早い、早いよスレッ民さん!
女の身支度には時間がかかる。
それが最愛の男とのデートならば更に段違いにかかるものだ。
「よし、可愛い」
鏡を見てから最後のチェックを済ませたアイは、映る自分にウィンクを一つ。
長い髪はアップにまとめ、少しだけカールを巻いている。お目々はぱっちり、メイクは明る目。
誰もが振り返る美女の姿がそこにあった。
服装は小柄故にガーリーに、しかし可愛すぎないようにシックにまとめている。
アクセサリは多くはつけない。精々安っぽいシルバーの簡素な指輪をつけるだけだ。
場所は左手薬指。最愛の人からのプレゼントを今朝もハメて、指輪にキスする。
大きなサングラスに、かぶる帽子は大きくて深め。可愛さもあるがどちらかと言えば自分の正体を隠すためのものだ。
「アクアー準備できたよー」
言いながら、最愛の人の待つ居間へ向かう。
そこには、電動車椅子に乗ったアクアがノートに何事かを書き込んでいた。
彼は彼女の呼び声に反応して顔をあげてこちらを見る。
「今日は早かったな。お、可愛いじゃん」
「うへへ。アクアは今日もかっこいいよ」
アクアの服装は、大きく普段とは変わらない。
だが、髪の毛は整えられ。服装は彼の好みのジャケットスタイルだ。
アイと同じように色はワンアクセント入っているが、基本はシックにまとめられている。
かっこいい。
ニヤける顔が止められない。
アイはアクアに抱きつたい衝動に駆られたが、我慢する。
ここで抱きつくと、盛り上がってしまいそうだからだ。
「それじゃあ行こっか、アクア」
「わかった」
互いに、確認する事は多くない。
アクアは車椅子を手元の方向キーで操作すると、アイの目の前にやってきた。
アイはそのまま、アクアの車椅子を押しはじめる。
家族で決めた事柄だ。家族のつながりのためにアクアの車椅子は家族が押すことにしている。
「それで、今日はどこに行くんだ?」
「うーん、それなんだよねぇ・・・」
アクアの問いかけに、アイは唸った。
今日のデートは定期的な物だ。
目的も、場所も時間も明確にはせずに、二人で外出する。
目的は、それだけだ。
「この前は山に行ったし、今回は海にでも行こうか。あ、ちょっと動かすよ」
「うん。海かぁ、久しぶりだ」
話しながら、アイは車の助手席にアクアを車椅子ごと載せる。
普通車ではあるが、車椅子に乗ったまま乗り降りできる特別車だ。
車椅子をしっかり固定して、アクアにシートベルトをつけさせる。
安全運転を心がけるが、事故は選べない。
不注意は起こるし、不幸は降りかかる。
自分が死ぬだけなら別にいい。
だが、万が一アクアが怪我を負ってしまったらと思うだけで寒気が走る。
「とりあえず、街中軽く流してみようか。あ、アクアはどっか行きたいところある?」
「え?うーん・・・特にはないかな。あえて言えば、たった今海になった」
「もう、いい加減なこと言うんだから」
アクアの面白がるような仕草と表情に、アイは頬を膨らませて心に広がる喜びを隠して、車を発進させた。
一緒にデートを楽しんでくれる。それを感じ取れるのは嬉しいものだ。
こういったデートは初めてではない。家族の、今はアイとアクアで取り決めたプチ旅行のようなものだ。
本来はルビーとも行きたいが、ルビーにはなんだかんだ理由をつけて断られている。
「高校はどう?面白い?」
「普通だと思うよ?悪くもないし、楽しいとも言えない。まぁ、仕事の関係で学校に融通効かせてもらえないのはキツイかな」
運転しながらのアイの言葉に、アクアは苦笑しながら答えた。
アイはもとより、アクアとて暇ではない。
少し前に、著名な映画監督から助っ人としてアクアを名指しで呼ばれた事もある。
映画の撮影は、数週間どころか人によっては月単位、年単位かかることもザラだ。
そうなると、高い成績は保持していても、学業には支障が出てしまう。
「もう、それならやっぱりルビーと一緒の芸能科にすれば良かったのに」
「いや、俺はあくまでも映画監督志望なだけで、芸能人ではないし。そっち映画方面の学校に行くのも迷ったけど・・・ルビーに言われたしね」
その言葉に、胸に暖かさと痛みが走る。
ルビーと言う愛する娘を大切に思ってくれること。
そして、自分と同じ男に惚れているルビーを大切にしていること。
両方が合わさったからだ。
「テレビの露出、増えてるんでしょ?もう芸能人兼監督志望って事でいいんじゃない?あ、それなら私の事務所に移籍しない?」
「母さんの個人事務所に?いや、それはそれで大変だし、ミヤコさんにはルビーの事で助けられてるからね。俺はしばらくは苺プロでいいよ」
「むぅ・・・別にいいじゃん」
頬を膨らませて不満を吐き出す。
アクアの変な所で真面目で義理堅い性格は、大好きだがこういう時には都合が悪い。
「そういうわけにはいかないよ。アイだって、ミヤコさんには頭が上がらないだろ?」
「まぁ、ルビーの面倒見てもらってるし、女優業に転向できたのもミヤコさんのおかげだからね」
渋々というように、アイは不平不満を抑え込んだ。
