断章 始まりの縁

断章 始まりの縁



「え?」

アスティカシア高等専門学園、編入初日。

想定外の現実を前に、グエルは固まったまま呆然とした声を零していた。

「たぶん管理者側のミスだろうなー。転入生が二人、同じ寮に、しかも全く同時期に来たもんだから。向こうも混乱したんだろ」

そんな青年を一瞥して、上級生と思しき男子生徒はどこか面倒臭そうに頭を掻きながら説明する。

つまり、何が起きているかと言うと、だ。

「えっと……要するに、俺の部屋はないってことですね?」

「そーいうことだな。共用スペースのソファくらいならあるけど」

「あ、いや、大丈夫です」

恐らく若干の憐れみはあったのだろうが、それ以上にあからさまな拒絶の空気を感じて、グエルはそのまま大人しく引き下がった。

初っ端からトラブルだ。幸先が悪い。

ベネリットグループ末端の中小企業による推薦で、辺境の惑星から来た田舎者──ということになっている彼は、これまでのようにアーシアンという差別対象として見られることはない。しかし、それだけで全てのスペーシアンから好意的に受け入れられるほど世界は単純でもなかった。その中途半端な立場は恐らくグエルを送り込んだ大人達の意図的なものであり、そして彼らに用意できる『真っ当な方法』の限界でもあったのだろうが。

(最悪、地球寮に行けば……ニカとは合流できるし、事情を話せばおそらく受け入れもしてくれる。でも、これはスペーシアンとしての潜入任務だ。そうなると意味がない)

途方に暮れながら、青年はそれでも足を進める。


なるべく早急に手を打たねばならない。

ついでに日没の時刻までに宿を確保できない場合、今夜は野宿決定である。



そうは言っても、だ。

放課後の活気で賑わう学園内を進みながら、その辺を練り歩いているモビルスーツの影をぼーっと眺めて、グエルは小さくため息を吐いた。

手持ち無沙汰を慰めるべく、生徒手帳になっている携帯端末の画面を確認する。学内掲示板なるものを覗いてみたが、並べられた言葉はとても見ていて気分の良いものではない。やめておこう、と情報を収集するまでもなく端末を閉じる。

その瞬間だった。

「っ、!」

弾かれたように顔を上げる。

生徒達の喧騒に紛れて、何か重いモノが断ち切られて落ちるような轟音が、それほど遠くない場所から聞こえた。

それは削られる金属の甲高い悲鳴。モビルスーツ同士が交わす銃撃の音。戦争が始まる合図。


直後、この場所が学園であることを思い出す。


……別に、なんてことはない。ただの模擬戦だろう。止めていた息をゆるゆると吐き出した。

グエルが所属することになったのは経営戦略科であるため用はないが、決闘とかいうシステムについては聞き及んでいる。

折角なので見学でもしていこうか、と頭を振って切り替える。もはや宿を探すことは半ば諦めつつ、決闘の舞台となっているらしい訓練場の方へと向かった。

「……すごいな」

その光景を目にして、グエルは思わず感嘆の息を漏らす。どういう仕組みなのか、透明な隔壁のようなものが下りて戦術試験区域とそれ以外の空間を隔てている。恐らく内部から見ると全く別の風景になっているのだろう。

そして。

(あれは確か……ディランザだったか? 他の奴は見たこともない機体だが)

障害物や高低差の少ないフィールドの中央部では、合計四機のモビルスーツが文字通り火花を散らし合っていた。一対三。多勢に無勢……というわけではなく、ハンデ戦らしい。すでに五体満足で立っているのは中心の一つだけだった。

身の丈ほどもあるヒートアックスを携えた重装甲の機体と、相手のうち片腕を失った一機が衝突する。後者は本来近接向きではないはずだが、味方の同系機による援護射撃によって何とか連携としての形になっているようだ。

ディランザはシールドと斧の刃部分を盾として相手の砲撃と銃弾を器用に防ぎながら、銃剣タイプのビームライフルで特攻をかける相手と幾度か切り結び──直後、一気に跳躍した。

