星十字騎士団、集結
空座町
「——“火遊紅姫 数珠繋”」
空座町の空を赤く染め上げる爆炎。
襲い来る龍の顎を爆破した浦原の一撃を前に、檜佐木は感嘆の声を上げた。
「すげえ……! でも、大丈夫なんすか、これ!?」
「フォラルルベルナ社長がなんとかしてくれるのを期待しましょ。ま、いざとなれば広域型の記換神機で処理しますけどね」
空座町の空で繰り広げられる戦い。
浦原、檜佐木と相対するは完現術者の女——道羽根アウラ。
と言っても、彼女は完現術の基礎である霊子の使役を高度に発展させた技術で龍の一部となっており、その姿を視認する事はできない。
「あの女……どこへ!?」
「恐らく、龍のどこかに隠れてるんでしょう。いや、自分の身体を煙みたいにできるんなら、そもそも隠れる必要もないんスけどね?」
「そんなもん、斬魄刀じゃ倒しようがないじゃないですか」
「斬魄刀によりますよ。一番相性がいいのは、日番谷サンでしょうね」
「……確かに」
相手が液体になろうが気体になろうが、問答無用で倒し尽くす事ができる斬魄刀の持ち主達を思い浮かべて、檜佐木が同意の言葉を返した。
しかし、当の檜佐木の斬魄刀は物理攻撃が主体であり——そういう意味では、自分は今回の敵とは最も相性が悪いという事に気付いて、檜佐木が問いかける。
「鬼道中心でやりますか?」
「ええ、とりあえずはそのつもりで……」
言葉の途中で、浦原が足元の影に視線を落とし、目を細めて笑った。
「おっ。来ましたね」
「……? 来ましたねって、なにが——」
発言の意味が解らず、檜佐木が何か問いかけようとした矢先————
唐突に、第三者の声が鼓膜を揺らす。
『やっぱりこっちが本命か』
じわりと何者かが影から滲み出る。
「お前は……!」
現れたのは、艶やかな黒髪を書類に使うクリップで留めた一人の少女。
驚きに目を見開いた檜佐木だったが、影から現れた人物を認識すると、すぐに顔色を明るくした。
「そうか……! お前も滅却師だから、影を使った移動ができるのか!」
『まあね』
適当な相槌を返しながら、滅却師の少女——カワキが、龍を見上げて銃を構える。
全てを見透かすような、神秘的な輝きを宿す蒼い瞳が真正面から龍を捉えた。
——そうだ、滅却師なら……!
滅却師は周囲の霊子を隷属させて、己の武器とする種族である。
中でも、指折りの霊子操作能力を持ち、広域殲滅を可能とする火力を備えたカワキであれば、アウラが煙になろうが、霊子を隷属させるなり、丸ごと消し飛ばすなり、やりようはいくらでもあるだろう。
霊子の使役によって攻撃を躱すアウラに有効打を与える事ができる援軍の登場に、檜佐木の表情には希望の光が差し込む。
檜佐木の隣に立つ浦原も、希望に満ちた笑みを浮かべて、カワキに目を向けた。
「そんじゃ、頼みますよ、カワキサン」
——俺と浦原さんで、こいつを援護して戦えば……!
