押し倒すカフェの話

押し倒すカフェの話



「……ようやく……着きましたね」


「一年ぶりだね。また来れてよかった」


「ふふ……はい、本当に」


東京から電車とバスを乗り継いで数時間────私たちは温泉旅館の前にいました。


山間にある、とても綺麗な温泉旅館。

その周辺は有名温泉地でもあるため、温泉街の中にはたくさんもの旅館が密集しています。


ここは以前、商店街の福引の特賞で訪れたことのある旅館で、すっかり気に入ってしまって、今では立派なリピーター。


彼と訪れるのも、これで3回目。


「おぉ……」


「……綺麗なお部屋……ですね」


受付を済ませて部屋に到着すると、2人揃って感嘆の声をあげました。


旅館の外観通りの落ち着いた雰囲気のお部屋。ほのかに漂う井草の香りが、旅の疲れを癒してくれるようです。


窓からは温泉街の景色が一望でき、夜には灯りがいくつもの流れとなって天の川のようになっていることでしょう。


温泉だけではなく、部屋の雰囲気や景色の全てで旅人を癒してくれる……本当に、素敵な場所。


また、あなたと一緒に来れてよかった……────


「今年も来れてよかったね」


「……ふふ、はい」


私の考えを見透かしたのか、トレーナーさんはそう優しく微笑み……どうやら彼も同じ考えだとその表情から伺えて、私も嬉しくなってしまいました。


・・・


部屋に荷物を運び込むと、私たちはすぐに着替えを手に温泉へと向かいます。山の高台にあるこの旅館の敷地はかなり広く、宿泊客の部屋のある場所から温泉のある場所まではそれなりに歩かなくてはいけません。


とは言っても5分ほどで到着するので、それほど遠いわけではありませんが。


受付を通り越して進むとお土産コーナーがあり、もう少し進むとマッサージチェアが並べられた休憩スペース。その隣には、温泉と言えばこれだと語られる卓球台……で遊ぶ子供たち。


それを通り側に眺めていると、


────やりたい?


と視線で語りかけてくるトレーナーさんに、私は首を横に振って答えました。私、もうそんな歳ではないです……。


無邪気な子供たちの遊ぶ声を聞きながら2人で歩いていくと、ようやく大浴場が見えてきます。うっすらと漂っていた硫黄の香りが強くなってきた気がします。


「あ、見えてきた」


男女を分ける暖簾が見えてくると、トレーナーさんが少し嬉しそうに言いました。私も口にはしませんが、楽しみにしていたので自然と向かう足が早くなってしまいます。


────と。


ぐいぐい。


「……?」


ぐいぐい。


突然、私を引っ張るお友だち。いつもなら私にわかる言葉や感情で伝えてくれるのに、今日はどうして────……?


「……ぁ」


引っ張られる先の扉を見て、私の身体に熱が灯るのを感じました。


「カフェ? どうしたの?」


「い、いえ……その……」


「……家族風呂?」


当然、目の前まで来れば気付きます。あの子が私を引き摺り込もうとしていたのは、家族風呂。簡単に言えば、家族で訪れた宿泊客が利用する貸切風呂……です。


「家族風呂に入りたいの?」


「ち、違います……あの子が私を引っ張って……」


私の答えに何らかの事情を察したのか、トレーナーさんは小さく頷くと、


「そっか、じゃああの子がキミと2人で入りたかったのかも? 僕、受付で聞いてこようか」


そう口にして、


「え、痛っ!! なんで!??」


思い切りあの子に背中を叩かれていました。


・・・


「……あ、おかえり」


ゆっくりと温泉に浸かり、身体を芯まで温めて出てくると、トレーナーさんから部屋に先に戻っているとLANEが入っていました。


私もすぐに部屋に戻ると、彼は広縁に設置されたソファに腰掛けて私の帰りを待ってくれていました。


……ただ、その様子が少しおかしいようで。


「どうしたんですか……?」


頬が赤く上気し、軽く息切れしているような────


ぱたぱたと手うちわで顔に風を送りながら、トレーナーさんは恥ずかしそうに頬を緩ませました。


「あはは……ちょっとお湯に浸かり過ぎちゃった。浮かれ過ぎちゃったね……」


「……そうでしたか……大丈夫、ですか?」


「うん……もうだいぶマシだよ。大人なのに情けないね……」


軽くのぼせてしまったようでした。


私は一度部屋を出て、近くの自販機でポカリを買って戻ってくると、彼の隣に座ってキャップを開けてボトルを手渡すと、トレーナーさんはふにゃふにゃと笑ってお礼を口にしました。