そこからしばらくはアイの仕事やアクアの日常など、他愛もない話をしながら車を走らせた。
偶に会話がなくなるが、不快ではない。
道を走っていると、遠くに海が見えた。
場所は特に決めていないため、運がいい。
近くの駐車場に車を止めて、アクアを助手席から下ろす。
潮風が、二人を撫でていく。
「海の匂いだ」
アクアが思わずというように呟いた。
「ちょっとこの辺り周ってみる?」
「母さんが良ければ、ちょっと見てみたいかな」
アイが、アクアの車椅子を押しながら適当に歩いていく。
なにか有名な公園や行事があるわけではないのだろう。道は閑散としているが、寂しい訳では無い。
「なんか良いよね、こういう雰囲気」
「あぁ・・・ごめん。ちょっと待ってもらえる?」
アクアが突然、懐から小型のカメラを取り出して撮影を初めた。なにか、インスピレーションを受けたらしい。
「ピントはぼかして、フォーカスさせる?いや、こういう日常はバンさせてたほうが・・・でも、見えないほうが世界観膨らませて・・・」
アクアは、真剣な目で口元に手を当てながら考え込んでいる。
アクアの癖だ。睨みつけるように見据えながら、インスピレーションに従うようで疑っている。
それは、アイの好きな顔だった。
瞳に光が宿り、見るものを惹きつけていく。
アイは運良く隣にあった自販機で水のペットボトルを2本買うと、年季の入った長椅子に腰掛ける。
宛も目的もないデート、こんなこともあるし、醍醐味だ。
「あ、ごめん。なんか集中してた」
アクアが思考の渦から帰ってきたのは、アイがペットボトルを半分ほど飲んだ後だった。
「いいよ、大丈夫。でも、デート相手を放っておくのは感心しないなぁ」
アクアをおちょくるように言いながら、アクアに水のボトルを渡す。
彼は一口水で喉を潤してから口を開いた。
「本当にごめん。なんか良いなって思っちゃってさ」
「ふふ、それは仕方ないね。じゃあ、行こうか」
散歩を再開する。
どこにでもあるような日常を、他愛もない会話をしながら二人は堪能した。
「さっきのラーメン屋さん、ちょっと味が濃かったね」
「そうかな?俺は嫌いじゃないけどな」
途中、やはりどこにでもあるようなラーメン屋さんに入り昼食を取った二人は、今は海辺に設置された屋根の付いた椅子に座っていた。
潮騒が心地良い。
車も人通りも少ないので、周囲には誰も居ない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人に言葉は無かった。
海を見ながら潮風に吹かれ、アクアのくせっ毛がたなびいている。
アイは隣に座るアクアにもたれかかるように体を預けた。
一瞬アクアが体を強張らせたが、すぐに受け入れてくれる。
アイ手が、アクアの手に触れる。
「アイ?」
彼の言葉を無視して、その手を絡め合うように握りしめた。
ゆっくりと、彼のゴツゴツした長い指を味わうように。
いわゆる、恋人つなぎだ。
「寂しかったかな。お姫様」
「うん。寂しかった」
ストレートに返す。
「ごめん」
「ううん。いいの。アクアが側に居てくれるのが嬉しいから」
アイは小柄で、アクアは車椅子に乗っているが長身だ。
その為、座っていてもアクアを少し見上げるようにしなければならない。
すぐ間近に写ったアクアの瞳には、潤んだ瞳のアイが映っている。
「アクア、大好きだよ。愛してる」
粘り気を持った言葉だった。
ささやくように、つぶやくように、絡みつくように吐き出されたその意図。
対するアクアは満面の笑みを返してくれる。
「俺も大好きだし、愛してるよ。母さん」
それは、アイが最も欲しい言葉に近く。
アイが求める応えから最も遠い応えだった。
「嬉しいよ、アクア」
アイは赤くなる顔を俯かせて、しばしのデートを楽しんだ。
アイはアクアを愛している。
だがそれは、親子の愛ではない。
女が男を求める愛だ。
アクアとのデートを定期的に行うように家族だからと言いくるめ。
普段よりも長い時間をかけて化粧を施し。
好きな男を隣に乗せたいために車を買って。
娘が来ないのをいい事に、二人だけの時間を過ごす。
アクアは気づいていないが、渡したボトルも蓋が開いている。2本とも蓋を開けて、アイが口をつけているのだ。
固執の門前で、無警戒に自分と間接キスをする姿にゾクゾクした。
どこに行きたいと言われて「ラブホ」と答えなかった自分を褒めてやりたかった。
お風呂上がりの火照ったアクアを、何度襲おうか悩んだか知れない。
自分の愛が歪であることは理解している。
自分の愛が許されぬ物であると理解はしている。
いずれアクアは愛する異性をみつけで付き合うことになったり、結婚したりするのも覚悟はしている。
だが、それが何だというのか?
倫理など関係ない。
そんな事で誰かを傷つけるわけではないのに自分の愛を諦めたくはない。
なぜなら
「やっと、嘘が本当になったんだもん」
「え?なにか言った?母さん」
「なんでもないよ・・・愛してるよ、アクア。誰よりも、何よりも」
やっと、見つけた彼女の本物の『愛』なのだから。