援軍の登場で勝利への道筋が立てられると、カワキを主軸にした作戦を練り始めた檜佐木だったが————
猫のような瞳でじっと龍を見つめていたカワキが、瞬きを一つ。
希望は無惨に打ち砕かれる事となる。
『わかった。“帰る”』
「……? ……は!?」
一瞬、聞き間違いかと脳が理解を拒んだが——檜佐木が、カワキの言葉を理解するより早く、カワキは影の中に姿を消した。
カワキが現れた時とは別の種類の驚愕で目を見開いて、檜佐木が叫ぶ。
「おい、ちょっと待て!」
檜佐木の叫びも虚しく、地に落ちる影が動く事はなく————
ひどくシンプルな一言を残して、カワキは行方をくらませた。
◇◇◇
流魂街
不気味なオブジェのように流魂街に鎮座する巨大な球体。
それは先刻まで怪物の姿をしていた彦禰の斬魄刀——「已己巳己巴」が、ある二人の滅却師の攻撃で姿を変じたものだった。
球体の周囲から湧き出た白い霧から、翼を持つ無数の怪物が現れ、群となって攻撃者——ミニーニャとキャンディスを狙う。
「こんな斬魄刀ありかよ! っていうか、本当に斬魄刀なのか、これ!?」
「少し不味いかもしれないですねぇ……」
自分達に向かってくる怪物の群を、神聖滅矢で撃ち抜いていく二人だが、その数に押されて劣勢へと追いやられていた。
撃てども撃てども数が減らない——否、抵抗する二人の攻撃を上回る勢いで怪物が生み出され、本体にはダメージが通らないという状況だ。
統率された動きで的確に隙をつく大量の怪物達に、じわりじわりと戦況が悪化していく中————
『大聖弓(ザンクト・ボーゲン)』
決して大きくはないが不思議とよく通る澄んだ声は、キャンディスには聞き覚えがあるものだった。
本能的な恐怖で、思わず身体が固まる。
「えッ……?」
その声がこの場で聞こえて来た事が、何を意味するのか。
キャンディスの脳がそれを理解するより先に、視界を灼く閃光と耳を劈く地響きがキャンディスの思考を遮った。
「うわッ!!」
空に形成された巨大な光の重砲。
その砲口から地を砕くかの如き光の砲弾がいくつも放たれ、怪物の群を一気に薙ぎ払ったのである。
こちらまで巻き込みかねない苛烈な砲撃とは裏腹に、声の主は静かに空中に佇んで戦場を見下ろしていた。
『これも同一犯かと思ったんだけれど……それにしては妙な霊圧だ。死神のものとは違うな』
空に浮かぶのは、白い滅却師の騎士団服の上に黒い外套を羽織った蒼い瞳の少女。
その姿を見て、キャンディスは青ざめた顔で目を見開き、引き攣った声で呟いた。
「で……殿下……」
——有り得ない。
最初に頭に浮かんだ言葉はそれだった。
半年以上も前、地上に置き去りにされ、最後には力まで奪われた自分達とは違い、ユーハバッハは娘である彼女を“選んだ”。
霊王宮に同行した彼女とはそれ以降、顔を合わせる機会はなく——涅マユリから、彼女が土壇場で父親を裏切り、黒崎一護と共にユーハバッハを討ったのだと聞いた。
——生きてる……って事はあの話は本当だったんだ……。
怯えの色を浮かべたキャンディスの呟きが耳に入り、蒼い瞳の少女——志島カワキが、感情の読めない顔で視線を動かす。
『キャンディス、ミニーニャも……生きていたのか。どうしてここに?』
「あ、あたしは……その……」
恐怖と動揺で言葉がうまく紡げない。
足の引っ張り合いが日常の星十字騎士団で、数少ない仲間と認識している者達は、みんなカワキを慕っていた。
だが、それでも——キャンディスには、カワキは得体の知れない不気味な「何か」にしか思えなかったのだ。
嫌な汗を浮かべ、目を泳がせて口籠もるキャンディスに代わり、ミニーニャが先刻のカワキの問いかけに答える。
「涅マユリですよぅ、殿下。あの戦争の後に捕まって実験されてたんですぅ」
『……ああ、技術開発局に……』
自分から聞いておきながら興味なさげに呟いたカワキは、再び怪物の群へと視線を戻した。
突然やって来て自分達に加勢したカワキの意図は、キャンディスにはわからない。
死神に囚われた自分達を助けに来たわけではない、という事だけは確信があるが、カワキの考えなどキャンディスの思考の外にあるものだ。
だが——カワキがこの状況を打破できる超一級の戦力である事はよく知っていた。
ミニーニャも、キャンディスと同じ事を考えたのだろう。
「もしかして……加勢して下さるんですかぁ? 殿下が味方なら、安心ですねぇ」
「とっ、とにかく……! 敵じゃない……のよね? ああもう、わけわかんねえ!」