目前の敵に飛び掛かる訳ではないだろう。恐らくはそう見せかけて、援護役の射手を先に落とすつもりだ。

そんな予想の通り、少し離れた場所で射撃に徹していた機体の片方にディランザが迫った。わずかに硬直した敵機体のブレードアンテナを片腕ごとヒートアックスで叩き斬り、そのまま連携を崩されて余裕を失った残りの二機もまた、程なくしてライフルの光弾に頭部を撃ち抜かれた。


──勝者、ラウダ・ジェターク。


空中に投影された文字を目で追う。

グエルもその名前は知っていた。

(ジェタークの寮長……道理で。強いはずだ)

御三家と呼ばれるベネリットグループのトップ企業、その一角たるジェターク社の御曹司。ただ、どうやらホルダーではないらしい。

一度手合わせしてみたいものだ、とグエルはほんの少しだけ思った。あの機体を操縦してみたくもある。きっと叶わないし、そもそも叶ってはならない願いだろうが。


モビルスーツは好きだ。

それが人殺しの道具であることは分かっている。引き起こされる悲劇に、嫌気が差した瞬間がなかったとは決して言えない。けれど同時に、その力が人を救うための希望となり得ることもよく知っていたから。

それに──


「……でも、どうすんだよ。もう明日だろ?」

「分かってるけどさあ、ここまで難儀するとは思わなかったんだよ。もう整備科か経営科で乗れるヤツ探すしかなくない?」

「いるにはいるだろうが、流石にパイロット科と同レベルで操縦できる奴ってなるとな……」

「それならパイロット科行けよって話だしなー。でもなあ、入学早々寮長の顔に泥塗る訳にはいかないし」

「んなもん、喧嘩売って来る方が悪いんだろ。あいつ二年の経営科じゃ結構有名な奴らしいぜ? 大したもん懸けてないなら無理しねえ方がいいって」

「うーん……」

不意に、すぐ隣からそんな会話が聞こえてきた。

そちらに目を向けると、作業衣を纏った男子生徒二人が壁にもたれかかったまま何やら深刻な様子で話している。

しばし逡巡した後、グエルは彼らに声をかけることにした。

「……あの、どうかしたんですか?」

「ん? いや、それがな。こいつ……メカニックと他寮の経営科の奴が決闘するって話になってよ」

「決闘? メカニックと経営戦略科が、モビルスーツで?」

「そうそう。代理決闘っていう、まあパイロット科以外の生徒同士で代理人を立ててやる決闘らしいんだけどさ。俺たちは一年だし横の繋がりもバックの力も弱いしで、頼めるパイロットも使える機体も全然ないわけよ」

「そもそも個人間の私闘だからな。同寮のパイロット科って軒並みイイトコのお坊ちゃんお嬢様だし、格下の俺らにとっちゃ頼み辛え相手で……って、俺らはなんでこんなこと初対面の奴に話してんだろうな」

はは、と気まずそうに笑う二人組を見て、グエルは半ば反射的に心を決めていた。

悪い癖だという自覚はある。師匠やリーダー達にもよく言われたもので、けれど同時に、お前はそれで良いのだと肯定された性分でもあった。

だから。

「……なあ。その代理って、寮生でなくとも構わないのか?」

「え? まあ、合意があればいいんじゃないか?」

「でも他の寮って余計ハードル高くね?」

それなら、と思い切って提案する。


「今現在どこの寮にも属してなくて、一応それなりにモビルスーツの操縦技術がある生徒……とかは?」



代理人同士の決闘の場合、特に変更を要求しない限りは以下のルールが追加される。

一つ、代理決闘の申請を許可されるのはメカニック科および経営戦略科に所属する生徒のみである。

一つ、代理人および代理人が使用するモビルスーツは、決闘者が用意すること。

一つ、不要な怨恨を避けるため、代理人は原則匿名とする。これは決闘委員会に対しても同様である。

一つ、代理決闘におけるリアルタイムの中継映像は校内のみに限り、また、原則としてその記録は認められない。



『な、なあ。本当にこれで大丈夫なのか?』

「ああ。むしろここまで要望通りにカスタムしてくれるとは思わなかった。いい腕だな」

『バッカお前これくらいで褒めんなって、照れるじゃねーの』

『おい照れてる場合か元凶。そりゃ俺らだって腐ってもメカニックだしな……マトモな機体すら用意できなかった責任はこっちにもあるわけだし』

狭いコックピットの中、インカム越しに二人分の不安混じりだがどこか楽しげな声を聞きながら、グエルは操縦席で小さく苦笑した。

(……しかし、まさかジェターク寮の生徒だったとは)

