戦いの終わり。

戦いの終わり。




「……ん、う…」

「おや、お目覚めの様ですね。」


ここは何処だ?僕は…そうだ。僕は、あの『悪意(シュラ)』と戦って、勝って…今はどういう状況なんだ?


「当人も目覚めたようですし、いい加減抱き締めるのを辞めては?私は何もしませんし、していませんよ、魔法少女バエル。」

「…悪魔の言う事は信用なりません。」


抱き締める?ということは今触れてるこれは…!?


「リ、リオン、ちゃん?」

「大丈夫ですか純一くん、あのクソ悪魔に何かされたのではないですか?体調に問題は?」

「とっとりあえず大丈夫だから、あの、当たって…」

「本当ですか?本当に何もされてませんか??」

「何もしていないと言ってるのですがね。全く君が気絶してから泣くほど取り乱して、まるで想い人でも死んだかのように「悪魔ァ!!黙れ悪魔貴様ァ!!!」事実でしょう。」

「ヒューッ、セイシュンってやつだねえ。」



…やや時間を置いて、僕は精神の中で『悪意』と戦ったこと、彼を倒した事をみんなに説明した。


「乗り越えるべき悪を、自らの力で打ち倒した。よく頑張ったな、ジュンイチ。」

「お疲れ様でした、純一くん。」

「…ありがとう、ございます。」


「そう、これにて事態は一件落着。」

悪魔が、どこか芝居がかった口調で話し始める。

「彼に埋め込まれた悪性、悍ましく忌むべき存在は他ならぬ彼自身により、否定され滅びたのです。いやはやこれ以上のハッピーエンドはありませんねえ。」


…その通りだ。だが、それでも。


「悪魔、僕はあいつを否定しない。」

「……ほう?」

視線が集まる。


「あいつは悪だった、それは間違いない。でも殴り合う間、少しだけあいつの気持ちが伝わってきた。」

「あいつは、自分なりに生きようとしたんだ。人として生まれ、誰かに自分を見てもらいたかった。自分が生きている事を、誰かに知って欲しがってた。」

「あいつは許されない。僕も許さない。でも、どうしようもなく歪んでいて、身勝手だったとしても、生きたいと願っていた一人の人間を、僕は否定したくない。」


『──俺の罪は、消えねぇ。俺が壊した命は、絶対にお前の背から消える事はねぇ。」

『そんなの分かってる。』

『……ハッ、つまんねぇの。』


思えば最後の言葉は、「自分を忘れて欲しくない」という願いが篭った、精一杯の強がりだったのかもしれない。



「なんとも、まあ、お人好しな事で。」

静かに聞いていた悪魔が口を開く。表情の変化は無いが、その様子は何処か面食らった様にも見えた。

「ふふん、目論みが外れたようですねクソ悪魔。ざまあないですクソ悪魔。」

「…小娘が、何を勝ち誇ったように…」

「ジュンイチ…立派になったな。最高にカッコいいぜ、今のお前さん。」

「いい事言うのう、ワシ感動したわー。」


どこか気の抜けたような、毒気のない普通の会話。長らく戦いの緊張の中にあったが、この光景で改めて実感できる。

戦いは、終わったのだ。


そして悪魔が口を開こうとして──巨大な、狂気的なナニカの気配が辺りを覆った。

宇宙そのものがこちらを見るような、見上げるような怪物が手を伸ばしてきたような、そんな直感を全員が共有する。


「ーーッ!這い寄る混沌、よもやここでッ」

狼狽する声を残し、瞬きの間に悪魔の姿が掻き消える。同時に、悍ましい笑い声が響き渡る。


「️ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜!!!!!!」

金色の殺意が、大気を震わせた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


何処からともなく現れた、金色の人型。殺意と狂気に満ちた咆哮を響かせたソレは、ゆっくりと4人の魔法使いを視界に収めた。


「シュラ!?」

「…違う。」

「違う?違うって何がじゃ!?」