内心の恐怖を押し殺し、強がるように声を張り上げたキャンディスと、嬉しげな声で期待をかけたミニーニャ。
強力な攻撃を浴びせた新手であるカワキの力を分析しようとしているのだろうか、遠巻きに旋回しつつこちらを窺う怪物の群を冷めた眼差しで眺めるカワキは、能面のような表情で二人に問いかけた。
『それは君達の返答次第だ。そちらの飼い主は涅マユリ、この言葉に嘘偽りは?』
言葉を濁すという事を知らないカワキの不躾な物言いにキャンディスは湧き上がる不満をぐっと飲み込んだ。
今はカワキという特大の戦力を逃すべきではなかったし、カワキに真っ向から不満をぶつける事ができるほど、キャンディスの神経は太くなかった。
唇を尖らせながら、小さな声で頷く。
「…………無いわよ」
『……そうか。彼が飼い主なら私の探し人とは関係ないだろう。私の邪魔さえしないなら、私も君達の邪魔はしない』
「探し人……?」
敵か味方か——結局のところ、カワキは問いかけの肝心な部分に答えなかったが、キャンディスもミニーニャも、その事には気付かなかった。
探し人とは誰のことか。
何故ここにいるのか。
疑問は他にいくつもあるが、獲物を狙う獣のような瞳で眼下の敵を凝視するカワキの姿に、問いかけるだけ無駄だと悟る。
カワキに問いただす事を諦めて怪物の群に向き直った二人には目もくれず、彦禰と「已己巳己巴」を眺めていたカワキは口元に指を当ててぼそりと囁きを漏らした。
『……成程。この霊圧はそういう……』
つまらないと言いたげに、唐突に白けた表情で溜息を吐いたカワキに、今度は別の少女が声をかけた。
「派手な攻撃が見えたから、もしかしてとは思ったが……。なんだよ、殿下までいるじゃねえか」
その声は、今度こそキャンディスが再会を望んでいた者の声だ。
ばっと振り向いたキャンディスは、安堵と驚きが入り交じった顔で叫ぶ。
「リッ……リル!?」
『君達も生きていたんだね。てっきり陛下の手にかかったものだと思っていたよ』
こちらに近付いて来る新たな声の主は、星十字騎士団の制帽の下に独特の醒めた目を収めた少女——リルトットだ。
カワキは彼女の到来がわかっていたかのように、自然な調子で言葉を返す。
接近に気付かれていた事に驚く素振りはなく、リルトットは複雑な感情を滲ませて物言いたげな態度でカワキにぼやいた。
「……あんた、まだ陛下なんて呼んでんのかよ」
『……?』
言っている意味が解らないという様子でカワキが首を傾げると同時——囁くような声で呟かれたリルトットの言葉は、再会を喜ぶキャンディスの声にかき消される事となった。
「あ、あんた! あたしらを助けに!?」
次の瞬間、先刻の言葉など幻聴だったかのように、リルトットは普段の醒めた目に戻っていた。
呆れた調子で愚痴を漏らす。
「ったく、騒ぎに乗じて回収しようって腹づもりだったってのに、その騒ぎのど真ん中にオメーらがいてどうすんだよ、めんどくせー」
「ていうか、マジで生きてたんだね……。陛下に逆らったって聞いたから、あたし、てっきり……」
再会の喜びを噛み締めるキャンディスとは対照的に、リルトットは何かを警戒するように一定の距離をとって会話に応じる。
「あんなヤローを陛下なんて呼ぶな」
そう言ったリルトットの警戒の眼差しが向けられるのは————
「どっちみち、殿下がぶっ殺したからもう居ねえって聞いたけどな」
『止めは一護だよ』
リルトットの言葉を否定することなく、カワキは世間話をするように答えた。
物騒な会話に別の声が交じる。
「止めは、って事は殿下が裏切ったって話は、ほんとだったんだ」
『人聞きが悪い事を言うね、ジゼル。私はあの時も、心に従って行動しただけだ』
「言うと思った」
そう言って笑みを浮かべた黒髪の滅却師——ジゼルが、リルトットに並び立つ。
カワキに親しげな顔を向けるジゼルも、リルトットと同様、カワキを視界に入れて一定以上の距離には近寄って来ない。
会話を続けているうちに、観察に徹していた怪物の群が徐々に動きを変え始める。
見えない線の向こう側に立つカワキは、会話を切り上げて外套を翻した。
『無駄話は終わりだ。私は戦いに戻る』
「行ってらっしゃーい、殿下。あ、ボク達を巻き込むような攻撃はしないでねー!」
ふりふりと手を振ったジゼルがカワキを見送ったのを見届けてから、リルトットはやっとキャンディス達に向かって歩み寄ると、キャンディス——ではなく、彼女の服に仕込まれた通信機の向こう側にいる者と交渉を始める。
「聞いてんだろ、涅マユリ。取引だ」