そう。

あの後、引き受ける受けない以前にどこの寮にも属してないとはどういうことかと聞かれたので、話せない部分は伏せてざっくり事情を説明すると、何やら本気で同情してくれたようで寮に泊めてくれることになったのだ。結果的に宿は得られたが、正直グエルとしては冷や汗ものである。

寮長には俺が説明しておくから、と二人のうち喧嘩を売られた方の生徒が言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。ふと先日見た決闘を思い出した。その寮長ことラウダ・ジェタークは、昨日から今日の夕方までは所用で不在であるらしかった。

まあ、それは今考えても仕方のないことだろう。

せめて一宿一飯の恩くらいは返さなければ。


髪を一つに束ねてヘルメットを被る。

故郷を離れてからまだ間もないというのに、操縦棍を握る感覚は随分と懐かしく思えた。


『しっかし、本当にデミトレーナーで戦えんのか……?』

「信じてくれ、としか今は言えないな」



『これより双方の合意のもと、決闘を執り行う。決闘方法は代理人同士による一対一の個人戦、勝敗は相手のブレードアンテナを折ることによって決するものとする。──両者、向顔』

無機質な電子音声の口上が流れる。決闘委員会があまり深くは関与していない証拠だろう。

この決闘は通常のそれとは異なり、双方のパイロットが名乗りを上げることはない。故に、敗北は戦士の名誉を傷つけず、しかし勝利が栄光として讃えられることもない。これはそういう、ただ白と黒を決めるためだけの単純明快なゲームだった。


『勝敗はモビルスーツの性能のみで決まらず』

『操縦者の技のみで決まらず』


残酷な宣誓だ、と決闘者達の声を聞きながらグエルは思う。

努力も才能も想いの強さも、支配者が持つ力の前には無意味となる。どんなに理不尽で不条理でも、負けた者に文句を言う権利はない。その代わり、黙らせたいのなら勝てばいい。

あまりにもシンプルで暴力的な方法。

でも、だからこそ。


『『ただ、結果のみが真実』』


それは時に、誰かを助ける力にもなる。


『──決心解放(フィックス・リリース)』


さあ、戦闘開始だ。

使用するモビルスーツはデミトレーナー。武装は基本のビームガンと警棒に似たサーベルスティックを両手に、左腕には中型シールド、それから左の腰部に差したコンバットナイフが一本。決闘用に頭部のスタッフアンテナを取り付ける以外では、機動力を底上げするためのカスタムが各所に施されている。

協力してくれたメカニックの二人曰く、同じ寮内で余った部品等を譲ってもらったものらしい。彼らは急造で申し訳ないとひたすら不安そうな顔をしていたが、改造に改造を重ねたオンボロの旧型機が故郷における愛機だったグエルにしてみれば、これでも上等すぎるくらいだった。

(さて)

軽く地を蹴ると同時、ブースターとスラスターを起動する。姿勢制御は難しいが、効かないほどでもない。

荒野の広がるフィールドを正面に見据える。目視で確認した相手は、もちろん一機。戦車にも似た砲戦型のモビルスーツだ。三脚のような奇妙な構造をしているが、どうやらあれで機動力はそれなりらしい。

しかし、恐らく純粋な速さではこちらが上だろう。

迷いのない動きで突進する敵を見て動揺したのか、相手機の動きがやや鈍くなる。怯みと迷いは戦場では命取りだというのに。

最小限の回避とシールドを駆使して砲撃の雨をいなし、躱しきれないと判断した光弾はビームガンで強制的に軌道を捻じ曲げつつ、グエルを乗せたデミトレーナーは確実に距離を詰めていく。

接触まで五歩の地点に至った。相手は一旦逃亡してからの撃ち合いではなく、そのまま斬り合いに持ち込む方を選択したようで、咄嗟に近接戦闘用の武装に切り替えようとする。が、遅い。右手に握っていたスタッフを投擲して、半分ほど刀身が形成されたばかりのビームサーベルを弾き飛ばした。