純一は、最も『シュラ』を知る者は思う。

あいつは「悪人」だ、悪意と害意を己のために振り撒く、タガの外れた「人間」だった。だが、アレには殺意しか感じられない。ただ、目的のない破壊を齎す、怪物。


人間よりも、遥かに悪辣で冒涜的なナニカが、死体となったあいつを操っている。純一はそう、直感的に確信した。


「あいつを、眠らせてやらないと。」

「くるぞ!!全員構えろ!!!」

「⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜!!」


咆哮と共に、猛然と怪物が駆け出す。殺すべき存在へ、最も近い人間へ。そこに弱い者を狙う狡猾さは無く、己を負かした者への警戒も無い。


「…」

迫る怪物を前に、純一は構える。

怒りのためではなく、殺すためでなく。

全ては、かつて人だったモノを、終わらせてやるために。


「オオオオオオオオオ!!!!」

「⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜ ⬜!!!!」


勢いのままに、両者の拳が交錯する。轟音と共に砂煙が上がる。

──立っていたのは、純一だった。


「⬜…⬜……」

「お前の動きは、一度見ていた。でもそれは、お前も同じだった。お前が『シュラ』そのものだったら、僕が負けていたかもしれない。」

「コロ…ス…コロシ…テヤ、ァ………」


「…せめて安らかに眠ってくれ、『シュラ』。」


最期まで殺意を口にしながら、怪物は塵となって消えていった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「お見事、お見事。よくぞ最後の試練を乗り越えてくれました。」

「…既定路線みたいな言い方ですけど、明らかにイレギュラーでしたよね?」

「はて、何のことやら。」


いつの間にか現れて、すっとぼける悪魔を睨みつける。今のは悪魔以外のナニカの仕業なのだろうけど、最後まで油断はできない。悪魔は嘘を吐かないが、真実を話す訳では無いのだ。…しかし、妙に上機嫌だなこの悪魔。何があったんだろう?


では改めて、と前置きし、悪魔は厳然と話し始める。


「全ての障害を乗り越えて、皆様は見事『サバト』を生き残りました。魔法少女バエル、代表して願いをどうぞ。」

「願いを叶える…いえ、その前に。」


まだ、願いを叶えるには早い。私たちの願いを叶える、全てを元に戻す前に、彼女と話さなければならない。


「デュミナスさん、願いを叶える前に、私は貴方の願いを聞いておきたい。」

「…あ?ワシ??」


悪魔も私達も無視して、猫と戯れていたデュミナスさんがこちらを見る。


「どういう事だい、嬢ちゃん?」

「この戦いで死んだ人たちの為にも、私達は事態のリセットを願わないといけません。その為に彼女には、少し強引に席を譲って頂きました。ただ、このまま彼女の願いを聞かぬまま、無かった事にしてしまうのは不誠実だと思ったんです。」

「…これから諦めてもらう願いを、わざわざ聞いて背負うってのか?なんともまあ…いや、それでこそ嬢ちゃんだな。」

「リオンちゃんって本当に優しいよね。」

「…」

「嬉しそうですね」「黙れ悪魔ァ!!」


「…何を言うとるんじゃ?」

きょとんとした顔で、デュミナスは言う。

「最初からワシとおヌシらの願いは一緒じゃろうが、だから仲間になったのにそんな事も忘れたのか?記憶力悪いのう!」

「…えっ?」


…どういう事だ?彼女は確かに、嘘をついて私たちの仲間になった、というか、仲間だったことにしようとした。一種の虚言癖だろうと、そう思っていた。悪魔祓いをやっていると、そうやって自己正当化に躍起になる人は珍しくない。でも、この人は。


「なんなんじゃ、揃ってマヌケな顔しおって。」


違う、彼女は本心からこれを言っている。本当に最初から、願いを同じくする仲間だったと思い込んでいる。自分の願いすら無かった事にして…?


