教導の護竜アルベル
ノーライスチャーハン小さな木立の奥、大きく枝を伸ばした樹木の上、僕は牙を忌々しげに鳴らす。
「本当に、馬鹿馬鹿しい」
竜王の血筋であるこの僕が、人間共の言いなりになるなどと。
矮小なニンゲンと共生しなければならないなどと。
それもこれも、こんな烏合の衆を守る『契約』を結んでしまったのが原因だ。
「――ここにいたのね、アルベル」
「……また来たのか、ニンゲン」
クエムと呼ばれる、一人のニンゲンのせいで。
『――竜王よ、この地を統べる赫の竜よ』
『……矮小なヒト如きが、我と対等に話せるとでも?』
『契約を。その万物の頂たるその爪と牙を、どうか我らの盾としてお使いください』
『ならば、貴様らは我に何を捧げれる? 生贄の数は百ですらとても足りぬぞ』
『いいえ。私達は、百の贄よりも価値のあるものを用意できます。いいえ、千の贄よりも、万の贄よりも遥かに素晴らしい対価を』
『……面白い。貴様を八つ裂きにして血で喉を潤す前に、それだけ聞き届けてやろう。言うといい』
『感謝いたします。それは』
「――安寧と平穏、か」
「ええ。どう? とても素敵でしょう?」
このニンゲンにうまく言いくるめられ、『契約』を結ばされてしまったから、僕はこんなニンゲン達の小さな集落を守ることになったのか。たかだか数十人ぽっちの、過酷な環境に耐えきれず住む場所に悩んだニンゲン共を。
「後悔しなかった日はない。今すぐにでも、お前らを血祭りにあげたい気分だ」
「でもそうしないのね」
「ッ……! 『契約』を結んでしまったからだ! 誇り高き竜が、それを破るとでも!?」
「ふふ、律儀ね」
「殺すぞ!! ……竜は、古より生きる僕らは、契約を破ることはできない。どんな些細な事であってもな!」
悠久の時を生きる竜の、そのさらに先祖は、あまりに大きな力を持っていた。だから、人と神との間にひとつの契約が結ばれた。『――竜は深淵に在り。その侵犯を永遠に禁ずる。誓いを破る事は許されない』、と。
始祖の竜王は契約を結び、その命尽きるまで固く守った。
「誓いを破ることは竜という種族への侮辱だ。竜は、命よりも自ら誇りが大切なんだ。……正直、契約をねじ曲げることもやぶさかではないと思い始めたよ、ニンゲンのいいなりになるくらいならね」
「プライドが高いのね」
「ぷらい……? 何だそれは」
「あら……ふふふ、なんでもないわ」
恐れなど知らないと言わんばかりの、ヒトの姿の僕と同じくらいの背丈のニンゲン――クエムと呼ばれているそいつは、何がおかしいのかくすくすと笑っていた。
「笑ってごめんなさい、今日はあなたとお茶をしにきたの」
「……どうりで、花みたいな匂いがすると思ったら。いらないよ、僕は血の滴る肉しか食わない」
「大変だったけどサンドイッチも持ってきたの」
「聞けよ!!」
契約がなければ、今すぐ喰い殺してやるところだ。こいつの前では、たった数ヶ月の間で何度そう思ったか数えきれない。
忌々しげに僕はクエムを睨みつけているも、奴は意にも介さず若草の上に大きな布を敷いた。そして、手に抱えていた籠の中から謎の物体を取り出した。
「……何だその、肉と草をナニカで挟んだ物体は」
「サンドイッチって言うの。それで、こっちはお茶。美味しいわよ? ……こんな食事ができるのも、あなたが猛獣や災害からこの土地を守ってくれているから……ありがとう、アルベル」
「…………ふん。名前を呼ばれても、ぞわぞわするだけだ」
「嬉しいの? サンドイッチ食べる?」
「ちっとも嬉しくなんかない! 食べない!」
「……ふふ、うふふ」
「何がおかしいんだ」
「ごめんなさい、笑って……アルベル、あなたはすごい力を持ってて、とても長生きなんでしょう? なのに、そうしていると年相応の少年みたいね」
「は……? ……第一、僕は竜の中でも若いんだ。それに口調はお前らの言語を学ぶうちにこうなっただけ……うわっ」
