戦いの火蓋は切られた
「こっちれす!」
「このすぐ上が地上よ!」
崩落する遺跡を支え、数を増した赤目の獣達を躱しながら走る。下水道にたどり着けば、地上まではそう距離も障害もない。
「天井は斬って構わねえな!」
「皆さん下がって!」
剣士二人の言葉に続いて、金網の嵌められた排水口の周りがひと息で切り開かれた。これならフランキーも十分通れるわね。
崩れゆく遺構に巻き込まれ、暗い下水道が埋もれていく。壁面に刻まれた旧い神秘の力を宿す言葉たちも、轟音の中に沈んでいく。
唐突に始まった地下遺跡の崩落は、間違いなく人為的なものだった。幾度歴史が繰り返されるとも、人は過去には戻れない。埋もれてしまった足跡は、二度と帰ることはない。
シーザー・クラウン。あなたにはその重みがわからないのね。
「!!危ない!!」
暗闇に慣れた目を焼く光と轟音が、天から降った。遅れて、たしぎに腕を引かれ庇われている自分に気付く。
「…ありがとう」
「いえ、それより警戒を!…外にも何か居ます」
「あれは…」
明滅する視界の中に、薄紅の光が差す。星が見える晴れ空の一点だけを、分厚い雷雲が覆っていた。明確に人に対して害意を向ける雷は、雲の上に落ちる空島の"神"のそれを思わせる。
「なっ…なんれすかあれ…!?」
獣達と同じ赤い光を宿した瞳に齢を重ねた桜のような角。雲を生み出し長い体を地下から持ち上げる姿は、人に畏怖を抱かせる類のものだった。
「…竜」
呟いたゾロの背後に、遺跡から這い出して来た獣の一匹が迫る。素早く反応した彼は、咲かせた腕でも止めきれないほどの膂力を持つ相手を三本の刀で受け止め、腕を交差させた状態からすぐさま反撃に転じた。
「”蟹”…”獲り”!!!」
斬撃の音が響いて、けれど直後体勢を立て直した獣を今度はトゥールの連装銃が吹き飛ばす。
三刀流で斬られたはずの獣の頸には、一筋の傷だけが残っていた。
「…覇気がほとんど効いてねえ。刃が通るのも秋水だけか…獣ってのは"何"だ?」
「知られるべきではないものだ。特に君達のような…"人間"には」
秘匿の番人、狩人たる彼は囁くように告げて、小さな武器を構えたトンタッタ達に声をかけた。
「母なる眠りの守り手達よ。あれらは湖を覆うもの」
トゥールの言葉に、小人達が隊列を組み直す。旧くより王墓を守り続けたあなた達には、この言葉の意味が解るのね。
「今一度、共に刃を掲げたまえ」
全ての眠りと全ての海に、絶えぬ凪のあらんことを。
祈りと共に先頭を担うトンタッタの姿が変わった。翅を持つ、虫に近い姿。初めて見る昆虫の動物系能力者。後ろに控える戦士の武器も、トゥールの振るう仕込み杖のように一斉に音を立ててその姿を変えていた。
「ここはボクたちが引き受けるのれす‼︎」
「君達の仲間は、あの竜と戦っているようだ。その刀の示す通りに進みたまえよ」
月夜に響く鬨の声で、歴史に語られぬ守人達の戦いが幕を開けた。
「ゼウス‼︎なに逃げ回ってんの‼︎」
「だってナミ!あの雷、おいらでも痛いんだよー‼︎」
「ナミ‼︎戦っていたのはあなた達だったの⁉︎」
「ロビン!」
巨大な竜と対峙していたのはルフィとウソップではなく、買い出しに向かったナミ達のグループだった。
ナミ、サンジ、ブルックの他にも、ワノ国のお侍さんらしき剣士とトンタッタの戦士さん、スモーカーに”最悪の世代”のドレークと大所帯になっている。たしぎが話してくれた内部協力者というのは、彼のことだったのね。
「スモーカーさん‼︎十手を‼︎」
「たしぎ‼︎一味の残りはそっちに居たか…!」
「彼らは現在”狩人”の協力者です!シーザーの捕縛が優先になるかと‼︎」
大きな十手を持ち主に投げ渡した彼女の言葉に、スモーカーは不機嫌に舌打ちをした。あまり狩人を信用している様子ではなさそうね。
そんな彼が展開している白煙の防御壁の向こうには、生気のない巨大な子供達の姿もあった。無事とは言い難い様子ではあるけれど、誘拐被害にあった子達の解放自体は上手くいったと見てよさそうかしら。
「皆さん竜が突っ込んで来てますよ⁉︎」
「この野郎レディ相手に…!」
「待たれよ!この竜は…」
ブルックの言葉に構えたサンジを、お侍さんが慌てて止めに入った。一瞬動きを止めたサンジに、竜の巨体が迫っている。
