断章 屋敷にて
眼の前に広がっていた光景は、到底信じられるモノではなかった
私の愛するお母さまが、私の知らない男と交わり、乱れている
何よりも、お母さまの表情がこれ以上ないほどの喜びに満たされていたことが、信じられなかった
ふとお母さまと目が合う。頭が真っ白になった私は、足音が響くのも構わずその場から逃げ出した
翌朝、私は屋敷の客間のソファに呆然と腰掛けていた
本当は今すぐにでもこの屋敷を粉々に砕き、あの男を八つ裂きにしたくてたまらなかったが、その前にお母さまと話がしたかった
昨日見たモノはなんだったのか、なぜ「アイツ」ではなくあの男なのか、どうしてあんな顔をして悦んでいたのか
あの行為が無理矢理や脅されてということじゃないのは、何となく分かってしまう
否定したくてもできない
昨夜見た二人の間には確かな繋がりがあると、そう感じてしまったから
だからこそ、そこに至ったまでの経緯が知りたくて、私はこの陰鬱な雨空を眺めていた
ツカツカとヒールの音が近づいていく。
振り向いた先にいるのはやはりお母様、けどその表情は何とも申し訳なさそうで、私の想像する顔とは少し違っていた
お母さまが向かいのソファにゆっくりと座る。
顔を合わせるとやはり言葉が出ない、どうやってあのことを聞けば良いのかと喉を絞り出すうち、
「…ごめんなさい」
そうお母さまが切り出した
そして私が「何について?」 と言葉を紡ごうとする前に、
「私は彼を愛しています」
今度は私の目を見て、そう答えた
「…は?」
「はああああああ!?」
薄々予想してはいたが、実際言われるとやはり信じられない
その言葉に嘘がないと確信できる自分が、何よりも腹立たしかった
「どうして!?何であんな奴と!?アイツのことはどうしたの!?なんで…」
あの賢くて優しくてとっても強いお母さまが、いつも私やアイツを見守ってくれたお母さまが、どうしてあんな男に
「貴方の言いたいことは分かります、バー・ヴァンシー」
「ですが私は、貴方が思ってるほど良い母ではないのです…」
私の前に映るお母さまはまるで年頃の少女のように、いつもの威厳を取り払っていた
「二千年の王国を築いた女王、冷酷で無慈悲な神域の魔術師。周りは皆そのように私を見ます」
「それは苦ではありませんし、そのようで在ろうとも確かに思っていました」
「ですが、それらは全て私のどうしようもない本心を覆い隠すため纏ったもの。」
「…貴方から見た「お母さま」である私も、結局は取り繕った見栄でしかなかったのです」
そう言ってお母さまは窓の向こうへ目を向ける。
硝子を隔てた先にあるのは、水滴の音と灰色の雲が包む、どんよりとして心地良い雨の空
「幼くて、夢見がちで、童話のような小恥ずかしい理想を抱く、ただの少女 それが本当の私なのです」
その瞳は、遠い望郷を重ねていた
「…どうして、そんなことを」
何でずっと黙っていたの?どうして私に話してくれなかったの?疑問と嘆きが瞬く間に私の頭を埋め尽くす
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お母さまが私の方へ向き直った
「私は貴方に失望されたくなかった 彼らに憐れみを抱かれたくなかった」
「そんなこと…!」
「だけど私はそう思っていながら、心の奥底で貴方達をずっと妬んでいました」
「私だってその輪の中に入りたい 彼に気に入られ、「陛下」でも「お母さま」でもなく、ただひとりの「少女」として扱われ、そして愛されたい」
「などと、本当は誰よりも稚拙で我儘な想いを抱いていたのです」
そこまで打ち明けられてなお、全くもって私は納得できなかったし、したくなかった
「そ、それとあの男に何の関係があるっていうの!?」
「…彼は、その『少女である私』を見てくれていました」
「私には夫と娘がいると伝えたのに、何度も何度もしつこく言い寄ってきて…取り繕った威厳も冷徹な振る舞いも意に介さず、ただただ純粋に私という女を手に入れようとしていたのです」
紡ぐ言葉に苦笑こそあったが嫌悪は何もなかった。心なしか、その表情はかの魔女さまの笑みと似てすらいる
「だから彼を好きになりました。口付けを交わして、何度も身体を重ねて…恥ずかしいところも隠しておきたい想いもぜんぶ曝け出して…」
「それこそ、あの日貴方が見た私のように」
その頬にはほんの少し、白磁の肌に一点の赤みがさしていた
それを「綺麗」だと見惚れるのと同時に、そんな素敵な表情を今の今まで仕舞い込ませてしまったことに気付く
気づけば私の目には涙が滲んでいた。
知らず知らずのうちにお母さまをそこまで苦しめていたこと、私やアイツに本心を打ち明けてくれなかったこと、それをお母さまと出会ってたった数日の男に取られたこと
いろんな感情がぐちゃぐちゃと混ざり合い、土砂降りのように視界を滲ませた。
「…ああ、やはり貴方はそうなると分かっていました」
ふわりと、柔らかい感触に包まれる
お母さまが私を抱きしめていた。背中まで回された腕は、今までのどんな時よりも強く、しっかりと、必死に私を締め付けていた
「それでも話してしまった、打ち明けなければと思った、非道い私を許してください…」
お母さまの声が涙ぐみ始める
それを感じて、宙ぶらりんの腕でそっと、私はお母さまを抱きしめ返した
それから仕方なく私はお母さまとあの男の関係を認め、アイツが帰って来るまでこの屋敷で過ごすことにした
こうして同じ屋根の下で暮らしていると、本当にお母さまはあの男と楽しそうに過ごしていた
眺めていて、思わず頬が緩んでしまうくらいに
お母さまが惚れるというのもわかる あいつは突然押しかけて来た私すら快く迎え、何というか…アイツと過ごす時間よりも心地よかった
顔はまあ良い方ではあるのだろうし、転びそうな私を咄嗟に抱き寄せた手の力強さも悪くない
何よりも、あいつと偶然浴場で鉢合わせた時に見てしまったあの……
…それはやっぱりナシ
この屋敷での日々を重ねるうち、元の日常に戻る意味はあるのかと考え始めるようになった
実のところ、私もカルデアにいた時のお母さまと似たような悩みを抱えている
アイツは無数のサーヴァント相手にハーレムなんか作ってるとんだスケコマシで、私はその中の何番目かすら分かってない
アイツが誰かと仲睦まじげに話すたびに心がチクチクして、身体を重ねたってちっとも気持ち良くない
それに比べればあいつと…お母さまの選んだ夫と過ごす時間の方が遥かに満たされる
そう、私はあいつに惹かれ始めていた。それと同時に、身体が卑しく疼いてもいた
だから私は、ちょうどお母さまがいない時を見計らい…
「お前。本当にお母さまに相応しいのか、私が試してやるよ」
お父さまと、身体を重ねることにしたのだった