「あぁ……ありがと」


「……、…………いえ」


あなたのその笑顔が────……私を狂わせるんです。


ダメですよ……暑いからって、浴衣の胸元を着崩すなんて。


あなたの首筋や胸板の引き締まった筋肉が、私をどれほど苦しめてきたか。あなたに触れたいという衝動を、どれだけ抑えてきたか。


分かっているんですか……。


優しくて、ときどき可愛らしい一面を見せてくれる……私の『元』トレーナーさん。


あなたと一緒にいると、時間が過ぎるのは本当に早いと……常にそう思わされます。


最初の3年間も、それからも、卒業してからこれまでのことも……全て昨日のように思い出せる。実はまだあなたと出会って1年しか経っていない……なんて言われても、信じてしまいそうなくらい。


毎年来ている温泉旅行だって、いつ終わってしまうかわかりません。あなたは現役のトレーナーで、チームのウマ娘を見てあげなくてはいけないし、ただの元担当ウマ娘と出かける余裕だって無くなってくるはず。


それなら、あの子が入りたがっていた家族風呂に無理やり連れて行ってしまえば……────


「ごめんね、カフェ」


「……え?」


「せっかくの温泉なのに……こんなことで迷惑かけてさ。いつもカフェには迷惑かけてばっかりだ」


「……そんな……迷惑だとは思っていません……」


「でも、さ……やっぱりカフェにそんなところばっかり見せるのは情けなくて」


そう口にしたトレーナーさんは、少しだけ大人の表情をしていて────……それが、私の心に爪をたてる。


なぜあなたは、昔から私に迷惑をかけないようにしようとするんですか。


あなたに近づいた霊を祓っていたのも、私があなたを守りたかったからです。だから迷惑なんて、感じたことなんてないんです。


私には遠慮なんてしないでほしいのに。もっと迷惑をかけてくれても、構わないのに。その全てが、あなたとの思い出になのに。


まだあなたが、私をあの頃のままだと思っているのなら……目を覚ましてもらわなくてはいけませんね。


そう、決意した瞬間────


彼の肩に触れる私の手に、あの子の手が重なりました。


とん、と。


「ん、……ぁ、……ぇ……?」


背もたれに寄りかかっていた彼の肩を、私とあの子で軽く押してやると、驚くほどに抵抗なく倒れ込んでしまいました。


私がその上にウマ乗りになると、トレーナーさんは身動きが取れなくなってしまって。


「ち、……ちょっと……か、カフェ……?!」


視線の先には、無防備なトレーナーさん。倒した拍子に浴衣は崩れ、肌が見えて────私の心臓はどうしようもないほどに高鳴り、お湯に浸かった直後のように私の身体に火が灯り始めました。


「……夕食まで、まだ時間はありますから」


「か、カフェ……待って、ダメだよ……」


「夕食の後……もう一度、お風呂に入りましょう……? 次は、あの子も一緒に……3人で、家族風呂に」


汗でじわりと湿った彼の肌に指を這わせ、彼の口唇に私のそれをそっと撫でさせる。


「……私、もう子供じゃないんですよ。──さん」


「…………、……そうだね」


彼は私の言葉に、彼からの口付けで応えてくれる。お互いの熱を交換しながら、私たちは今まで言葉に出来なかった気持ちを伝えあう。


暖房の効いた部屋が、火照った熱でさらに暖められていく。窓は激しく結露し、玉のような水滴が流れ落ちる。


窓の外には、薄く雪が降り始めていた。

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