「一種の精神障害でしょうね。」

悪魔が言う。

「無意識、かつ常習的に記憶改竄を行なっているのでしょう。彼女が生まれ持ったサガという奴だと思われます。『サバト』の最中もずっとこの調子でしたので。」

「そんな…」


じゃあ、もう誰も彼女の願いを知らない?本人すら、そのためなら殺し合っても良いと思えるような願いを、忘れて思い出す事が出来ないなんて…


「まあ、私なら願いを思い出させる事など容易ですが。やってあげましょうか?」

事も無げに悪魔が言う。

「えっ」

「そんな事出来るんですか?」

「…お前さんが自分からそんな事を言うなんて、どういう風の吹き回しだ?」

「精神に干渉するなど、悪魔には児戯に等しいものです。それに今の私は非常に機嫌が良いので。」


悪魔に頼るのは癪だ。滅茶苦茶癪だ。可能なら今すぐ殴り倒したい。

だが…それしか手段が無いなら仕方がない。


「…お願いします。」

「では失礼して…はい、終わりました。出来る限り偽の記憶は取り払って暫く改竄が起こらないように致しました。お好きに質問なりなんなりどうぞ?」

「いやに早いな…」


「では改めて、デュミナスさん、貴方の願いは何でしたか?」

「私の、願い?」

呆気に取られたように、彼女が言う。


「…待て、様子が変じゃないか?悪魔、こいつに何をした?」

「記憶や精神から、改竄由来と見受けられる物を全て取り払いました。現在の彼女の人格は改竄の積み重ねですので、人が変わったようになっても不思議ではないかと。」

「おい、それは大丈夫なのか?」

「願いは聞けるので問題ないでしょう、ほら、話し出しそうですよ。」


「私の、願い、は…」 

ぽつぽつと、彼女が語り始める。同時に視線を動かす。向かう先は、倒れ伏した血まみれの死体。


「友達が、欲しかった…」


その言葉は、あまりにも寂しく、静かに辺りへ響いた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


あるところに、一人の少女がいました。


「それわたしのだよ。どろぼー!」

「やくそく?わたしそんなのしてないよ!うそつき!!」


少女は嘘つきでした。いつでもなんでも自分の都合の良いように嘘をつきました。

当然、周りは少女を嫌いました。しかし、彼女の親は地域でも権力のある人でした。親を恐れた子供たちは虐める事もせず、ただただ彼女に寄り付かなくなりました。


そして、あまりにも嘘をつくので、両親も彼女に愛想を尽かしました。

「お前はもう喋るな。余計な口を開くな。」

外聞を気にした両親は少女に「お淑やかで上品なできた娘」を演じさせました。勉強ができて、習い事に通って、親の言うことをよく聞いて。そんな存在に、少女は成りました。


しかし、彼女は嘘つきではありませんでした。

彼女は、常に彼女自身にとっての「真実」を話していたのです。それが周りにとっての真実でない事を、彼女は理解できませんでした。

そして、周りの誰も彼女を理解してくれなかったのです。他人は、全て敵でした。

ひとりぼっちになった少女は、自分の心に閉じこもりました。様々な思想を読み漁り、自分だけの哲学で世界観を作り上げて、それを支えに「自分だけが正しい」世界を生きていきました。


それでも、ひとりぼっちの寂しさだけは忘れられませんでした。どれだけ多くの「真実」で上塗りしても、ずっと心の奥には寂しさに泣く少女がいました。


だからこそ。


『お前、魔法使いなんだろ?ちょっと僕と手を組まない?』

『いいか!?もう二度と俺の前でこの猫出すなよ!!!いいな!!?』

『あーはいはい僕が嘘言ってたわーごめんごめん。』

『二重人格…は違うのか。専門外?まあそりゃそうなんだろうが。つくづく分かんねえなお前…。」


『あいつらには絶対勝つぞ。いいな、「デュミナス」?』


その人は、かけがえの無い、初めての友達だったのです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「どうして…どうしてこんな、しななきゃならなかったの?わたしは、ただ。」