突然、サンドイッチとやらが顔の前に突き出された。
「……食べてくれないの?」
「しつこい。食べないと言っている」
「本当に?」
「いらん」
「そう。じゃあ、私が全部食べちゃうわねー」
ふいっと拗ねたように顔を横に向けるクエム。……思い返せば、僕はこのニンゲンに振り回されっぱなしだ。
「いただきます。はむっ……」
ドラグマとか言ったか、あのニンゲン共は残らず僕に怯えているのに。
「ん〜っ……おいしい……!」
竜の姿で眠っていた僕の元に、たった一人で、丸腰でクエムはやってきた。
「んん……こんな素敵な場所でサンドイッチなんて久しぶりね……」
少しも怯えた様子もなく、『邪竜』とすら呼ばれ恐れられた僕の眼を真っ直ぐに見据えて――
「もぐ……ああ、美味しかったわ。さ、もうひとつ……」
「……それ、そんなに美味いのか?」
「はむ……え?」
きょとんと、二つ目のサンドイッチを咥えたクエムがこちらを見る。
「……そんなに美味いのかって、そう聞いたんだ」
「あら、いらないって言ったのはどこのアルベルだったかしら」
「う……気が変わったんだ。ひと口でいい」
「ふふ、でもふたつしか持ってきてないのよねー。いらないって言っちゃうようなドラゴンの分は、流石に用意してないの」
「ぐっ……」
からかうような表情になったクエム。ニンゲンにおちょくられるなど心底腹が立って煮えたぎりそうだ。だが――
「……今度っ、作ってこ……きて、くだ、さい」
クエムの前に座る。拳をぎりぎりと握り締め、全身を震わせて、屈辱の炎に焼かれながらも言葉を捻り出す。
「……ふふ、あはははっ。ごめんなさい、ちゃんとまだ用意してあるわよ」
「本当か!」
「ええ、本当よ。たくさん作ってきたから――」
「あぐっ」
「え」
クエムの手に握られていたサンドイッチに齧り付く。クエムの手からはすぐに力が抜けたので、首でサンドイッチを引っこ抜き、もしゃもしゃと咀嚼してごくんと飲み込む。
「……うまい」
特有の血の匂いも、草の青臭い匂いもない。それに、柔らかい生地は香ばしい独特の香りを放ち、塩気の効いた肉と草のみずみずしさと驚くほど調和していた。
「…………あ、アルベル」
「認めたわけじゃないが、大量の生贄ほどの価値とはこれか。確かにこれは……どうした?」
「い、いえっ別になんでもなっ、ないわ。……大胆なのね」
「はぁ?」
クエムは急に頬が紅潮し、目を逸らしだす。何の意図があって行動なのだろうか。
「……もうひとつ、喰ってもいいか?」
「え、ええ、どうぞ」
素早く籠から取り出されたサンドイッチがずいっと差し出される。
がぶり、と牙で齧り付いた。
「……気に入ってもらえたみたいね……そう、嬉しいわ」
嬉しいという言葉に反し、少し微妙そうな表情を浮かべるクエム。本当に、よくわからないニンゲンだ。
「……そういえば、竜の姿の僕を前にしても怖がらなかったのはなぜだ?」
「え、ええと……契約の時ね」
「脅かして追い返してやろうと思ったのに。ヒトの癖にずいぶんと肝が据わっていたな」
普通のニンゲン、いや他のどの生物が相手でも、僕は迷いなく爪で切り裂き牙で喰らって略奪をしていた。しかし、僕より劣るはずのクエムが相手ではそれができない。否、クエムには武力以外の何かがあるのだろう。悔しいが、僕より優れた何かが。
「間接……それに、あーんも……」
お茶とやらを啜り、顔を赤らめながら、意味のわからない言葉をぶつぶつと呟くクエム。
「……まあいい。ニンゲン、今日は――」
「っ! アルベル!」
突然、緊迫した声を出すクエム。
「ごめんなさい、今すぐ行かなくちゃ!」
ばっと立ち上がり、すぐに駆け出す。ことんと籠が倒れ、サンドイッチの残りとお茶の入った器が散らばった。
「クエム、待っ……何があったんだ?」
とたとたと、動きづらそうなひらひらの服でクエムは走る。その横顔には、僕には見せたことのない焦りの表情が浮かんでいた。