「”必殺緑星”‼︎『蛇花火』!!!」
「”ゴムゴムのォ……象銃”!!!」
だけど、大きく開いた顎は真横から現れた拳に勢いよく殴り飛ばされた。再び首を持ち上げるより先に、強い衝撃で芽吹いた植物が竜を締め付ける。
「ルフィ!ウソップ!」
「おれたちシーザーってやつ追っかけてんだ!!」
「この竜もあいつの手下か!?こんなんでも"最高傑作"じゃねえのかよ!?」
「シーザー?」
訊ねようとしたナミの言葉を、牙の隙間から漏れ出す炎が奪った。顎に巻き付く蔓を焼き切って、灼熱の息がこちらに向かってくる。
「なんの!"狐火流"!!"焔裂き"!!!」
「へェ…!!」
「炎を斬った…!!」
ひどい状況だけれど、炎を斬ったお侍さんを見てゾロは口角を上げていた。そのすぐ隣ではたしぎも目を瞠っている。
「ルフィ、ウソップ、先行ってろ。おれはそっちの剣士に興味が湧いた」
「おう」
「よ、よーしここは任せたぞゾロ!」
迷いなく走り去る二人の背を目で追っていたスモーカーは、広げた煙で子供達を熱気から守ったままたしぎとドレークの方を振り返った。
「なるほど、行き先はコロシアムか…たしぎ、ドレーク、お前らも行け!あいつら、シーザーをぶっ飛ばすまではやるだろうが観客と闘士の避難までは気が回らねえ!」
「はい!!」
「了解!!」
離脱した二人を追う雷撃を、ナミの指示を受けたゼウスがぎゅっとしかめた顔で受け止める。さっきは分からなかったけれど、これもただの雷じゃないみたいね。徐々に空を覆い始めた雷雲から、彼は怯えた様子で距離を取っていた。
そして今度は首をもたげた竜の、体に圧を感じるほどの咆哮と共にかまいたちが吹き荒んだ。レンガをあっさりと切断する刃の飛び交う中、小さな影がこちらに向かってくるのが見える。ナミ達と一緒にいたトンタッタの子が、風の隙間を器用に縫いながら私たちの方へと叫んでいた。
「あの!!さっき狩人さんに協力してるって言ってたれすよね!!」
「おうよ!そこのドデカい穴見るに、オメェも仲間探しに地下潜ってたんだろ?連中ならあっちで"獣"ってのとやりあってるぜ」
「みんなこの騒動の黒幕…"M"を名乗っていたシーザーに騙されて盗みを働いていたのよ」
フランキーと私の言葉を聞いて、小さな戦士くんは少し安心したような困ったような表情をした。トンタッタ族は二分されてしまっているとキュロスから聞いたけれど、彼は盗みをしている仲間を遺跡にまで探しに行っていたのね。
彼らはとても高価な野菜を栽培しているようだから、それに目を付けたナミが手伝いを申し出た、といったところかしら。お侍さんの方は分からないけれど、この竜について何か知っている素振りだったわ。
「行けよ、レオ。騒動が収まったら説教でもくらわせてやれ」
「私達の仲間も合流しましたし、こちらはお任せください!」
笑顔を向けたサンジとブルックに、戦士くん改めレオも笑顔を返して地を滑るように私達が来た方角へと駆け抜けていった。地下で出会った子達がかき集めて持ち出した盗品も、この夜が明ければ持ち主の手に戻るのでしょうね。
「さてと…あとはこの行儀の悪ィウナギ野郎をオロすだけだな」
「おれにも竜が斬れるか…試してやろうじゃねえか」
「待てと申しておろうに!!」
並び立ったサンジとゾロを止めたのは、またしてもあのお侍さん。やっぱりあなた、何か知っているのね。
「赤目となり理性を失ってはおるものの、あれは敵ではない!!」
「竜の動物系をお前が庇うのか?侍」
「海兵の!お主の言う竜は…かの地に呪われておる。遠き異国まで天駆けることなど出来はせぬ!!」
断言したお侍さんに、スモーカーは眉を跳ね上げた。
「息子を…探していると言っていたな」
「……いかにも。そしておそらくあの竜こそが…」
風が止み、雷鳴が途切れる。薄紅色の鱗を持つ竜は身をよじると、熱気もまとわない苦しげな息を吐き出した。人のそれに近い形をした腕の片方が、水のように滴り落ちて消えていく。竜の姿を保てなくなってきているんだわ。
「拙者の、息子なのだ」
―ちちうえ
重力に引かれるように小さく開いた口元から零れ落ちたのは、幼い子供の声だった。