日誌に触れられるのが怖いローの話 

日誌に触れられるのが怖いローの話 



支援SS サンジが出張ったのは宴の片付けするから丁度よかったので


ローにとってロジャーの航海日誌は宝物である。

それは大好きなおじ様からの贈り物であるからであって、中身が誰それの黒歴史であることには特に思う事は無い。

故にぽろぽろと当事者からしたら憤死もののそれを所構わず暴露してしまうのだが、その入手経路を知っている方は強く咎められないし取り上げるなどもっと出来ない。

年季の入った革表紙のそれに挟んだ栞を外して一日の終わりに読み返すのがローの夜のルーティンとして馴染んで久しく、今日の業務を終えて既に何度も読んだ部分を指でなぞりながら読み進める。

いつもと違うのはここがポーラータングではなくサウザンドサニー号のアクアリウムバーであった事と何徹だったかは忘れたが徹夜続きであった事。何度目か判らない適当な理由の宴に何故か乗り気なハートのクルーたちがあれよと言う間にローを連れて乗り込んでしまった為、仕方なく乗船して日誌が落ち着いて読める場所としてここを提供してもらったのだ。

まだ飲んでいる奴らもいるらしく些か騒がしい外に思わず口端が緩んだ。

普段ならこんな時間まで騒いでいる事に一言二言小言を零すが、今はそれすらも許せる程度には彼らに対して馴染んでしまったのかという自嘲も混ざっている。

ちらりと扉の方を見て、すぐに日誌へと視線を戻す。

これ以上騒ぐようなら頭上に水でもシャンブルズして酔いを覚ましてやればいい。

ちょうど日誌内でもロジャーが宴でうっかり酔っぱらって転がったレイリーに躓いてエールを顔面にぶちまけたあげく髪を踏んづけて円形脱毛症みたいになったとの記述もある事だし。