あと三歩。肉薄する訓練用のモビルスーツに相手は何を思ったのか。敵はパイロットとしての最後の意地と言わんばかりに、衝突の寸前で全力の回避行動に出る。

だが。

(よし、取った)

〇歩。

標的が飛び退った先、その地点へと深く踏み込んで身を沈める。空いた右手でコンバットナイフを抜刀すると同時、体勢を崩したまま着地した機体のブレードアンテナを的確に一閃した。


一瞬の後、『WINNER』の文字が空中に表示される。


……呆気ない、とグエルは小さく息を吐いた。

正直に言えばもう少し骨のある奴と戦いたかったが、まあ、こんなものだろう。



ラウダ・ジェタークはその日、学園には公認欠席の届を出していた。

実家の関係で外せない用事があったためだ。とはいえ後継者として業務を手伝ったりするわけではなく、CEOである父親が行う後ろ暗い仕事の後始末といった役目がほとんどだったが。

面倒だ、と彼は思う。それは父親をどこか見限りながらも言いなりに動くしかない自身への苛立ちであり、共に支え合う者がいないことの孤独と諦観だった。

人の上に立つのが嫌なわけではない。会社の運営だってそこらの経営科より上手くやれる自信があるし、自社の製品に対して抱いている誇りと愛着だって並ではないという自負がある。


それでも、跡を継ぐのは憂鬱で仕方がなかった。

父が己に期待していないのを知っていたから。


きっと愛情がないわけではないのだろう。ただあの父親が子に求めるものを、ラウダは持っていなかったというだけ。

学園にホルダー制度が導入されてからは、特にその乖離を強く実感する。だからと言って、期待に応えたいだとか自分を認めて欲しいなんて殊勝な気持ちがある訳でもなかったが。

『おまえに兄がいればなあ』

ずっと昔、父が零したそんな言葉を今でも覚えている。

僕もそう思うよ、とラウダは言いたかった。

けれど言えないままで、気がつけばもう戻れないところまで来てしまっていた。



ポーン、という柔らかな音とともに、エレベーターが停止する。

ジェターク寮へ戻る前に、ラウダは決闘委員会の本部に赴いていた。年度初めの人員入れ替えや引き継ぎ作業をあらかた終えて、ようやく落ち着いたかと思えば決闘の申請数が爆発的に増え始めるこの時期である。一日空けた程度でも大変なことになっている可能性は否めないし、面倒だが一応確認だけでもしておこうと思ったのだ。

それと、もう一つ。

見慣れた円形のロビーに人影を認めて、ラウダは隠す気もない不機嫌を声に滲ませて問いを投げる。

「何の用だ、シャディク・ゼネリ」

「やあ、ラウダ。帰って来たばかりのところすまないね」

そこには一人、信用ならない男がいた。

本日の決闘委員会の業務はすでに終了している。なので、まだ誰か残っているのかとメールで確認したのだが、なぜか逆に話があると呼び出されたのだ。ちなみに連絡する相手として彼を選んだのは消去法である。やっぱり次からはエランにしておこう、とラウダは密かに決意した。

まあ座りなよ、と手招きするシャディクに、渋々ながらも一メートルほど間を置いてその隣に腰を下ろす。無言で先を促すと、彼はどこか薄気味悪さを感じる上機嫌で話し始めた。

「今日代理決闘があったんだが、これがなかなか面白い戦いでね。なんとデミトレーナー単騎でクリバーリを瞬殺したんだ」

「は? ……いや、あり得るのか? そんなこと」

「ほらこれ、学内掲示板に投稿されてた動画。大元は投稿の数秒後に削除したけど」

「なら何でお前は保存してるんだ。後でそれも消しておけよ……うわ、何だこの動き」

男の持つタブレットの画面を覗き込んで、ラウダは驚きと困惑の混ざった感嘆の声を漏らす。

それはどこかモビルスーツ同士の模擬戦というよりも、武道や格闘技の試合を見ているような感覚になる戦いだった。大胆でありながら繊細極まりないその動きは、ジェターク社のモビルスーツを駆ればさぞ映えるに違いないと思える。