泣きじゃくりながら、ただ友達が欲しかった事、そして初めての友達の役に立ちたかった事を話す彼女に、私は暫し呆然としていた。


そうだ、常にけらけらと笑い、飄々とした彼女が唯一激昂したのは、彼が『シュラ』に殺された瞬間だった。それもすぐに収まって私たちに取り入ろうとしたから演技だったのかと思っていた。たがあれは、咄嗟に改竄で覆い隠しきれない程の、彼女の本心からの叫びだったのだろう。


「うああ、あああ…」

「…」


「大丈夫ですよ。」

血に汚れるのも構わずディストピアへ縋り付く彼女に、目線を合わせて私は言う。これから言う言葉が、どれほど残酷であるか知りながら。


「願いで世界が巻き戻れば、彼だって生き返ります。そうすれば…きっとまた、会えます。また、友達になれます。」


「それに、僅かな間ですが、私も貴方と戦った仲間です、友達です。」

「とも、だち…?ほんとに?」

「…リオンちゃん、それは。」


世界の巻き戻し。それは、この戦い自体が無かったことになると言うこと。彼女とディストピアにも、そして私たちにも、記憶は残らない。また会えるとは、友達になれるとは、何も保証できない。

だからこれは、優しくて残酷な嘘。それは分かっている。だとしても。


「貴方は独りではありません、だから、どうか泣かないで。」


今、目の前で独り泣く「少女」に、言葉をかけずにはいられなかったのだ。


「…ありがとう、お姉さん。優しいんだね、こんな奴に。」

気づけば、彼女は泣き止んで、笑っていた。


(ああ、この人は、全部察して…)

「私はこの人のそばにいたいから。願いを、お願いします。」

「分かりました。…ごめんなさい。」

「大丈夫。私、嬉しかったから。」


それ以上、掛けられる言葉は無かった。

悪魔に向き直る。悪魔は、嗤っていた。私を責めるように、人は愚かだと糾弾するように。


(愚かだなんて承知の上よ、クソ野郎。)

「悪魔、願いを。この『サバト』を、初めから無かったことに。」

「受理します。悪魔バフォメットの名において、契約に基づき願いを叶えましょう。」


「…そういえば、ちゃんとお別れ言えてなかったね。ありがとう、純一くん。貴方と戦えてよかった。」

「僕の方こそ、なんてお礼をしたらいいか分からないよ。本当にありがとう、リオンちゃん。ロバートさんも、ありがとうございました。」

「いいってことよ、ジュンイチ。」


「それじゃあ、「また会おうね。」…!」


「きっと、会いに行く。だから、君にさよならは言わない。」


「…うん!またね、純一君!!」


そうして、世界が白くなって。

私たちの意識は途絶えた。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


再構築される世界の外側。一面の黒が広がる、世界と世界の間隙に、悪魔が一人。


「…ああ言ってはいましたが、あの場の全員の記憶は持ち越されません。結局のところ、デュミナスは一人孤独に生き、そして彼らも交わることは無いでしょう。」

くつくつと、悪魔は嗤う。

「残酷な事を言いましたねえ、魔法少女バエル、そしてシュラ。つくづくまあ──人とは愚かなもので「記憶は残るとも。私が残したからね。」…は?」


「ややあっさりと終わってしまったが、彼らは私の試練を乗り越えた。ならば、相応の報酬はあって然るべきだろう。なあ、バフォメット君?」


背後からの声に、地団駄を踏み、叫びたい気持ちを辛うじて押さえ込み。

──悪魔は、ただ天を仰いだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「なあ、おヌシ!!おヌシ、ワシに見覚えは無いか!!あるよな!?あると言え!!」

「何だよさっきから!!僕はお前なんて知らねえって言ってるだろ!?」

「そんなはずは…いや、やはり、ワシだけが…」


「『デュミナス』さん!」

「!!」


「また、会えましたね。」

「────おう!!」



とある日本の、なんの変哲もない街。

悪魔もいないこの街で、ちょっと変わった夫婦は、凸凹なカップルは、初々しい青少年は、絆を取り戻した親子は、この国を愛する男は。

ずっとずっと、平和に暮らし続けるのでした。


めでたし、めでたし。



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