捕虜と後継者の戯れ
捕虜の名前は撫子ちゃん「はぁ……」
平子撫子は暗鬱そうにため息を吐いた。どこか儚げで、寂しげな虜囚の風情。
理由はたった一つ、
「夜一さんをモフモフしたいぁ……」
『夜一さん』とはそう、撫子の師匠であり、幼い頃よりずっと側に居た、男らしくも厳格な口調で喋る黒猫…本来の姿は褐色の肌をしたグラマラスな女性だが、声が違うとか気にしてはいけない。撫子は幼い頃から彼女の体の“虜”と化していたのだ。
「あったくて柔らかくてふかふかな夜一さん吸いたいヨォ」
夜一が訊いたら呆れそうだが、撫子の中では猫ではないが「ねこ」の形をした厳しくも温かい師匠なのである。
□
「失礼するよ」
石田が訪れたとき、撫子はベッドに腰掛けて待っていた。
「大丈夫?」
石田は、抱えていた毛布を横に一旦置いた。
「…石田のほうこそ、大丈夫?」
撫子の視線に入るのは、白く美しい軍服を着た石田の姿。
「僕は何ともないさ…平子さんは?」
撫子の顔を覗くと「元気よ、ご飯も食べた」と…顔色も悪くなく、見る限り元気そうだ。だが『石田雨竜』の為に捕えられた撫子はこの部屋から一歩踏み出すことも許されていない。
「毛布以外に必要なものは? 持ってくるよ」
撫子は、再度首を振る。
彼女はこの部屋から出ることは出来ない。だが石田だけは撫子のもとに通うことを許すと、告げられたのだ。
(石田はそのことを意外に感じている)
「君に不自由な思いをさせてすまない」
「大丈夫やから。そんな顔せんといて?滅却師がアタシに話せる内容は無いかもやけど、癒したるよォ」
「…済まない…そろそろ行かなきゃいけない時間だ」
撫子は、微かに俯いた。
……彼とて、わざわざ自分の大切な人を不安にさせたいわけではない。
だが、撫子の元にもあまり長くはいられない…滅却師側からしたら、石田は危険人物極まりないのだから。
「じゃあ毛布被って寝とくかァ。コレ、ありがとォな。気をつけて…行ってらっしゃい、石田」
石田は「行ってくる」と撫子に耳打ちをして、最後に一度強く抱きしめた。
撫子もそれに答えるように強く抱きしめる。
「……僕を信じてくれ」
「信じてるよ。アタシ大丈夫やから」
石田は撫子の体から手を離した。撫子も彼の背中に回していた手を下ろす……そうして石田は顔を引きしめ、部屋を出ていった。
□
「……気持ちエエけど毛布じゃ耐えられんかもしれん……」
石田のぬくもりが離れていくと、毛布に顔を埋めた。ふかふかな弾力が撫子を包み込む。撫子はそのままベッドにダイブ。掛け布団を顔のあたりに引き上げて、目を閉じた。
□
ただいま。と聞こえた瞬間、撫子は絶句した。
ドアの前に立っているのは、キツネ耳の石田雨竜。封じられし王が失ったものを取り戻すことに大成功した図である。
因みに封じられし王は
900年を経て鼓動を取り戻し
90年を経て理知を取り戻し
9年を経て 力を取り戻し
9ヶ月を経て武具を取り戻し
9日間を経て世界を取り戻し
9時間を経て家族を取り戻し
9分を経て常識を取り戻し
9秒を以って
キツネ耳を 取り戻した
取り戻した常識はどこへ行った、と思わなくはない。
「…という訳なんだ…平子さん?」
しばらくのフリーズの後、ようやく撫子は動き出す。
「モフモフ……モフモフやヨォ…触ってもええ?アカンなら拒否して」
次の瞬間、撫子は勢いよく起きあがり石田のところにすっ飛んだ。
石田は最初驚いているようなそぶりを見せたが、撫子の様子がどうもおかしいと感じ取り、遅れを取った。石田の顔やキツネ耳に手が差し伸ばされる。
モフモフや。至福だ。やっと触れた……!しかも石田に狐耳と尻尾……! そうして石田に抱きついたまま、後ろに勢いよく倒れた。
「……僕は一体どうしたら……」
石田は、赤くなった頬のままうなだれた。
「石田の好きなお花のヨォな平子さんが戻ってきたで、我慢してな…はぁーモフモフ」
石田の首に腕を絡ませて甘えるように撫子が言う。
「恥ずかしいから止めてくれっ」
「エエやんかァ~可愛い可愛いよぉ」
「男に言う言葉じゃない!」
石田は撫子の体を離し、咳払いした。
「あ、ゴメン……アタシ、しばらくモフモフに餓えてたやろ?
で、や。今! そのモフモフにいま! 触れられとるわけ! 」
撫子はきらきらした目で石田を見た。
「……本当にそれが、元気がなかった理由?」
撫子はうなずき、匂いを確かめるように顔を近づけ、うなじから背中にかけて慈しむように優しい手つきで石田を撫でる。
「……良いやろ?撫でさせて?うーりゅう♡」
甘い、濃密な糖度を持つ声が(モフモフ的な意味で)石田を誘う。
「僕は……屈しないぞ……!」
こうして撫子のモフモフ欲は無事治ったが、石田はずっと困惑していた。