新時代

新時代


「おはようウタちゃん!今日もお稽古?」

「おはようおばさん!ううん、今日は岬に歌いに行くの!」

「あら、いいわね!今日はちょっと風があるから気を付けて!」

「うん!ありがとー!」

果物売りのおばさんに手を振って、赤レンガの屋根を乗っけたお馴染みの街並みを歩いてく。

エレジアは今日もとっても平和。

この国のみんなはいつも優しくて、心の底から音楽を愛してる。

前回のコンサートだってみんなのお陰で大成功で、ゴードンさんもすごく喜んでた。

だからなんにも心配することなんてない。怖いことも。

私は、私たちは大丈夫。

街の賑わいから離れてしばらく進んでいくと、遠くに海と、灯台岬が見えた。

シャンクスたちと一緒にこのエレジアに来てから、もう10年。

海の向こうは、今日も分厚い霧に覆われて見えない。


「ん~!気持ちいい風!」

きらきら太陽の光できらめく海を眺めながら、心を込めて大好きな歌を歌い上げる。

楽しくて、でもどこか寂しい不思議な海賊の歌。

海の向こうで今も冒険してる、シャンクスたちにも届くように。

エレジアと外を隔てるあの霧の壁が現れて、もう10年。

「ウタ!大変だ!君のご家族たちが…」

私たちがエレジアにやって来た日、夜中のうちにあの霧の壁は現れた。

初めてほんとに大勢の人の前で歌った私はいつの間にか疲れて眠ってしまっていて、今はお父さん代わりをしてくれてるゴードンさんからその話を聞いたのは、すっかり朝になってからだった。

「シャンクスたちがどうかしたの…?」

「それが、まだ霧の薄かった夜のうちに調査に出て、そこから戻ってこないんだ…」

「…霧?」

私が起きた頃には、霧の壁は向こうが全然見えないくらいに濃くなっていた。

船乗りの人たちやエレジアに来ていた客船はなんとかして霧を越えようとしたけど、みんなみんないつの間にか島に戻ってきてしまう。

それからまだ、海へ出て外に辿り着けた人はいない。

霧の向こうから、エレジアにやって来た人も、誰もいない。

でも、いいんだ。偉大なる航路ではもっともっと不思議なことが起こることもあるんだってシャンクスは言ってた。

空に浮かぶ島や海の底の街だって、おとぎ話の中だけにあるわけじゃない。

だからきっと、あの霧もいつか晴れて、シャンクスたちが迎えに来てくれるんだ。

それまでに私は世界一の歌姫になって、世界中のみんなに優しい気持ちを届けられるようになる。

それでまた、赤髪海賊団の音楽家だって胸を張って言うんだ。

「果てなし あてなし 笑い話 ヨホホホ~♪…あれ?今」

自分の歌声に混じって、確かに歌声が聞こえた。それも海の方から。

歌うのを止めてじっと耳を澄ましてみる。

「海は見ている…のはじまりも…うみ、は…やっぱり!歌だ!」

雲一つない青空の下を不気味に覆う霧の中に影が浮かんで、すぐに船体が現れた。

マリーン、海軍の船だ。

「ふ…船…それも海軍の…!みんなに知らせなくちゃ!!!!」

それから私は、港まで全力で走りながらとにかく叫んだ。

「みんなー!!船が!海軍の軍艦が来たよー!!!!」

港から街まで、ぱっと希望が広がっていく様子に私も勇気づけられて、息を切らしながら叫び続ける。

このくらい広まればあとはなんとかなるはず。ゴードンさんにも教えてあげなきゃ。

もうひと走り、頑張ろう。

「聞いてゴードンさん!ゲホッ…さっきね!霧の向こうから海軍の船が出てきたのを見たの!!」

「なんだって!?このことは他の皆は…」

「もう知ってるよ!港にも寄ってきたんだから!ゼェ…」

「そうか…ウタ、私は港に様子を見に行ってくる。君は少し休んでいるといい」

「ハァ…ハァ…うん…そうする…」

霧の向こうに沈んだ夕焼けが、ぼんやりと海を赤く染めていた。


「え?今…なんて…」

「…ウタ…彼らは皆、外には戻らないと言っている」

「なんで!?あの人たちしか壁を越えられないかもしれないのに!!」

あの船は私たちの希望だった。

海軍が、ようやく助けに来てくれたんだって。

エレジアには今も、私みたいに外からやって来た人たちだって沢山取り残されてる。いつか故郷に、家族の元に戻れるかもしれない。みんな、そんな望みを抱えてずっと生きてきたのに。

それなのに霧の外からやって来た海兵たちは、エレジアの港から船を出すことすらしたくないみたいだった。

「私、話を聞いてくる!!」

「ウタ!!待ってくれウタ!!!」

ゴードンさんの制止の声を振り切って、海兵たちの居るという建物へと走る。

これだけは、私も諦められないから。


私、わたし、わたし、は。


今日まであんなに平和だった街の港には、軍艦から運び出された遺体がいっぱい寝かされていた。広がる臭いに、せり上がる吐き気をなんとか我慢する。

街の大きな病院からは、耳を塞ぎたくなるような声がずっと響いて、聞いてるだけで頭が、おかしくなってしまいそうだった。治療を待つ海兵さんたちはみんな可哀想なくらい瘦せていて、昔海賊船に乗っていただけの私から見たってボロボロの装備ばかりを抱えていた。耳のない人、腕のない人、頭の、もう考えたくない。

腹が、腹が減ったんだ。パンをくれ。

海賊どもめ、よくもおれの戦友を。

ちくしょう、死にたくない。

蛆に体を食われながら、ぐしゃぐしゃに泣いて死んでしまった人がいる。

両脚の膝から下が無くなった人が、全身で呪うみたいに叫んでる。

私よりずっと若い男の子が、お腹の、中身を戻されながら呻いてる。

なに、これ。

「嬢ちゃん、お家に帰んな」

「あ…」

一歩も動けなくなった私に、海兵のおじさんが声をかけてきた。

私の両脚は、何時間も立ちっぱなしだったみたいに痺れてる。

赤を残していた空はもう、真っ黒な色に塗りつぶされていた。

おじさんは、簡単な治療を済ませた人みたいだった。

痩せて、変な咳をしてるけど、自分の足で立って空を眺めてた。

まるで、休むことを忘れてしまったみたいに。

「わ…わたし…」

「…この国の話は聞いた。出入りできない霧の壁の話もな」

「そ、れは」

「外になんぞ、出ねェほうが良い…そうに決まってる……」

それだけ言っておじさんは、私の背中を優しく押した。


そこからどうやって自分の部屋まで戻ったのか、記憶がない。


「…ウタ、大丈夫か」

「………」

いつでもおいしいお料理は、ゴードンさんと一緒なのに少しも喉を通らなかった。

立ちすくむ私の耳に届いた、海兵さんたちの呟きがぐるぐる頭の中を回ってる。

頂上戦争っていう大きな戦いがあって、たくさん人が死んでしまったこと。

人がいなくなりすぎて、海賊が暴れて、世界徴兵があったこと。

ただ故郷でひもじく死んでいくよりはマシだって、海軍に入った人たちのこと。

そんな人たちの命を、あざ笑いながら奪っていった海賊たちのこと。

力が正義になる、"新時代"がやってきたんだって。


ねえシャンクス、言ったよね。この世界に平和や平等なんて存在しないって。

でも、あったよ。ここに。

この国ではみんなずっと、幸せだった。


何が正しくて、何が間違ってるの。

わたし、わたしどうしたらいいの。

教えてよ、シャンクス。




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