古びた紙をゆっくりと捲る。

何度も読み返し開きやすくなったページをゆっくりと、その内容を思い返しながらゆったりと。

ぼんやりとした視界に寝そうだな、と自覚しつつも文章に集中する。

白ひげ、赤髪、バギー、レイリー……名だたる海賊たちの記述と、海軍の大将たちの記述も時折。

色んな場所の特産や街並み、その中にはローが足を運んだ場所も多く記されている。

これはロジャーの旅路だ。

彼が辿った人生の航路だ。

父に治療を頼んだという記述の後は、フレバンスでのトラファルガー家との交流も書かれていた。

コーヒーを一口飲み、日誌に掛からないように離れた場所へ置く。

苦みの残る口内に僅かに覚めた意識で今日読むと決めたページに指を掛ける。

『ロー』

優しい声がする。

おおらかで騒がしい、けれどローやラミに対しては優しかった彼の声がする。

『寝るならベッド行けよ、風邪ひくぞ』

ロジャーの技を再現しようと無茶をした日の夜に聞いたような、笑い交じりの声が、する。

「(……ロジャーおじ様)」

剣ダコのある武骨な掌が、頭を撫でたような気がして。

その温かみに誘われるようにローは眠りに落ちた。


声が、する。

『ーー?ーーー。』

何かを問いかけられているような、くぐもって聞こえないそれに耳を澄ませる。

『ーーー。し、るーーほら、起きろ』

肩に触れられる。

寝てしまったのか、とぼんやりとした視界に映ったのは手に持ったままの日誌に伸びる、誰かの、手。

『いやああああ!誰か!!』

『駆除完了しました』

『子供たちだけは逃がしてくれるって』

『ホワイトモンスターめ!』

『あいつを自由にしてやれ!』

『なんてモノを持ち込むんだ!』

『愛してるぜ、ロー!』

それを見た瞬間に雪崩れ込んだ記憶に、咄嗟にその手首を掴む。

「触るなっっ!!」

「いっづ!?」

ぎり、と指先が白くなるほどに締め付けた相手が悲鳴を漏らし、その声にはっとする。

「……くろ、あし……?」

「っ、そうだよ」

どうしてここにいるのかと考えて、漸く夢心地が覚めた頭がそういえば宴で乗船していたなと力を抜く。

「いくら空調が効いてるとはいえこんな所で寝落ちしたら風邪ひくぞ」

「……ああ、いや、すまない」

腕、と力は抜いたが放しては居ない手首を軽く撫でる。

「これくらいなら平気だぜ、つか男に撫でられてもうれしくねえよ」

「だがコックの腕だぞ」

手元にあった鬼哭を掴み、すぐさまスキャンをかける。

折れてもいないしヒビもない、皮膚が少し赤くなっているが冷やすほどでもないと判ってほっとする。

同盟相手のクルーに怪我をさせたとあっては大問題だ。

「異常はないが、念のため冷やした方が良い」

「了解、どうせ宴も終わりだ。そうしとく」

「すまん」

もう一度謝罪し、開きっぱなしになっていた日誌を閉じる。

それを目で追ったサンジが思い出したように尋ねた。

「そいつが海賊王の日誌か?」

「ああ、気になるか?」

「そりゃ気になるさ」

なにせ名だたる海賊たちや海軍大将たちの黒歴史がこれでもかと詰め込まれた爆弾だ。

それを暗記している節のあるローが一度口を開けばその爆弾が周囲も巻き込んで爆発するのだから記述されている相手にとっては悪夢でしかない。

「ロジャーおじ様の旅は本当に面白くてな……めちゃくちゃ具合なら麦わら屋も負けちゃいないが」

「当たり前だろ、ルフィだぞ?」

自慢げに口にしたサンジが咥えた煙草を無言で奪う。

「医者の前で吸うな」

「咥えただけだろうが」

拗ねるような声音に苦笑いしながらシガレットケースに煙草を戻す。

「そろそろここも閉めるぞ」

「ああ、長居してすまなかった。俺の所のクルーも潰れてるみたいだが…」

「潰れた奴らは無事な奴らが担いでったよ。残ってんのはローだけだ」

「そうか」

鬼哭と日誌を抱えて飲み終えたコーヒーを片付けようとすればひょいと避けられる。

「キッチンで片付けすっからついでに持ってく」

「悪いな、ごちそうさま」

「お粗末様」

扉を開ければ先程まで僅かに漏れ聞こえていた騒がしさも鳴りを潜め、夜の海独特の静けさと船の軋む音だけが響いている。

「ロー」

呼ばれて振り返る。

先程までの気安い表情とはうって変わってこちらを射抜くような視線が刺さる。

「その日誌、大事なんだな」

「は、」

何を当たり前な事を今更、と呆けた声が出た。

「俺の宝物だからな。海賊にとってお宝は当然大事だろ?」

「……ああ、そうだな」

「戻る。今日はうちのクルーが世話になった」

「ああ、お休み」

隣に停泊する潜水艦へ飛び移ったローの背を見送りながら今度こそ煙草を咥えて火を点ける。

開いたままの日誌に皺が寄ったらいけないと手を掛けた時の殺気に混じった怯えのような感情と、目が覚める直前でかち合った目の奥に揺らいだ失意と絶望。

いくら『大好きなおじ様』の持ち物とはいえ、触れられただけであんな反応をするのか。

ふう、と煙を空に吐く。

何だか面倒な事を知ってしまった気がする。

相手の弱みを握ったというより、そっちの感情の方が強い。

「…片付けるか」

頭を掻きながら踵を返し、船内へ続く扉が閉まる。

残ったのは二隻の船を揺らすさざ波の音だけだった。


自室のベッドに転がり枕元に置いた日誌を撫でる。

古びた表紙の手触りにほっとして瞼を下ろし、半端に起きた意識をもう一度沈める。

「…大事に決まってる」

静かな部屋に零れた独り言が響いて、消えた。

そうして白い夢に沈む。

二度と戻れないそこへ、夢でしかないと理解しながら。


ローにとってロジャーの航海日誌は宝物である。

それは大好きなおじ様からの贈り物であるからであって、中身が誰それの黒歴史であることには特に思う事は無い。

もう残っていない過去の、確かに起きた出来事を遺す唯一のもの。

全てを失ったローにとってただ一つ遺された『宝』。

もう失えない最後の拠り所。

誰が憤死しようが転げ回ろうが関係ない。


そこに書かれた歴史の中にしかもう、フレバンスはないのだから。

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