きっと間違いなく、学園で最強のパイロットだろう。それどころかドミニコス隊あたりでもここまでの腕を持つ者は少ないのではないか。いやしかし、現役だった頃の父ならばあるいは……などと一瞬考えてから、ラウダは思いっきり顔を顰めた。

「……って、違う。そもそも何の話だ、本題を言え。その代理決闘の後始末を手伝えって話でもないんだろう」

切り替えて尋ねると、シャディクはそれまであった胡散臭い笑みを潜めて、ああ、と頷く。

「先月あたりから話題になってた例の経営科の生徒、彼が今回の決闘者だったんだ」

「あの裏賭博のか?」

「そう。ついでにイカサマ犯と、人材引き抜きの常習犯もだ」

決闘では学生間の賭博行為が黙認されている。あくまで黙認であって別に正式なものではないのだが、一応は決闘委員会の管理下にある半公式制度のような扱いだった。

ただ、代理決闘に関しては少し話が違ってくる。そもそもパイロットが非公開であるため、それまでの戦績や知名度、信用、推薦企業のランク、個人としての人気などを総合的に評価した配当倍率であるオッズが算出されないのだ。つまり、普段の決闘で横行しているような賭博行為は成り立たないということになる。

しかし代理決闘の匿名性を逆に利用して、裏で儲けようとした輩がいた。彼は自寮のパイロットと組んで、自身よりも弱い立場にある他寮の経営科やメカニックに代理決闘を申し込み、確実に勝利を収めることによって賭博の勝率を密かに調整していたのだ。それに加えて決闘の景品にその相手を懸けて、他所から人材を引き抜くといった真似もしていたらしい。

とはいえ。

「……で、それがどうした。確かに姑息で陰湿な奴だとは思うが、僕達がわざわざ対処するような問題でもないだろう。賭博に関してはともかく、人材の引き抜きはお前達もよくやる常套手段じゃないか」

元よりこの学園はそういう場所だ。

決闘は企業間の代理戦争で、強者が弱者を搾取する世界の縮図に他ならない。そう考えると、今回の件はむしろ正攻法の部類だろう。

「それはもちろん。文句があるなら決闘で取り返せばいいだけだしね。ただ今回に関しては、決闘を申し込まれた方が君のところの生徒で」

「は?」 

シャディクが言い終わるより先に反射で声が出た。

「……って知ったら、ラウダは確実にキレるだろうなあと思ったから、できるだけ早めに伝えておきたかったんだよね。後から知ってヒートアックス片手に相手の寮に殴り込まれても困るし」

「そんなことするか。せいぜい企業買収と退学をチラつかせながら決闘を申し込んで真っ正面からブチのめすだけだ」

「うん、つまりジェタークに喧嘩を売った時点で、どちらに転んでも彼の破滅は確定していたわけだ。むしろ被害が少なく済んだだけ負けて正解だったかもしれない」

そういうことか、とラウダは納得する。

代理決闘のため記録は残らず、奪う対象は相手の寮内でも末端の生徒ばかり。取られた側からすれば癪に触ることもあるにはあるだろうが、多くは決闘で取り返す価値もないと思うはず……などと、その愚か者は考えたのだろう。だが、それならばよりにもよってジェターク寮を狙うべきではなかった。せめてペイルあたりならば見逃されただろうに。

「チッ……全く。生徒を取られても問題ないと思われている時点で屈辱だ。決闘はしないが、どこに喧嘩を売ったのか思い知らせる程度のことはしてやる。放っておいてまた増長されても面倒だしな」

「まあ、ほどほどにね?」

「そもそも、代理決闘なんてシステムがあるからこういうことになるんだ。決闘するのはパイロット科だけでいいだろうが」

「それはそれ、これはこれだ。パイロット科以外にも機会は与えられるべきだろ? それに、あれは何だかんだで経営科やメカニックにとって力試しになっているようだから」

代理人のパイロットは、その勝利や敗北が個人の記録として数えられることはない。決闘で懸けるものは指定できないし、個人所有のモビルスーツを使う場合はそのメンテナンスや修理その他諸々のコストがかかることもある。そういった面倒を考えるなら、引き受けるメリットよりもデメリットの方が遥かに大きいだろう。

