEMORY──もう二度と来ない……


ラストランの日。その席に姿はなく、ただ花束が横たわっていた。


今の自分追い越すだけ──少しだけ、勇気をください──


勝利へ──キミと


「信じられない走りだオルフェーヴル!今正に我々は、歴史の特異点を垣間見ています!猛追、激追、豪追、並んだ、並んだ、並んだーッ!オルフェーヴル!ゴールドシップ!壮絶な叩き合い!逆襲の鬼謀!あの日の約束!もはや勝敗すら超越したふたりの走りは、げに一刻も千金──!」



潮騒のように、響いては遠くへゆく歓声。

とめどなく溢れ出る涙に、前後不覚を感じるほどだった。


誰かが、右手を支えた。前にもこんな事が、あった気がした。おもむろに振り上げ、天を指差した──手は三つあった。


「っぐ……その子に、名前……覚えて欲しかった……んだけどな……」


「何言ってんスか、今教えてやるっスよ……こいつは……ゴールドシップ、ウチのダチっス」


「また、3人でこれ、出来ましたね……!」


感極まって、思わず駆け込んだウインバリアシオン。

その構図は奇しくもあのラストラン、有マ記念と同じだった。


勝者、オルフェーヴル──あの日感じた何かが、もう一度花開いた瞬間であった。



「……やっぱウチのが軽いって、おかしくないスか?」


「……ばか」


ジェンティルドンナに天高く胴上げされたオルフェーヴルは、素直な疑問を口にし、恥ずかしげにあしらわれていた。


「大福一個でここまで命賭けるか?」


「やった側は覚えていなくても、やられた側はよく覚えているものでしてよ」


「やっぱおかしいっス。くっつくべきはウチじゃなくて」


尻尾ハグを解き、衝き動かされ駆け寄る形をとったジェンティルドンナを、ゴールドシップが抱き留めず……メジロマックイーンへと受け流した。


「あら」


「これよりエキシビジョンマッチ、ジェンティルドンナ対メジロマックイーンを開催いたしますわ!」


「なんなんですの!?聞いていませんわ!わたくしはこれからシップと一緒に朝まで──!」


「勝ったらゴルシちゃんのこと、好きにしていいぜ」


「これが本命っスから、舞台は整えておいたっスから」


「まさか知らなかったの、わたくしだけですの!?」


「でもカッケー走りで、ゴルシを射止めるんですよね!?ね!」


「〜〜!、〜〜!!!」



日はまだ、高い──



continue?

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