「…………はぁ」
思わずため息が漏れる。勝手に押しかけ、勝手に去る。どこまで僕は、あのニンゲンに翻弄されるのか――
「……ッ」
「きゃっ」
クエムを爪で掴み上げ、背中に乗せる。羽を大きく広げ、後ろ脚と尻尾で地面を蹴った。そして、唸り声でクエムを促す。
「グルル……」
「アルベル……ありがとう、あっちに向かって!」
僕は、クエムの指差す方向へと飛び立った。
初めて自分以外のために、竜の力を解放して。
「……アルベルっ、あれ……」
背中から、クエムの切迫した声。彼女のこんな声は、僕は今まで聞いたことがなかった。
「グル……」
眼前に居たのは、集落を破壊する鉄の巨人。だが、おおよそヒトや生物であるとは思えない、黒鉄の刃で骨格だけを組み上げたような異形をしていた。
そして何の冗談か、嗤っているような眼を模した装飾が、顔のある位置に張り付いていた。まるで、『絶望』そのものが顕現したような。
「アルベル、みんなが!」
鉄の異形は集落の建造物を破壊し、その鋭い腕はニンゲン達にも振るわれようとしていた。
「グオオオオオオオオ!!」
僕は雄叫びを上げ、異形の巨人に飛びかかった。
「……ギ……キ」
金属が軋むような呻き声を上げた異形の巨人のを地面に叩きつけ、その頭を鷲掴みにして投げ飛ばす。
「グルオオオオオオ!」
抵抗する巨人に炎を吐き、爪で切り裂き、ようやく動きを止めた。
「グルル……ルル、ゥ」
竜の力を解き、人の姿へと戻る。巨人の刃は鋭く、いくつかの裂傷を負ったが大きな傷ではない。
「……終わったよ」
「アルベルっ……」
「うわっ」
竜化が解かれるなり、すぐさまクエムは僕に駆け寄り、手足や身体の傷を確認した。
「ケガしてる……待ってて、すぐ手当てするから」
「おい、服を……」
クエムの纏っていた、細かい刺繍の入った服が細く破かれ、僕の傷跡に巻きつけられていく。
「おい、大丈夫だって……僕は」
「いいえ、ケガをしているもの、こんな応急処置しかできないけど……」
傷を負った僕の手の甲に、クエムの両手が添えられる。すると、掌から優しい光が放たれ、僕の傷口がだんだんと塞がっていく。
「……こんな力を持っていたのか」
「ええ、生まれつきよ。でも、こんなことしかできないけど……っ」
すでに傷口のひとつは完全に塞がったことを感じながら、至近距離のクエムと目が合う。
「……僕はこの程度の傷、放置していてもすぐに治るよ。だから大丈――」
「アルベル!!」
不意に名を呼ばれ、クエムは僕を力の限り突き飛ばした。
「あゔっ……」
眼前、まだ動きを止めていなかった黒鉄の巨人が、クエムの背を切り裂いた。
「…………」
「グオオオオオオオオ!!」
竜の腕を振り下ろし、巨人はバラバラに分解された。
「……なぜだ」
力なく横たわるニンゲンに、僕は呼びかける。
「なぜ僕を助けた? お前達ニンゲンの方が、よっぽど脆弱だ! なのに、なぜ自分の命を顧みずに僕をっ……」
「アル、ベル……」
クエムは、薄く目を開ける。
「あなたは強い……でも、それはあなたを護らない理由にはならない……だって、あな、たは……」
それだけ言うと、クエムの全身から力が抜けた。
「…………クエム」
僕はクエムを両手で抱きかかえた。
近くに他の人間の気配がしなければ、僕はこのまま佇んでいたかもしれない。
「う……」「あれ、ここは……」
「り、竜……、何故ここに!」「クエム様……!」
巨人に襲われたのであろう人間達と、集落から来た武装した人間達だ。
「人間、今すぐにクエムを運ぶ。傷の手当てをしろ。すぐにだ」
「りょ、了解です!」
周囲の人間を睨み、僕は集落へと駆けた。
クエムは、一命を取り留めた。
「……クエム」
寝具に横たわる彼女の、その名を呼ぶ。
眠るその顔には斜陽が差し込み、彼女を優しく照らしていた。
その手を握り、呟くようにそっと、語りかける。
「――僕はアルベル。キミの、人間達の護竜アルベルだ」