そのため、経営科や整備科は交渉でそれ以上の利益を約束したり、技術力を示して自分を売り込んだりして相手の協力を取り付ける必要がある。パイロット科にとっての決闘が戦闘訓練の側面を有するように、経営科や整備科にとってのそれもまた一種の実技訓練と言える。

「経営者はもちろん、技術者にとっても人脈は大事だからね。ただいがみ合っているだけじゃ道は拓けない。パイロット科にしても、学生のうちからコネを作っておいて損はないよ」

「何でだろうな。お前が言うと妙な説得力はあるんだが、どうしても心底胡散臭いという感情が勝つ」

そして、だからこそ件の生徒は愚かなのだ。御三家だろうが代理人のパイロットを推薦する人脈もない相手ならば勝てると思った時点で、全く見る目がないと言わざるを得ない。あるいは欲に目が眩んだのかもしれないが。

と、そこまで考えて、ラウダはようやくあることに気がついた。

「……いや、ちょっと待てよ。ならあれは誰なんだ? うちにあんなパイロットはいないぞ」

「あ、やっぱり? じゃあ本当にどこの誰なんだろうねあれ……」

「お前も知らないのかよ。ってことはグラスレーでもないのか……」

決闘代理人の過度な詮索はルール違反だが、それはそれとして気になるものは気になる。かと言って、無理に特定しようとも思わなかった。ラウダもシャディクも御三家としての力をフルに活用すればそれくらいは余裕だろうが、特に何か問題を起こしたわけでもない、通りすがりの匿名ヒーローの正体を暴くほど人として腐敗したつもりもない。

それにしても、とシャディクは言う。

「もしあのパイロットがホルダーになったら、きっと御三家でも勝ち目は薄いだろうね」

「……、別にそんなことはないだろ。根回しと裏工作で妨害して徹底的に陥れるでも、それこそグラスレーお得意の集団戦で叩きのめすでもいい。いくらでもやりようはある」

「そうかな。裏技を正面から捩じ伏せた上で勝つって可能性だってないわけじゃない。……ところで、そういえば君はどうなんだ? ホルダーになるつもりはないのかい?」

「はっ、ないな。あの脱走騒ぎの回数がそろそろ二桁を超えそうなじゃじゃ馬のトロフィーを制御するより、顔を真っ赤にした父さんを宥める方が僕にとってはいくらか容易い」

「そっか」

微妙に噛み合わない会話は、感情を殺した素っ気ない返事を最後に断ち切られた。自分から振ったくせに面倒な奴だ、とラウダは心中で舌打ちする。誰かに託そうとするくらいなら、そうやって信じてもいない他人に期待するくらいなら、いっそ自分で守ってしまえばいいものを。

「……まあいい。代理決闘の件については了承した。他に用がないなら僕は帰るが」

「ああ、構わないよ。お疲れ様」

友人ともライバルともつかない腐れ縁の男に背を向ける。

そこから数歩ほど進んだあたりで、ラウダは不意にその足を止めた。


「なあ、シャディク」

「ん?」

「僕に、兄がいたという話を聞いたことはあるか」

「兄? ……いや、ないな。少なくとも僕の知る限りでは」

「そうか。なら忘れてくれ」


そんな会話があった。

空洞に似たその孤独の正体を、彼はまだ知らない。



眠れない。

消灯時間を過ぎて人気の途絶えたジェターク寮内の廊下を、グエルはできるだけ壁際に沿って歩いていた。気分転換に外の空気でも吸いに行こうと思ったのだ。

常夜灯の淡い光が、暗闇の中に辛うじて通路の形を浮かび上がらせている。しかしどう考えても必要ないと思うのだが、何故こんな何もかもが広くて大きいような造りにしたのだろう。モビルスーツに乗って生活する予定でもあるのだろうか。

そんなことを考えながら、寮の裏口にあたるドアを開けて外に出る。

途端、澄んだ空気を感じた。

けれど、風はない。夜空はタイルのような構造に投影された映像で、耳に入るのは虫の鳴き声や鳥の羽音ではなく、何かが稼働するような機械音だけ。

昼だろうと夜だろうと、外だろうと中だろうと、ここは寒くも暑くもない。暮らしていた時には忌々しいとすら思っていたはずの、あの目まぐるしく移り変わる地球の環境がどこか懐かしいと思えた。

(……まだ二日で、早くもホームシックか)

情けない、とグエルは自嘲気味に笑う。

どこか不安なのかもしれない。何せ初日からトラブル続きだ。いやまあ半分くらいは自業自得というか、首を突っ込んだ自分が悪いのだが。


あの決闘の後、結局ジェターク寮に入ることになった。

そしてこうなった以上は、しばらく仲間への報告もできないだろう。まさか学園支給の端末で地球のレジスタンス組織と連絡を取るわけにもいかない。まずはある程度周囲の信用を得てから、慎重に地球寮の連絡係と合流する必要がある。

近くの壁に背を預けて息を吐き、もう一度作り物の空を見た。

そして。


「誰だ?」

「っ!」


意識の外から誰何を問う鋭い声が聞こえて、グエルは咄嗟に臨戦態勢を取る。

視線を向けると、そこにはどこか見覚えのある青年が立っていた。わずか遅れて、やっとその正体に思い至る。

「……もしかして、ラウダ・ジェターク寮長ですか?」

「ああ。……見ない顔だが、一年の生徒か?」

警戒を緩めながらもおそるおそる確認すると、どこか冷たく、けれど予想していたよりも柔らかな声が返ってきた。

案の定と言うべきか、寮長だった。ただ、これはちょうど良かったかもしれない。どのみち近いうちに会っておく必要はあったのだ。

「その、自分は今日からこちらに転寮することになったグ……ボブ・プロネと申します。一応副寮長の方に仮入寮の許可は貰って、寮長にもその旨のメールは送ったのですが……」

「え?」

グエルの言葉に、相手はなぜか目を丸くして驚いている様子だった。彼はどこか慌てたように自分の端末を確認している。もしかして伝わっていなかったのだろうか。

いくらか経って、その表情が怪訝そうに歪められるのが端末の光に照らされて見えた。

「……すまない、今把握した。管理者側のミスとは災難だったな。一応、生徒手帳を見せてくれるか?」

「あ、はい。お疲れところすみません……」

「別に構わないよ。これも僕の仕事だ」

本来の素性が素性なので、グエルとしてはとてつもなく緊張感がある。ドクドクと喧しい鼓動を落ち着かせつつ、ひたすら沈黙に耐えていると、

「……経営戦略科?」

そんな小さな呟きが聞こえて、途端に心臓が跳ねた。

ラウダ寮長はなぜか驚きながらも困惑したような顔で画面を見つめている。

(もしかしなくても半分くらいはバレてるよな、これ)

そもそもグエルを寮に勧誘したのは、あの決闘の発端になったメカニックの二人だ。

あとは、決闘を見ていたという数人も。

一応、あらかじめ例の二人にはあまり広めないでくれと口止めはしてあったし、彼らもその約束は律儀に守ってくれた。が、決闘を終えてモビルスーツを降りた瞬間に囲まれたのは流石にどうしようもなかったと言わざるを得ない。

ただ、そもそも代理決闘の中継を観ていた母数がそれほど多くなかったようで、知られる範囲がジェターク寮生の数人だけで済んだのは不幸中の幸いだろう。加えてグエルがパイロット科ではなく経営科であると告げると、何やら訳アリであることを察したのか全員が秘密にすると約束してくれた。随分と人の良い連中である。

しかし、だ。

流石にこのタイミングで、この青年に実力がバレるのだけは避けたかった。正直時間の問題ではあると思うが、今これ以上目立ってはたまらない。

「ええと、何か?」

「いや……何でもない」

至って平然とした素振りを装ってグエルが尋ねると、ラウダ寮長は指で眉間の皺をほぐすように押さえながら、静かに首を振った。ありがとう、と意外にもあっさり返された生徒手帳を受け取る。

そして。


「事情は分かった。正式な手続きはまた後日になるが、ひとまずはジェターク寮寮長として君の入寮を認めよう」

「ありがとう、ございます」


真っ直ぐに差し出された手を、確かに握る。

始まりはひどく波乱に満ちて、いくつかの透明な縁を孕みながら、ここに穏やかな終結を迎えた。

Report Page